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クロニクル アンド マギグラフィ  作者: 根菜類
第二部・メリヴィエ編
51/68

7司祭は滔々と語りき

 サブタイトル2文字縛りはもう無理と諦めました。

 こんなルールは最初に決めた当時の自分を殴りたい。

 というか「18ボルタノ」でもう挫折してるんですけどね。


 ギャロア司祭長達がスローヌに向かったころ、エッカルト達は現場を大きく迂回してブルエヌに向かっていた。

 陸路でこのまま北上するのは分が悪いと考えたのだ。

 もしかすると川を流されたであろうレオンの消息がつかめるかと、藁にも(すが)る思いもあった。

 それに土地勘が無いのが最大の不利な点だと考えるなら、一度通った街道や街はその不利を無くすには最適のルートと思えた。

 レオンがクラーケン号に引き上げられたころ、なんとかブルエヌに到着した一行は、身分を隠しラピン行きの船を捜し始めた。


 もしレオンがわがままを言って、ブルエヌ付近で降ろして…この場合水上にだが…もらっていれば合流は叶ったかもしれない。


 半数ほどに減った司祭とその一行は海産物をヴェンヌまで運ぶ商会に話をつけ、直通でラピンに向かう手段を確保した。

 エッカルトの法服は畳んで荷物にしまいこまれて、今はヴェンヌに視察に向かう商人として船上に立つ事になった。

 とはいえエッカルトは終始落ち込んでいた。

 ブルエヌまで来てもレオンの手がかりはまったく発見されなかったからだ。

 出港してもいつまでも名残惜しそうに川岸ばかり眺めていた。

 魔術の講義をする相手がいなくなってやることが無くなったというのもあったのだが…。


 春の増水期でもないので、ラピンまでは僅か3日の行程となった。


 ラピンの港はヴェール川を船で遡れる限界地点付近にある。

 これ以上上流に行けば水深も浅くなるし流れも急になる。

 そらに川岸に港を作るのに都合のいい地形も少なくなるからだ。

 ここにはかって小さな漁村だけがあったそうだが、何代か前のクベール侯爵が流れの穏やかな場所に巨大な溝を彫り、山近くのこの場所にしては大きな港町を作り上げたそうだ。

 それまで流通で不便だったヴェンヌはそれ以降物資の搬入は楽になり、町で作られた製品を王都(ゲランデナ)やオリヴァ王国に送り出す事も容易になった。

 ヴェンヌに爆発的に職人が増えたのはそれ以降だった。


「なかなか近代的な川港だな」


 港には水門が取り付けられ、増水期にはこれを閉じるらしい。

 港に隣接する倉庫群もやや高い場所に置かれ、洪水対策をしっかりやっているように見えた。


「馬車の定期便みたいなのは無いそうですが、チャーターでヴェンヌまでやってくれる馬車は常時待機してるそうですよ」


「商業港だ、しかたあるまい。

 むしろチャーター便があるだけ助かる」


 先の襲撃で資金のいくらかを失ってはいたが、幸いまだ若干余裕があった。

 とりあえず帰りの船賃さえ残っていればどうにかなる。


「だがようやくたどり着いたな…ヴェンヌに」


 ラピンからヴェンヌまでは街道も整備され、クベール領軍の巡回もある。

 ヴェンヌの衛星都市とは言っても、街道に沿って街が伸びてるラピンはヴェンヌの一部と言ってもいい。

 陸路の門であるオディーヌとならび、ヴェンヌを中心に連環都市を形成している。

 ヴェンヌは今まさに勢いをつけ大きくなっている途中であった。


 ヴェンヌに到着したエッカルト聖捌司祭は、早速クベール侯爵に正式な身分と手続きで面会を申し込むと共に城下に宿を取った。

 城下とは言うもののヴェンヌに城は無い。

 街を守るための砦はあるがそこは軍の駐屯地で、クベール候家が住む屋敷はヴェンヌの中心地にあった。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「アインツィヒ教の司祭だと?」


「はい、大聖堂からの使者として正式に面会を申し出ています」


 1日の業務が終わったウィルは、夕食前に父に領地運営の相談をよくしていた。

 オーリンがいくら気力を無くしていたといえども、息子の相談に答える程度の元気がまだあったからだ。


「よくヴェンヌ(ここ)までたどり着けたな」


 ウィルもウルク教の内情ぐらいは掴んでいる。

 西部に対してその勢力を伸ばせていない事と、王家偏重の教義が総本山であるアインツィヒ教と折り合いが悪い事だ。

 ウルク教には二つの側面、二つの派閥がある。

 ひとつは王国において王家の安定を得る協力をする見返りに、唯一神の教えを半島に広めに来た大聖堂派と。

 王家の権威を確立するために唯一神の名前を利用しようとする王国派である。

 共に西部進出派と王家迎合派として今でも対立を深めている。

 そんな常態でアインツィヒ教の使者を西部によこすなど、王家が教会が決して見逃すはずがないのだ。


「用件はなんと言ってるんだい?」


「はい、先のドラゴン討伐についてお聞きしたいと、それからその事について折り入って侯爵様に提案があると」


「意味深だな」


 いい予感はしなかった。

 それだけクベール家とウルク教の溝は深い。

 亜人排斥を断固として認めないどころか、その亜人に雷神(フーダー)の末裔と崇められるクベール家は西部進出派からしても目の上の瘤以外のなんでもなかった。


「父上、会うだけでも早く会った方がいいかもしれません。

 ヴェンヌのウルク教会も嗅ぎ付けるでしょうし、横槍が入るより先に会ってみるべきかと」


 ウィルの心中にウルク教憎しという気持ちが無かったとは言えない。

 姉の死に対して声明を出さないどころか、強引に葬式を敢行しようとした教会をよく思っていないのは侯爵家全員同じだった。

 これは王家迎合派と西部進出派の意見の齟齬から起こったことで、王家の醜聞であるドラゴン討伐の話には触れたくない王家迎合派と、英雄の葬儀を行い布教の礎にしたい西部進出派がそれぞれ独断で動いた結果だった。

 ヴェンヌから、いや西部からウルク教を叩き出したい気持ちは大きいが、そうなった場合少なくないウルク教徒に対する混乱が予想される。

 現状は侯爵家他同調した家の冠婚葬祭からウルク教を締め出すに止まっている。

 もっともこれは西部進出派にとっては致命的な処置であったが。


「どうせ元は同じ宗教だ、同じ穴の狢だろうが精々噛み合ってもらいたいものだ」


 それが偽りの無い感想であった。


「いいだろう。

 ゴーディエ、明日会うと…そうだな、昼前がいいな…昼食はどちらの口実にもなる。

 明日昼前に会うと先方に使いを出しといてくれ」


「かしこまりました」


 家宰が退室すると、オーリンはおもむろに懐からロケットを取り出した。

 それに姉の肖像画が刻んであることをウィルは知っていた。


「ああ、すまない…ウィル。

 1人にして欲しいんだ」


 姉の事を思い出したか、そのかげが濃くなったように見える父はウィルの退室を促した。

 この事もあるから、姉を思い出させる使者の件を早く終わらせたかった。

 ウィルは父に一例をし、静かに退室した。


「マリー…」


 扉を閉める直前に聞こえた父のつぶやきは、つとめて聞こえないふりをした。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「面会の件ご快諾いただいてありがとうございます。

 私はブラムシュテルンの大聖堂より、聖捌司祭の職務を賜らせていただいてるエッカルトと申します」


 聖職者同士の正式な挨拶ではないが、エッカルトはあえてその様式で挨拶を行った。

 それは少しでも相手に誠意と礼節を表す為だったが、彼を迎えたのは侯爵とその息子の冷たい瞳だった。

 もっともエッカルトにしてもそんな反応は想定内だ。


「これは私の…あ、いや失礼、何でもありません」


 誰もいない隣を指し示そうとして、司祭は悲し気にかぶりを振った。


「そういわれると気になってしまいますが?」


 ついついエッカルトの誘導に乗ってしまったのはウィルはまだ若いというところだろう。


「はい…実は数日前まで弟子を伴っておりまして、つい弟子に挨拶を促す癖が」


「お弟子さんはどうされたので?」


「ウルク教徒の襲撃にあい、行方不明です」


 これはエッカルトが一枚上手だった。

 ついうっかりレオンの事を紹介しそうになるフリをして、憐憫を誘うように話を誘導したのである。

 クベール家とウルク教の確執は知っている。

 それを最大限に利用するためにもレオンを利用した。

 その事に胸がチクリと痛んだが、この交渉が失敗すればレオンの犠牲が無駄になると心を奮い立たせた。

 実際この事で侯爵家の二人に自分の立場を印象付けることができたのだ。

 エッカルトは心中でレオンに礼を言った。


「ウルク教とは対立しておられるので?」


「友好的とはいいかねますが、まさか武力に任せて襲い掛かってくるとまでは…。

 この度の私の王国来訪の目的の半分はウルク教に対する詰問だったため、それを根に持ったのかと」


 実際は詰問などはしていない。

 ウルク教の対応次第ではそうなったかもしれないが、詰問で済ませることができれば平和裏に解決できる程度の問題だっただろう。

 もはや言葉や書面の上では収まらないほど状況はこじれていた。


「詰問?」


「はい、これは貴家に対する要件とは無縁ではないのですが…」


 エッカルトは迷うフリをしながら慎重に間を図った。

 彼は視界の隅にクベール侯爵を収めながら、その動きを伺っていた。


「要件にも上げさせて頂いておりますが、ドラゴン討伐の事です」


 動かない侯爵の気を引くためには話を進めないといけないだろう。

 だが今彼の前に立つのはこの若い跡取りだ。

 彼に対する態度にも気を使わなければならない。


「ウルク教に対する詰問というのは、神の御言葉にも示されてある事。

 神に仕えるものは全力で魔物の退治を行うか、それが難しくてもそれを行うものを全力でサポートせねばならぬのです。

 これはその宗派がどんな"窓"を掲げているかに関係なく、神の御言葉として我々全てが従うべき事。

 それが出来ぬとあらば、かの宗派は神の名を騙る異端と見なされても仕方ない…ところが彼らはそれを怠っており、私の調査でそれが明るみに出るのを恐れたのかもしれません。

 わたしが大聖堂からの言葉を伝えると、彼らは無関心を装いましたが、やはり心中穏やかではなかったのでしょう」


 二対一のやり辛さを感じつつもエッカルトは続けた。

 続けるしかなかった。


「王都を出た時から尾行されていた可能性があります。

 西部に入ってから襲われたのは、もしかしたら諸侯に責任を押し付けるつもりだったのかも」


 ウィルが狼狽えるのをみて、やれやれという感じでクベール侯爵(オーリン)が片眉を上げた。

 いくら優秀とはいえ、若干14歳の息子ではこの司祭の相手は荷が重かったと判断したのだ。

 ついには侯爵自ら口を開いた。


「司祭殿、身の上話もいいですがそろそろ要件の方をお伺いしたいですね」


「はい、これは失礼しました。

 一つは実際にドラゴンに相対されたご子息からかの魔物の詳細をお聞きする事です。

 これには返礼として、大聖堂が集められるだけ集めたドラゴンの資料をお渡しする用意があります。

 もう一つは…」


 ここでエッカルトはたっぷり間を取った。

 相手が焦れるくらいでちょうどいい。

 なにせこれは彼らにはかなりショッキングな内容になるはずだ。

 いい意味でもわるい意味でも!


「亡きご息女、マルグリット様へ大聖堂は聖女認定を送らせていただきたい考えております」


「なんだと?!」


 反射的に怒気を発したウィルを、侯爵は片手で制した。


「意図をお聞きしてよろしいかな?」


「はい、先ほども言いましたが、魔物の討伐は神の御言葉にも記されている教会の重要な責務。

 それを果たされたお方には聖人や聖女の称号を贈り、一層のご活躍を支援するのが教会の責務であります」


 それを聞いてオーリンもウィルも共に眉を寄せた。

 称号を贈り支援するとは、そういった優れた人間を強引に教会に取り込む方策に過ぎない。

 だが今回取り込むべきマルグリットは、ドラゴンと相討ちで亡くなったとみなされている。

 この場合はウィルに聖人の称号を贈り、教会に取り込むのが目的ではないのかと?


「…ご息女は、すでに聖女としての求められる責務を超えるほどの功績を立てられていると大聖堂は判断しました。

 よって称号を贈らせてはいただきますが、彼女にこれ以上…例えば聖職者としての…責務を課すような思惑はございません。

 本来これはウルク教の役目ですが…。

 しかし彼らは王家におもねるあまりに、真の功績者をないがしろにしています。

 アインツィヒ総本山としてはそんな愚行を看過しておくことはできないのです」


 ここにきて侯爵はエッカルトの、いやアインツィヒ大聖堂の思惑を理解した。

 彼らは今まで手が回らないからとウルク教に預けていたこの土地を、この機に取り上げようという腹積もりなのだろう。

 亡きマルグリットに聖女の名を贈るというのは、簡単に言えばご機嫌取りだ。

 西部と南部に絶大な人気をもつマルグリットを形の上だけでもアインツィヒ教に取り込めば、ウルク教を牽制しつつラース半島に食い込むのも可能だと考えているのだろう。

 亡き娘を宗教の道具にはしたくないという思いは確かにあるが、このまま娘の名前が、命を賭した功績が忘れ去られるかもしれないのは忸怩たる思いになる。

 それにもしアインツィヒ教が侵攻してくるというのなら、忌まわしいウルク教を追い出せるのではないかという期待もある。

 だがしかし…。


「わが領地、いや西部にはあなた方が魔物と忌み嫌う亜人が多く生活をしている。

 もちろん彼らは大事なわが領民たちなのだが…それについては大聖堂はどうお考えか?」


 ウィルからしたら突然話が飛んだように感じたが、エッカルトからしたらこれは当然受けるべき質問だった。

 だが一足飛びに懐に切り込まれたような気がして、背中にじっとりと嫌な汗がにじむ。


「大聖堂には、聖典の解釈を見直す準備があります」


「ほぉ?」


「別に神の御言葉には亜人を魔物と明確に決めつけている文はありません。

 彼らの容姿が魔獣や魔物に似ていたがために過去に不幸な衝突はありましたが、それは間違いだったという声明を出してもいいと…」


「なんだって?!」


 今度は侯爵が驚く番だった。

 もし大聖堂が亜人排斥の教えを撤回するなどという事をしたら、世間は大混乱に落ちいる。

 なにより今まで大聖堂が発していた教えが間違いだったと認めるとなると、本国での宗教論争や教義の解釈で分解しかねない。

 その危険を冒してまで大聖堂がそんな事をするとは考えられなかった。


「本気か…今口先だけで言っているのではないのだね?」


 亜人が宗教的に保護されれば、代々のクベール家の、自分の、そして亡き娘の悲願のが叶うという事にもなる。

 この話がもし本当なら、もし娘が生きてここに居たら、彼女はその条件を飲んだのではないだろうか?


「この度のドラゴン討伐…一行に亜人の勇士が協力されたとも聞きます」


 そこまで調べ上げている大聖堂の情報網に侯爵は愕然とした。

 これは中央教会や王城にいる内通者は一人や二人ではないだろう。


「もちろん全ての亜人がこの範疇に入る訳ではありません。

 帝国にはいまだに人間に害をなす翼人(ワゾ)もおりますし…。

 現在大聖堂が指定から除外しようと考えているのは、牙人(ガルー)角人(ヴル)、そして爪人(シャズ)だけです。

 あと他に知られている亜人は鱗人(ザール)でしょうか?彼らは人を襲って食べるという話があります。

 その真偽が確かめられるまでは判断はできませんな。

 まあとにかく、『亜人』で一括りにすることを止めるという事です」


「なるほど…」


 つまりすでに帝国には居ないと言われてる牙人、角人、爪人の事は亜人と言う排斥対象から除外するという事か。

 確かにそれなら混乱も少ないだろうし、翼人と争いをしてるホーホランド人も文句は言うまい。

 だが、ここ、ラース半島西部に住む亜人達の地位向上には十分な効果が出るだろう。


「それで…」


 侯爵は必死に平静を装いながら問いかけた。

 美味い話には必ず裏があるものだ。


「アインツィヒ大聖堂は見返りに何を望むのだい?

 ヴェンヌに教会をたてる事か?それとも西方諸侯に私から便宜を図らせる事か?」


 侯爵には帝都の様子を伝え聞く術が少なかった。

 もちろん密偵は放っているが、帝国はあまりに広くあまりに遠く、田舎の一領主では手は回らなかった。

 子飼いの商人から届く話には、帝国と大聖堂の折り合いはよくないと…。

 だから皇帝個人と法王個人の関係が秘密の上に良好だとは知らなかったのだ。

 今回の件、皇帝側から提供された情報で大聖堂が動いた。

 それは来たるべき未来のために、大聖堂から動いてもらった方が都合がいいという皇帝の判断だった。


「交換条件はありませんが…ヴェンヌにアインツィヒ教の教会の建立の許可は頂きたいと思っております。

 これはご息女への聖女認定の件とは別に考えていただいて結構です」


 そうは言われても別に考えられるわけがない。

 形の上では両方とも大聖堂からのお願いだが、それに付加された条件はとんでもなかった。

 確かにアインツィヒ教は敵の敵であろうが、敵の敵は味方とは言えない。


「すまないが即答は出来かねるので、しばらくご逗留ねがえないか…。

 領軍の騎士を警護につけるので、安全は保障しよう」


「もちろん」


 エッカルトは勝利を確信していた。

 もとより侯爵の元にたどり着けさえすれば充分に勝算のある賭けだったが…。


「願っても無い事でございます」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 エッカルトたちはあの後昼食を振舞われたが、その席に侯爵と跡取りは姿を見せなかった。

 ただ振舞われた昼食はなかなか豪華で、若干の歓迎する気配は感じられた。


「司祭様どうされました?

 交渉は上手くいかなかったのですか?」


 侯爵が用意してくれた部屋に居を移した一行は、やっと警戒を解いてくつろぐ事ができホッとしていた。

 だが1人エッカルトだけは難しい顔をしてため息をついている。

 ハイモが心配するのも無理の無い事だ。


「いや、そうではない…レオンを交渉のダシにしてしまったのだ。

 ちょっと自己嫌悪に…な」


「司祭様…」


「交渉は上手くいったさ、もっとも上手くいこうが行くまいが、交渉が終わったら我々はブラムシュテルンに帰ることになる。

 準備だけはしておいてくれ」


 エッカルトは従者達にそう告げると、彼自身の仕事を始めた。

 それは聖捌司祭として、正式な書類と宣言を持ってマルグリット・ウル・クベールを大聖堂の名の下に聖女に列挙する準備だった。

 準備してある書類を整理し必要な文を書き加えようとしたとき、エッカルトは思わず驚きの声を上げた。


「ハイモ!このペンはなんだ?」


「はい、客間に据付けられてたものです。

 司祭様の羽ペンは川に落ちたりとかで酷い有様だったんで、せっかくなのでお借りしました」


「ヴェンヌはこんな物も作っているのか…これは、むう、何本買って帰ったらいいかわからんぞ。

 迂闊に持ち帰ったら取り合いになるかも」


 エッカルトはその見慣れぬ真鍮のペン先を食い入るように凝視した。

 司祭の職務に書類仕事は付き物だ。

 誰も彼も貴重な紙を無駄に消耗しないように、かなり気を使って書類を作っているのだ。

 そんな中、こんな書きやすいペンがあれば全員が欲しがるだろう。


「そんなに凄いんですか?」


「ああ、もしかしてインクも?」


「はい部屋に置いてある備品は自由に使っていいとの事でしたから…」


「インクがきめ細かいというのもあるのだろうが、書き味も書き具合も素晴らしいな。

 力加減で線の太さを調節できる上、ほとんど滲まない。

 このインクとペンがあればかなり紙の節約にもなる」


「あー、それなんですが司祭様」


 なんとも情けない声を上げながら、ハイモは机の脇の戸棚を開けた。


「自由に使っていいという備品の中に…これが」


 ハイモが示したのはやや灰色がかった紙の束だった。

 エッカルトは絶句した。


「これは示威行為なのだろうな…ヴェンヌの技術力と生産力の高さの」


 武力を示すのは簡単だろうが、それではエッカルトを驚かす事はできなかっただろう。

 しかし侯爵は僅かな筆記用具で、王国よりもはるかに進んでるはずの帝国の司祭を心底驚かせたのだ。

 これを見ていたらウィルは随分と溜飲を下げた事だろう。


「これは話が変わってきたな。

 まず真っ先に確立すべきはヴェンヌとの航路なのかもしれない」


「そんな事が可能なんで?」


「普通に考えれば無理だよ。

 王国もウルク教も許しはしまい。

 だがそれでも無理を押し通す価値はある…できれば学生として多くの司祭を送り込みたい」


「司祭様!そんな事を大声で言っていいんですか?」


 辺りを見回しながら小声で咎めるハイムを笑い飛ばし、エッカルトは言い切った。


「かまわんさ、聞かれて困る事などないのだからな。

 なにせ私は侯爵の前でもこの場でも、何一つ嘘は言っていないのだからな」


 そういうとエッカルトは机に向き直った。

 この机も椅子も実に使い心地がいい。

 購入できるのなら買って帰りたいと切実に思った。


「むしろ聞いてもらったほうがありがちぐらいだよ」


 エッカルトはペンの使い心地を確かめるように、ゆっくり丁寧に書類を仕上げていった。

 書類に集中しているその間は、レオンの事を頭から締め出すことができたからだ。


 どれぐらい経っただろう?

 食事も忘れて作業に没頭していたエッカルトに、侯爵家の従僕が声をかけた。


「司祭殿、ウィルレイン様が夕食をご一緒されたいとの事ですが、ご都合はよろしいですか?」


「むしろこちらからお願いしたいぐらいです。

 えっと、私の従者は…」


「皆様へのご夕食はこちらにお持ちします。

 望まれるのでしたらワイン庫を開けるように指示をされていますが?」


 これには一同から思わず歓声があがった。

 王国中部と北部は麦酒文化だが、帝国は西部と同じ果実酒文化である。

 特にワインは食生活と一体化していて、貧乏人ですら貧乏人なりのワインを飲むのが当たり前になっていた。

 そんな彼らに長らくお預けを課していたワインを、しかも侯爵家のワイン庫から出てくる高級なものを振舞われるとなれば、ついつい歓声を上げても仕方あるまい。


「大丈夫かな?末期の酒にせめてものモノを…とかじゃないよな?」


「馬鹿言え、そんな意図なら侯爵家のワイン庫なんか開けるかよ!」


「こら!お前達!失礼だぞ!」


 エッカルトが流石に青くなって叱責するが、従僕はあくまでもにこやかに対応してくれた。


「かしこまりました。

 では夕食と一緒に何本かお持ちいたします。

 司祭殿はこちらのほうへ…」



 従僕に案内された部屋はあまり大きくなく、白いクロスのかけられたこじんまりとしたテーブルに、椅子が二つだけ向かい合うように置かれていた。


「ウィルレイン様はすぐに見えられます」


 従僕はエッカルトを片方の椅子に案内すると、そう言ってすぐに退室してしまった。

 飾り一つ無い殺風景な部屋で、テーブルの上の燭台だけが明々と光を放っている。

 ふと窓を見ると眼下にはヴェンヌの夜景が広がっており、広さはともかくその明るさはブラムシュテルンにさえ劣っていないようにも見えた。

 エッカルトは自分の黒い法服がずいぶん場違いに思え、居心地の悪さに身を縮めた。


「お待たせしてしまってすまない」


 クベール侯家の跡取りが姿を見せたのはすぐの事だった。


「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます。

 私の従者達にも気を使っていただき、感謝に絶えません」


 そういうとエッカルトは、ベルン=ラース式の貴族の返礼をウィルにかえした。


「司祭殿は貴族の礼式にもずいぶんと明るいのですね」


「建前上はなんといっていても、教会と為政者の関係は切っても切れないものですから…。

 大聖堂にもそういった職務(・・・・・・・)を専門とする司祭がいるほどです」


「エッカルト司祭は普段そういう仕事をされているのですか?」


 ウィルは意外そうエッカルトの顔を見つめた。

 彼の知る聖職者象とこの司祭はあまりにもかけ離れていたからだ。


「いえ、私の専門は…そうですな、建前無しに言わせていただけば魔術です」


「ほぉ?」


「この作法は今回の職務に必要となるであろうとのことで、専門の司祭に教わった一夜漬けですよ」


「アインツィヒ教には専門職の司祭が?」


「はい、1人でできる事には限界がありますし、人間には誰しも得手不得手がございます。

 アインツィヒでは神は僕にいろいろな形の窓を求めておいでです」


 かろうじてウィルにはアインツィヒ教の言う"窓"の意味は知っていた。

 実のところエッカルトには神の窓という自覚は無い。

 彼にとって神の窓は法王ただ1人で、他の聖職者は精々教会の窓に過ぎないと思っているのだ。

 だが教会の窓として彼は自分の職務の責任を理解していた。

 それと同時に教会の外の人間にとっては、教会自体が神の窓であるという事も理解していた。


「では聖捌司祭という役職は?」


「聖捌司祭の仕事は認定です。

 信徒の洗礼、侍祭の認定、そして聖人聖女の認定と公知です。

 私は本来は神跡司祭という魔術を司る役職ですが、今回特別な職務により一時的に聖捌司祭に任じられています」


「そんな事を喋ってしまっていいのですか?」


「知られて困る事ではないですから…たとえ一時的な役職とはいえ、大聖堂から正式に聖捌司祭に任じられているのは確かなのです。

 ですから私のサインは何の問題なく効果を発揮するでしょう…ただ」


「ただ?」


「神跡司祭の専門が魔術という話だけは他言無用でお願いします。

 公然の秘密とはいえ、口に出さぬが肝要ですので…」


「確かに」


 ウィルは薄く笑った。

 教会の言う『神の奇跡』が魔術だという事は魔術師なら誰でも知っている。

 エッカルトもそれを承知で話しているのだ。


「では、もう少し話をお聞きしたいところですが、本題に入りましょう」


「本題とは?」


 ウィルがベルを鳴らすと、給仕が入ってきてテーブルに料理を並べ始めた。

 まるでタイミングを測っていたかのように、出来立ての湯気が立ち上がるご馳走だ。

 西部諸侯の間に最近は『コース料理」という名の、一皿づつ出される料理のスタイルが流行っているが、今回は帝国人のエッカルトに合わせてテーブルの上に並べられるだけ並べる方式をとっている。

 最後に2人それぞれのグラスにワインが注がれると、給仕たちは全員退室して言った。


「あなたの要望の一つですよ、エッカルト聖捌司祭。

 ドラゴン討伐の話を聞きたいのですよね?」 


「はい、それはもちろん!

 しかしなぜこの場で2人きりに?」


「父に…いや家族にドラゴンの話を聞かせたくは無かったので…父も義母(はは)もまだ姉の死から立ち直っているとは言いがたいので」


 それは自分もだがな…とウィルは心の中で自嘲した。


「それは…無神経にあのような申し出をして申し訳ありませんでした」


 エッカルトは本気で申し訳なく思った。

 ウィルから話を聞かなくてはいけないのは確かなのだが、クベール侯爵に対しては気を使うべきではなかったのか?


「いえ、必要な事だったと理解しています。

 教会が集めた資料を提供してくれるとの事ですが、それは姉の聖女認定やヴェンヌに教会を建てる許可とは別に考えてもいいのですか?」


「もちろんです…ただやはり伝承の類を拾い集めただけなので、実体験に比べると資料の価値は低いとは思います」


「それでも、たとえ一行でも一言でも資料は多いに越した事は無い」


 クベール家のこの見識は素直に称賛に価した。

 なぜこの事がウルク教の連中にわからないのか…。

 もうドラゴンが現れないとでも思っているのか?

 確かにあのような強大な魔物が早々現れても困るが、また数十年数百年の先の世に現れないとも限らない。

 その時に資料を残しておく重要性がわからないのか?

 それとも自分の死後の世界などどうでもいいと思っているのか?


「尤もです…その賢明さがウルク教の連中にもあれば…」


「どういう事です?」


「ウルク教にも同じ申し出はしましたが、彼らはドラゴンの資料には興味が無い様で…王都での出来事すら記録にまとめてもいませんでした」


「呆れたな、王が王ならウルク教もウルク教か」


 ドラゴンに関する事後処理に関しては、たとえ敵対勢力とも協力してやっておきたいというのがウィルの考えだった。

 その点に関してはアインツィヒ教との協力に何の問題もない。

 お互いの情報を合わせ、双方で資料を受け継いでいくのがベストだ。


「それで申し訳ないのですが…」


「何か?」


「お話されるならメモを取れる環境が望ましいのですが…」


 ウィルは思わず苦笑した。


「では先に夕食を平らげてしまいましょうか?」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 数日後にエッカルト司祭一行はラピンの港を発った。

 ブラムシュテルンでの仕入れに関して口を利くといういう条件をもって、クベール商会に直通便を用意してもらう事に成功したのだ。

 光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキリエ)には未だ墓は無かったが、彼女の肖像画の前で聖女の聖捌を行い。

 それと同時に各方面に聖女マルグリットの名を(したた)めた書状を飛ばした。

 あとは大聖堂の名簿に名を連ねれば完了である。

 これで彼女はドラゴン退治の英雄として、アインツィヒ教が続く限り語り継がれる事になる。


 ただこの事でおそらく王家とクベール侯家の溝は決定的な事になるだろう。

 王家やウルク教はドラゴンの件を無かったことにしたいと考えているのは明白だ。

 それを大聖堂から近隣諸国にまで衆知され、しかもその時に力を示すどころか足を引っ張る事しかできなかった事実をぶちまけられたのだ。

 いや、これからぶちまけられるのだ。

 外交的にも足元を見られかねない醜聞だ。

 見過ごすことなどできるはずがない。

 もっともそんな事は全て承知で、侯爵はエッカルトの、大聖堂の提案を受け入れた事は間違いない。


 ヴェンヌに教会を建てる件に対しては、侯爵家から一切の援助や便宜を行わないことを条件に認められた。

 クベール侯爵家が便宜を図るというポーズは欲しかったのだが、まあ仕方ない。

 亜人の多いこの土地のために、ここに教会ができる前に亜人排斥の項目から牙人と角人、爪人を削除する準備は、大聖堂で並行して行われているはずだ。

 一刻も早く話を進めるためには、帰ってもまだその作業が終わっていない…などという事が無いように祈るのみだ。


 本当なら教会の準備のために人を残していきたいが、せめて今生き残ったメンバーだけでも連れて帰ってやりたかった。


「では派遣されてくる司祭はエッカルト殿ではないのですね?」


「残念ながら…私には大聖堂での職務が残っていますので…。

 それに派遣されて来る者はおそらく司教でしょう。

 新しい教えの解釈などで、衆知を徹底せねばならないのです。

 おそらくヴェンヌが半島でのアインツィヒ教の中心になるのですから、大司教が派遣されてもおかしくはありますまい」


 エッカルトがヴェンヌに滞在したのは数日であったが、魔術の話や魔物の話などでウィルとはそこそこ話が合った。

 これは司祭が神学の話題を務めて避けていた事も理由の一つだったが、やはりエッカルトは人に好かれやすい人間であったからだろう。

 彼に今回の職務を任せた大聖堂の目は確かだったと言える。



「クベール侯爵子息、一つお願いがあるのですが…」


 出港の前日、魔術談義を交えて夕食を共にしたウィルに向かって、エッカルトは思いつめたように切り出した。


「なんでしょう?

 …おっとアインツィヒ教に便宜を図る事はできませんよ」


「いえ、個人的な事です。

 レオンが、私の弟子がもし…もしヴェンヌにたどり着いたり、どこかで見つかるようなことがあったら、侯爵家に保護をお願いしたいのです」


 ウィルは微笑んだ。

 彼はこの司祭が未だに弟子の生存に一縷(いちる)の望みを抱いていると同時に、彼を大事に思っていることは数日の語らいでわかっていた。


「それはもちろんかまいません。

 彼をブラムシュテルンに送ってやればいいのですか?」


「いえ、侯爵家で保護をお願いしたいのです」


「それは何故です?」


 ウィルの中のエッカルトのイメージは、活動的でまっすぐで、前を向いていう肯定的な姿だった。

 だが今のエッカルトは違った。

 彼は下を向き、絞り出すように言葉を絞り出していた。

 まるで今のウィルの質問には答えたくないようだった。


「彼は、レオン・ケッセルは優秀な魔術師です。

 これは師匠の欲目だけではなく、本当に優れた資質を持っているのです。

 ですから、侯爵家でお預かりいただいて決して損は無いと思います」


「なぜ呼び寄せようとなさらないのですか?」


 司祭はしばらく迷っていたが、やがて意を決したようにウィルの質問に向かい合った。


「帝都は、ブラムシュテルンは実は魔術師にとって非常に危険な土地です。

 レオンのような才能に溢れるが未熟な魔術師にとっては特に…」


 その目には明らかに怯えの色が入り、その名前を口にすること自体が彼に禁忌を冒させるようであった。


眠らぬ者(アーシュラーフ)

 もしこの名前が王国まで聞こえて来たら、注意してください。

 それは、あなたとあなたのご家族の魔術師にとっても危険な存在です」

 

「エッカルト司祭?」


「今はそれしか言えません…王国までその手が伸びることはまあ無いでしょうが、念のため。

 ですから私が直接レオンを守りながらブラムシュテルンの大聖堂に入る事ができないのでしたら、レオンを帝都に近づけさせるわけには行かないのです」


 さらに何か言いたそうなウィルをエッカルトは仕草で制した。


「これは言わば帝国と、大聖堂の魔術師の恥部です。

 これ以上の説明はご容赦ください」


 エッカルトがヴェンヌに、クベール家に残していったのは、そんな不吉な言葉だった。


眠らぬ者(アーシュラーフ)か…」

 

 その時のエッカルトの様子を思い出してか、ウィルはその名前を呟くと同時に体に走った悪寒に身を震わせた。


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