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クロニクル アンド マギグラフィ  作者: 根菜類
第二部・メリヴィエ編
62/68

18南の離宮

 フロイラインにすべきか悩んでレディにしてしまいましたが…べ、別にドイツ語喋ってるわけじゃ…ないはず。




「ではヴォル、お前の目から見てかの光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)の妹はどうだ?」


 王宮の一室、皇帝の書斎のような部屋で、カルナリアス皇家の3代が一堂に会していた。


「かなりの破天荒で規格外ですね。

 魔術に関する見識…そしておそらく能力は規格外でしょうが、貴族としての立ち回りは荒さが目立ちます」


 ヴォルフガングは皇帝である祖父、皇太子である父を前にしても物怖じひとつ見せなかった。

 そこらへんが彼の弟とは違う所で、父や祖父の地位や立場を当然自分が受け継ぐものと認識してるためだ。

 もっとも、帝国においては父が皇帝なら馬鹿でも皇帝になれるなどという事は無く、常に皇帝の位を窺う他の皇家との争いに勝利できる程度の能力は要求される。

 そのために努力は怠らなかったという自負が、ヴォルフガングをそう足らしめているのだ。


「しかし、彼女はその血筋だけでも利用価値は計り知れない。

 このまま王国に帰してやるなどありえませんぞ?」


 皇太子ウーツベルフはその地位を守るのにヴォルフガング以上の苦労をしている。

 彼には魔術の才能が欠如していたため、その分他の分野で実力を見せつける必要があったのだ。

 それもあってか、強力な魔術師(マギクラフター)の血を自家に取り込む事に強い執着を持っていた。


「それは父上に同感です。

 …とはいっても、適当に娶わせる存在が居ないのもまた事実でしょう?…2人を除いて」


「お前とブルクファルトか…」


「私自身彼女が気に入りました。

 彼女の身分と血筋なら皇妃に相応しいと思いませんか?」


 ウーツベルフは渋面を作った。

 いかに彼女の血をカルナリアスに取り込みたいと言えど、未来の皇帝の正妻としてはどうだろう?

 息子自らが称した"破天荒"という評価と言い、仮想敵国の貴族の娘という立場と言い、相応しいとはいいがたかった。

 それに何より、事故とは言え彼女は攫われてきたも同然の状態で、このまま妻に迎えるというのはまるで蛮族みたいではないか!


「さすがにそれは…本人はともかくクベール家の承認は取らねばなるまい。

 攫ってきた女を妻にするなど外聞が悪すぎる!」


「そこら辺はおいおい…ただ彼女を帰してしまっては絶対首を縦には振らないでしょう。

 少なくとも1人、子を儲けてからではないと」


 実質攫った女を妻とする以外の何物ではないのだが、事後承諾さえ取れれば繕う事はできる。

 その前に男の子を産んでもらえれば、最悪彼女を帰すこともできるだろう。

 だがそれでは遺恨を残すことになり兼ねない。

 できうるなら彼女も、彼女の実家との同盟も取り付ける必要があるだろう。

 なにせ近いうちにベルン=ラース王国に侵攻する予定なのだ…その時に王国西部貴族の協力が有るのとないのでは大違いだ。

 縁戚によってクベール家をとりこめれば、半島西部は戦わずに併合する事も可能かもしれない。


「それは最後の手段だぞヴォル。

 今はクベール家を敵に回したくはない…どうしてもお前が彼女を(めと)るというのなら、なんとかして口説き落とす必要があるな。

 さもなくば彼女を表立って帝国に受け入れるわけにはいかん」


「わかりました。

 とりあえずは彼女には眠らぬ者(アーシュラーフ)対策という事で協力を願い出ます。

 見返りはクベール家への交易の強化と航路の確保で。

 こちらとしても利のある内容なので、安請け合いしてもいいでしょう?」


「むしろこちらの望みを報酬として提示するのか、いいだろう。

 だがまさか彼女が取り込まれるなどという事はあるまいな?」


「そこは細心の注意を払います。

 具体的には彼女と眠らぬ者(アーシュラーフ)の遭遇を回避しようと…」


 皇帝の顔が不審げに歪んだ。


「できるのか?」


「彼女との会話で気づいたのですが、少なくともこちらが掴んでる情報の限り眠らぬ者(アーシュラーフ)が皇家の敷地で出没した事は無いようなのです。

 理由はわかりませんが…」


 皇帝は息子と顔を見合わせると、今まで集めた資料の内容を思い出そうとした。

 たしかにヴォルフガングの言う通り、王宮や離宮での目撃情報は無かった。


「わかった、だがその前提を過信しないように」


「はい」


 そこで言い辛そうにウーツベルフが切り出した。


「という事はヴォル、貴族院から再三申しでのあったお前の婚約者の選定だが…」


「申し訳ありませんが、父上の方からすっぱり断ってください」


 この件に関してはついついため息が漏れてしまう。

 ヴォルフガングの立場では好き嫌いで伴侶を選ぶ事はありえないが、政治的にも今の貴族院と結ぶメリットは無い。

 ここにメリーが飛び込んで来なければ、それでも嫌々上級貴族から伴侶を選んで婚約する必要があっただろうが…。


「しかしそれでは上級貴族達が収まらないだろうな?」


「放って置けばいいのです。

 現在の上級貴族の令嬢に能力でも政治的にも魅力のある者はいません」


紫電の(ヴィオブリッツ)魔女(ヘクセ)ならどうだ?

 彼女の魔術師としての資質は高いぞ」


眠らぬ者(アーシュラーフ)の信奉者など、侯爵家がおまけについてきて御免ですよ」


 "真理の学徒"を名乗る貴族の子弟たちの中でも、クラウゼヴェッツ侯爵令嬢の力は抜きんでていた。

 彼女も権威と、ヴォルフガングの魔術の才能を欲してか、数度クラウゼヴェッツ侯爵家からの婚約の打診があるぐらいだ。

 今までは他にいないという消極的な理由でクラウゼヴェッツ侯爵令嬢が最有力候補と言われていたのだが…。


「お前が貴族院の貴族から妃を選ばぬのなら、貴族院は皇家に対立する姿勢を見せるだろうな?」


「正確には皇家全体ではなく我がカルナリアス家に対してでしょう。

 それこそ他の皇家を立てて帝位交代ぐらいは企むかもしれません」


「とはいえ今の貴族院にカールハインツを擁立は出来まいな…魔術至上主義なんぞにかぶれてる連中には…な」


 オルスペクト皇家の若き当主カールハインツには、ウーツベルフと同じ悩みがあった。

 すなわち魔術の才能に乏しいという事。

 年齢的にも能力的にもヴォルフガングの最大のライバルとなりえる優秀な男であったが、魔術師ではない事ただ一点において貴族院の後ろ盾を得られないでいた。


「とはいえルードヴィッヒは魔術以外は凡庸な男です。

 魔術師としてはそれなりですが、それすら私に及びません」


 ヴォルフガングはウーツベルフの資質を引き継いだ有能な政治家であったが、こと魔術においては父の資質を受け継いではいなかった。

 彼は強力な風の魔術師として内外に知られていたが、実際には希少な属性の氷の魔術をも発現させていたのだ。

 これはカルナリアス皇家と、大聖堂の法王だけ知っている秘密であった。

 

「今のレンツカグヤには妥当な候補は居ないからな」 


 アルジヌア三世は髭をしごきながら何度も頷いた。


「カールハインツに…オルスペクト皇家に彼女(メリヴィエ)を攫われたら困った事になりますが、まあそうなったら彼女の実家に報告すればよい事でしょう」


 ヴォルフガングは立ち上がり、座っていた椅子を自ら壁際に寄せながら言った。


我々(カルナリアス)家は彼女を実家に帰す予定だったのだが…とね」


 今この部屋からは執事すら締め出されている。

 というより彼らの侍従たちは部屋の外で盗聴対策を行っている。

 だからという訳では無いが、ヴォルフガングは父と祖父に気を使って椅子を片付ける程度の気遣いはあった。

 本当の気遣いは促される前にさっさと退散する事なのだが…。


「それではお先に失礼します」


「南の離宮に行くのか?」


「ええ、彼女が待っていますので…」


光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)の妹が気に入ったというのは本当なのか?」


「はい、皇妃というのも冗談ではありません。

 性格も容姿も含めて、私にとって非常に都合のいい相手という事です」


 そう言い残してヴォルフガングは一人部屋を出て行った。

 皇帝と皇太子は引き続き相談事があるようで、まだ二人きりで部屋に残っていた。

 自分が居てはできない相談があるのだな…と少し寂しい気持ちを引きずりつつ、部屋を後にした。

 彼の侍従と護衛が素早く後ろに付き従っっていった。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇


 ヴォルフガングが南の離宮に戻ったのは充分に夜の帳が下りてからであった。

 とはいえ帝都の大通りにはまだ人通りも残っており、酒場や娼館が並ぶ裏通りへと小まめに人が行き来していた。

 大通りには歩哨も立ち、巡回も頻繁に回ってくるので、移動するなら大通りを…というのが帝都の住民の常識であった。


「治安の良さと活気のよさは中々両立できんな…」


 窓から外を眺めながら誰に言うとは無く呟くその言葉だったが、彼の腹心とも言える青年自分達への問題定義とも思えた。


「しかし殿下、幹線道路と街道を今のように重点的に巡視しているだけでも違いますよ。

 さすがにこれ以上治安維持に兵力を割くのは無理が出ます」


「それも一理あるがな代員伯爵(ズィン・ヌ)

 それで犯罪が減ったというわけではなく、今まで大通りにあったものが裏通りに逃げただけだ。

 はたしてそれで治安が向上したとは言い難い」


 アンゼルム・バルシュミーデは帝国の代員伯爵の長男である。

 まだ爵位を継承していないので代員伯爵(ズィン・ヌ)と名乗る事は出来ないが、ヴォルフガングは他に人の居ないところでは面白がって彼をそう呼ぶ。


「殿下…」


「解っている。

 予算とか人員とか増やす事が難しいことも、増やしても早々意味の無い事もな…だから何か現状を変えるアイディアが欲しいんだ」


「そこでクベール侯爵令嬢ですか殿下?」


 それまでじっと黙っていた若い男が口を開いた。

 この馬車の内部は3部屋に分かれていて、主人である皇族とお供の貴族が乗るもっとも乗り心地のいい部屋のほかに、御者と馬番の交代要員が入る棺おけのような狭い部屋と、召使いたちが荷物と一緒に押し込められる部屋があった。

 この男は上級市民ではあるものの貴族ではなく、彼がこの皇族用のスペースに同席を許されるのは飛び切りの例外措置といえた。

 それだけ彼はヴォルフガングに信頼されているのだ。


「そのため…だけでは無いがな、教会からの報告を見るにヴェンヌは非常に治安がよい街だそうじゃないか。

 ゲラルドも護衛官として興味は無いのか?」


「帝都とは規模が違いますよ」


「そうやって切り捨ててしまえば、永遠に新しい方法など確立できないさ。

 聞いて、考えて、試してみる価値は充分にある」


 ヴォルフガングは人としての倫理観に首をかしげるところは多少あったが、君主として政治家としての倫理観は人一倍あった。

 友として歩くのには危険だが、主と仰ぐのにこれ以上の人物は居ない。

 それに関してはアンゼルムもゲラルドも同じ考えであった。


「まあ彼女も貴族の娘だ。

 こちらの質問に何でもハイハイとは答えてくれんだろうがな」


 馬車は大通りを悠々と走り、特に警備の厳重な区画…すなわち南に離宮に滑り込むように入って行った。


「今日はここに泊まる…馬車は離宮の馬房で待機させておいてくれ」


 ヴォルフガングは2人をしたがえ、同道と離宮の玄関を潜った。

 ここは彼の家のようなものだ。


「彼女はどうしてる?」


 出迎えたラッツェルに片手だけ上げて答えると、自分の不在の間のメリーの様子を聞いた。


「夕食後はしばらくお待ちになっていたようですが、お疲れのようで…お休みになられたようです」


「そうか、まあ随分な長旅だったそうだからな。

 起こすには及ばん、夜食でもつまみながらアンゼルムと話をしたい」


「かしこまりました、すぐ用意させます。

 それでなのですが…」


「なんだ?」


 ラッツェルが自分の指示に補足を付け加えるなど滅多にない事でだった。

 思わず聞き返す声に訝しげな響きが混ざった。


「メリヴィエ様が仰るには、明日起きたら朝食を取りたいと…」


「朝食だと?朝から食事をするのか?」


 なんだそんな事か…という気持ちと、何でそんな事を?という反応で普段は絶対に振り返らない執事の方を振り返っていた。


「なんでも故郷ではそうしていたと」


「面白い習慣だな…いいだろう。

 ではその時に同席させていただこうかな…私達の分の用意も頼むぞ」


「かしこまりました」


 ラッツェルの言葉を背中で聞きながら、ヴォルフガングはもう何時もどおりの様子で振り返ることも無かった。



「朝食とは面白い習慣ですな」


 ヴォルフガングの書斎として使われてる部屋にに入ることを許されているのは、アンゼルムとゲラルドだけだった。

 もっとも平民であるゲラルドには着席は認められてはいないのだが。


「まったくだな…そんなに食べてよく太らないな」


 帝国では昼少し前から少々時間をかけつつ昼食を取り、夕食は日が暮れてからの2食が普通だ。

 もっともこれは貴族や裕福なものの特権で、平民達などはゆっくり食事の時間を取るものは少ないだろう。

 夜更かしする仕事の者や貴族は夜食を食べるが、それも毎日という話ではない。


「だがこういう話は面白い。

 それが理にかなってるかどうかは置いておいても、他所の…それもあれだけ遠く離れた街の話は充分聞く価値がある。

 そこに住んでる者の話は特にな」


「そういうものですか?」


「そうだ。

 帝国の歴史は充分に学んだ…つもりだが、それはあくまでも過去に起こったことだ。

 未来の帝国を担うには今までのやり方だけではダメなのだ。

 私は独力だけで新しい事を成せるなどと思い上がってはいないぞ?

 だから他国の政治を貪欲に学んで、必要な事を抜き出していかねばならんのだ…もちろんお前達にもその手伝いをやってもらう」


「承知いたしました」


「御意」


「うむ、彼女から話を聞くのは明日だ。

 今夜は今夜の仕事をしよう…アンゼルム、例の報告を聞こう」


「はっ」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 翌朝、久々にメリーは気持ちのよい目覚めだった。

 ヴェンヌを出てからだいたい1ヶ月、常に緊張を張っていたためロクに眠れていなかった事を今になって実感していた。


「失礼します…お召替えを…」


「アイシャにお願いするからいいわ、服だけそこにおいて置いていって」


「…かしこまりました」


 離宮のメイドともなればそれなりのプライドは持っていただろう。

 だが彼女達はそれを態度に表す事無く素直に引き下がった。

 アイシャは彼女達の事を少し気の毒に思いながらも、手早くメリーの着替えを手伝う。

 メリーと自分にとってはここは敵地だ。

 自分の主人が敵に身体を許そうとは考えない事もわかる。


「メリー様、髪はどうしましょう?」


「あら?アイシャは髪を結うの苦手じゃなかったかしら?」


「練習しました!…まだフラウのようには行きませんが」


「じゃあお姉さまがいつもしていた髪型できる?」


「かしこまりました」


 メリーの髪は姉と違い強めにウェーブのかかった癖毛だ。

 同じように結っても姉とは随分印象は変わるだろうが…その髪型ばかり練習していたアイシャは手早く彼女の髪をまとめた。

 左右の即頭部の髪を三つ編みにし、それを後頭部でヘアクリップで留める。

 公式の場なら髪全体も編み上げてお団子にするのだが…。


「後ろ髪はいいわ、公式の面会にはならないから」


「前髪はどうされます?」


「今日はそのままでいいわ。

 切りそろえるのも何か気が引けるもの」


 姉は眉のところで真っ直ぐ切りそろえていた前髪だが、メリーは伸ばして左右に別けていた。

 用意されたドレスはシンプルだが仕立ても材質もいいもので、一見普段着に見えるが近くで見ると…という気どった作りだった。


「ヴェンヌじゃシルクは交易で入ってくるだけだったものね。

 仕立てに関しては王都にも負けないつもりだったけど…さすが帝国といったところね」


 負けず嫌いのメリーは認めたくないようだったが、こと服飾に関しては帝国に大きく差をつけられているのは確かだった。


「金属加工とか小さな細工とかは角人(ヴル)のおかげで負ける気はしないんだけど…」


 他にも木工においては早々帝国に後れを取ってはいないだろう。

 だがそれだけと言えばそれだけだった。

 木工でも建築や造船など大きなものは資本力の差か、帝国の方がだいぶ進んでいたし。

 半島ではほぼ独占状態であった陶磁器も帝国の品が勝っているように見えた。

 なにより、実用主義のであるヴェンヌの生産品は、華やかな帝国の芸術品に比べると少し物足りなく感じた。

 これが国力の差というもので、多少の技術力ではひっくり返せない事の証明となると、もし帝国が本気で半島に侵攻したら…。

 そう思うと背筋に怖気が走るようだった。


「メリー様どうしました?」


「なんでもないわ」


 メリーは今それを心配してる場合ではないと思いなおし、姿見で装いを確認すると戦場に赴く気持ちで部屋を出た。

 何を気合い入れて朝食を取ろうと考えたわけではなく、ここは敵地だと気合いを入れただけだったのだが…。


「おはよう、昨日はよく眠れたかな?」


 まさか朝食の席に、仮想敵であるヴォルフガングが座っているとは思ってもみなかった。

 彼の背後にはゲラルドが、一段下の席にはアンゼルムが座っていたが、メリーからは彼らの素性は知り得ようもはずもない。

 ただ彼女は案内されるままにヴォルフガングの向かいの席に座った。

 だが不思議な事にメリーが席に着くと給仕たちはそそくさと部屋を後にした。


「帝国では朝食を取る習慣は無いと聞いたのだけど?」


 不遜ともいえるメリーの態度に、背後に控えるゲラルドが動こうとしたところを片手を上げて制すると、ヴォルフガングは心底楽し気に答えた。


「ああ、確かに君の言う通りだよ侯爵令嬢。

 だから今その朝食というのを試してみる事にしたのだ」


 そこで一呼吸おいたヴォルフガングは、さも今思いついたようにこう付け加えた。


「ところでいつまでも侯爵令嬢と呼ぶのも味気ないのでね、名前で呼ぶ許可をいただけないかなレディ?」


「ではどうぞメリヴィエとお呼びくださいな、殿下」


 全く意思のこもってない言葉で慇懃無礼に反すメリーには、帝国の男たちはみんなアスペルマイヤーみたいなのかと心中辟易していた。


「おや、私の名前は呼んでくれんのかな?」


「それは…」


 これ見よがしの上目遣いでヴォルフガングと、後ろに控えるゲラルドにさっと目をやるといじけた風を装って言った。


「後ろの人が怖いから止めておくわ」


「クククッ…これは一本取られたなゲラルド」


 ヴォルフガングは心底楽しそうに笑った。

 メリーにしてみては何を言ってもこの未来の皇帝に気に入られそうで、心底うんざりした。


「申し訳ありません」


「いいさ、これはメリヴィエ嬢が上手だったと思おう」


 さすがに呼び捨てしない程度の礼節は持っているようだ。

 だがあまりこのやり取りを続けると、今度は自分の後ろのアイシャが爆発しそうだと思い。

 メリーは食事を始める事にした。

 本来ならアイシャと一緒に食べたいところだが、流石にこの状況ではそれは望めない。


 ヴォルフガングが手元のベルを鳴らすと、待機していたと思しき給仕たちが次々残りの料理を運び込んできた。

 今までテーブルの上に上がっていた冷菜や飲み物や果物の他に、焼き立てのパンにスープ。

 朝食と見るにはやや重そうなご馳走がテーブル狭しと並べ始めたのだ。


 パンとスープとサラダ、これに卵が付くのがヴェンヌ式だが、ラッツェルが気を利かしたのかヴォルフガングの好みか、それに加えて腸詰めやハムやベーコンがたっぷり盛りつけられていた。

 さらに卵は目玉焼きとオムレツが別々に付くというありさま。

 そして…。


「あら、コーヒーがあるのね」


「うん?…そうか、半島ではコーヒーは飲まないのか」


 ラース半島で態々コーヒーを輸入しているのはクベール候家ぐらいだろう。


「一般的にはね、でもこれはお姉さまの大好物だったの」


「ほう…光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)のか」


「コーヒーに砂糖もミルクも入れずに毎朝1杯を飲んでたわ…」


「それは…」


 帝国では紅茶と同じぐらい飲まれてるコーヒーだが、砂糖もミルクも入れないで飲む者はほぼ皆無だ。

 ただでさえ上流階級の者しか飲まない嗜好品というのに、そんな飲み方をしていたら悪目立ちをしてしまう。

 ヴォルフガングも試しにブラックで口を付けた事はあったが、とても美味しいとはいいがたい味であった。

 その時を思い出して顔をしかめたが、コーヒーを見つめるメリーの様子から彼女が姉と良好な仲だったのが伺えた。


「さめる前にいただきましょう」


 メリーはヴォルフガングが食事に手を付ける前に、さっさと食べ始めていた。

 ヴォルフガングはそんなメリーを見て苦笑したが、すぐさま彼女に続いたのだった。


「食べながらでいいから聞いて欲しい。

 メリヴィエ嬢にお願いしたい事があるんだ」


「お願い?命令ではなく?」


「残念ながら私は君に命令できる立場ではないのでね。

 それに君にも悪い話ではないと思うが」


「どういう意味?」


「私…いや、カルナリアス皇家に貸し(・・)を作れると考えていい」


「その貸し(・・)を返してもらう代償が船一隻でもいいという事?」


 ヴォルフガングは考え込むフリ(・・)をしながらたっぷりと間を取って答えた。


「君を連れてくるはめになったあの船だがね、あれは皇帝陛下の命で王国と往復していたんだ。

 だからやはり陛下の命なくしては同じ船は用意できないな…つまり私の権限ではそれは約束できない、という事だ。

 ただ、君が陛下に拝謁する機会を準備する事はできるかな」


 ヴォルフガングの思惑は、メリーに帝国内での目立った功績を立てさせる事にある。

 いくら他国の上級貴族とはいえ、皇帝の孫の妃には分不相応だと貴族達は考えるだろう。

 チャンスを潰されたと思い込む一部の上級貴族は特にだ。

 だから連中が騒ぎ出す前に、彼女の能力と功績を知らしめる必要があると考えていた。

 彼女の実力は充分で、実績は盛ることが出来る。

 ようはその件に彼女が関与していればいいのだ。


「それで?私に何をさせたいの?」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「なんか流されてるなぁ…」


 出仕するヴォルフガングをなんとなく見送った後、メリーとアイシャは許されている離宮内の庭園を散歩していた。

 この隙に逃げ出そうと思わないでもなかったが、やはりここを逃げ出して自体が好転するとも思えず。

 思い切った動きが出来ないでいた。


「でもメリー様、迂闊に動いてもやはり事態は好転しないと」


「何か自分自身に対してそれを言い訳にしているようなところがあるのよ、アイシャ」


 こっそり着いて来る見張り兼護衛の姿を眼の端に捉えながら、メリーはアイシャに語ることで自分の心中の整理を行おうとしていた。


「でも何のための言い訳なのかピンと来ないのよね」


 アイシャの眼にはメリーが不貞腐れたような反応をしつつも、ヴォルフガングとの会話を楽しんでいるように見えていた。

 それをメリーに伝えようかとも思ったが、何かそれは逆効果になりそうで躊躇われた。

 ようはメリーはヴォルフガングとのやり取りを楽しみにしていて、それでここを離れたくないのかも知れない…そうアイシャは思い始めていた。



「お待ちください御当主!」


 なんとなく離宮の庭園を歩きながら、屋敷の玄関に戻ってきたときの事だ。

 非常に剣呑なラッツェルの叫び声が二人の耳に届いた。


「何を止める必要がある?いつからこの離宮はカルナリアス家の専用になったのだ?」


「そ、そういうわけではございませんが、今この離宮はでん…ヴォルフガング様とそのお客様が御逗留されております。

 それに、そういう理由も含めて御当主をお迎えする準備は出来ておりません」


 困った事にこの2人は好奇心というか、野次馬根性がかなり強いほうだった。

 思わず顔を見合わせた後、声の出所を見に行ったのだ。


「どうぞ、こちらをご使用になるときには先触をお遣しくださいませ」


 離宮の前で5騎の騎馬の前で、ラッツェルが必死に叫んでいるのが見えた。

 だがやはり好奇心猫を殺すの言葉通り、5騎の中でもっとも身分の高そうな1人がこちらを伺う2人に気づいたのだ。


「はっ」


 なんと彼は馬首を返すと、騎馬のまま2人の前に駆けて迫ってきたのだ。

 咄嗟にメリーを庇う様に前に飛び出したアイシャの目前で、さいわいその馬は止まった。

 馬の上からは2人を値踏みするかのように若い男が見下ろしていた。

 真正面から睨み返すメリーの視線に忌々しげに口元をゆがめると、


「ヴォルフガングの客というのはお前か?」


 吐き捨てるように言った。

 ヴォルフガングを殿下と呼ばないという事は、彼の地位は同等かそれ以上という事になる。

 皇太子の息子であるヴォルフガングを呼び捨てにするという事は、おそらく同じ皇族でかつそれなりの身分を与えられていると推察できた。


「め、メリヴィエ様!」


 慌ててこちらへ駆け寄ろうとするラッツェルをこの皇族の部下らしい騎馬が阻む。


「まるで山賊ね」


「なんだと?!」


「やり口がまるで山賊みたいだと言ったのよ」


「お前は誰に向かってそんな口を聞いているのかわかっているのか?!」


 歳のころは20代前半だろう。

 年齢のわりには威厳と気迫を漂わせているが、彼が皇族だと考えれば納得はできる。

 ただ同じ皇族でもヴォルフガングが持っていた余裕のようなものが彼からは見られなかった。


「名乗りもしないで"誰か"わかって貰おうだなんて随分虫のいい話ね」


「貴様…いいだろう名乗ってやる」


 ギリッという歯軋りが聞こえそうな表情だった。

 彼のその態度とヴォルフガングの態度を思い浮かべ比べるごとに、なぜかメリーの中には冷たい怒りが沸きあがってきた。


「私の名はカールハインツ・オルスペクト・シュットルード。

 オルスペクト皇家の当主だ!」


「そう」


「"そう"だと?!」


 カールハインツは思わず聞き返してしまった。

 このシュットルード帝国で、皇家の家長である彼に頭をたれないのは同じ皇族のみだ。

 その皇族とて皇帝と皇太子を除けば彼に道を譲らねばならない立場にある。 


「私は帝国の臣民じゃないからあなたに頭を下げる謂れは無いわ。

 だけど名乗られたら名乗り返すのが礼儀だから名乗らせてもらうわ。

 私はメリヴィエ・ウル・クベール…ベルン=ラース王国のクベール侯爵の娘よ」


「クベール侯爵だと?

 あの光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)のか!」


「確かに姉はそうと呼ばれていたけれど、本人はそう呼ばれるのはだいっ嫌いだったわ。

 身分を(かさ)に礼儀がなってない人もね」


 カールハインツは、貴様がそんな態度だから…と言おうとして止めた。

 確かに自分の態度が礼を欠いていたことを自覚していたからだ。

 彼はヴォルフガングが色々暗躍してる事に苛立ち、詰問のつもりでここに来たのだ。

 そのため彼の"客"というのもよからぬ連中と決め付けてかかっていた。

 それが他国の貴族だとは夢にも思わず。

 しかもそれがつい先ごろ大聖堂に聖女と認定された光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)の親族だとは考えもしなかった。


「メリヴィエ様!」


 何とか馬を避わしたラッツェルがメリーの元にたどり着くと、彼は果敢に皇族(カールハインツ)の前に立ちふさがった。


「彼女はヴォルフガング様が正式に向かいいれたお客様です。

 いくら御当主といえども、これ以上の無理押しはご遠慮ください!」


 背後のメリーからはラッツェルの足が幽かに震えるのが見て取れた。

 彼にしても自分が処罰される事覚悟の抵抗なのだろう。

 おそらく、ヴォルフガングが庇ったとしても、カールハインツが強く出ればラッツェルを処罰しないわけには行かないぐらいの力関係なのだろう。



「ふんっ」


 カールハインツは突然馬から下りてラッツェルに向かい直った。

 だがその視線は執事の肩口から向こうのメリーにも向けられていた。


「ならば今日は引く」


 ラッツェルの肩から力が抜けた。

 だが続くカールハインツの言葉に未だ予断を許さない状況なのを感じ取り、再び気を張ろうと大きく息を吸い込んだ。


「だが喉が渇いた…茶の1杯でも用意してもらおう。

 それを飲んだら帰るとしよう」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「メリヴィエ様、無茶が過ぎます!」


「ごめんなさいね、…でもどうしても我慢できなかったの」


 カールハインツ一行をラウンジに通した後、ラッツェル急いでお茶の用意をさせると同時に、メリー達を安全だと思われる奥の間に退避させた。

 もちろん王宮にいるであろうヴォルフガングに急使を立てることも怠っていない。


「殿下が馬を飛ばして駆けつけてくださればあと数時間で着きます。

 それまでメリヴィエ様はどうかここにお隠れになっていてください」


「そういうわけには行かないわ。

 あれを怒らせたのは私だもの」


「オルスペクトの御当主を怒らせたという自覚がおありでしたら、どうか大人しくしていてください」


 ラッツェルはメリーの終始堂々とした態度に好感を持ってはいたが、それとこれとは話が別である。

 彼の見立てでは、カールハインツにヴォルフガングのような無礼を笑い飛ばす度量は無いとみている。

 ここはなんとか穏便にお帰りいただくか、ヴォルフガングが戻るまでせめて現状を維持しないと…。


「ラッツェル様」


 いそいそと部屋に入ってきたメイドが彼に何か耳打ちすると、ラッツェルの顔色が青ざめた。


「私に同席しろと言ってきたのね?」


「何故それを?、いやなんでもないです」


 よほど慌てたのか、メリーのカマかけに簡単に引っかかったラッツェルはさらに顔色を失った。


「いいわ、こんな事で殿下へ借りを作るのは面白くないもの」


 不適に笑うメリーの顔に、ラッツェルだけではなくアイシャも、悪い予感に襲われたのは偶然だろうか?



 アンゼルム・ズィン・ヌ・バルシュミーデ 25

 ゲラルド・キスケ 21

 カールハインツ・オルスペクト・シュットルード 24

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