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クロニクル アンド マギグラフィ  作者: 根菜類
第二部・メリヴィエ編
48/68

4海魔

 船内は騒然となった。

 アイシャのダイブの理由を聞いたオルソンが慌てて船内を探し始めたからだ。


「いったい何の騒ぎだ?」


「隊長…実は…」


 その報告にはさすがのクロードも肝を冷やした。


「それは本当か?!」


「アイシャがあんな無茶をして船に取り付こうとしたのは、メリヴィエ様を見たからだと…」


 この時クロードの脳裏にシルスの語った氷の下りが思い出された。

 もしメリヴィエが姉に匹敵する魔術師(マギクラフター)ならば…。


「何という事だ。

 何という失態だ!」


 もはやここから引き返すことはできない。

 浅いミリュス湾を横断中に迂闊に航路を外れたら、どこで座礁するかわからないのだ。

 ここまで来てはもうレ・オルレンヌしか寄港地が残っていないが、リッシュオール公家のお膝元にクベールの姫を置いていくなど決してできない事だった。

 レ・オルレンヌに寄港することすらできれば避けたいほどなのに…。


「こうするといい」


 いつのまにかアイシャがスープの入っている鍋を両手で抱え、甲板に上がっていた。


「メリヴィエさま!もうこの船が引き返すのは不可能!

 安心して出てきてー!」


 だが彼女の声はむなしく海の真ん中に響き渡った。

 アイシャはしばらく考えた後、こう言い直してもう一度叫んだ。


「メリーさま!もうこの船が引き返すのは不可能!

 安心して出てきてー!」


 はためくマストの陰から、まるで干してあるシーツをめくるように小さな手が伸びるのを、その場の全員が信じられないものを見るような顔で見つめていた。

 おそらく光と闇の魔術を駆使して迷彩を施していたのだろうが、そんな事が可能とは常識的に考えられ無かったのだ。

 規格外な高等な魔術を何度も目撃してきたクロードやオルソン、アイシャですらも、まさかそんな場所にメリーが隠れているとは夢にも思わなかった。

 これは自分たちに見つけるのは不可能だったと、そういう考えはちょっとだけ救いになった。


 ふわりと甲板に降り立ったメリーは黒い普段着に大きなカバンを抱えていた。

 船に密航しようと思うなら当然食料とか持ち込むことになるだろう。

 だがこの程度のカバンでは大した量の荷物は入るまい。

 それが証拠にアイシャの前に降り立ったメリーは、アイシャに負けないほどの大きな音で、そのお腹は空腹を主張したのだ。


 姿をあらわしたメリーはアイシャの抱えるスープ入りの鍋を見つめて、いたずらが見つかった時のように照れくさそうに笑った。

 アイシャはその顔を見て、初めて似ていると思った。

 姉妹でありながら、顔つきは全然違うのに…。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 レ・オルレンヌで簡単な補給を済ませた船は、そこから一日の距離にある王国南端の海峡に海の魔獣(クラーケン)が出現すると言われていた。

 実際リノア辺境伯の手勢はそれを見たという。

 毒々しい紫色の触手が何本も海の中から伸び、船体を締め付けながら海に引き込んでいったと。

 クラーケンの事が書いてあった本には色などの詳しい記述は無かったそうで、メリーはもう待ちきれないといった感じで甲板をうろうろ歩き回っていた。

 一時的にメリーの侍女に任命されたアイシャが後ろをついて回る。


「このまま行くと現場を通過できるのは夜になってしまいますので、今夜は途中の安全そうな場所を見つけて一泊します」


 完全にメリーへの解説役に回されたシルスがそう説明する。

 この船の乗組員の中では一番の若手だが、それでもアイシャよりは年上である。

 年齢だけではなく、異種族である角人(ヴル)ゆえに人間の少女に不埒な考えを持たないだろうという配慮もあった。


 航路からわずかに外れた海岸の沖に錨を下した船は、船首と船尾に明かりを灯ししばしの休息に入った。


「この船って名前はなんというのかしら?」


「まだ正式な進水式を経てませんからね、怪物退治が終わればクベール商会に引き渡されるので。

 その時に会頭が付けると思いますよ」


 クベール商会の会頭ドローリンはメリーの叔父だ。

 何回か会った事はあるが、幼い娘と会話が合わないのか、挨拶程度しか言葉を交わした記憶はない。

 ただ彼の息子のジャンリュックは姉とも仲が良く、よく王都のお土産を持って顔を出しに来てくれていた。

 姉と常に一緒だったメリーはよくおこぼれに預かったものだ。


「今もこの船の水夫は商会の人間ですよ、兵士は領軍ですが」


「まあ、じゃああなたも?」


 そう聞かれたシルスは答えた。

 答えなれた質問だと思ったからだ。


「はい、やはり珍しいですか?」


「ええ、角人はみんな職人さんかと…」


 実際男で職人の道を選ばない角人は1割もいない。

 女も半数は家庭に入るが、半数は職人を目指したりする。

 おかげで角人の人口が中々増えないと、むかし父が嘆いていた事をメリーは思い出した。


「商人になるなんて珍しいわね」


 シルスはその言葉にしばし唖然とした。

 みな口をそろえて角人が船乗りになるなどと…とは言ったが、商人になるとかそういう話は聞いたことがなかったのだ。

 だが言われてみればそうである。

 かれはクベール商会に就職しているのだから、商人と呼ばれてもおかしくはない。


「船乗りになりたかったんですよ…」


 角人の表情は牙人以上に人間には解りにくい。

 メリーにはシルスがはにかんでいるなど解らなかったが、彼の言いたいことはわかった。


「まあ、それで…あなたにぴったりのお仕事ね」


 メリーからすればアイシャを救ってくれた彼の泳ぎっぷりを見ての評価なのだが、シルスはそうは取らなかった。

 水夫である角人を正面から認められたのは初めてだったのだ。

 もちろん船長や水夫長は彼を認めていた。

 だが初対面のお嬢さんにそんな事を言われるとは思っていなかった。

 シルスが人間だったらおそらく顔を真っ赤にしていただろう。

 だが幸い角人の顔は細かい毛におおわれていて、顔色はパッと見解らなかった。



 停船の準備が整い、数名の見張りを残して各々が部屋で急速に入ろうとした時、メリーとアイシャノ部屋に来客があった。

 本来のこの部屋の主であるクロード討伐隊隊長だ。


「メリヴィエ様、お話があります」


 クロードは努めて厳しい顔をつくり、メリーに対峙した。


「メリヴィエ様がこの船に密航した理由はなんとなく予想はつきます…が、残念ながら怪物討伐に参加していただくわけにはまいりません」


 クロードにしても、姉に匹敵するであろうメリーの魔術の能力は喉から手が出るほど欲しかったが、だからといって密航してきた主家の令嬢を戦闘に参加させるわけにはいかない。

 もし何かあったら…という事もあったが、このような横紙破りな方法で軍務に割り込まれるのは軍人として受け入れがたい事だった。


「メリヴィエ様は正規の手続きを踏んで従軍されたのではないので、民間人扱いとなります。

 民間人が軍務に参加することは許されません…少なくとも、クベール軍では」


 これは半分以上方便であるが、おそらくメリーがしたがっている事である"姉の真似"に対する牽制効果は充分にあった。

 彼女の姉はこういう時上手く立ち回って、いつの間にか正規の手続きを用意していたりする。

 それが本人のこだわりだったのか、騎士たちに対しての敬意だったのかは今となってはもうわからない。

 メリーは口をへの字に曲げクロードを睨み付けたが、ついにその口から反論の言葉は出てこなかった。


 後ろの方でその様子を見ながら、アイシャは肩の力を抜いた。

 アイシャにしてもメリーに戦闘に参加されてはたまったものでは無い。

 かっての主人が戦闘に参加するときでさえアイシャは夜も眠れなかったというのに、さらに8歳下のメリーだと傍らにいても心臓が破裂しそうになるだろう。

 かっての主人の初陣が、今のメリーと同じ8歳だったとしても…だ。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 その日は不気味な曇り空だった。


「こんな気分を出すような演出はいらないのにな」


 オルソンの呟きは、長い事侯爵令嬢と行動を共にしていたゆえの独特の軽口だろう。

 彼女を知る者には、その彼女のセリフが簡単に想像できた。


「気を付けてください。

 そろそろ例の海域です」


 王国の南側に突き出たシゴーニャ半島の南西側には、半島から連なるように群島が伸びている。

 この海域は海底の起伏が激しく、難所として名高かかった。

 もっとも安全な航路が確立して久しく、船乗りたちが早々緊張するような場所ではなくなっていた。

 精々この場に多い漁船との衝突を気を付ける程度に。

 だが1月ちょっと前からここに住み着いた謎の怪物によってその海域の条件は一変した。

 今ではもう商船どころか漁船すらこの海域には近寄らない。

 ズォルヌからレ・オルレンヌに抜けるためには、この海域を通るか、群島を大きく迂回して外海にでるしかなく。

 外海を安定して航行する技術を持たないこの時代の船には辛いものがあった。

 実際海上封鎖をさけて外海からレ・オルレンヌに向かった船の半分以上は消息を絶っている。


「昼間なら海面に写った船影を目当てに襲ってくるのだろうけど、夜とかどうするんだろう?」


 夜間を推してこの海域を突破しようとした船もいたらしいが、やはりその後の足取りは不明になっている。

 怪物に襲われたと断定するには早計かもしれないが、そう考えるのが自然だろう。


「イカ釣りの漁師は、船上で篝火をたいてイカをおびき寄せるそうよ」


「えっ、船の上で火を?!」


 船乗りであるシルスにはとんでもない事だった。

 いまはまだ船上で火を使うのはご法度の時代。

 この船には魔術師が乗船してくれているから温かい食事も食べれるが、普通の航海では保存食を安酒で流し込むぐらいの食事しかない。

 金属で覆った厨房を搭載している船もあるが、そんな船はは上級貴族ぐらいしか乗る事は適わない。


 そのため、漁船とはいえ船上で火をたくという事に酷く驚いてしまった。


「衝突防止のカンテラ目指してなのかな?

 俺が言うのもなんだけど、あんな小さな光…」



 当たり前だが、メリーは船室に押し込められていた。

 そのメリーを守るように、船室の入り口にはアイシャとシルスが立つ。

 メリーは背伸びして外をのぞき込もうとするが、アイシャのブロックを突破できないでいた。


 不気味に静まり返った海域を、微風を帆に受けゆっくりと船は進む。


「もしこのまま何事もなく突破したら、それはそれで困るな」


 クロードが唸るが、傍らの船長は眉間にしわを寄せたまま答えた。

 彼は昨日までには無い剣呑な空気を纏っていた。


「そんな心配は必要ないです、ヤツは必ず来ますよ」


「どうしてそう思う?」


 偶々か、二人の会話が聞こえていたのか、その問いに答えたのはメリーの傍らで彼女を守っていたシルスだった。


「ここは静かすぎる…海鳥すら見えない。

 こんな海は異常だ」


 不意に左舷前方の海が盛り上がる。

 だが緊張を走らせる一行をあざ笑うかのように、海面を盛り上げた大きな泡は派手な音を出して波間に消えていった。

 これを見て緊張を緩ませたのはクベール領軍の兵士たちで、逆に真っ青になって辺りを見回したのが水夫たちだった。


「何かいる!」


 その時一本の巨大な触手が海から飛び出し、船の脇腹に絡みついた。

 それは話に聞いた、毒々しいまでの紫色の滑りを帯びた、大木のような1本だった


「こいつかっ」


 オルソンが触手に槍を突き立てるが、白いかすり傷を一筋つけただけで、出血すら起こらない。


「硬い?!」


 サメの歯すらも受け付けないクラーケンの皮膚は、人の鍛えた刃物程度ではびくともしなかった。

 硬さもさることながら、軟体生物特有の弾力が刃をはじき返した。


従軍(ゲール)魔術師(マギクラフター)なにしてる!攻撃を…」


「ダメです!船に取り付かれれてる状態では、船にまで損傷を与えてしまいます!」


 海上で船に損傷を与えるなどというバカな行いは出来ない。

 特に魔術は強力だ。

 クラーケンを足を吹き飛ばしたものの、船を沈めたとなれば割に合わない事はなはだしい。

 しかも同じ理由でバリスタを撃ち込むこともできない。


「なるほど、これはリノア領軍が手も足も出なかった理由も頷けるな」


「感心してる場合じゃないですよ!」


 まるでオルソンの叫びに合わせるように、水中から第2第3の触手が飛び出し船に絡みつく。

 このままでは船体をねじ切られ、この船は海の藻屑と消えるだろう。


 まさしくそのタイミングを狙っていたかのように、一条の雷光が一番新しい3本目の触手を撃った。

 反射的に硬直した触手は、船体をつかみ損ねて海の中に消えていった。

 これはウィルの、クベール家当主筋の得意とする雷の魔術。

 それを目撃した者は反射的に雷光の主を探してしまった。


「きゃぁっ?!」


 そこに4本目の触手が現れ、船室の表で混乱していたアイシャをその先端で巻き取り、宙に抱え上げた。

 クラーケンが船を襲うのは餌を取るためだろう。

 最初はクジラなどと間違って襲っていたのだろうが、何回か船を襲ううちに学習したとしても不思議ではない。

 この海面を行く大きな箱には、食べではない小さなエサがいっぱい入っていると。

 その味が気に入ったのか、1体1体は小さくてもこの数を食べれば充分と思ったのか、彼は人の味を覚えていたのだ。


 触手は捕まえた獲物を弱らせるかのようにそのまま数回振ると、するすると海中へ…沈めなかった。

 青い火花を散らす雷光の刃が閃き、その触手を切断しアイシャはからくも甲板に落下した。

 船室を飛び出した黒い影は、雷光を反射する金色の目で周囲を見回すと、未熟な構成が放つ余剰魔力の火花に照らし出された。


 左手でスカートを抑え、右手に銀の短剣を携えたメリヴィエの姿がそこにはあった。 

 彼女は姉譲りの魔術の高速発動を駆使し、風の属性で自分の体を覆っていく。

 風の魔術を展開しふわりと甲板から舞い上がったメリーは、右手に携えた雷刃を掲げ2発目の雷光を触手に向かて打ち出した。

 その手に持つ魔道具は、かって第三王子(ボルタノ)がウィルから取り上げたもので、今は予備として屋敷にしまわれているはずの武器だった。

 もちろん1本はウィルが常に身に着けている。

 綿密な魔術構成(スクリプト)によって導かれた高精度の雷光は、船体を傷つける事なしに触手だけを焼きそして抉った。


雷神(フーダー)だ…」


 シルスも角人だ。

 それなりの信仰心は持っているし、主家の血筋が雷を操る事も知っている。

 だがこうして目の前に凄まじいほどの雷光の閃きを見せられれば、聞き知った知識以上の衝撃と感動を呼びおこした。

 聞くと見るのでは大違いだった。


 ヴォォォォ


 海底から浮き上がってくるような低いうなり声は、まさしくクラーケンの悲鳴なのだろうか?


「逃がしたら厄介なことになるぞ!

 バリスタを構えろ!」


 しかしクラーケンの本体は未だ海の下だ。

 1本目の触手が船を離し海に消えようとした時、メリーが放ったのは意外な魔術だった。

 海面に消えようとした触手の周囲の海水が一気に凍り付いたのである。


「今だ!あの触手から離れろ!距離を取れ!」


 咄嗟に指示を出したクロードはは流石歴戦の騎士だと言えた。

 メリーはゆっくり距離を取る船の船尾に舞い降りると、触手の根元付近に次々氷の矢を撃ち込んでいった。

 一発の氷の矢が海面に消えるたびに、大きな氷の塊が水中から浮かび上がる。

 氷の矢は必ずしも触手に命中はしていないようだが、何発かはその体に突き刺ささり、凍った海水と一緒にその体を海面に持ち上げていった。

 これが船のようにしっかりとして浮力を持ったものなら、クラーケンの怪力で引きちぎれたり破壊されたりしただろう。

 だが氷なら引っ張れば海中に沈むのだ。

 だが力を抜けばまた浮かぶ。

 そうこうしている間にも次々撃ち込まれる氷の矢は、徐々に海底に張り付くクラーケンを引き剥がしていった。


「白い…甲羅?」


 浮き上がったクラーケンの頭を最初に見た者は、みんな同じ感想を抱いた。

 蛸や烏賊のような軟体な体を予想していたのに、浮上してきたのは貝のようなつるりとした白い硬質の球体だった。

 あんな生物は見たことがない。

 もしここにメリーの姉が居たら、『蛸や烏賊と文献に書いてあったのに、なんでオウムガイ?!』…と叫んだ事だろう。

 触手は間違いなく蛸や烏賊のそれであるため、ただ大きいオウムガイとは言えない。

 習性も海底に張り付くなど、とてもオウムガイの行動とは思えないものだ。

 ようは巨大なキメラの様な物なのだろう。


「氷をさけて本体を…触手の根元あたりを狙え!

 バリスタ用意!」


 クロードの号令一下。

 船の左右に備えられたバリスタが船尾の方を向く。


「撃てっ!」


 バリスタは本来攻城兵器だ。

 石造りの建物には効果は薄いが、標的が木造ならば易々とその防御を撃ち抜く事が出来る。

 クラーケンの甲羅がどれほどの硬度かはわからないが、甲羅の無い部分になら十分効果があるはずだ。

 なによりバリスタの射撃は、突き刺すより衝撃で破壊する方に比重が置かれている。

 あの甲羅が石や鉄よりも厚く硬くなければ、破壊することも十分期待できる。

 まあその分バリスタに使用される総金属製の矢は、かなり高額になってしまっているのだが…。


 だがその高価な矢は錬度の高い兵の技量により、揺れる船上であってもクラーケンに命中した。

 クラーケンは青い血をまき散らせながら暴れたが、その体を縛る大量の氷に抗いきれなかった。

 だいいち体を海面に運ばれた時点で、その体力は底を尽き掛けていたのだ。


「第2射用意!」


 バリスタの欠点は連射が利かないことと、持ち運びに手間がかかる事だ。

 船に据え付けることで後者は解消されているが、大人二人がかりで必死に巻き上げても次の発射まで数分かかってしまう。

 だがメリーはそこまでクラーケンを休ませる事はしなかった。


 海上の標的には雷撃は効きにくい。

 特に今は氷に包まれているため、容易に電気を散らせてしまうだろう。

 ならば…。


 メリーは光の力場で作り出したカタパルトに、光の矢をつがえた。

 そして目の前にレンズのような形の氷を形成すると、その氷を貫通するように光の矢を放った。

 氷のレンズで収束されたその矢は、細い錐のような形をにその姿を変ええると、あまりにもたやすくクラーケンの中心部を貫いた。


 ヴォォォォ


 クラーケンは悲鳴とともに、バリスタの矢に貫かれた時よりも派手に青い血を噴き上げ、その巨体を痙攣させた。

 なおも水中へ逃れようと暴れるその巨体に数回バリスタの矢と従軍魔術師の攻撃魔術を叩き込まれると、徐々にその動きが鈍くなり。

 やがて動かなくなった。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「これをズォルヌまで曳航するのは骨だな…」


 鉤付きロープを何本か用意していた船員が、氷漬けのクラーケンの死骸を振り返り呟いた。


「メリヴィエ様、あの氷はどれほど持ちます?」


 クロードから魔術の氷は長く持たないと言われていたシルスは、怪物の様子が気にかかるようだ。

 生きたまま凍らせたのでは無い事は解っているが、氷が解けたらまた動き出すのではないかと心配なようだ。


「急速に魔術で作った氷だから、あまりは…。

 必要ならこれから海水を凍結させて作りますわ」


 そう言うとメリーはまだ余裕のありそうな様子で、魔術構成を展開していった。


「あの…あまり氷が大きくても曳航するのたいへんになるので、その辺で…」



「それにしても派手にやられたな」


 たった2本の触手に絡まれただけで、船体はボロボロの姿になっていた。


「幸い竜骨に損傷はないようですので、航海に支障はありません。

 しかし新品を下げ渡してもらえるつもりになってる、ぼんはいい顔しないでしょうね」


 クロードは商会の跡取りでもあり、現当主の甥でもあるある青年の顔を思い出した。

 荒事は苦手らしく軍務には一切絡んでこないが、商才は確かなものがあるらしい。


「とりあえず怪物の死骸を近くの浜まで曳航しよう。

 その後ズォルヌに向かおうと思うのだが?」


「はい、まあズォルヌに到着するのは夕方になっちまうとは思いますがね、行程に問題はないと思います」


 幸い作業は滞りなく進んだ。

 浜に引き上げるのにはさすがに骨が折れたが、なだらかでちょうどいい傾斜の砂浜を見つけたおかげでそれほど時間はかからなかった。

 一行は船長の見立て通り、その日の夕方にはズォルヌに入港する事ができたのだった。



「さてメリヴィエ様、無断で戦闘に参加した罰を受けるのと、我々を代表してリノア辺境伯に挨拶をするの…。

 どちらかお選びください」


 オルソンのいい笑顔に、メリーはなぜここまで戦闘参加を咎められなかったかを悟った。

 充分な活躍をしたし、これはなあなあで見て見ぬふりをしてもらえると思っていたが、甘かった。


「ちなみに後者を選んでいただければ、隊長が侯爵様に口添えをしてくださるそうです。

 前者を選んだ場合、領軍式のお説教のあと黙ってウィルレイン様に引き渡します」


 究極の選択だった。

 ひきこもり生活が許されていたメリーは、貴族の習慣や挨拶が苦手だった。

 しかしだからと言って何の口添えもなく実家に戻されたらどんな目に合う事か…。


「わかりました。

 クベール家を代表して辺境伯様にご挨拶をします」


「そう言っていただけると思いました」


 オルソンの笑顔は実に腹立たしかった。


「あとアイシャには悪いが、メリヴィエ様の侍女として振る舞ってほしい。

 さすがに侍女の一人も連れずに貴族令嬢が…というわけには行かないからな」


 今度はアイシャが落ち込む番だった。

 自分が屋敷で下働きになったのは、侍女の仕事が務まらなかったからだ。

 屋敷にいる間はいいのだが、他所の貴族と面会する場合などに彼女の立ち回りは大きなマイナスになる。

 とはいっても、ここにいるクベール家の人間で女性はメリーと自分のみ。

 自分以外にメリーの侍女をできるものは居ない。

 アイシャは半べそで頷いたのだった。



「やっと陸の上で眠れる…」


 それが偽りのないアイシャの感想だったのだが…。


「…!」


 アイシャは妙にソワソワしているメリーの様子に気づいた。

 どこか泰然としているメリーは、クラーケンと対峙した時でさえこんな様子は見せなかったのに。


「メリヴィエ様どうされました?」


「感じるの…」


 その瞳は壁の向こうにあるはずのズィルヌの街を見ていた。

 正確にはその街の中にある一つの魔力の気配に。


「感じる?何をですか?」


「運命」


 ただの予感だったが、なんとなく彼女は確信していた。

 あそこに自分の運命がある事を。


 火と大地のにおい、鉄の魔力を放つ稀有な存在が彼女の運命を切り開くのか、重い扉のように閉ざすかはまだわからない。

 ただメリーはその魔力の波動に強く惹かれた。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 クロードが入港後、停泊の手続きや怪物討伐の報告をしている間に、メリーは船から抜け出した。

 別に約束を破ろうとかそういうつもりではなく、ベストのタイミングの夕日を見に出たのだった。


 メリーは夕日が好きだった。

 何故と聞かれても答えられないが、赤い太陽が世界を真っ赤に染めながら山の向こうや水平線に消えるのは、身震いするほど美しいと感じるのだった。

 一人桟橋の先端に立つと、ちょうど夕日が丘と海の間に滑り落ちようとしている時だった。

 まるで世界を濃密な魔力が染め上げるような錯覚を起こし、メリーは落ちる夕日に見入っていた。


「お嬢様!1人で出歩くのはダメ!」


 そんなアイシャを現実に引き戻したのは、叫びながらこちらに駆けてくるアイシャの声だった。

 ちゃんと侍女らしくしようという気持ちの表れなのか、メリーの事をお嬢様などと呼んでいた。


「あらアイシャ、見てあの夕日。

 あなたの瞳みたいでとっても綺麗よ」


 振り向いたメリーの目に一人の少年の姿が止まった。

 彼に見覚えは全くなかったが、彼が纏う魔力の気配には覚えがあった。


「あら?…そう、あなたが…」


「お嬢様?」


 不審そうにメリーの顔をのぞき込むアイシャを無視しながら、メリーはその少年に問いかけた。


「そこのあなた、名前はなんていうの?」


 ラース語で声をかけた後、やはりアルト語で話しかけるべきかと迷ったが、アイシャの手前もう一度だけラース語で話し換えようと彼の瞳を見つめなおした。


「わたしの名前は…」


「お嬢様、貴族が自分から自己紹介をしたらダメ」


 自分の名前を呼んでおいてそれは無いだろうと思ったが、当のアイシャがいっぱいいっぱいなのを見て、少し意地悪をしてやろうと思った。


「あら、アイシャはお姉さまについてたときはそんなに口うるさくは無かったと思うのだけど?」


「お姉さまは私に注意されるような事は…」


 礼儀作法や勉強面ではそうだったが、自分から危険に突入していく事へは何度言ったか思い出せない。

 むしろ礼儀作法はフラウと二人がかりで煩く言われてたほどだ。


「それに、それよ。

 なんでお姉さまは愛称で呼ぶのに、私はお嬢様なの?

 おかしいわよね?」


 アイシャにとって姉は特別だ。

 だが姉と同じになりたがるメリーにとってはそれは面白くない。

 やはり自分も姉と同じように呼んで欲しいのだ。


「む~~~」


「はいそれまでですよメリヴィエ様、そろそろ辺境伯の屋敷に挨拶に行かないと…お姉様はそういった所はちゃんとしていましたよ?」


 いつの間にか現れたオルソンが、アイシャの後ろに立って助け舟を出した。


「オルソンそれ本当?また都合のいい事言っているのではなくて?」


「心外ですな。

 私はお姉様と2回も戦地へご同行させていただいた身ですよ?

 確かに無茶ばかりされていましたが、やりたくないからと言って港に逃げ出すとかはされた事はありませんでした」


「む~~~」


 今度はメリーが唸る番だった。

 別に約束を破ろうと抜け出したわけじゃない、ただ夕日が見たかったのだ。

 それともしかしたら会えるかと期待はした。

 向こうから来てくれるとは思いもしなかったが。


「しかたない、じゃあまたね」


 自分に向かって手を振る少女に、レオンはおずおずと答えた。

 未だその視線は彼女の金色の瞳に釘付けだった。


「またといっても、僕は、僕達は近いうちにここを出るんだ。

 だから…」


「大丈夫よ、絶対また会えるわ…それも近いうちにね」


 根拠があるのか解らないが、自信に溢れた彼女の言葉はなんとなく響く説得力があった。


「ねね、最後に名前だけ教えて」


「レオン…レオン・ケッセル」


「そう!よろしくね、レオン。

 私は…今はまだ周りがうるさいからただのメリーでいいかしら?」


「うん」


「じゃあまた会いましょうレオン」


 レオンは感じていた。

 メリーを取り巻く濃密な魔力の流れを。

 それはあまりにも危険な、魔術師を魅了する小さなつむじ風だった。


クラーケンにとっ捕まるキャラ最初は一般船員にしようと思ってたんですよ…アイシャにこれ以上のウカツをさせるのもどうかと。

でもね、やっぱここは女の子が捕まるのがお約束じゃないですか…だからね…。


ぶっきら口調迂闊猫耳メイドとか盛りすぎだろ。

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