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クロニクル アンド マギグラフィ  作者: 根菜類
第二部・メリヴィエ編
49/68

5教会

 銀貨1枚は日本人の金銭感覚でいうとだいたい5000円ぐらいです。


 ズォルヌを出て以来レオン達の旅は順調だった。

 船長はレ・オルレンヌまで5日といったが、実際は3日もかからなかったのだ。

 当日中に王都への定期船を見つけ、エッカルト司祭とその一行は7日後には王都(ゲランデナ)に着いていた。

 その船旅の間、エッカルトはレオンに付きっ切りで魔術の手ほどきをした。

 その結果、レオンには火と地の二つの属性が宿っていることが判明していた。


「素晴らしい!2属性持ちとは」


 エッカルトは自分の事のように喜んだが、頭の中には帰還した後にレオンに手伝ってもらう予定の実験でいっぱいになっていた。

 火と地なら~の実証を頼めるとか、火と地の親和性のレポートも欲しい…という感じに。

 属性だけでなく、レオンの魔術の才能は大したものだった。

 カンがいいというか、頭の中に魔術回路が生まれつき備わっているというか、とにかくエッカルトが教えた魔術図式(マギグラフ)をすぐに魔術構成(スクリプト)に変換できるようにもなった。

 魔術図式が読めるという事は、書物から構成を読み取れるという事で、先人の残した大量の資料を有効に使えるようになるという事だ。

 レオンの魔術の修行はさらに進む事になる。


 エッカルトはその様子を見てため息をついた。


「私にもレオンぐらいの才能があったらな…」


 そうすればもっと研究を効率よく進める事も出来ただろうし、貴族のパトロンを得る事も出来ただろう。

 だがそんな事を今更言っても仕方が無い。

 嫉妬は神が人間に禁じた罪の一つだ。

 レオンを羨む暇があれば自分には他にやることがあるだろうと、神跡司祭は自分を叱咤した。


 王都に着いたエッカルトはしばし考えた後、レオンを伴ってウルク教の中央教会を訪れた。

 レオンの身柄も心配だが、今後アインツィヒ教の侍祭として職務を行うのに、今日の体験は必ず為になると考えたからだ。


「レオン、決して私の傍を離れないように」


 教会に入るのに、今までよりもはるかに用心するエッカルトにレオンは不思議そうに目を向けた。


「たしかにここは同じ神をあがめる教会ではあるが、私達アインツィヒ教とはまったく違う。

 この教会は神の名を背景に王家を崇めているのだ」


 その言葉はレオンにとってショックだった。

 帝国(シュットルード)で言えば神の名の下に皇帝を崇めるようなもので、アインツィヒ教徒の考えでいけばとんでもなく不敬だ。

 皇帝ですら神の元では一つの人間に過ぎないというのに…。


 ウルク教というのは、ベルン=ラース王国の始祖王であるウルク・ベルンが唯一神の啓示を受けてこの地に王国を打ち立てたという、王家が主張する逸話を基にした宗教である。

 この場合始祖王ウルクを"窓"として神に祈る体裁を取っている。

 真実の歴史としては、ウルクの孫で今に近い王国の形を築いたファビアン・ベルンが、その支配体形を磐石にするためにアインツィヒ教を引き込んだのが始まりである。

 彼らはこの地で形を変え、王家と密着する事でその勢力を独自に伸ばし始めた。

 それはアインツィヒ教の総本山である、ブラムシュテルンの大聖堂から見たら造反以外の何者でもなかったのだ。

 ウルク教がシュットルード帝国の取り成しで、アインツィヒ大聖堂と和解できたのは近年の事で、皇帝はそれをもってベルン王家との間に楔を撃ち込んだ事でよしとした。

 仕方ない事とはいえ、アインツィヒ教の1宗派と認定される事は彼らにとって屈辱だったのかもしれない。


 ところがここ数年、再びウルク教は王家に接近し始めたのである。

 大きく力を落とした王家に擦り寄って、国に対するウルク教の力を強めようとの魂胆だったが。

 それは同時に王家と対立を深める西方諸侯との敵対行動でもあった。

 そしてそれに目をつけたのが大聖堂である。

 この間隙を突いてラース半島西方に基盤を築ければ、さらに版図を広げる橋頭堡(きょうとうほ)になりうる。


 エッカルトの任務はドラゴン騒動の調査と、その西方の基盤づくりの下調べであった。

 そのための秘策になりうる指示も受けている。

 彼が一時的にだが聖捌司祭に任じられているのはそのためだった。


「お待たせしました」


 応接室に入ってきた男の服装を見てエッカルトは眉をひそめた。

 紺の法服に白の飾り線という事は…ウルク教では高司祭のはず。

 総本山である、アインツィヒ教の大聖堂から派遣されてきた自分に相対するには不足ではないか?

 アインツィヒの聖捌司祭なら確かに高司祭と同格と言えるかも知れないが、大聖堂の使者に対して同格の司祭を充てるとは…。


「ブラムシュテルンの大聖堂からいらしたとお聞きしましたが?」


 エッカルトはさらに驚いた。

 まさか挨拶も済んでいないのに用件を切り出すとは、これが田舎宗教のやり方なのかと。

 エッカルトはレオンを促してゆっくり立ち上がった。


「私は大聖堂で聖捌司祭の職を命じられておりますエッカルトと申します。

 これは私の弟子の…レオン、ご挨拶を」


「はい、エッカルト聖捌司祭の下で侍祭として教えを授けていただいているレオンと申します」


 聖職者の正式な挨拶では名前は名乗っても姓は名乗らない。

 これは彼らの家が教会で、生家よりも教会の兄弟達を大事にするという一種のポーズだ。

 もちろんエッカルトもレオンも姓を捨てたわけではない。

 教会の正式な挨拶でないのであれば、貴族であれ聖職者であれフルネームで自己紹介をするだろう。


「…これは失礼しました。

 わたしはこの中央教会で高司祭を務めるロドリゲ・サジェマンと申す者です。

 以後お見知りおきを」


 エッカルトは驚きで目をむいた。

 正式な挨拶で姓を名乗らないのはウルク教でも同じはず。

 つまり相手はこれを正式な挨拶とは思っていない…あるいは正式な挨拶をしたくないという事になる。

 正義作法は知っているものの、状況のわからないレオンが心配そうに顔をむけるが、大丈夫と目で合図して続ける。

 そっちがその気ならこちらにも考えはある。


「さて、では早速ですが用件に入らせていただきましょう。

 その方がそちらもご都合よろしいのでしょう?」


 流石にこれにはロドリゲ高司祭も顔をしかめたが、その方が都合がいいのは確かであった。


「まずは先のドラゴン騒動。

 これには大聖堂も法王様もたいへんお心を痛めております。

 被害状況調べて、場合によっては援助も辞さないとのお考えです」


「そ、それはありがたいのですが…」


「そして、そのドラゴンに対しての詳細情報を求めています。

 もちろん知る限りでいいのですが…我々(・・)の教義を今更思い出すまでも無いでしょう?

 そういった魔に連なるモノは見つけ出したら即刻退治するべきであり、後世の者の為に記録を残すべきです」


 ロドリゲの顔が歪むのを見て、エッカルトは自分の予想が正しいのを確信した。

 ドラゴンに対して一片の力も示せなかったウルク教の権威は失墜していた。

 力を示せないどころか、協力する姿勢すら見せなかったとも報告に上がっている。

 なにより王家べったりなウルク教は、王家の評判が落ちると同時にその影響力をどんどん失っているのだ。

 ドラゴン退治の話は触れて欲しくないところなのだろう。

 だが、だからといって神の教えを蔑ろにされては示しがつかない。

 神の教えというのは聖職者が最低限守らなくてはならない建前で、それを守らないならば自分どころか他の聖職者の権威まで失墜させる。


 そう、たとえ信仰に厚いとは言いがたいエッカルトにしても、聖職者として譲れぬ一線があるのだ。

 それは個人の問題ではなく、教会という組織の問題だった。


「とにかく、教会の集めたドラゴンの資料をご提出いただきたい。

 …本来なら教義の一環としてご提供いただくのが理想ですが、ここに帝国で集めたドラゴンの資料を持参しました。

 これと交換という事でお願いいたします」


「それはそれは…」


 予想通りいい顔はしない。

 教義など、ドラゴンの情報など欲していないのだろう。

 エッカルトは心の中で唾を吐き、その後その考えを神に懺悔した。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 資料をまとめるのに時間がかかるというロドリゲ高司祭の言葉に素直に引き下がったエッカルト司祭だったが、宿に荷物を置いてすぐさまレオンと出かける事にした。

 目的はドラゴンが暴れたという町の一角だった。


「さすがに壊れた木材は撤去されているな」


 ドラゴン襲撃から半年以上経つ。

 ある程度の復旧は行われていたが、石造りの建造物等はそのままだった。


「レオン、このえぐり取られた石柱の傷跡をよく覚えているんだ」


「わかりました…でも何故です?」


 言われるままにレオンは石柱の傷を観察していたが、エッカルトは他の損傷痕を確認しているようだった。


「後で必要になるのさ」


 近隣の住民に聞き込みをした後、二人と従者は宿に戻った。



「みんな、明日ここを立とうと思う」


「えっ、教会の資料を待たないのですか?」


「ああ、向こうにそんなつもりはないだろう。

 それどころか我々を闇討ちするチャンスを狙っているかもしれない」


 一堂にざわめきが走った。


「そこでだ、ハイモに頼んでおいた事は…」


 その従者はエッカルト達が教会を辞してすぐ、別行動で王都近辺の交通事情を調べさせていた者だった。


「はい、やはり西方への船便は国や貴族の許可を得た荷物だけです。

 陸路は街道がありますが…リーヌの手前でかなりきつい検問があるそうで…」


「人口流出対策といったところか。

 だがこんな事しては王都周辺の復興は進まないだろうな」


 ますます帝国の思い通りになっている。

 西方とそれ以外が分断されれば、中央の復興は遅れ、その間にも西方はさらに力をつけるだろう。

 さらに人の往来が途切れたら、向こうの情報も入って来難くなる。


「さて、どういうルートを取るべきかな…?」


 一同でしばし考え込んだあと、従者の一人が口を開いた。


「もし司祭様の言う通り、ウルク教の教会が我々を害そうとするならば、やはり陸路は危険だと思われます。

 我々には土地勘もありませんし…。

 レ・オルレンヌで聞いたのですが、ビビシュヌという港町は西部と交易をしてるそうです。

 そこを当たってみては?」


「ビビシュヌ…たしかグランシャリオ侯爵の領地だったな。

 ミリュール川沿いに港があるという…」


 地図が欲しいところだが、さすがに帝国民であるエッカルトが王国の地図を持っているわけはない。

 地図の所持などもし見つかったら、即スパイ活動として拘束され処罰の対象になってしまう。

 帝国の地図すら大聖堂の書庫で厳重に管理され、持ち出しも写しも禁じられているほどだ。


「よし、では明日にも船を見つけてレ・オルレンヌに向かおう。

 ここで時間をかけるより、先に進んだ方がいいだろうな」


 時間はそれを知る者の味方である。

 ここに留まっていては、内容はどうあれウルク教に余裕を与えることになるだろう。

 油断させておいて…という策も考えないでは無いが、よそ者である自分たちがどれほどこの国で自由に動けるかはあやしい。

 従者は全員ラース人を連れてきたが、自分とレオンは見るからにシュラード人な外見をしているため、非常に目立つのも困ったところだ。


「そこで船なり、陸路なりでビビシュヌに向かう…西方に向かえる目がなかったら」


 そこでエッカルトは言葉を切った。

 この宣言は彼にとってもかなり覚悟のいる事だ。


「私の手紙をもって、諸君だけ大聖堂に帰って貰う事になるだろう」


 唖然とした従者たちは、次第にその意味を読み取っていった。

 司祭様は一人でも職務を遂行するつもりだと、…いや、自分たちを逃がした後でも。


「神から賜った使命はそれだけ重いという事だよ。

 なに、非公式と取られてしまうかもしれないが、一人の方が動きやすいかもしれん。

 諸君たちが帝国に引き上げたことが知れれば、私も動きやすくなるだろうしな」


 未だ短い付き合いだが、レオンはエッカルトが嘘が下手だというのに薄々気が付いていた。

 だって先生は嘘を吐くとき顔が引きつるから。

 初めて会った日の先生は怖かったが、今思えば顔はひきつっていなかった…。


 エッカルト・インメルは自分が嘘が下手だという事に薄々気が付いていた。

 彼は極力嘘を吐かない様に工夫して話すことで、そのハンデを回避していたのだ。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「大聖堂からの使者が消えただと?

 どういうことだロドリゲ!」


 中央教会の一室で、こわもての髭面の男がロドリゲ高司祭を怒鳴っていた。

 高司祭はみじめなほど縮こまって、しどろもどろに言い訳を繰り返していた。


「いや、あの、その、確かに数日後に資料を受け取りに来ると言っていたのですが…それまで王都に滞在するとも」


「フフ…なにか気取られたかな?

 まあ向こうも無能を危険な任務に送り出す様な、愚か者では無かったというところか」


 帽子を被ったまだ若そうな男が中央に座り、二人のやり取りを面白そうに眺めていた。

 ウルク教の法服では帽子を被るのは枢機卿だけと決まっている。

 そうるするとこの男は教会の人事権に絶大な発言力を持つ、5人の枢機卿の一人という事になる。


「しかし枢機卿」


「いや、いい、こちらの手は見せていない。

 彼らがこのまま帝国に逃げ帰るようであれば放置しよう。

 ジルベールの事だ、港と街道は見張っているのだろう?」


「見張っている…というほどではありませんが、門番に金は握らせてあります。

 いまさら出立を止めることはできないでしょうが、そのうち知らせが…」


 ちょうどそのタイミングで、ノックの音が響いた。


「失礼します。

 ギャロア司祭長、使いの者がこれを…」


 帽子の枢機卿は実に楽し気に笑った。


「さすがジルベールだ。

 伊達に代々わが家に使えているわけではないな」


「そりゃあ、枢機卿を務めるバシュレ家ともなれば、見返りも大きいですからね」


 ウルク教の枢機卿は世襲なのだ。

 もちろん制度で決まっているわけではない、だが教会内の人事権は枢機卿達が独占しており、そうなれば当然自分の跡取りは自分の子供と…そういう慣例になるには時間はかからなかった。


「で、彼らは?」


「朝一でレ・オルレンヌ行の船に乗り込んだらしいです。

 こりゃ前日から手配していましたね」


 とても司祭長には見えない髭面の男、ギャロア司祭長は再びロドリゲを睨んだ。


「資料の引き渡しと言って誤魔化すにも、もっと上手い言い方もあっただろうに」


「ペロー司教の派閥に気づかれる前に居なくなってくれたんだから、まあいいさ。

 それよりこのまま帝国に帰ってくれれば助かるのだがな」


 アレクサンドル・バシュレ枢機卿はヴェンヌ製の高いカップに注がれたお茶で喉を潤した。

 この1杯には庶民の年収以上の金がかかっている。


「どうでしょうか?

 あの司祭がどれほどの権限を預かってきているか解りませんからね。

 少人数ですし、本当にドラゴンの調査だけかもしれません」


 ギャロア司祭長はため息を付き、自分の椅子に腰を掛けた。

 この場にはロドリゲ高司祭の椅子は無い。


「あの…」


 そのロドリゲが恐るおそる口を開いた。


「なんだ?」


 この男がこういう場合、だいたいつまらない事を言うのを知ってるギャロア司祭長は、不機嫌を隠そうともせず高司祭を睨んだ。


「あの男なのですが、ただの司祭では無かったです」


「ただモノじゃないのは解っているさ、この判断の速さは俺もちょっと感心してる。

 慣れない土地だというのに行動に無駄がない」


「そういう意味では無くてですね…」


 その瞬間ギャロア司祭長はテーブルを殴りつけた。

 ここは彼の部屋なので、調度品に気を使う必要はない。


「うっとしいな!何か言いたい事あるならさっさと言え!」


「あ、あの男は司祭じゃなくて、聖捌司祭でしたっ」


「ちっ、なんだそんな事か…くだらない訂正を…」


「待て!…ロドリゲ、あのエッカルトという司祭、本当に聖捌司祭だったのか?

 見間違いでなく?」


 一人余裕の表情だったバシュレ枢機卿だったが、聖捌司祭と聞いて顔色を変えた。


「はっ、はい、あの刺繍は間違いなく…それに自分でもそう名乗りました」


「ジルベール!奴らを捕らえろ…この際だ、足がつかなければ殺してもいい!」


「いったいどうされました?!」


 彼は自分の迂闊さと、大聖堂の狡猾さを呪い、その手があったかと呻いた。

 先方がこの申し出を受け入れるかどうかは解らない。

 クベール家は多くの亜人を抱えているため、人間本位の一神教に迎合しようとはしないからだ。

 だがこの場合は話が違う。

 第一もしこの話が纏まったら致命的だ。

 クベール侯家の選択に運命を委ねるわけには行かなかった。


「奴らはこのまま帝国に帰ったりはしない…目的地はヴェンヌだ!」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「この岩あたりがちょうどいいか?」


 王都の中心街から港に向かう道中、適当な大きさの岩を見つけたエッカルトはレオンを呼び止めた。


「レオン、この岩に対して昨日見たドラゴンの爪痕のような損傷を、魔術で再現して欲しいんだ」


「僕が魔術で…ですか?」


「ああ、構成は昨日組んでおいた」


 そういってエッカルトはレオンに1枚の木版を渡した。

 そこにはびっしりと魔術図式が書き込まれていた。


「1回でやろうと気負う必要は無い。

 私が知りたいのは、アレが魔術で再現可能なのか実証してみたいのだよ」


 それとレオンの魔術の能力の確認もかねてだ。


 レオンは数回の失敗のあと、地属性の魔術で巨大な爪跡を岩に付ける事に成功した。


「ご苦労だったな、これで充分だよ」


 エッカルトは懐から布を取り出すと、木炭のようなもので何やら書き留め始めた。

 紙が貴重なのは王国でも帝国でも同じことで、教会の使命を遂行中のエッカルトはある程度自由には使えたが、やはり貴重品なので極力手紙以外には使いたくは無かった。


「先生、魔術で出来るってことは、ドラゴンは本当は居なかったのですか?」


「そうとは言えないな。

 だが街のあの破壊跡がドラゴンの証明になり得ないのは解った」


「先生はドラゴンを信じていないのですか?」


「人を脅かす強大な魔物は神の言葉でも言及されている。

 そいつらがまだこの世界に存在しているのかは解らないが、少なくとも過去には存在していたはずだ」


 敬虔とは言いがたくてもエッカルトは聖職者だ。

 人並みの信仰心や、神の言葉として伝えられてる文書に対する敬意は持ち合わせている。

 そしてその文書にはしっかりと書いてあるのだ、人を襲い血肉や魂を喰らうとされる魔物の数々が…。


「その生き残りが居たとしても、まあ不思議は無いかな」


 筆記用具を懐にしまったエッカルトは、従者を促して先に進んだ。

 時間に余裕はないのだ。


 レ・オルレンヌから王都まで3日半かかったが、王都からレ・オルレンヌまでは2日半ほどで着く。

 単純に川を遡るより下る方が早いというだけの事だが、この1日の差は一行に心情的な余裕を与えた。

 もし追手がかかるのなら同じ条件なのだが、予想よりも行程が早く進んだという事の気持ちに与える影響は大きい。


「司祭様、今日はこの町で1泊しませんか?」


 従者の進言に一行全てが首を縦に振る。

 この街には少ないが帝国からも品物や人が入ってきて、帝国風の宿屋も食堂もある。

 少しでもここに滞在したいという気持ちはわかる。

 だが…。


「いや、少しでも距離を稼いでおきたい。

 向こうが油断しているならよし、もしかしたら今頃私たちを追って川を下っているかもしれないぞ?」


「そんな、出発を告げづに出てきたんですよ?

 どうしてそんなに早く追いかけられるんです?」


「私なら…」


 エッカルトは考えた。

 正直こんな事に頭を使うのは不本意だったが、今はこの頭だけが頼りだ。

 早くこの任務を終わらせて、神学と魔術の事だけを考えて生きていけるようになりたいものだ。

 そう思っていた。


「私なら門番や船番に金を握らせて見張らせるから…かな?」


 エッカルトの誤算は自分の聖捌司祭という肩書に、ロドリゲ高司祭が反応しなかった事だ。

 まさかその背後に、話を聞いただけで危機感を抱く切れ者が居るとは思わなかったのだ。


「ハイモ、乗合馬車の…いや、この際チャーターでもいい。

 馬車の手配を頼む。

 司祭とその一行が先を急いでる…そんな感じの事は言っていい」


 自分たちの格好はアインツィヒ教の法服だが、詳しくないものが見たらウルク教の法服と見分けはつくまい。

 聖職者を騙る事は重罪だろうし、よほどのことがない限り疑われることは無い筈だ。

 精々聖職者であることを利用して先を急ぐしかない。


「かしこまりました…うん、嘘じゃないですね、嘘じゃ」


「いいから早く行きなさい!」


 以前より付き合いのある気心の知れた従者は、よくこんな冗談を言ってエッカルトを困らせていた。


「さて、我々は買い物を済まそう。

 日用品と食料だけでいいぞ、ヴェンヌには驚くほど高品質の製品がそろっているそうだ。

 お金を使うならそこで使う事を勧めておく」


 荷馬車に毛が生えたような粗末な馬車に揺られながら、一行はビビシュヌに向かった。

 御者に口止めはあてにならないが、少なくとも彼がレ・オルレンヌに戻るまではその口から自分たちがビビシュヌに向かった事が漏れる事はないだろう。


「先生、ここからどこに向かうんですか?」


「昨日も言っていたように、王国一の工業都市であるヴェンヌだよ。

 人によっては王都よりも重要な都市だとか、真の都とか呼ぶ」


「そこへ何しに?」


「領主であるクベール侯爵に面会を申し込む…レオンには思うことがあるかもしれないが、光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)の生家だ。

 できれば子息にも会ってドラゴンの事が聞きたい」


 光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)の名前を聞いてレオンの顔が強張る。

 レオンにとってはその名前は父の仇とも思えた。

 ブランマルシュ家に兵士として仕えていたレオンの父は、長男ハーラルトが計画した王国侵攻作戦に参加したのだが、その軍勢は光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)率いるクベール軍に打ち破られる事なった。

 父はその時戦死したと聞かされている。

 義父によれば、本陣の突撃を敢行した光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)率いる騎兵の前になぎ払われたと…。

 恨むのは筋違いだとはわかってる。

 だが肉親への情は理屈ではない、レオンはまだ12歳の少年なのだ。

 割り切れる事ではないだろう。

 いまだ彼にとってクベールの名は忌むべきものだった。


 向こうにしてみれば帝国こそが侵略者で、自分達は降りかかる火の粉を払っただけだろう。

 レオンに迂闊な事を言わ無いように釘を刺しておく必要があるが、エッカルトは迷っていた。

 余計な事を言ってレオンを傷つけるのも本意ではない。

 だがレオンの恨み言を聞きとがめられでもしたら面倒な事にはなるだろう。

 エッカルト自身の心情もレオンに傾いているため、判断に迷うところだった。


「私のためにもレオンのためにも、極力長居はしたくないものだ」


 そして馬車の中を見回して付け加えた。


「みんなの為にもそうか…」



 ウルク教には王家迎合派と西部進出派がいる。

 あのロドリゲという高司祭がどちらの派閥か知らないが、自分のやろうとしていることはどちらの派閥に対しても致命的なダメージを与えかねない。

 つまり現状ウルク教に接触を持つことは憚られる。


 この話はどちらに漏れても困るが、たぶんどちらの派閥に漏れたかでウルク教の出方は代わるだろう。

 西部進出派なら先んじてクベール家に面会しようとするだろうし、王家迎合派ならエッカルトの身柄を押さえに来るだろう。

 手続き上、聖捌司祭さえ押さえればこの計画は止められる。

 逆に言えば、エッカルトさえヴェンヌに到着できればもうウルク教は手も足も出ないのだ。

 ヴェンヌに到着したといってもそれですぐ安全が保障されるわけではないが、すくなくともウルク教から充分な距離を置けるのは確かだろう。


「ビビシュヌから直通の船に乗れると助かるのだが…」


 残念ながら望みは薄かった。

 


「ダメです司祭様、直通する船は乗客を乗せる事は出来ないそうです」


「そこをどうにか頼めなかったのか?」


 シュラード人である自分よりも、ラース人であるハイモの方が不信感を抱かせないと、馬車も船も交渉ごとは全部ハイモに任せきりだった。


「もし露見した場合交通許可を剥奪される…と、言われるとそれ以上強くは…」


 許可証の喪失は船乗りの死活問題だ。

 さすがにそれを言われては強く出る事はできない。


「むぅ、仕方ないか。

 どこか行けるルートはあったか?」


「レンヌを経由してホラノォに向かう船なら我々を乗せてくれるそうです。

 少々ぼられましたが…」


 現在王都の直轄扱いになっているレンヌだが、実状は内乱時のままグランシャリオ軍の支配下にあった。

 その関係でビビシュヌの船はレンヌを中継点として便利に使っていた。

 レンヌのほうも中継点として使われる事で流通が向上し、徐々にだが復興も進んでいる。


「多少ならかまわないさ、費用は大聖堂持ちだ。

 ただ問題はホラノォからのルートだな」


「そこは現地でまた船を捜すしか無い様で…」


「王都から離れると治安が心配になるが仕方ない。

 ホラノォに付いてから次のルートを探そう」


 内乱のとき日和見を決め込んだサノワール侯家は損失らしい損失を出さなかったが、王家と西部の板ばさみとなり微妙に苦しい立場に追いやられていた。

 側室だったサノワール夫人が、正妃であるアルメソルダ婦人の失脚で正妃に繰り上げられたため、早々王家と関係を減らすわけにも行かない。

 だが西方と関係を絶てば流通が死んでしまう。

 スレナード川の河口の都市であるホラノォはリーヌへの海運の要所ではあるが、最近では素通りする船も少なくないのだ。

 サノワール侯爵としても非常に頭の痛い事だろう。


 おそらく侯爵はあと十数年なんとか現状を維持しようと考えている事だろう。

 アンナ・アルジャン・サノワール正妃が身罷(みまか)れれば、後顧(こうこ)の憂い無く西方につける。

 既に王子達に継承の目は無い。

 たとえ第四王子(アーノルド)が継承権を得たとしても、そうなれば今度はいい意味で王家と西方諸侯の間に立てる。

 兄として薄情だとは思うが、侯爵は妹の死を願っていた。

 消極的に…だが。


 ビビシュヌからホラノォまで距離としては2日ほどだが、この船は夜間停泊するのでだいたい4日かかってしまう。

 海岸線に物資を下ろしながらいく為だが、このロスはかなりエッカルトにとって痛かった。

 しかし。

 

「この船しか…」


「無かったです」


 ハイモに言葉の機先を封じられ、エッカルトは黙るしかなかった。


「というか、他の船はだいたいレ・オルレンヌに寄るそうなので、それは避けたほうがいいのですよね?」


「ああ、確かにな…」


 もし追っ手がかかってたらと仮定すると、レ・オルレンヌで鉢合わせする可能性は高い。

 まさかビビシュヌからの船まで確認はしないだろうが、用心に越した事はないのだ。


「逆に急いでる我々がこんなローカル船に乗っているとは向こうも思わないのでは?」


「そうだといいのだが…」


 この船の旅は、船旅になれた一行にとっても快適とは言いがたかった。

 甲板も船室も、中型船としても清潔とはとてもいいがたく、船長は不機嫌で船員は愛想悪かった。

 荷物扱いされるならともかく、露骨に邪魔者扱いされる。

 これでも同質量の貨物の数倍の運賃を払っているのだが、そんな事は関係ないというばかりに細かい嫌がらせが続いた。


「司祭様にこんな…あいつらばちが当たるぞ!」


「私は法皇様と違って神の"窓"というわけでもないし、ばちは当たらんよ。

 それより自らの行いを省みるべき…と、神のお言葉にもある」


 アインツィヒ教は信徒の行動を厳しく律している。

 祈りや信仰心は重要だが、人々の行いこそが世界を守り、そして救うという考えだ。

 特に厳しい戒律がしかれているのは聖職者達だが…司祭として位が上がるほど、戒律に忠実な者は減っていく事をエッカルトは知っている。

 かくいうエッカルトもそれほど戒律に忠実とは言いがたい。

 公序良俗(こうじょりょうぞく)に反した事は忌避するが、自分に厳しくしている自信はないのだ。

 だいたい、魔術の研究のために聖職者をやっているようなところがある。

 人の事を避難できる立場ではないと自分では思っていた。


「ふー、やっとホラノォだ。

 これでやっとうっとおしい坊主どもとおさらばできるや」


 聞こえよがしに近くで叫ばれる独り言も、港に到着する合図だと思えば腹も立たない。

 だが。


「すまんな、司祭様がた」


 もともと生真面目な性格ゆえ、船長のこの要求は腹が立った。


「最初に1人銀貨9枚と言ってたが、あんたら予想以上に邪魔だったんだ。

 これは追加で銀貨もう6枚ずつ頂かんとあかんわ」


「かまわないが…本当にいいのか?」


「どういう意味だ?」


「最初に契約した金額をとっておいて、積荷を人質に追加の運賃を要求するような悪行が広まったら、仕事が無くなるのではないかと心配しているのだが?」


 最初に銀貨15枚を要求されたら、おそらくしぶしぶだが払っていただろう。

 だがこの相手の足元を見るやり方は我慢できなかった。


「いつワシがそんな事をした!」


「たった今、まさに…だな」


「てめぇっ!」


 船長は腰の小刀をあっさりと抜いた。

 剣の心得のないエッカルトには、それが戦いなれているのか、脅しなれているだけなのかの判別は出来ない。

 だがどっちでも同じ事だ。

 ここで引いたら身包み剥がされるのがオチだろう。


「なあ船長…この船、いや船という船はみな火気厳禁だな、その理由を知っているかい?」


「てめぇみたいな丘の青二才に言われる事か!」


「なら…」


 エッカルトは準備をしていた構成を解き放った。

 見た目だけは派手な炎の渦が船の上空に巻き上がり、花火のように弾けて消えた。


「船に火がついたらどうなるか、自分の船で試して見る気はあるかい?」


 怒りか威嚇か、真っ赤になっていた船長の顔は紫を経て青くなった。


「ま、魔術師だなんて聞いてないぞ!」


「やめて欲しいな、これは魔術ではなく奇跡だよ。

 神が私という窓を通してそのお力の一片を示されただけだ。

 さて、どうするべきか?

 死後裁かれる前に予習として、地獄の業火を体験してみるかい?」


 甲板で船員に包囲された聖捌司祭一行は、包囲されたまま港に到着し、包囲されたまま下船した。

 エッカルトは司祭らしく最後まで虚勢を崩すなかったが、一行は生きた心地がしなかった。 


「銀貨なんてくれてやれば良かったじゃないですか!

 どうせ王国銀貨なんて持ち帰っても使い道はないんですよ?」


「金額の話じゃないんだよ。

 ともあれすまんな、頭に血が上った」


 レオンは師の意外な一面を見て目を輝かせていた。

 年頃の男の子らしく、レオンも不条理が嫌いだった。

 先生は脅しに屈せず暴力を叩きのめしたと、彼の目には写ったのだ。

 もともとエッカルトの真っ直ぐな一面に触れ態度を軟化させてたレオンだったが、この出来事からエッカルトを見る目に尊敬と憧れが加わったのだ。


この話だけ見ると、腐ったウルク教と清廉なアインツィヒ教という対比に見えますが、全くそんな事はありません。

エッカルト司祭個人がいい人なだけです。


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