22三人の司祭
アイシャの動きが追えなかったのはゴロツキ共も変わらなかった。
一人目の膝をその体格からは想像もできない勢いで蹴り砕くと、そのまま顎を下から打ち砕くと同時に次の標的に飛んだ。
ゴロツキが反応できたのは3人目が急所を蹴り砕かれ、石畳を悶絶しながら転げまわってからだった。
「や、野郎!」
「あっちだ!もう1人を押さえろ!」
目敏い1人がメリーを指差して叫んだ時にはもう手遅れになっていた。
メリーのほうに駆け出した1人は横からアイシャに蹴り飛ばされ、もう1人はメリーの魔術によって昏倒させられていた。
「ま、魔術師だなんて聞いてねぇぞ!」
おそらく使い捨てにされるであろうゴロツキには肝心な情報は伝えられていないようであった。
もし首尾よくメリー達を捕まえられたとしても、いつでも尻尾を切れるように、あるいは余暇な事をしって始末されないように。
双方納得の上で情報のやり取りはないはずなのだろうが…。
実行犯としては相手の戦力ぐらいは教えてほしいところだろう。
だがゴロツキどももすべてが馬鹿ではない。
悲鳴を上げた最後の1人にアイシャが飛びかかろうとしたした瞬間だった。
「ぎゃっ!」
短い悲鳴が静まり返った広場に響く。
だがメリーの予想とは反し、石畳に転がったのはゴロツキではなくアイシャの方だった。
その太腿には短矢が突き刺さっていた。
「ふう、予想外にすばしっこくて時間かかっちまったか」
暗がりに転がっていたボロキレがのそりと立ち上がり、そう言って手に持ったクロスボウの金具をガチャっと鳴らした。
「兄貴おせぇよ!」
「そう言うな、その嬢ちゃんが思ったよりもすばしこかっただけだ…おっと、急いでソイツを捕まえておけよ?
俺が魔術で吹っ飛ばされる事があれば遠慮なく喉をかっ切ってやんな!」
その言葉が自分に対する牽制だとわかっていても、メリーは動けなった。
男が悠然とクロスボウの弦を張りなおし、短矢をつがえるのと頭を踏みつけられるアイシャを交互に見ながら足をすくませていた。
「め、メリーさ…」
地面に押し付けらながらも、何とか自分に呼びかけようとするアイシャの意図は痛いほどわかっている。
自分が先に捕まったとしてもアイシャに対して『私はいいから逃げて』と叫んだだろう。
だが実際自分がそう呼びかけられる事態になった時、メリーは今までのあまい認識を自覚した。
かけがえのない存在である彼女をおいて逃げる事はもとより、人質に取られている常態で反撃に出るなど勇気が振り絞れなかったのだ。
たぶんアイシャも逆の立場になったらそうなってしまうのではないか?
メリーは頭の中で、現状からの逃避でそんな事をぼんやり考えていた。
「へへっ、観念したか?それとも怖くて声もでねぇか?
ま、心配すんな…生きて連れてくるようには言われているからよ、生きてね…」
「だ、誰の差し金よ!?」
「しらねぇな、聞いてないし聞こうとも思わねぇ。
それがこの町で生きていくコツなんでな」
死ななければ何してもいいという言外の脅迫に、恐怖よりも怒りで押しつぶされそうになりながらも、メリーは次の行動を選べずにいた。
縋る様にこちらを見つめるアイシャの視線が痛く、ついつい目をそらせてしまった。
なによりこんな精神状況では魔術構成など到底組めるものではない。
覚悟をしたわけではなく、覚悟が出来ないままクロスボウを構えながら近寄ってくる男をにらみつけ、メリーはギュッと拳を握り締めた。
白い拳にさっと赤みが浮かぶ。
「な、馬を下りて近づいてよかっただろ?」
「確かに…しかしこれは殿下の想定とは違う状況なのでは?」
突然広場に響き渡った聞き覚えのある声に、メリーは思わず顔を上げて周囲を見回した。
だがそれに混乱したのはメリーよりもむしろゴロツキの方だっただろう。
しかし。
「だっ…」
そこまで叫んだクロスボウの男は、言葉を最後まで発する事なく崩れ落ちた。
「兄貴?」
「ゲラルド、殺すなよ?
無駄だと思うが口を割らせる必要がある」
「御意」
反対側から聞こえたその言葉と同時に、アイシャを踏みつけていた男がのぞけった。
「ぐはっ?!」
「さっさとその汚たない足を下ろせ」
黒い服で足音を忍ばせていただけとは信じられないが、ゲラルドはそれだけで薄闇に溶け込み、気づかれぬうちにその男の背後に忍び寄っていたのだ。
「殿下、こちらの男は…?」
「恥ずかしながらな、あの状況で手加減して昏倒で済ませるのは私には難しかったようだ。
これが君ならもっとスマートに出来たかな?メリヴィエ嬢?」
「殿下…」
「まったく、軽挙は謹んでほしいと言ったばかりだったじゃないか」
街頭の下に歩み出てきたヴォルフガングは、教会の前の広場を照らすその灯りを見上げ首をかしげた。
「おかげで今日1日飛び回った苦労が水の泡になるところだったよ。
とりあえずここに来てしまったからには…中に入れてもらおうか?」
「どういうこと?」
ヴォルフガングはメリーの疑問を片手を上げて制すと、悠然と大聖堂の通用門に近づいて行った。
「メリヴィエ嬢、どうぞ」
アンゼルムの促しに我に返ったメリーは、慌ててゲラルドに助け起こされていたアイシャに駆け寄った。
「アイシャ!」
「すみませんメリー様…」
「あんであなたが謝るのよ…これは私の油断よ」
「ゲラルド、彼女の容態はどうだ?」
「お腹の…様子は断言できませんが、頭や体の外傷はたいした事はないでしょう。
問題は脚の矢傷ですが…」
「それは私が癒すわ」
「…見たところ彼女は戦闘訓練を受けた事があるようで、それが幸いしたかと」
「ほぉ、離宮で暴れられなくてよかったな…さてメリヴィエ嬢、こちらに来てもらえないかな?
君を司祭に紹介しないわけにはいかないのでね」
大聖堂の通用門からは数名の聖職者が歩み出てきて、アインツィヒ教の礼をとっているのが見えた。
その中心に立っている男の服装は、ヴェンヌの教会で見慣れた黒いローブに灰色のケーブだった。
「紹介しよう。
彼が西方の教会との窓口を務めているベッカー巡礼司祭だ。
次のヴェンヌ行きの船に彼女…アイシャだったな…を乗せてもらう手はずになってる」
コレにはメリーはただ唖然とするしかなかった。
そういえば先ほどヴォルフガングは『今日1日飛び回った苦労が水泡に帰すところだった』と言わなかったか?
「ちょっと待ってください!
じゃあメリー様はどうなるんですか?」
「申し訳ないがメリヴィエ嬢のために船は用意できない。
だいたい君を船に乗せる事すら非公式なのだからね」
「では私だけ帰るわけにはいかな…いきません!」
「だめよアイシャ。
彼方には先に帰ってもらわないと困るわ」
「メリー様?」
「あなたにはお父様、お母様、そしてお兄様に現状を報告してもらわないといけないの。
それをわかって」
「でも!」
「これは…これだけは命令よ」
メリーは正直気が気ではなかった。
こうまでしてアイシャだけ帰そうとする真意を、聡明なヴォルフガングに気付かれるのではないかと焦っていた。
事実自分を静かに見つめる彼の焦茶色の瞳が、自分の心を見透かしているようにも感じていた。
逆の立場なら自分も同じ反応を下であろうアイシャの言葉に苛立ちを押さえられなかった。
「私としても折衝の苦労を無駄にして欲しくはないな。
クベール侯爵へも、お嬢さんを丁重に御預かりしている旨を伝えてほしいところだな」
メリーは混乱していた。
もしかしてヴォルフガングはアイシャのお腹の子の父親まで見抜いた上で帰そうとしてくれているのか?と。
実際ヴォルフガングはある程度の事情は推察できていた。
もっとも確信を得るにいたる証拠など2人が話してくれなければ解ろう筈もないが、その上でアイシャを帰す事がどう転んでも得になると判断したのだ。
お腹の子がクベール家に関係なければ惜しくもないし、関係あるのだったら大きく貸しを作れる。
何よりメリーに恩を売れることが大きい。
お腹の子がメリーの妹か姪である事を祈ってすらいた。
そこが皇帝や皇太子とヴォルフガングの意見の違いであって、アイシャを帰すに当たってアインツィヒ教を頼らざるを得なかった理由であった。
「ここでメリヴィエ嬢を船に乗せでもしたら、私は廃嫡され追っ手がかかるだろう。
そうなればその後にクベール家と話がついて、彼女を無事帰すなどという未来はなくなってしまうだろうな」
「そんな…」
「だからアイシャ…お願い、お父様お母様とお兄様に…」
ヴォルフガングはメリーがアイシャに渡してる手紙を見ない振りをしながら、ベッカー司祭に向き直った。
「申し訳ないな司祭殿、手順を飛ばしたうえに少々ゴタついてしまっていてな」
「かまいませんよ、別れと言うのは人の心を不安にさせますからな。
お嬢さん方が別れを惜しむのは当然です。
いやしかし、ヴェンヌのオットー司祭からの手紙の通りの活発な方ですな」
「活発か…ものは言いようだな?」
「何かいいました?殿下?」
いつもの仕草で肩をすくめたヴォルフガングは、それでも司祭に話を続けた。
「悪いが司祭殿、我々も今夜は巡礼の施設に泊めてほしい所なのだが?」
「殿下をですか?
流石にそれは問題ですから…遠方の司祭が立ち寄ったときに使う部屋を用意しましょう。
ですが…」
「わかってる。
女性用の部屋がないのだろう?」
まだ貴族社会だけでなく、教会も男社会で男尊女卑がまかり通っていた。
ウルク教ほどでは無いがアインツィヒ教も例外ではなく、女性の司祭など稀で。
もちろん大聖堂内には女性用の部屋など巡礼用の施設か、精々女侍祭達が纏めて押し込まれる大部屋ぐらいである。
「彼女達の部屋は私と一緒で…」
「困ります!殿下!」
ベッカー司祭は思わず声を荒らげた。
「いくら皇族とて若い男女の同衾が大聖堂内で認められると思いますか?
それに…女性を司祭の部屋に入れられるのも困ります」
「そうか、それは参ったな…」
さすがのヴォルフガングも大聖堂内の決まり事には詳しくなく、曲げる事も出来ないようだった。
少なくとも表向きは王家と大聖堂は対立しているので無理からぬ事ではあるのだが…。
「私達なら巡礼の部屋でかまいません」
「しかしだなメリヴィエ嬢」
「私はしがない田舎貴族の娘ですから…むしろあの離宮の部屋が豪華すぎて落ち着かなかったほどよ」
ヴォルフガングとしてもはいそうですかと言うわけにはいかない。
王族としての体面もあるし、なにより警備上の都合を考えるとメリーを誰が居るとも解らない巡礼の宿泊施設に行かせる訳にはいかないのだ。
だが意外な事に、そんなメリーに待ったをかけたのはベッカー司祭だった。
「メリヴィエ様、失礼ですがあなたは逆に巡礼用の部屋などをご存知ないからそんな事が言えるのです。
確かにここ帝都は世界の富が集まってくる大都市ですが、最下層の貧しさや不潔さはヴェンヌと比較しては想像も及ばない程です」
そこで彼は一息つくと、にこやかに続けた。
きつい言葉ばかりでなくフォローを入れてくるところが実に聖職者らしい。
「私もヴェンヌの様子はオットー司祭やフランツ司教の手紙でしか知りえませんが、道路や上下水道の整備や治安の良さなど驚く話ばかりです」
故郷を褒められてメリーは悪い気はしない。
「何代か前のクベール当主がすごい先進的な人で、その時まだ発展前だったヴェンヌを整備するに当たって綿密に都市計画を作ったって聞いたわ。
ラピンの川港もその方が作ったそうよ」
「その話はもっとよく聞きたいな」
「残念ながら私はそんなに詳しくないの。
お姉さまやお兄様ならくわしい筈なんだけど…」
ちょうどそのタイミングで1人の司祭が顔を出した。
「ベッカー司祭」
「おおカミル司祭どうされた?」
「エルマ司祭が以前使っていた部屋を用意させて居ます。
必要ならそこをお使いください」
「感謝しますぞ!」
ベッカー・バウンス巡礼司祭はアインツィヒ教の仕草で感謝の意を示し、現れた司祭の手を取った。
「殿下、お聞きの通りです…以前修道女のまとめ役だったエルマ女司祭の部屋をカミル司祭が用意してくれているそうです。
ご令嬢方には今夜そこを使っていただくという事で…」
「しかし護衛の問題が…」
「修道女の棟は奥まって居ますから、入り口に護衛を立てれば充分でしょう。
もっとも、決して入り口から中に入ってもらっては困りますが」
「ゲラルド、ここは教会を信じよう。
申しわけないが、このゲラルトともう1人護衛をつかせてもらう。
あとこの様子なら私は離宮に帰った方がいいな?
誰か馬車を呼びに行ってくれ」
「かしこまりました…では部屋の準備が整うまでこちらで…」
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
談話室での会話は主にメリーとアイシャの2人だけだった。
ヴォルフガングは最後には涙を流しながら1人帰郷する事を承知したアイシャと、一緒に涙ぐむメリーを静かに見つめていただけだった。
強固な2人の関係は承知しているし、明日からはメリーを独占できるから焦る必要は無いと考えた上でだ。
ついでに彼女達の口から家族関係に関する情報のひとつでも…ぐらいは考えていたかもしれないが、それはかなわなかった。
「では明日迎えにこよう…その足で港に向かう事になる。
ベッカー司祭?」
「定期便の準備は出来ておりますよ。
3日は早める事になりましたが、この際仕方ないでしょうな」
「すまんな…だが今回の事、教会にとっても渡りに船だっただろう?」
「殿下にはかないませんな…お話を聞く限り来週にヴェンヌから手紙が届くと思われます。
機先を制すわけではありませんが、今回迅速な対応を行う事で先方の心象はだいぶよくなるはずです」
「ヴェンヌからの輸入品を独占してる教会としては売れしい悲鳴だな?」
「いえいえにそこまでは…」
「失礼、流石に言い過ぎか?
だが助かったよ、これは三方に利益のある行いだ。
もちろんヴェンヌ…クベール家に対してもな」
2人を見送るためにベッカー司祭が立ち上がり、促されてアンゼルムが席を立とうとしたところ。
ヴォルフガングは彼を手で制した。
それを見て訝し気なベッカー司祭に向き直ると、ヴォルフガングはそれまでと打って変わって真剣な目で尋ねた。
「・・・いやその前に聞いておきたいのだが、今日広場の照明を焚いていた担当は誰か?」
唐突なヴォルフガングの質問にベッカー、ベッカー・バウンス巡礼司祭は首をかしげた。
質問の意図はわからないものの、隠すようなことではない。
「ええ、カミル司祭…カミル・エストマン神跡司祭ですが、それがどうかされましたか?」
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「この奥が修道女の生活してる棟になりますので、男性はここに留まってください」
「いたしかたないな」
メリーたち一行はカミル司祭に案内されて大聖堂の奥までやってきていた。
「ではメリヴィエ様、私達はここに控えていて居ますので何かあったらお声がけください」
しかしメリーとアイシャは顔を見合わせ、そろそろとゲラルドの傍らに移動していった。
「ちょっとまって…待ってください。
司祭様、この奥は修道女だけの生活空間なのですよね?」
「ええ、そうですが?」
「ではなんで奥から男の体臭がにおって来てるのですか?」
「それにいくつかの攻撃魔術の構成が展開しているけど、どういうつもりなのかしら?」
「なんだと?!」
エストマン司祭の顔が冷たく歪んだ。
かれはアイシャを忌々しげに睨み付けると履き捨てるように言った。
「…ふん、まるで獣そのものだな…おぞましい。
魔力も持たない非魔術師にも劣る亜人が」
「貴様は!」
その瞬間ゲラルドに向かって迸った火花は、いつの間に抜刀していたメリーの雷の刃に叩き落されていた。
「おお…素晴らしい!
私も長らくかの方の使途を勤めているが、そのような魔術も魔道具も初めて見る!」
エストマンの瞳が歓喜に輝く。
彼の目はメリーの手の上で輝く雷刃に釘付けだった。
「あなた様はこのような下等の中に居るべき人ではない!」
まるで雄たけびのようにそう叫んだエストマンは派手な構成を解き放ち、一行の退路に炎の壁を燃え上がらせた。
「くっコイツも魔術師か…そういえば神跡司祭だったな」
「あら、狙いはどうやら私のようね?」
修道女の宿舎と説明されたはずの建物から、飛び出してくる黒装束を見回しながら
メリーは不敵な笑みを浮かべていた。
先ほどのゴロツキとは明らかには物腰が違う上、その手に光る小剣はゴロツキの使う安物には見えない。
宿舎の中で構成を準備していたのはこの者達だろう。
「ゲラルド卿、近寄ってくる連中をお願いね」
「私は騎士ではありません。
それに…」
ゲラルドが手を振ると、にじり寄ってきていた黒装束が1人その場に崩れ落ちた。
その喉もとからは短剣の柄がはえている。
「遠巻きの連中もお任せくださってけっこうです。
ですからメリヴィエ様には魔術の対応に集中していただきたい。
守るべきお方に協力していただくのは心ぐるしいですが、我々の中には魔術師はあなたしかおりません」
「わかったわ…そっちは任せて」
「ここは大聖堂の中です。
奥まったところにあるとはいえ、そう長居時間持ちこたえる必要はないでしょう。
見たところ5人…油断せず落ち着いて対処すれば充分です」
ゲラルドの言葉は半分は相手に聞かせるために言ったものだ。
護衛の仕事は護衛対象を守る事で、敵を殲滅する事ではない。
敵が不利を悟ってひいてくれればそれに越した事はないのだ。
それに味方を少しでも安心させ、落ち着いて対処してもらうだけでも対処のしやすさは格段にあがる。
同時に敵を浮き足立たせることが出来れば一石二鳥だ。
こういった声かけの効果はかなりのもので、決して疎かにはできない戦場の技術でもあった。
「引いてくれぬか…状況判断があまいのか、引けぬ訳でもあるのか?」
「おそらくあの司祭は大聖堂に入れられたスパイなのでしょう?
そのスパイを失ってでも私を捕らえようとしてるんだから、向こうは背水の陣で挑んでるという事でしょう」
「その割には一向に浮き足立った様子は見えませんが…?」
襲撃者達は何人かの仲間がやられたのにも関らず、一心にメリーとその魔術に集中してるようなフシがあった。
ゲラルドは襲撃者の様子を観察し、やがて一つの仮説にたどりついた。
先ほどあの司祭はなんと言った?
かの方の使徒と言わなかったか?
「まさかこいつら眠らぬ者の狂信者か?」
ゲラルドの呟きに反応したのは、うっとりとメリーの魔術を凝視していたエストマンだった。
「貴様のような非魔術師が、かの方の名前を口にするなど万死に値するぞ!」
「魔術信仰の異端者というわけね」
眠らぬ者とその信奉者の事はヴォルフガングから聞いていたし、あの本の中身が本当だとするなら恐ろしい人体改造の魔術を受けている可能性もある。
いや、仮にも教会で聖跡司祭にまでなった男だ。
その魔術で心変わりを強いられている可能性は充分にあった。
『聖跡司祭』その言葉でかってヴェンヌを訪れた、レオンの師匠だと言うエッカルト司祭の事を思い出し。
密かにその身を案じた。
思えば真っ先に彼の事をベッカー司祭に聞くべきだったのかも知れない。
だがつい舞い上がってその事を失念していたのだ。
もし、エッカルト司祭までも目の前のエストマンのように…。
「メリー様!」
アイシャの声で我に返ったメリーは慌てて突風の向きを変え、それに乗って飛んできた投げ矢からもう1人の護衛を守った。
「助かります!」
大事なさそうな彼の声にほっと胸を撫で下ろしたメリーだが、改めて気を引き締めた。
まだ今は思考に没頭できるような状況ではない。
「すばらしい…なんと言う魔術の発動スピードだ…。
これはなんとしてもあなたに我々の同士になってもらわねばなりませんな!」
「謹んでお断りさせていただくわ」
メリーはエストマンの狂気を孕んだ視線に身を震わせ、苦々しく呟いた。
先ほどまではこの狂気を完璧に隠していたのだから舌をまく。
こういった事でのプロであろうゲラルドの目をも欺いて見せたのだ、ソレ用の調整を魔術で施されているのかも知れない。
「助けを待つつもりなら無駄ですぞ…ここには誰も来ないように手は打ってありますし…」
メリーはエストマンの瞳がまるで爬虫類のように冷たく輝くのを見た。
「魔力を散らす結界をはってありますからなぁ」
「結界だと?なんですかそれは?」
「そう珍しいものではないわ、魔術師の研究室には必ずといっていいほどある護符よ。
簡単な魔術道具で…そうね、水門の格子みたいなものよ。
魔術の気配が渦のようなもので…」
もしくは魔術という光源を遮る簾のようなものだ。
魔術の波長を受けてそれを乱反射する簡単な護符形の魔道具だが、その効果は折り紙つきだ。
本来は魔術師が自分の研究を外部から隠すためのもので、王国でも帝国でも公共の場での使用は禁じられている。
「なるほど、わかりました。
ですが、そういう事ならさほど心配はいらないかと」
メリーは自身ありげなゲラルドの横顔を見た。
口元に浮かんだ笑みははったりや虚勢とは違う、確信に近い自信の表れに見えた。
自分は兄にもアイシャにも大事にされているが、こんな風に信頼されることは無いだろう。
自分とヴォルフガングの違いを思うと、胸がぎゅっと締め疲れれる気がした。
「助けがくるまでに我々でなんとしても時間を稼ぎます。
そう長くは無いでしょう」
「ふん、強がりを…。
はったりには乗らんぞ?十分時間をかけて攻め落とすまでのことよ」
「それはどうかな?」
そういうとゲラルドたちは今までにも増して防御に集中した。
投擲などは牽制に終始し、消耗を抑えて長期戦に備える構えにかえたのである。
これにはさすがにエストマンも眉をひそめた。
「本気なのか?いやそんなバカな…」
確実を期すために短時間だが準備は怠らなかった、
人払いをし、結界を張り、手勢を集めた。
できれば大聖堂に入る前に決着をとも思い、ごろつきの襲撃のために広場に明かりを灯しもした。
こちらは生憎結果はともなわなかったわけだが、おそらくベッカー司祭達は襲撃を退けたことで気を抜いているだろう。
西方方面の対策をとる立場であるベッカー巡礼司祭が皇帝の孫に懐柔されていたのは計算外だったが、逆に言えばこのタイミングで幸いだったともいえる。
実際今の今までエストマンは目的の達成を疑ってはいなかった。
護衛の同行は予定外だったが、余裕を持って集めた戦力の前には無力のはずで。
メリーの魔術の腕前が予想をはるかに超えていたもの、これは寧ろうれしい誤算ともいえた。
彼女を眠らぬ者に捧げれば、この帝都を闇から支配するかの長き腕はより磐石なものになるだろう。
だからこそゲラルドの自信を本気で笑い飛ばそうとしたのだ。
「愚かな!趨勢も読めぬ非魔術師の妄言になど踊らされるとでも思ったの…」
だが彼はゲラルドを笑い飛ばすことは叶わなかった。
彼の前で魔術を発動しようとしていた黒装束の首元から、突如矢が生えたように見えたからだ。
力なく崩れ落ちるその黒装束をあぜんと眺める彼の耳には、聞き覚えのある声同士の会話が聞こえたような気がした。
「ふむ…不自然に魔力の気配が凪いでるところがあると思えば、予想通り結界の護符か」
その声はよく通り、メリー達のいるところまで聞こえてきた。
その声を聞いてゲラルドはニヤリと人の悪い笑いを浮かべたのをメリーは見逃さなかった。
「こういう使い方を想定して公共の場では禁止されているのだが…大聖堂内はそうでもないのかな?」
「とんでもない!大聖堂内でも禁止ですよ。
それどころか神跡司祭の個室や研究室でも認められておりません」
「大聖堂内では研究成果は共通資産と言うことかな?」
「そういうわけでも無いのですが…」
「殿下!カペル司祭!暢気に話してる場合ですか!」
「カペル護法司祭だと?!」
エストマンは何が起きたか把握し切れなかった。
ここになぜ皇帝の孫がいるのか?どう考えても理解できなかった。
「そんな、いったいどうやってここに?!
修道女の宿舎は反対…」
だがヴォルフガングは冷たく切り返した。
「悪いがお前に説明する義理は思い当たらないな。
おとなしく捕まるか、暴れた末に捕まるか…私としては前者を選んでほしいところだがね」
「カミル司祭…情けない話だ。
まさかお前が神を裏切っていた事を見抜けなかったとはな。
これでは護法司祭としての面目が立たんわ」
護法司祭とは教会内外において、大聖堂の教えが遵守されているか目を光らせるのが役目の規律をつかさどる司祭…という体になってはいるが、その実態は武力によって教会を守るための武装集団、いわば僧兵の指揮官である。
特にカペル・バスチュール護法司祭は大聖堂内部を警備する責任者で、エストマンがもっとも警戒していた相手でもある。
「わ、わたしは真の神に出会ったのだ!偽者ではないな!」
「愚かな…お前の窓は閉じてしまったのだな。
構え…撃て!」
カペル司祭の号令の下、僧兵達が一斉に矢を黒装束むかってつがえ、そして放った。
本来なら帝都の街中で弓や弩の所持は違反なのだが、ここは治外法権である大聖堂の中。
護法司祭の指示の元、浮き足立つ黒装束に向かって一斉に矢が放たれた。
「尋問の余地を残しておいてほしいものだが?」
「相手は魔術師です。
彼らを生け捕りにし続ける難しさは殿下の方が理解されていると思いますが?」
「確かにな…それにしても見事な腕前だ。
号令から発射まで間が短かったというのに一糸の乱れも無い。
ぜひ軍に引き抜きたいところだ」
「ご冗談を…私の部下にはどんな好条件でも還俗するような不心得者はいませんよ」
「残念だな」
僧兵達の弓の腕前は確かに帝国軍の弓兵顔負けだった。
中庭の様な開けた場所とはいえ、近距離の射撃に適さない長弓で見事に精密な射撃をして見せたのだ。
それでも数名は魔術で自分を防御使用とし、その中でもなんとか成功する者もいた。
だがそれが限界だった。
そんな黒装束たちはも、時間差で放たれる攻撃魔術になすすべも無く一層されていった。
護法司祭の下にも魔術師はいるのだ。
その上今はヴォルフガングや彼の連れてきた魔術師すら戦闘に参加している。
「さて、ゲラルドよく持ちこたえてくれた。
遅くなって済まなかったな」
「恐れ多いことです…殿下を信じて待っておりましたから」
「ちょっとまって!」
二人はそれでいいのかもしれないが、メリーは納得できない…というか、疑問が残っていた。
「さっきあの司祭に殿下はああ言ったけど、なぜ殿下がここに駆けつけて…くれたのか。
私も知りたいわ!」
ヴォルフガングはそんなメリーの様子を見て、少しだけ得意そうに解説を付け足した。
「なに、大した事ではないさ。
最初に気になったのは大聖堂前の広場が明るすぎたことだ。
ベッカー司祭によると今日の当番…本来の当番と代わっていたそうだが…のカミル司祭の支持だったそうで、それで彼を怪しんだのだ。
まるで大聖堂前で戦闘があるのをわかっていたようだったとね」
自分のファインプレーというよりもエストマンの失策なのはわかっていたが、ついついメリーの前で自慢げになってしまうのは仕方ないことだろう?
ヴォルフガングはすこしだけ気を引き締め、続きを促すメリーの視線に答えた。
「そうなれば話は簡単だ。
大聖堂内にあのゴロツキを手引きしたものがいるのなら、次はどう動くか?とね。
魔術の気配を探ろうとしたら、ほかよりも気配が薄いところがある、それは逆に怪しいと思った」
「大聖堂内にはいたるところに魔術道具が動いておりますからな。
それを考えれば殿下の見立てはの確かさには舌を巻きますわい」
「あとはこのカペル護法司祭にご足労願っただけさ」
この口ひげを生やした洒落男の司祭はその大きな体を縮こまらせ、所在無げにつぶやいた。
「いやはや面目ない。
内通者の洗い出しと監視も私の職務だというのに…」
現場は凄惨な状態になっていた。
黒装束達はまるでハリネズミの様になってほとんど絶命しており、エストマンは胸に三本もの矢を受けて倒れていた。
未だ息はあるようだが、長くなないだろう。
「カペル御法司祭様、何名かはやはり大聖堂の神跡司祭や侍祭が混じってるようです」
覆面を剥ぎ取って顔を確認していた僧兵達の報告に、カペル司祭は顔をひきつらせた。
「そうか、おそらくカミル司祭…いや、カミル元神跡司祭の手引きだろう。
嘆かわしい事だ…まさか教会内に不心得者がこれほど…」
「その事だがカペル司祭、彼らはただ被害者なのかもしれんよ?」
「どういう事ですか殿下?」
「…眠らぬ者は人の心を操ると…いや、書き換えると。
そういう魔術を使うという話なのだ」
「馬鹿な!神ならぬモノがそんな業を使うなどと…」
「司祭様、お聞きしたかった事があるのですが?」
「なんでしょうメリヴィエ様?」
「エッカルト司祭様は今大聖堂におられるのでしょうか?」
唐突なメリーの質問のベッカー司祭は眉をしかめた。
ただそれに突然聞かれた戸惑い以外の表情も見て取れ、逆にメリーが戸惑ことになった。
「エッカルト…神跡司祭ですか?またどうして彼を?」
「司祭様がヴェンヌまで来られた時にお会いしたんです。
それと…彼の弟子をクベール家でお預かりしてるので…」
「そうでした、では言い辛いのですがお答えしましょう。
エッカルト司祭は3月ほど前に職務中に行方不明になり、未だ見つかっていないのですよ」




