表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クロニクル アンド マギグラフィ  作者: 根菜類
第二部・メリヴィエ編
53/68

9人間と亜人と

ジームヴェルグ→ヴェストシュタットに改稿


 爪人(シャズ)は元来サレフォノ大陸北部の先住民族だったと言われている。

 サレフォの大陸南部の密林は鱗人(ザール)、北部の砂漠周辺の土地が爪人と住分けていたと考えられていた。

 もっともスワキス王国はこの説を絶対認めようとはしない。

 この土地は先祖伝来自分達のものだと声高に主張しているのだ。

 だが彼らは知っているのだろう。

 自分たちの先祖がが入植者だという事を。

 弱みを持つと人は苛烈になる。

 矛盾を抱えると人は開き直る。

 そして後ろめたさを抱えると、人は攻撃的になる。

 スワキス人はその後ろめたさや矛盾を無かったことにするかのように、徹底的に爪人を迫害した。

 ラース半島とは逆に、人間が入植していった端の地で苛烈な迫害が牙をむいたのだ。


 爪人は腕っぷしは弱いが目端が利いて、楽しい事が大好きだった。

 そして土地や物に対する執着も薄い。

 旅をしながら歌い、踊る事に明け暮れる爪人を武力で撃ち払う事は赤子の手をひねるような事だったろう。

 多くの爪人がオリヴァに逃れ、その数倍の爪人が国境を越えられずに死んでいった。

 命からがら半島に渡ったものもいただろうが、そこでも迫害は彼らを逃さなかった。

 ウルク教はスワキスの一神教ハイラ派に比べれば随分おとなしくはあったが、彼らも結局人間以外の種族を認めようとはしなかったのだ。


 爪人はバラバラに吹き飛ばされ、スワキスやベルン=ラースで奴隷同然に扱われるか、少数がカラク連合やシーシンドゥリア連合に逃れた以外は大多数オリヴァにたどり着いた。

 当時のオリヴァ王は彼らの扱いに悩んだが、結局明確な方針も決まらぬままそのまま国内で放置されることになった。

 オリヴァ人の気質なのか、それとも土地に余裕がったからなのか、もともと雑多な人種が集まった国だったからか、彼らは爪人を自然にこの国に受け入れたのだった。


 彼らがラース半島の西部であればオリヴァと同程度亜人に寛容だと知ったのは、もう身も心もオリヴァの住人に染まってからだった。

 今更この国を離れることはできないさ、そういって爪人達は笑うのだ。

 彼らは力は弱いが文化的な感性と感覚に優れる。

 楽しい事が大好きな爪人は数々の料理、歌謡、文学を発展させ、この資源を持たぬ国を文化大国に押し上げた。

 オリヴァが交易のみならず文化都市として花開いたのに、爪人の功績は大きいだろう。


 また、そういうところも含め、スワキスにオリヴァが妬まれることになるのだが…。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「どーも、アロンツェの入国審査官、ジルド・フローリオといいます」


 左手に木板、右手にペン代わりの木炭を持ったその男は、自分をそう紹介した。


「うん?爪人が姓を持っている事が変でしょうかな?

 これは私が正式に役人に登用された時に、コンメルチャ国王陛下より賜ったもの。

 というか、姓を持っていないと役人として不便なものでね」


 別に聞いてないのだが、よほど喋りたかったのだろうか?

 ブラウンの瞳をくりくりとめぐるましく動かしながら、その猫…いや爪人は休むことなくしゃべり続けた。


「遠いヴェンヌからご苦労様です。

 私も一度ぐらいは半島最大の工業都市を訪れてみたいとは思っているのですが、生憎この仕事は忙しく休みを取れません。

 こうもひっきりなしに毎日交易船が訪れるのではですね。

 毎日入国のチェックをするだけではなく、それを書類に起こさないといけない。

 これがけっこう大変でしてね、筆記用具も消耗に追い付かなくてとうとうこのような木板に木炭まで持ち出す有様ですよ…」


 休みなくしゃべり続けてはいるが、その目は船の各部をチェックしたり木板に何やら書き込んだりと余念は無い。

 仕事は真面目にこなしつつも、その口を閉じる気配は全くないのだ。


「さてさて、お喋りはこのくらいにして、そろそろ仕事に戻らないといけませんね。

 では乗員の確認からさせていただきますよ?」


 そう言うとジルドは木板片手に船員一人一人簡単な聞き取り調査をしていった。

 聞き取り調査と言っても基本は名簿の確認である。

 だが彼がやるとそれが名前を聞いて終わり…とはならないから困りものだった。


「おや珍しい!角人(ヴル)の船員ですか!そういえばアロンツェにも角人が住んでいましてね…」


 そんな感じで無駄に時間がかかっていたのだが。


「次は…おや?君はシュラード人ですね?」


 その瞬間、レオンのみならず船員全員に緊張が走った。

 どうやら船員たちは爪人には人間の人種など解るまいと余裕でいたらしい。


「えーっと、君の名は…」


「レオンです」


「レオン君ですか、そうするとこの『リオン』というのはスペルミスでしょうね?

 シュラード人でこの名前という事は、帝国の国民ですね?」


 シュットルード帝国とオリヴァ王国は今現在交戦状態にあった。

 国境をつつきあう小競り合いに過ぎないが、東サノア海を戦場に年に数回会戦を行っている状況だ。

 そんな時敵国人が王都近くの港町に現れたとなれば、最悪捕縛されかねない。

 ジルドの目端を誤魔化す事が出来なかった以上、名簿に余計な小細工をしたことを船長は後悔していた。


「うーん、帝国民ですか、困りましたねぇ…」


「審査官、レオンを下せないというならずっと船に居させますから、捕縛はご勘弁ください。

 コイツの目的地はここじゃなくてヴェンヌなんですよ」


「そうは言いましても、ここはアロンツェですよ?

 この子が民間人としても、疑いのある…まあどちらにせよ下船さえしなければ入国とはみなされませんし、処置の対象には入ることはありませんけどね」


 船長はすこしホッとしていた。

 下船しないなら問題にしないというのは非常に助かる。

 ここで3日ほど停泊する間、船に押し込めておくのは可愛そうだが、せめて美味いものでも買ってきてやろうと考えていた。

 アロンツェの魚介料理は絶品なのだ。


「というか心配なのはシュラード人であるこの子が街に出た時、私刑(リンチ)の対象にならないかという事ですね。

 残念ながらアロンツェも治安がいいとは言えませんし、元軍人も帝国との戦争で命を落としま者の家族もたくさん住んでいます。

 この街をうろつくならまだスワキス人の方が安全だと言えます。

 スワキス人は嫌っているこの国になんか来ないでしょうけどね」


 ところがだいたいのスワキス人は密入国をしてでもオリヴァに入ろうとする。

 オリヴァの繁栄の一欠けらでもかすめ取ろうと考えるのだ。

 だが国境はこの町から遠く、なかなかアロンツェやアノッツェリアまでたどり着けるスワキス人は少ない。

 オリヴァ中どこにでもいる爪人に対する態度ですぐバレると言われているが…。


 安心してジルドのお喋りを聞き流していた船長だったが、彼の次の言葉で己の認識の甘さを思い知った。


「でも大丈夫ですか?

 たしか荷物の積み下ろしする商会の人間にもオリヴァ人…というかアロンツェの人足がいますよね?

 流石に仕事を投げ捨ててこの子に襲い掛かるなんてないでしょうけど、それは商会としてもまずいんじゃないですか?」


「確かに…これは困ったな」


 船長は何回か今回の航路を使ってアロンツェに来たことがある。

 商会のアロンツェ支部の連中の顔も何人か知ってたし、彼らの素性も聞いたことがあった。

 だが今回レオンを乗せてきたのは成り行き上だ。

 レオンが子供という事もあって、シュラード人に対する怒りを想定してはいなかった。

 なによりオリヴァ人は気のいい連中で、差別など考えるようなこともしないはずだった。

 帝国人以外には。


「俺が付いています」


「シルス?」


「亜人の、角人の俺が付いていればレオンも大丈夫でしょう?」


 船長やコームは突然のシルスの態度に驚きを隠せなかった。

 レオンを助け上げたのはシルスだが、その後彼はレオンにあまり近寄ってはいなかった。

 むしろ避けてるようにさえ見えた。

 角人と言うシルスの立場からすれば帝国人であるレオンを避けるのは解る。

 むしろそうやって距離を置いていてくれて助かってるとさえ思っていたのだが、そのシルスが突然このような事を言い出したのだ、


 亜人は帝国とスワキスが競うように迫害してる事もあり、オリヴァの人間は彼らに同情的だ。

 むしろその件で一層帝国人が睨まれているのもある。

 そんな中、迫害されている角人であるシルスがレオンを保護していれば、たしかに帝国に敵対的な人々からの防波堤になりそうな気はした。


「なぁに、メシ食いに出る時ぐらいでしょう?

 この話の流れだと、レオンに荷下しに積み込みは手伝わせられないみたいだし…。

 俺が仕事してる間は商会の事務所にでも閉じこもっててもらいますよ」


「すまんな、今回はお前に甘えることにする」


「いいんですよ、それより…」


 表情の解り難い角人の口端が、にゅっと上がった様に見えた。


俺たち(・・・)のメシ代出していただけますよね?」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 桟橋からクベール商会の事務所はけっこう遠かったが、ジルド審査官がクラーケン号の多種多様な積荷のチェックに悪戦苦闘している間に、到着の報告と積み下ろしの手配を頼みに行くのに丁度いい距離だった。

 シルスもこの町は始めてらしく、興味深そうに周囲を眺めながら聞伝てで教わった事務所の場所に向かっていた。

 角人もシュラード人もこの町では珍しいらしく、さっきから突き刺さる視線が痛かった。


「あの…」


 桟橋から港エリアの外れにある商会の事務所に向かう道すがら、レオンは不機嫌そうに前を歩いているシルスに問いかけずにはいられなかった。

 もっともレオンの目に不機嫌に見えるだけで、この角人が本当に不機嫌なのかまではレオンは判別できなかった。


「なんだ?」


 その足取りは何故か自信深げで、先ほどのやり取りを聞いていなかったらレオンにはシルスがこの街に来た事がないというのは信じられなかっただろう。


「なんで僕を助けてくれるんですか?」


「お前が子供だからだよ」


「僕は子どっ」


「俺よりは子供だ」


 意図してレオンの言葉を遮ったシルスの言葉だが、そこには鋭さはなくやけに落ち着いた雰囲気をだしていた。


「そしてな、俺は今まで俺より大人たちに散々助けられて来たんだ。

 船長やコーム、俺の親父やジジイたちにな」


 角人の目は視角が広く、横を向いただけのシルスの目線は後ろのレオンを見つめていた。


「俺も最初は恩返ししようと必死に足掻いてたけどな、足掻けば足掻くほど世話になっちまうんだよなぁ…。

 だからお前もな、レオン」


 角人の表情はレオンには読み取れない。

 だがその時のシルスの顔はなぜだかとても嬉しそうに、それでいて優しそうに見えた。


「もし俺達によくしてもらって嬉しかったら、今度はお前よりも子供な連中を助けてやるんだ。

 それが大人ってもんだろ?」


 それきり2人の会話は途切れたが、その沈黙は決っして気まずいものではなかった。

 レオンは今まで大人に助けられっぱなしの人生を思い出した。

 両親を失った後は義父に助けられ、その後はジキスムントとノルベルトに助けれた。

 これで恩返しできるとエッカルトに身売りすれば、今度はエッカルトに帰し切れない恩を抱えさせれらる羽目になる。

 足掻けば足掻くほど世話になる…シルスのその言葉には納得せざるを得ない説得力があった。


「おっとたぶんここだ。

 レオン、お前この看板読めるんだろ?

 なんて書いてある?」


 あまり大きくはないが丈夫そうな四角の石造りの建物には、控えめに小さな看板がかかっていた。


「ラース語とオリヴァ語で『クベール商会』、あとラース語だけで『アロンツェ支店』です」


「オリヴァじゃラース語はどこでも通じるんだろ?

 なんで両方で書いてあるんだ?」


「さぁ…?」


 こじんまりとした作りの割には中は広く、人の出入りも盛んだった。

 開け放しの入り口をくぐると、事務所にいた職員と取引相手らしき全員の視線が入り口の2人に交差した。


「あ、えーっと、ヴェンヌからの船が着きましたんで、積み下ろしの手続きをお願いします…」


 どうやらラース王国とは勝手が違うようだ。

 自信満々だったシルスの声が、回りの反応を見て段々小さくなっていく。


「シルス!シルスじゃないか!」


 だがそんなシルスを救ったのは、事務所の奥にいた1人の職員だった。

 机をいくつもがたつかせながら急いで入り口まで駆け寄って来たそのラース人は、懐かしそうにシルスの肩をバンバンと激しく叩いた。


「ガスパルさん!アロンツェ勤務だったんですか!…丁度よかった。

 ガスパルさんなら話が早い…バルテル船長からお願いがあるんです…レオン、こっちだ」


「今はバルテルさんの船に乗ってるのか」


「はい、すいません、ここじゃなんなので奥に行かせてください」


 ガスパルは元はヴェンヌにいたクベール商会の職員で、当時見習いだったシルスの面倒をよく見てくれた。

 昔は職人にあこがれていて、その時にシルスの父に面倒をかけたとかで、何かとシルスを気にかけてくれていたのだ。


「で、なんだいバルテルさんの頼みって?」


「こいつを預かって欲しいんです」


 その太い指でレオンを指し示しながら、シルスは声を潜めた。


「この子は?…シュラード人か」


「臨時の見習いみたいなもんで、まあ預かり者ですね。

 流石にオリヴァ人の真ん中にシュラード人を放り出すわけにも行かなくて…ここに泊めてやってほしいんです。

 俺も荷降ろしや積み込みの作業終わったら顔を出しますから」


 表に聞かせたくないのだろう、シルスの声は低い。


「それはかまわないが、たいした寝床は用意できないぞ?

 それに常に人がいるわけじゃないからな…」


「なぁに、夜は俺も一緒に泊り込みますよ。

 飯もね、せっかくオリヴァに来たのに名物の魚介料理を食べさせないわけにはいかんでしょう?」


「そんな事言って、お前が食いたいんだろう?」


「そりゃそうですよ!」


 レオンは2人のやり取りを見ていると、自分が場違いな存在に感じて身を縮ませた。

 シルスはさっきああ言ってくれたが、シュラード人である自分がラース人を差し置いて角人に守ってもらう価値があるのか?

 そんな事を考えずにはいられなかった。


「じゃあレオン、日が暮れたら迎えに来るからそれまで大人しく待ってろよ?」


 そういうとシルスは係員を伴いクラーケン号にいったん帰っていった。


「悪いけどこの部屋に入っててくれないか。

 私も仕事が残っているんでね、1人きりにしてしまうが…」


「大丈夫です、ありがとうございます」


 レオンは魔術の訓練で何時間でも潰す自信があったが、今日はどうも集中できずに成果は上がらなかった。

 手の平から構成が零れ落ちるようで、言いようのない焦燥感に襲われていた。

 だがその焦燥感は魔術の訓練が上手くいかないからではなく、別の事に原因があるという事もわかってはいたのだが…。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「待たせたなレオン、メシ食いに行くぞ」


 シルスが事務所にレオンを迎えに来たのは、日がとっぷり暮れた後だった。

 だがアロンツェの町は明るく、店の明かりが往来をも照らしていた。


「今でこそこんな交易国家とか言ってるけどな、オリヴァは昔はオリーブだけが唯一まともに収穫できる時代があったそうだ」


 たぶんついさっき聞きかじったばかりであろう薀蓄(うんちく)を得意げに話すシルスは、ちらちらと後ろを歩くレオンに視線を飛ばしていた。

 付け焼刃の知識を見抜かれるんじゃないかと、ひやひやしているのだろう。


「オリヴァって名前もオリーブから取ったって話もあるぐらいだし、そこんところはオランジェと同じだよな。

 とにかく、今でもオリヴァではオリーブがとにかくよく取れるんだ。

 1番絞り2番絞りは食用にしているそうだけど、3番絞りの油からはこんな風に灯油にも回す。

 それだけでもこの町を照らす程度の油が取れるって言うからすげぇよな、ラース王国じゃ想像もつかんよ」


 オリヴァの最重要輸出商品はオリーブとその関連商品である。

 将来これに石油が加わるのだが、それはまだ先の話だ。


「みんなは何をしてるんですか?」


「お前を避難させちゃったからな、船長はその分の書類仕事に追われてる。

 コームとエンゾは今日の夜番だ…他の連中は酒場に繰り出してるよ」


「すいません…」


「気にするなって、俺はそんなに酒が好きなわけじゃないし、お前をメシにつれてくって事で俺のメシ代まで浮くんだからさ」


 レオンは短時間であったが、なんとなく角人が笑みを浮かべる表情がわかるようになっていた。

 シルスがわかりやすいように表情を作ってくれているのかも知れないが、多少は角人の事がわかった気がしてきてはいた。


「シルスさんはなんで僕に対してそこまでしてくれるんです?」


「それはさっき言っただろ?」


「そういう意味じゃないです…なんで角人のシルスさんがシュラード人の僕に対してそこまで?」


 町を行くレオンに突き刺さるのは好奇の視線だけではない。

 明らかな敵意がその中に混じっていた。

 それだけ両国の確執は深いのだが、レオンの目にはもっと目に付きやすいもの、人種の違いに映っていた。

 そうなるともっとわかり易い見た目、帝国が長年迫害し続け、とうとう国内にはもういないと言われるようになった角人と牙人(ガルー)の事も目に映る。

 レオンが物心付いたころ…いや生まれる前にはもう故郷のヴェストシュタットでその姿をおろか、名前すら聞かなくなっていた。

 ベルン=ラース王国に来るまでその名前を聞いた事がなかったのが、ひどく恥ずかしく感じた。


「レオン、お前はさ、亜人を迫害した事はあるのか?」


「僕はありません、でも…」


「じゃあそれでいい、同族だからって名も知らぬ人間の罪を背負う必要はないぜ?」


「でも…」


「それにな、俺は別にシュラード人だからって思うところがあるわけじゃないんだよ。

 俺はヴェンヌ生まれのヴェンヌ育ちでね、船乗りになろうと思ったのも外の世界を見たかったって気持ちが最初だったのを覚えてる。

 ラース王国の港をいくつか回ってみたり、こうやってオリヴァまで来てみて感じた事は、ヴェンヌは特別だって事だ。

 まあ、ヴェンヌだけじゃないかもしれないけどな…あそこにゃ亜人差別はないんだよ」


 シルスは自分が恵まれている事を知っていた。

 恵まれた生まれだからこそ、心に余裕が持てている事を理解していた。

 自分が恵まれてるのは理解ある先人達が道を開いてくれたからで、今度は自分が後に続く者のために道を開いてやるべきだという考えに誇りを持っていた。

 だから、先人のやらかした事の所為で萎縮してしまってるこの少年の未来を、なんとか照らしてやりたい足掻いていたのだ。


「なんで角人が船乗りにってのは耳にタコができるほど言われたけどな、角人だからって貶められた事も何かを制限された事もない。

 こうやって角人が向かないと言われてる船乗りになる事すらできたんだ」


 ヴェンヌ…半島西部と同じ迫害の無いオリヴァに対し近親感を持っているシルスは、できればシュラード人に対する敵意も押さえて欲しいと考えていた。

 そうじゃないオリヴァ人に対してイラつきのような感情すら抱いていた。

 ただこれは地理的な関係もあるため、半島西部が帝国に対して敵意が薄いのと同じ事をオリヴァに求めるのは無理がある。

 今シュットルード帝国は領土への進攻は控えているが、オリヴァとは常に制海権を争っているのだ。


「だから俺にはピンと来ないのさ。

 角人が迫害されるとか、それに対してシュラード人やラース人にやり返したいって感覚がな。

 さっきも言ったが、俺にとってお前は年下の守るべき対象ってだけで、人種とか国籍とかの区別はよくわからんのさ」


 アロンツェは気候が温暖なせいか、開いている店はだいたい入り口の戸が開けっ放しだ。

 その中であまり中が騒がしくない店を選び、シルスは入り口をくぐった。

 幸い薄暗い店内は見通しがいいとは言えず、人目でそれと区別の付く角人はともかくシュラード人はぱっと見分けられる心配は無いようだった。


「美味いのをなんか適当に…これぐらいで」


 指を1本立てるのは銀貨か銀券1枚を表すが、船乗りのそれは交易に使われる銀札か銀板の事だ。

 だいたいベルン=ラースの王国銀貨半分ほどの価値だが、王国銀貨と違って国外でも嫌な顔はされない。

 2人の夕食にしてはちょっとばかし豪勢な金額になる。

 給仕の女性はレオンに気づいたようだが、プロ意識からかぐっと言葉を飲み込んで注文を厨房へ持っていった。


「なぁレオン、お前の故郷って内陸か?

 海から遠いのか?」


「はい、大きな川も無いので魚といったら鰻か鯰で…」


「ぶはははっ、かわいそうになっ!

 あんなのは川魚でも不味い方じゃないか…きっと今日は料理が美味すぎて驚くと思うぜ?

 まあ俺もアロンツェ料理は初めてなんだけどな…」


 調理技術技術が発達していないこのころ、鰻も鯰もゼリー寄せ以外の料理は知られていない。

 泥抜きすら満足にしないで鍋に放り込むこの悪名高い料理は、庶民が動物性たんぱく質を取るのには不可欠で、不味いが食わないわけには行かないという内陸の人間にとっては忌まわしい料理であった。

 そもそも食にこだわれない庶民の食べ物という事もあって、その味が改善される見込みは無かった。

 ヴェンヌですら鰻と鯰は貧乏人の食べ物と認識されているほどだ。

 2人ともまともに調理された海魚は食べた事は無かったが、塩漬けの漬物だけで味付けした鰹の煮込みの美味さは記憶に新しかった。


 だが料理に期待して談笑をする2人の語らいは、すぐに中断される事になる。


「おいお前!

 そいつシュラード人じゃねぇか?」


 テーブルに叩きつけられるその酔っ払いの手を見ながら、シルスは料理が運ばれて来る前である事を感謝した。


「だったら何だって?」


「ここをどこだと思ってやがる!アロンツェだぞ?!

 そいつをよこせ!見せしめにしてやる!」


 酒で理性を飛ばし、がなる男の剣幕にレオンは思わず首をすくめた。


「おまえら亜人だって帝国のクソどもには散々酷い目にあわせられただろぉ!

 お前の分も痛めつけてやるからソイツをよこせ!」


「引っ込んでろよ酔っ払い。

 その角人の俺がいいって言ってるんだ。

 関係ないお前の出る幕じゃないんだよ」


 男は初め信じられないといった顔をした後、酒で染まった顔をさらに赤く染め上げ、テーブルをバンバンと何回もたたき始めた。


「なんだとこのケモノ野郎!」


「おや、メッキがはがれたな…オリヴァは差別のない国ってのはアレ、ただの建前か?」


「ふざけんな!俺達は帝国ともスワキスとも違う!

 ラース王国なんかとも違って亜人差別なんざしねぇぞ!」


 実際『亜人』という言い方は差別用語の一種と取られている。

 角人も牙人も爪人も、独立した一種類の種族であり、『人間以外』としてひとくくりにされるのは心外だった。

 もちろんそんな事を考えもしない連中が、自分達は差別をしないとか主張する姿は解ってる者からしたら実に見苦しい。

 

「ほぉ、そうか、少なくとも俺は故郷のラース王国じゃ亜人ともケモノ野郎とも呼ばれた事はないんだが…俺の聞き間違いだったか?」


 まあ西部から出たら呼ばれるだろうがな…という言葉は心の中で飲み込んだ。

 外の世界を夢見てなった船乗りだったが、外の世界は常に彼の期待を裏切ってきた。

 ヴェンヌに閉じこもる角人達や、広がっても西部から出ない牙人達の気持ちも今になってみれば痛いほどわかった。


「き、きさまぁ…」


「聞き間違いかと聞いてるんだよっ!答えろよ!」


 人間にとって亜人の顔色は図りにくい。

 これは亜人からしても同じ事だし、亜人同士でも種族が違えばやはり表情など読み取るのは難しい。

 そのわかり難い表情は、不気味な迫力となって相手を威圧する事はよくある。

 これはシルスがヴェンヌを出てから覚えた事で、小さいころから人間や牙人と一緒に育ってきたシルスにとって、人間の表情を読み取るのは難しい事ではなかった。


「おい、やめとけよ!」


 同じテーブルの仲間に引きずられていく酔っ払いを見ながら、シルスの胸中は重く沈んでいた。

 その所為か、酔っ払いの仲間達のレオンを見る目にまで気が回らなかった。

 その目はやはり憎しみに濁っていて、常に八つ当たりをする相手を探しているごろつきの目だった。

 その目を見てレオンは心を鷲づかみにされたようで、腹の中がスーッと冷えていくのを感じた。 


「レオン、そんな顔すんなよ。

 俺のイラつきの原因はお前じゃないんだから…」


 シルスは安い挑発を後悔していたが、たぶん同じことがあったらまた繰り返すという嫌な確信があった。


「ほら、料理熱いうちに食おうぜ」


 運ばれてきた料理は、鰹を使ったアクァパッツァのような煮込み料理と、貝をメインに煮込んだブイヤベースのようなスープだった。

 それを2人前づつ。

 さらにピクルスと小魚のオリーブオイル漬けが添えられていた。

 香辛料とハーブを効かせた料理はとてつもなく美味かったが、2人にその料理を楽しむ心の余裕はなくなっていた。

 それでもその味はスプーンの動きを滑らかに、心はともかく身体を満たす力はあった。

 2人でがっつくようにして、たちまち皿を鍋を空にしていった。


「勘定頼むよ、悪かったな煩くして」


 店の中に居辛かったレオンは、シルスが料金を払っている間に先に店を出ていた。

 空を見ると見慣れた星座がいくつか目に入り、思わず自分の世界の小ささを思い知らされた気になった。

 もっと遠くに行けばまた違う星座が見れるのかな?

 そんな事を考えていたレオンの後頭部に強い衝撃が走り、思わずその場に打ち倒れた。

 膝から力が抜け、後頭部から生暖かいものが流れ出るのを感じる。


「レオン!どうした?!どこに行った?!レォ…」


 遠ざかるシルスの叫びだけが、薄れ行く意識に響いていた。




 ※王国銀貨はだいたい5000円ほどの価値換算です。

  銀券や銀札の場合は2000~3000円ほどになります。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 どれだけ時間がたっただろう?

 闇の中レオンはふと目を覚ました。

 身動きが取れず全身が激しく痛んだ。

 特に胸は呼吸をするたびに激しく痛み、すぐ咳き込み口の中に血の味が広がった。

 体が動かないのは縛られているからなのか、動かすほどもできないほど損傷しているのかさえもわからない。

 僅かな身動ぎでゴワゴワとした物に触れることから、ズタ袋のようなものに押し込められてるような気がする。

 記憶を手繰ろうとしても、思い出せるのは暴行を受けてる時の事だけだった。

 もう声を出す力もないが、猿轡をされてないのは悲鳴を聞くためだったのかもしれない。

 悔しかった、情けなかった。

 多くの人に助けられ、恩返しどころかこのままではシルスの言う子供達に力を貸してやることも出来ないだろう。

 同時に人の善意に甘え、油断していた自分の馬鹿さ加減に腹が立ってきた。

 ウルク教の連中に襲われた時の事が何の戒めにもなっていない。

 これでは先生にも、あの時死んでいった仲間達にも顔向けできないだろう。


 そうだ、ここでは死ねない。

 ここで死んだら船長にもコームさんにもシルスにも、恩をあだで返す事に他ならないではないか!

 もし自分を攫った連中が戻ってきて、また暴行を受けたらもう助からないだろう。

 レオンは咳き込まないように慎重に呼吸を行い、構成を組み上げ始めた。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 シルスが火事の知らせを聞いたのは明け方近くの事だった。

 徹夜でレオンを探し回っていて一旦事務所に帰ってきたシルスは、街はずれでの火事の報を聞き真っ先にレオンの事だと確信した。

 レオンが石を熱することのできる火の魔術師だという事は船のみんなも知っている。

 シルスが粗末な小屋の焼け跡に駆け付けた時、そこには船長とコームも居た。


「レオン!」


 焼け落ちた小屋はあまり大きくなく、柱も梁も少なく壁も穴だらけだった。

 5人のゴロツキに死者は一人だけだったが、五体満足で生き残ってるものは居ないという悲惨な有様だった。

 彼らは焼け残った屋根の隙間から引きずり出されていたが、そこにレオンの姿は無かった。


「レオン!」


 シルスはまだ火がくすぶる木材をかき分けながらレオンを探したが、人一人が隠れるほど焼け残った残骸は多くは無かった。

 

「レオンを入れていた麻袋が爆発したそうだ…」


 先に現場に到着していた船長が、そうシルスに声をかけた。

 コームは黙ってその場でうつむいている。

 シルスはかまわずまた炭化した柱をどかそうとして、それが折れた拍子に尻餅をついた。


「なにが『お前よりも子供な連中を助けてやるんだ』だ…俺が助けられてないじゃないか…」


 無意識に握る指先が土を掻いた。

 焼け跡の地面は熱かったが、そんな事は気にならないぐらい心は冷え切っていた。

 レオンとの付き合いは決して長くは無かったが、付き合いが短いとからと言ってその死が堪えないわけではない。

 何より、昨日のやり取りでやっと話すきっかけを掴んだのだ。

 まさかそれが昨日一日で終わってしまうとは考えたくなかった。


「魔術で脱出しようとして失敗したのか…」


 極端に心身が消耗しているときは、魔術は安定して発動できないと聞いた事はある。

 魔術構成(スクリプト)を正しく組み上げるにはある程度の集中力は必要で、それができなかったら普通は失敗。

 最悪の場合魔術が暴走してしまうそうだ。

 暴走してしまうような事はまず起きないが、聞けばあの後さらったレオンを麻袋に押し込むと、夜中過ぎまで殴るけるを繰り返していたそうだ。

 そんなボロボロになった状態ではまだ未熟なレオンの魔術では暴走しても不思議はない。


 自分の所為だという自責の念と、身勝手なゴロツキどもの所為だという怒りが混ぜこぜになって。

 角人はまるで人間がするかのように頭を掻きむしった。


「シルス、やめろ、お前の所為じゃない」


「いや、俺の所為です…俺が油断してました。

 俺がついてりゃ大丈夫なんて、思いあがった事を、俺は!」


 シルスはあの(・・)酔っぱらいを思わず睨み付けた。

 右足を失ったあいつはもう野垂れ死ぬ未来しか待っていないだろうが、だがそんな事でシルスの溜飲は下がらなかった。

 今ここで殴り殺したいとさえ思った。

 なんで真面目に生きていたレオンが、こんな身勝手な連中の所為で死ぬ羽目にならなくてはならないのだ。

 

 虚ろに焼け跡をさまようシルスの視線は、やがて地面に落ちている少年の左手を見つけた。

 醜く焼けただれたその左手は、レオンが最後の最後まであがいた証のように見えた。


「たしか爆発したって言ってたな…」


 埋葬するにも体の一部は必要だろう。

 シルスはその左手を持ち上げようとして…。


「レオン!」


 シルスはレオンの名を呼ぶと猛烈にその手の周りを掘り始めた。

 その剣幕に驚いて近寄ってきた船長とコームは、その左手首から先が繋がったまま地面に埋まっているのに気が付くと、シルスと一緒になって猛然とまだ熱い地面を掘り始めた。

 気絶して酸欠直前のレオンが掘り出されるまで3分とはかからなかった。 



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 レオンの持つ属性は火と地だと師は教えてくれた。

 エッカルトも火の属性を持っていたため、火の魔術は詳しく教えてもらうことができたが、地の魔術をレオンに教えるためには大聖堂に残してきた資料が必要だとかでそれは後回しにされていた。

 まずは火の魔術。

 ズタ袋を慎重に焼き切り、地面を露出させる。

 幸いその過程の僅かな炎の明かりで、レオンは自分の手足が縛られてる事に気が付いた。

 このロープを焼ききれば体が動かせるかもしれない。

 だが今は時間がない。

 うろ覚えな土の魔術でズタ袋の下に縦穴を掘り、なんとかその中に身体を滑り込ませる。

 途中笑い声が近づいてきたようで焦ったが、幸いその声は近くを通過して言っただけだった。


 掘り出した土を固めて自分の身代わりとして袋に詰めたところで、やっと一息つくことが出来た。

 手足を縛るロープを何とか焼ききると、唯一ちゃんと教わった地の魔術で折れた肋骨を繋ぐ。

 どんな魔術師でも傷を癒す魔術は重要で、地の魔術で唯一治療に使えるカルシウムを再接合させる構成は、真っ先にエッカルトから教わった魔術だった。

 また今師に命を救われた気がして、レオンは心の中で何度もエッカルトに礼を言った。


 さて、この後どうやって脱出するか考えるレオンの手元にこぶし大の石が当たった。


「もう遠慮する必要はないよな…」 


 レオンは土中に転がる石を掘り出しては頭上のズタ袋に詰め込み始めた。

 石を加熱する魔術は毎日やってきたから構成はすぐ浮かんだ。

 埋め込んだ石の場所を確認し、魔術を送り込んでいく。

 このままあいつらが戻ってくるまで石を加熱し続ければ…そうやって全身の痛みに耐えながら魔術を使い続けたレオンの耳にガヤガヤと何人かの人間が近づいてくる声が聞こえた。

 オリヴァ語だ。

 魔術を使いながら何回か気絶してたようだけど、加熱は充分か?

 今判断する手段はない。

 レオンは辛うじて動く左手でズタ袋の端を掴むと、地の魔術を使って縦穴を腕一本分まで狭めた。


「なんだ?小屋の中が暑いな…」


「へへ、帝国のガキまだ生きてるかなっ…と!

 いでぇ!なんだこれ中身違うぞ!」


 今だ!

 レオンは準備していた構成を発動させる。

 ズタ袋が一瞬で燃え上がると、中の石が次々と爆発した!


 オリヴァ語の悲鳴が上がるのを、分厚い土壁を越えた地面の下でレオンは聞いていた。

 赤熱した石の破片は飛び散りその場にいた人間を吹き飛ばしたが、その命を奪うには至らなかった。

 だが派手に燃え上がったズタ袋の破片は小屋の天井や壁に張り付き、一瞬で燃え移った。

 なまじ一撃で絶命しなかっただけ、彼らを襲った恐怖は大きかった。

 鋭利な石片で手足を損傷し地面に這いつくばる羽目になった彼らの上から、燃え上がる天井が落下してきたのだ。


「うわああぁっ」


「ひいぃっ」


 幸いだったのは、地面の中に潜むレオンはその地獄絵図を見ずに済んだことである。

 レオンは左手の先だけを地面の上に突き出したまま気絶していた。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「すみません、迷惑をかけて…」


「何回も言うけどな、お前の所為じゃないさ」


 クラーケン号は1日出港を伸ばしたが、それが限界だった。

 診療所のベットに弱々しく横になるレオンは、首を動かすのさえ辛そうだった。


「ガスパルさん、レオンをお願いします」


「ああ、ジルドさんも様子を見てくれるそうだし、次の便に乗れるように手配するよ」


 レオンの怪我は重く、とても船に乗れるような状態ではなかった。

 医者が言うには、船室で寝ているだけでも命の保証は出来ないという事だった。

 諦めてしばらく診療所のベッドに横になっているしかない。

 あの場でレオンが自分の体に応急処置をしなかったら、シルスに掘り出されるまで命は持たなかっただろうと医者は言っていた。

 

「ヴェンヌに着くのがさらに一月遅れるだろうが、まあ仕方ないと思って諦めな。

 命があるだけ感謝しねぇとな」


 コームやシルスだけでなく、クラーケン号のクルーは変わりがわるレオンの見舞いに来てくれた。

 この様子では出発の準備は確実に遅れているだろう。

 聞くところによるとアロンツェの住民の仕業が原因という事で、外面を気にするアロンツェ総督が手をまわしてくれたとかで、なんとか1日遅れ程度で出港できるそうだ。

 交易都市であるアロンツェは、国内外への評判を非常に重要と考えている。

 ここで荷物の受け渡しで通過されるだけと、逗留してお金を落としてもらえるのでは財政に大きな差が出るためだ。

 総督は自領ではなく役職でこの地を統治しているだけだが、町が栄えれば当然懐に転がり込んでくる金の量が変わるのだ。


「あいつら別に身内が帝国軍に殺されたとかじゃないらしいな」


「まともな職にもつかないで、店にもツケを拒否されて腹立ってたとかで…。

 シュラード人なら、なぶり殺しても誰からも文句出ないと考えたとか」


 レオンは目の端で、シルスが拳を握りこむのを見た。

 犯人は無罪放免にはもちろんできないが、あの様では強制労働に着けることもできず。

 かといって被害者は死亡してないので死罪にもし辛い。

 どちらにせよ四肢に欠損を抱えた上、なんの後ろ盾も無ければこれから生きていくことなどできないだろう。

 自業自得とはいえ、避けようのない野垂れ死にが待ってると聞かされれば、レオンは彼らを気の毒に思った。

 必死でやった事とはいえ、やりすぎたとも反省したのだが…シルスはそうは思っていないようである。


 レオンの左手にも醜い火傷の痕がしっかり残っている。

 指は動くようになるという医者の見立てだが、今はピクリとも動かせない。

 一月後に癒着した指の切除をすると聞かされ、レオンは振るえあがった。


「なあ、お前を置いて行く事になっちまうが、許せよ?」


 眉間に皺を寄せた顔ばかり見てきた船長だったが、この時の顔は穏やかだった。


「次の船に乗せてもらえるように手配はしたからな、どの船が来るのか解らんが、そいつらにもスープを作ってやって…。

 いや、止めといた方がいいか、下手すると下船させてもらえなくなるかもしれん」


 その顔は笑っていたが、どこか疲れたような印象を感じた。

 やはり自分は負担になっていたのかと、レオンはため息を着いたが、実際はレオンが抜けたために書類仕事が増えたために休む時間を削るはめになっていたからだった。


「そんな顔するなよ、お前がヴェンヌに居ればまた会う事もあるだろう。

 なにせ俺たちはヴェンヌがホームなんだからな…遅くとも春の増水期前にはヴェンヌに戻らんとならん」


 春先に風向きが変わり一気に温かくなるころ、雪融け水が一気に流れ込むヴェール川は初夏まで水量が増加する。

 その間は流れも速く強くなり、船で川を遡るのが困難になるのだ。

 増水期中も川を下るために何隻かラピンの港に船を残し、商会の船はほとんど海岸の港に錨を下すことになる。

 クラーケン号はラピンで待機する予定の船なのだろう。


「じゃあ俺たちはそろそろ出港だ。

 じゃあなレオン、またヴェンヌで会おうぜ」


 コームは笑顔で、レオンの頭を撫でながらそう言った。

 シルスは最後まで無言だったが、そろそろ見慣れてきた角人の表情はいくぶんか穏やかだった。



 それから1週間はベッドから起き上がれなかったレオンも、半月辺りからベッドの上ガスパルの書類仕事を手伝ったりしながらでリハビリを始め、一月後にはなんとか歩けるまで回復していた。

 魔術で骨接ぎを行わなかったら3ヶ月以上はベッドの上だったと言われ、それならばと診療所の手伝いも多少はしていた。

 他人の骨は自分の骨のようにはなかなか行かなかったが…。


 商会の船がアロンツェの港に入港したのは、ちょうど一月から5日過ぎた日だった。

 5日ぐらいの誤差は日常茶飯事なため、レオン以外の人間は誰一人として気をもんだりはしなかった。

 だが。


「クラーケン号が行方不明…?」


「ああ、航路途中のめぼしい港に寄りながら来たから遅くなっちまった。

 ズォルヌからタックスまで回ったんだが、見つからなかった」


 船長のその報告に、レオンは抱えていた荷物を取り落とした。



「レオン!どこに行くんだ!」


「離してください!みんなが、みんなを探しに行かないと!」


 そのまま事務所の外に飛び出したレオンだったが、満足に走る事も出来ないその体は簡単にガスパルに取り抑えられた。

 船が行方不明になる事がどういう事かレオンも知っている。

 難破して船員の何人かが岸に流れつくのはいい方で、海賊に襲われて皆殺しにされたり、それこそ未知の怪物や現象に飲み込まれて跡形もなく消える船さえある。

 王国海岸沿いは商会の他の船が捜索してると考えると、それでも見つからないという事であれば、その生存は絶望的と言っていい。


 レオンが飛び出したところでどうにもならないのだ。


 ガスパルにしても船が消えるという話は初めてではない。

 だが親しい船員達と二度と会えなくなるという事態に慣れるわけもなく、特に可愛がっていたシルスの死と、彼の父の悲しみを思うと涙も溢れる。

 抑えられるレオンも抑えるガスパルも、その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。



 遅れた分を取り戻すように急いで荷下ろしと積み荷を完了させたクベール商会の船は、2日で出港する流れになった。


「元気を出したまえ…とは言えんが、そうも露骨に落ち込んでいては君を乗せる船にも迷惑がかかるだろう?

 それに心の傷は体の病を呼ぶと言うではないか、空元気でいいからしっかり立って前を向きたまえよ。

 希望を持てるようなことを言えば、マストが損傷して西か東に大きく流されたという可能性もある。

 だからもしそうだったとしたら、彼らの消息を聞くにはやはりヴェンヌに行った方がいいのではないかね?」


 慌ただしく積み荷に立ち会ったジルドもうなだれるリオンに声をかけてくれた。

 だが、頭で解っていても心は付いて行かないものだ。

 以前川沿いで襲われた後はエッカルトの無事を確信していたが、今はシルスも船長もコームも、彼らが生きている事をどうしても想像できなかったのだ。


「とりあえず事情を書いた紹介状は船長に預けたから」


 まだ赤い目のガスパルに背中を優しく叩かれ、レオンは足を引きずりながらタラップを登った。

 船の上から眺めるアロンツェの街は一月前と何も変わらず。

 レオンにはこの1か月の事がまるで夢か幻かと思えた。

 いや、思いたかったのだ。


「錨をあげろっ」


 船長の声を背中に、レオンの目はアロンツェをじっと見ていた。

 船員達はそんなレオンを見て何か囁き合っていたが、事情が衆知されているのか責めるものは居なかった。

 彼らだって海で知り合いを失う辛さは知っている。

 中には子供のころ父親を亡くした者だっているのだ。


 ゆっくり港を離れる船は、帆に風を受け、徐々にその速度を上げていった。

 山から吹き下ろす風が、ノクト湾を出ていこうとする船の背中を後押ししているようだった。

 これから半月、念願のヴェンヌに向けての船旅が始まるのだが、レオンの心に嬉しさは無かった。

 ただ早く終わる事のみを考えていた。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 それから4年ほどの時が経つのは、あっという間だった。


 やはり縁起の悪い船名だったか…。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ