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クロニクル アンド マギグラフィ  作者: 根菜類
第二部・メリヴィエ編
46/68

2邂逅

「レオンが捕まっただと?!」


 知らせを受けたジキスムントは狼狽を隠せなかった。

 これで今までの苦労が台無しだ!…そう思った直後に自分の考えを恥じた。

 今はレオンの身を心配するべきではないのか?


 それがジキスムントの人間臭いいいところでもあり、ブランマルシュ家を跡継ぎとして頼りないところでもある。

 だいたいハーラルトがあんな失態を犯さなければ彼が上級伯爵家の跡取りだったのだ。

 ジキスムントは縁戚として僅かな援助を受けながら慎ましく暮らす予定だっだ。

 本来なら今でも帝都で学者をやってる。

 止むを得ない事情とはいえ、帝都に置き去りにせざるを得なかった弟子や学生は今でも心残りだ。

 そんな気持ちがレオンをかわいがる方に心を動かすのかもしれない。


「で、辺境伯の方からはなんと?」


「それが…ジキスムント様にお会いしたいそうです。

 それもブランマルシェ家との会談として正式に」


「なんだと!」


 レオンが何か無礼を働いたとしたなら、ドルスドバッグ辺境伯のこの対応はありえない。


「もしや…レオンは直訴に赴いたのではありませんか?」


 レオンの気質だとありえないわけではない。

 だが辺境伯の機嫌を損ねかねない事を考えると、そんな浅慮な行動を取るとも思えなかった。


「とにかくだ、すぐにお伺いすると辺境伯にお伝えしてくれ。

 急ぎ支度するぞ!」


 喜ばしい流れになってきたのだが、ジキスムントにはどうしても嫌な予感が拭えないでいた。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「お待ちください、ドルスドバッグ辺境伯様」


 自分を見つけたその男は言った。


「その子を…私に預けてはいただけませんか?」


 その笑顔は決して慈愛に満ちたものでは無かったが、悪意にまみれた物でもなかった。

 その目から、思いもよらないご馳走を目の目にした時の屋敷の猫の顔がなぜか思い起こされ、レオンは身震いした。


「どういうおつもりですか?インメル司祭様。

 司祭様自らコレの処罰をつけるという事なら…」


「いえ、そんなつもりはまったくございません。

 だいたい私が彼を見つけたのは、こっそり屋敷に忍び込んだいたずらっ子を叱るためではないのですよ」


 エッカルトはまず辺境伯の怒りを静める事から始めるべきだと思った。

 あまりの才能の気配に興奮して、自ら彼を見つけてしまったのは失敗だった。

 無礼者を、歓待すべき客人が発見したという事が彼の面子を潰したのは明白で、それがいたずらっ子を司祭が見咎めたにスライドさせれば辺境伯の怒りも軽くなるだろう。


「大聖堂でもよく近所のいたずらっ子が庭でかくれんぼしているのを見つけては、優しく叱って神の教えを説いたものです。

 それに…これは神が私に彼を引き合わせていただく事に、必要な事だと思いますよ」


「神が…ですと!」


「ええ、神が…私の弟子をこうして目の前に連れてきてくださりました。

 これはこの場を開いてくださった…この屋敷の持ち主であるドルスドバッグ辺境伯様のおかげでもあります。

 いっしょに神のお言葉について話し合われたブレヒト司祭の徳のなせることかと。

 あなた方は今日神の使途として、神が軌跡をおこされるお手伝いをされたのです」


「いったいなにを仰っているのかよく解りませんが?」


「彼には、その子には、神の軌跡の"窓"になる才能があります」


 窓はアインツィヒ教にとって非常に重要な役割を持つとされると同時に、象徴でもある言葉だった。

 神は唯一無二、だからその言葉や力を地上の…同時に多くの場所に、人に届けるのが『窓』である。

 教会の最高指導者法王はその地位に付く時には今までの名前を捨て、窓を意味するアルト語の名前を名乗る。

 それだけ窓という言葉は強い意味を持った。

 教会の魔術師(マギクラフター)である神跡司祭のその力は一般的には、神がその司祭を通して行われる奇跡といわれる。


「なんと!それは穏当ですか?」


「はい、かくいう私も大聖堂では、神跡司祭のお仕事をさせて頂いた時がございます」


 頂いた事があるどころかそれが本職なのだが、さすがに今それをカミングアウトするわけには行かない。

 かといって神跡司祭でもないのにこの子を弟子として接収するのも無理のある話だ。

 2人の顔が尊敬に染まるのを見ると、言ってしまったことに若干の後悔を感じたが、ここでこの子を見逃すのは今回の仕事を果たせないよりも大きな損失だとエッカルトは判断していた。

 自分にとっても、教会にとっても…だ。


 ベルン=ラース王国でもそうだが、シュットルード帝国でも魔術師の才能は貴族にこそ多い。

 だからこそ平民で、しかも在野の魔術師は非常に貴重だ。

 しかもこれだけの才能を持ってかつ、充分に魔術師の修行を始めるのに間に合う年齢ならなおの事。


「どなたか彼がどこの子か、ご存知な方はいらっしゃいませんか?」


 まずは彼を合法的に連れ去る算段をしなくてはならない。

 そのためには身元の確認が重要だ。

 みたところ身なりは悪くない。

 商人の子か、貴族ではないにしても従卒の子か?


「ブランマルシュ上級伯爵家の一行に居たのを見た事があります」


 幸い身元はすぐ割れた。

 辺境伯の従卒の中に、彼を目撃したものが居たのだ。

 だが同時に問題点も現れた。

 既に貴族が目を付けて囲っていたとは…。


「ブランマルシュ上級伯爵?なぜ伯爵家のものがザンヴォーリンに?」


「いえ実は先のブランマルシュが勝手に王国に戦争を仕掛けた事件で…」


「ああ、辺境伯様は巻き添えで随分苦労なさったと聞きます。

 もしやその件で上級伯爵がなにか?」


「再び勝手に侵攻などをされても困りますので、ブランマルシェ家に対してザンヴォーリンの通行制限を言い渡して降りまして、その解除を求めて嫡子のジキスムント殿が何回も当家を…」


「素晴らしい!」


「は?」


「辺境伯様、あなたの事を素晴らしいといったのですよ。

 私は貴族の政治の駆け引きは門外漢ですが、あなたがそうやって彼ら一行をこちらに引きとめてくれていた事で、私は彼を見つけることができました。

 これを神の思し召しといわずになんと言いましょうか?」


「おお…」


 レオンは雲行きがおかしな方向へ進んでいるのを自覚せざるを得なかった。

 どうやらこの司祭は自分の事を『窓」と呼んでるようだが…。

 レオンの知識では、アインツィヒ教が窓を神聖なものとして重要視している事ぐらいしか知らない。

 その多くはステンドグラスや聖画(イコン)の図式として祈りを捧げる象徴となる。

 特に両開きの窓の図案は人気があり、ブランマルュシュの屋敷にも祈りを捧げる用の聖窓が据え付けられたりもする。

 だがそれが本来、宗教的には人を指す言葉だとは知らなかった。


「ふむ、では君の名前はなんと言うのだね?」


 人好きのする笑顔とはとても言いがたい顔で、その司祭はレオンに問いかけた。


「ほれ!早く答えぬか!」


 苛立たしげに急かす辺境伯を制し、エッカルトは勤めて優しく語りかけた。


「君や君の主人にとってもこれはそう悪い話では無い。

 なにせ神の思し召しでの出会いだ…私は全て丸く治めたいのだよ。

 君が私の言うことを聞いてくれるのなら、私は君の主人の願いを叶える様に尽力する事を誓おう」


「司祭様!」


「辺境伯様、ならびにブレヒト司祭。

 教会のためと、どうかご理解いただきたい。

 ブレヒト司祭におきましては、教会が新たな神跡司祭を迎え入れるということがどういうことかご存じでしょう。

 辺境伯様につきましては、ご協力いただけるのなら大聖堂に対してご功績を一筆書かせていただきたいと思っているのですが?」


 辺境伯が息を呑む。

 ここで言う一筆書かせていただくというのは、自分の権限の範囲内ではあるが、辺境伯の希望や望みを大聖堂に奏上するという事だ。


「もちろん私の口で直接法皇様にご報告できるのが一番なのですが…残念ながらこれから遠方まで出張の身。

 手紙の方が早かろうという判断です」


 エッカルトは良く回る自分の舌に感心していた。

 もしかして自分は思っている以上に口が上手いのかもしれない。

 司祭長はそれを理解して自分を今度の任務に向かわせたのだろうか?

 任務自体には今でも気は進まないが、この子を弟子として最終的に大聖堂につれて帰れるのなら話は別だ。


 優秀な弟子というのは神跡司祭にとってかけがえの無い財産になる。

 彼を育て上げればそれだけで名声に繋がるし、弟子の魔力や属性によっては本来自分の手が回らない研究や実験まで行える。

 特にエッカルトは優秀な弟子に手伝って欲しい研究のネタが山ほどあった。

 成果を出せば教会内での名声は上がるが…研究者肌のエッカルトにしてみれば名声など二の次で研究を進めたい。

 降って沸いた…いや神から与えられたこの幸運を、絶対に無駄にするわけには行かないと考えていた。

 そのためには自分の評価を削ってでも辺境伯にこの件聞き入れてもらう必要があった。

 権力で無理やり連れて行っても、彼が自分に協力してくれないようでは意味が無い。

 円満に…恩を売って連れて行けば、そうそう歯向かわないのが人間と言うものだ。

 だからこそ辺境伯が作ってくれたこの状況は都合がいい。


「いいかい私は君と取引をしたいのだよ。

 もちろん教会の権威で君を強引に連れて行くことも出来るが…それではお互い不幸になるだけだ。

 だから私は君と取引したい。

 君と君の主人と、辺境伯様と、私全員に損がない提案があるのだ」


 声に必死さが出ないように精一杯の自制心を働かせる。

 普段の職務でもこんなに慎重に事を運ぶような事は無いだろう。 


「もちろん君をこのままブランマルシェ家の方と会わせないまま引き離すような真似はしない。

 私の話を理解したらどうか名前を教えてくれないだろうか?」


「レオン…レオン・ケッセル」


 エッカルトの言葉に納得したというよりは、観念しての言葉だった。

 もとより名前など秘する意味はない。

 現状に戸惑って言葉が出ないだけだったのを、回りが勝手に黙秘と勘違いしただけの事。


「よし、ではレオン。

 私が君と君の主人にしたい提案を説明させてもらおうか」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「つまり交通規制解除の条件は、レオンを差し出せとおっしゃるのか?」


 辺境伯邸に通され、簡単な説明を受けたジキスムントは憤りを隠せなかった。


「差し出せとは人聞きが悪いですな?

 彼のためにも教会に預けられるべきだと進言したまでですが」


 話にならない!

 ジキスムントはこの司祭の身勝手さに納得できないが、教会に面と向かって反抗もできない。

 それを見越してこの男は断りにくい条件を出しているのだ。


「ブランマルシュ上級伯爵子息、これは司祭様の慈悲だと何故わからんのか?

 本来なら貴殿の従卒を罪に問わねばならぬところを、インメル司祭様がとりなしてくださったのだぞ?

 それを拒否するというのなら、本来の処分を行わねばならぬのだが…」


 つまりはこの話を受けなければ通行制限の解除どころかレオンの身の安全も保障できない、と辺境伯は言っている。

 レオンの何を気に入ったのか知らないが、ここまでありえないほどの好条件を示すのはかえっておかしい。

 もしや事故か何かで既にレオンを害してしまったのではあるまいな?


「レオン本人と話をさせていただけませんか?」


「我々の同席でならば…」


 レオンの意思を確認するのが第一だと思ったジキスムントだが、彼の従卒たちは違う考えを持っていた。

 レオン1人差し出せば全部丸く収まる…と。


「それでもかまいません」


「ジキスムント様!」


 ブランマルシュ家に先代から仕えている執事は、今が好機とばかりにジキスムントに詰め寄った。 


「なんだ?」


「これは降って沸いたチャンスですよ」


「貴様!」


 ジキスムントに配下を犠牲にするという思考はなかった。

 それが彼の美徳であり、同時に貴族としての弱点であると執事は知っている。

 だからこそ、主人の怒りを買ってでも自分が推し進める事だと気負ってもいた。


「よくお考えください…我々がこんなにザンヴォーリンの通行許可を求める理由を!

 帝国の西回り航路から外れてる我らヴェストシュタットは、西側からの食料の輸入もままならぬ有様。

 ここで通行許可をいただいて初めて領地復興に着手できるのですよ?」


 ブランマルシュ家の抱えるヴェストシュタットは西の帝都とも呼ばれ、周辺都市を含めて膨大な人口を誇る。

 農地もかなりの面積を持つが、領内の人口を養うには充分とは言えず。

 内陸の商業都市はその商業路を維持できずに崩壊しつつあった。

 もちろんジキスムントもそんな事はわかってる…わかってるからこそ何度も辺境伯に頭を下げにきているのだ。


「レオンがどれほどあなたを思ってるかは我々も知っています。

 ですからどうかレオンの気持ちを無駄にするような事はおやめください」


「!」


 レオンが犠牲になるなど彼の希望的な予想に過ぎない。

 だがジキスムントはレオンの性格ならそうすると思える節があった。

 戦災孤児であるレオンを助けて引き取ったのは自分ではない。

 だが戦争の負傷がもとで戦えなくなったレオンの里親を、自己満足と承知で屋敷に勤めさせたのはジキスムントだった。

 レオンは歳に似合わず義理堅い。

 養父とジキスムントのために身を売ることすら考えたとて不思議は無かった。

 それに本当はわかっているのだ。

 司祭の言ってることはレオンにとって決して悪い話では無いという事を。

 ただ自分がレオンを手放したくないという事を。



 手続きなどで1日出港が遅れることになったが、エッカルトは無事弟子を手に入れてザンヴォーリンを後にした。

 ブレヒト司祭には推薦状、辺境伯には彼の教会への貢献を記した感謝状を残し。

 そしてブランマルシュ一行は通行規制解除を貰って帰路についた。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「擬似とはいえ、聖捌司祭という立場はありがたいな」


 レオンに聖捌を施し、自分付きの侍祭と任命した旨を書状で大聖堂に送り、師弟は船上の人となった。


「いいかいレオン」


 エッカルトはこの弟子といい関係を築きたいと考えていた。


「君が将来にどのような展望を抱いているか、何を目的として考えているかは私は知らない。

 だがそれがどのような物であろうとも、司祭になるという事は決して遠回りにはなりえない」


 もちろん例外もあるのだが、庶民の出であるレオンに対しては決して間違っていない事ではあった。


「特に君…いや、お前は神跡司祭までの出世は約束されているといっていい。

 最初は慣れない立場で苦労するかもしれないが、いずれ聖職者として独り立ちする日が来ればヴェストシュタットへ司祭として派遣される事も望めるかもしれないぞ?」


 これは希望的予測に過ぎない。

 神跡司祭やその候補は大聖堂で研究や特務にまわされるのがほとんどだ。

 ただ教会の権威の強化のために、それなりの規模の街には神の奇跡を媒介できる司祭…まあ魔術師の事だが…を少数常駐させる事も有る。

 レオンほどの才能があればまずそんな事にはならないが…。


「司祭様、その前にお聞きしたいのですが…」


「なんだね?」


「なぜ僕なのですか?」


 レオンには何故この司祭が自分に執着してるのかが解らなかった。

 まだ幼いレオンの目から見ても、自分を手に入れるためにかなりの危ない橋を渡ったであろう事は見て取れた。


「それはだな」


 エッカルトは一瞬の逡巡の後に答えた。


「お前が魔術の、魔術師の才能を持っているからだ…それも非常に強力な」


 内緒話をするように、そっと伝えたエッカルトの顔には喜色が浮かんでいた。

 まるで自分の事のように嬉しがっているのは確かだ。

 実際、優秀な弟子を手に入れて彼は喜びを隠しきれていなかった。


「お前がかくれんぼで私に負けた理由がそれだよ…お前が放つ未熟な魔術の気配が、私をお前に導いたのだ。

 まさしく神が私をお導きになったように…だ」


 残念ながらレオンは敬虔な信者とは言いがたかったから、神のこの行いを迷惑だと感じた。

 だがそのおかげでブランマルシュ家…ジキスムントは少しだが救われたのだし、なんとなくこの師匠も嫌いにはなれなかった。

 彼は状況を利用して立ち回ったが、それで誰かを不幸にはしなかったからである。

 そして彼は自分に対して信仰を強要するような事も言わなかった。

 彼が自分に勧めたのは聖職者としての立場を利用する生き方だった。

 これはエッカルト自身、あるいみ教会を利用しているからであって、無意識に自分の生き方をレオンに提示してみただけなのだったが。

 信仰心の薄いレオンにはそれが好ましく感じた。


「それでだな、早速魔術をお前に教えて行きたいところなのだが…教会の方針として、最低限聖職者としての職務が行えるようになるまでは、ソレを教えるのを禁じられているのだ。

 だから私としてはお前には一刻も早く侍祭としての職務を覚えて欲しい。

 幸い半月ほど他にやる事も無いわけだし、その間にみっちりしごかせてもらうよ?」


 エッカルトは一刻も早くレオンに魔術の手ほどきをし彼の才能を詳しく測りたかったのだが、誰も見てないからといって教会の規則を破らないだけの良識は持っていた。

 そういう生真面目なところも彼が評価され、今回の任務を振られる理由であったからだ。


「ところで読み書きはどの程度できる?」


 自分がだいたい読み書きできる言語と文字を説明すると、たちまちエッカルトは歓喜に震えた。


「なんと!素晴らしい!

 聖職者としても魔術師としても読み書きは必須だ!

 ああ、確かにお前のような者を手放すのは損失だろう。

 ブランマルシェ伯爵子息の気持ちがわかったよ」


 エッカルトはジキスムントからレオンを取り上げてしまったことに軽い罪悪感を覚えた。

 だが今更遅いし、そうでなくともレオンを手放す気にはなれない。


「まだお前に魔術は教える事はできんが、ラース古文字を理解しているとしてないでは魔術に対する理解の早さがまるで違うのだ。

 表意文字という概念は一般の人間にはなかなか理解できんらしくてな。

 魔術の構成(スクリプト)は意味有る図式を想定して組み上げる。

 ラース古文字で言葉を紡ぐようにな」



 ベルン=ラース王国のズォルヌに着くまでの半月間、エッカルトは自分の研究も忘れてレオンにみっちり侍祭としての態度と職務を叩き込んだ。

 レオンが聡明だった事もあり、王国に入るころには侍祭として年齢以外は申し分なく見えるほどになっていた。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「司祭様…いや司祭様方、明日ズォルヌに到着しますが、船から出ないようにお願いします」


「どういう事だ船長?

 ズォルヌから王国入りするのではなかったのか?」


「ズォルヌから王国ですが、ここで荷物の積み下ろしはほとんどありません。

 交易はこの先のレ・オルレンヌという街でやってます。

 まあズォルヌは関所みたいなもんです。

 だから勝手に下船すると咎められるんでさぁ」


「では我々はどうしたら?」


「そのレ・オルレンヌからゲランデナまで船は出てるんで、そこまでは面倒見させていただきます。

 ただその先は外国籍の船は行かせてくれんのですよ」


「レ・オルレンヌにも教会はあるのだろうか?」


 帝国では交易都市などの大きな街に教会がない等ありえない事であるが、王国もそうなのかは自信がなかった。


「ウルク教の教会ならあるはずです。

 ただ王国内にはアインツィヒ教の教会はありません…まああっしが知らないだけかもしれませんが、表向きにはそうなってます」


 帝国民…アインツィヒ教徒にとっては、ウルク教などしょせん田舎分派に過ぎないという認識だった。

 もちろん船長も例外ではなく、心底興味なさそうにウルク教をそう語った。


「わかったよ。

 で、レ・オルレンヌまでどのくらいかかるかな?」


「ズォルヌを出てからだいたい5日ぐらいですかね?天候にもよりますが」


 あと5日も船に揺られるのはウンザリだったが、陸路を行けば倍もかかると聞いては大人しく船に乗っているしかない。

 せめて寄港地のズォルヌで地面に降り立ちたかったのだが…。



「見てください先生!

 船が港に入りきらないほどいっぱい!」


 船旅が初めてのレオンは海上から見る港町の姿に始終興奮していた。

 庶民の出にしては旅なれている方ではあるレオンも、数日も船に揺られるのは初めてで、さらに帝国の外に出たのも当然初めてだった。

 利発そうに見えても、こういうところは都市相応だなと、エッカルトは笑いながら見ていたのだが…。


「妙ですな?

 幾らなんでもあんなに船があるはずないんですが…」


 船長の言葉に嫌な予感を覚えずにはいられなかった。


「足止めされてるのか?」


「解りませんが…その可能性は高そうです。

 …場合によっては司祭様方はここで降りたほうが早いかも知れません」


「船から降りない方がよかったのではなかったかい?」


「下船されると調査が長引くんですよ。

 降りた者も詳しく身元調査されますし…ですがここで足止めくらうよりはマシかと」


「事情を確認してからでは遅いかね?」


「確認してからでも問題は無いでしょう。

 ですがその事も視野に入れといてください…最悪ウチらはここで引き返さないとならないかもしれません」


 エッカルトは途方にくれていた。

 ここで下船しても信用の置ける道案内を確保できるか自信はなかった。

 盗賊に奪われて困るのは命と弟子だけで、金目のものはたいして持っていなかったが、そんな事を賊が察してくれるとは思えない。

 特に王国内は先の内乱で治安が荒れているとも聞く。

 王都にたどり着くまで出来るだけ危険な橋は渡りたくない。


「とりあえず入港してからか…」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



「怪物が出るだって?」


 てっきり先の内乱で追われている連中の逃亡を防ぐためだとあたりを付けていたエッカルトは、あまりに予想外の話に思わず大きな声を上げてしまった。


「ええ、こっからレ・オルレンヌに向かう航路に海峡があるんですが、そこで巨大な蛸のような怪物が現れて船を海に引きずり込むという…」


 報告してる船長すらこんな与太話は信じていない。

 だがしかし…。


「海賊か座礁か、そんなところのいい訳か見間違いではないのかい?」


「そう思うんですが、ここ数週間で消息を絶った船は十数隻では聞かないそうで」


 苦笑いを浮かべた船長は、聞いてきた事を説明はじめた。


「こっからレ・オルレンヌは通行料の多い開けた航路で、時化でもないとまず座礁とか無いんですわ。

 海賊にしてもこんなに立て続けに船を襲えるほど力の有る連中、がミリュス湾にいるとはまず考えられませんで…。

 それに」


「それに?」


「海賊とあたりを付けた軍船がくだんの海峡を巡視していたところ…3隻中1隻がまさに僚船の目の前で…」


 バカな…と言いかけてエッカルトは言葉を飲み込んだ。

 まさにそんなバカな事を調べに王国までやってきたのではなかったか?

 それにドラゴンよりも海の怪物の方がまだありえそうな気もした。


「それで、いつまでここに足止めになるんだい?


「危険が取り除かれるまで…だそうです。

 ぶっちゃけ何時になるかわかりませんな。

 その…怪物退治を依頼したそうなのですが、先方が引き受けてくれるかあやしいと」


「先方?」


「ええ、怪物退治の経験がある強力な魔術師がいるそうで…たしかクベール侯家のご子息だそうで…」


「それは…」


 エッカルトもドラゴン退治の概要は簡単にだが耳にしていた。

 かの光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリア)が命をとしてドラゴンと相打ちして後、王家が、いや国王がかの家に対した行った事は帝国民の自分としても理解に苦しむ酷い事だった。

 裏切り者と言い切ってしまってもいいスタード親子を無罪放免とし、アルバート・スタードをこの度の功績(・・・・・・)をもって国家騎士団の騎士団長に任じたのだった。

 これには異論があったのは当のスタード家以外全てで、王家に対して猛烈な講義が寄せられたが、ラーリ二世は聞く耳を持たなかった。

 多くの貴族が王宮勤めを辞め、ただでさえ人手不足で回っていないこの国の運営が傾いても、王のその意思は変わらなかったのだ。

 もちろんこの局面で一番被害を被ったのは宰相であったが、彼は息子にも見捨てられ。

 出陣前にクベール侯爵令嬢が予言したとおりになってしまった。

 つまり辞める事もできず責任を取り続ける事に…彼は今回も国王を諌めきる事が出来なかったのだ。


「クベール家の者が王国のために動くとは思えんな…」


「司祭様どうしますんで?」


「2、3日様子を見よう。

 何の進展も無ければ諦めて陸路を行くしかないだろうな」


「そうですなぁ、わし等にしてもこれは懐の痛いことになってしまいますからな」


 エッカルトは苦笑しながらもこう返すしかなかった。


「そうなったら私の報告書を教会に届けてもらわないとならないね」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 レオンとエッカルトは無為に時間を過ごしたわけではなかったが、やはり何の進展も無いまま3日が過ぎた。


「やれやれ、いいかげん諦め時か…」


 レオンに初歩の魔力操作を教えながら、エッカルトはつぶやいた。

 やはりレオンの魔術の才能は凄まじく、いったん魔力の流れを知覚するとあっという間に構成組み立ての真似事までできるようになっていた。

 エッカルトも教会に拾われ、師匠に当たる神跡司祭から初めて魔術を並んだが、自分と比べてもレオンの飲み込みのよさは圧倒的だった。

 同期や先輩、後輩にもこれほどの才能はいない。

 エッカルトは僅かな嫉妬と共に、自分の弟子の優秀さを非常に誇らしく感じていた。


「先生」


 窓から海を眺めていた師匠(エッカルト)に向かい、不意に真顔になってレオンが言った。


「何か来ます…凄いのが…」


 それは魔力に当てられたトランス常態であるかのように、潤んだ瞳に魔力の波が浮かんでいた。


「何か?」


 ちょうどそのタイミングで、窓から見える港の貴族用の桟橋らしきところに、1隻の商船が入港したところだった。

 その帆船は『岩を割る雷』の紋章を掲げ、ボロボロの船体で静かに港に滑り込んできた。

挿絵(By みてみん)


「あの紋章は?」


 流石にエッカルトに紋章学の知識はあまりない。

 帝国貴族の紋章なら多少は解るが、王国の貴族の紋章までは覚えていなかった。


 だから。


 それが今回彼の目的地への最短コースであった事や、よけいなトラブルを避けてさっさと目的を果たして帝国に変えるための最善の方法だという事は。

 やはり神ならぬいち神跡司祭には知りようの無い事であった。


「司祭様!」


「船長、そう慌てなくてもこれから手紙を書くから…」


「いえ、航路の安全が確保できたとして、近々通行許可が降りるそうです」


「なんだって?」


「まず本当に怪物が退治されたか確認して、それから優先度を考慮して就航させてくれるそうなのですが…。

 地元の教会に一筆書いていただければ、ウチらの出港も多少は早くなるかと」


「退治された?本当かい?」


「ええ、なんでもクベール家が怪物退治の部隊を派遣してくれたそうで、さっき各船にそうお達しがありました」


「わかった…レオン、私は教会に行って来るから、気分転換でもしていなさい。

 迷子にはならないように」


 エッカルトはレオンをウルク教の教会に連れて行きたくなかった。

 まさか横紙破りはされないと思うが、異境の別宗派という事で、大聖堂の威光を恐れずに優秀な魔術師を奪おうとしないとも限らないと判断したからだ。

 突然の報告でレオンの様子がおかしい事は吹っ飛んでしまっていたのだ。


 慌てて出かける師匠と船長を見送ると、レオンは何かに誘われるように港に向かった。

 実際年頃の男の子であるレオンは、空いた時間など船を見て過ごしていたので、従者達は特に違和感を感じなかった。

 何かを探すように桟橋をうろつくレオンの前を、小柄な…といってもレオンと同じくらいの少女が駆け抜けていった。

 レオンが目を引かれたのは、彼女がラース半島や帝国では非常に珍しい爪人(シャズ)の、さらに珍しい人間とのハーフだったからだ。

 赤い瞳は帝国でも不吉の証だったが、ダークグレーの髪とのコントラストが不思議な美しさをかもし出していた。 


「お嬢様!1人で出歩くのはダメ!」


 彼女の駆け寄る先には、1人の少女がやや赤く染まる東の海を眺めていた。


「あらアイシャ、見てあの夕日。

 あなたの瞳みたいでとっても綺麗よ」


 振り返ったその少女の金色の瞳がまるで自分の胸を射抜いたようで、レオンはその場に立ち尽くした。


「あら?…そう、あなたが…」


「お嬢様?」


「そこのあなた、名前はなんていうの?」


 彼女が自分に話しかけてると、レオンが気づくまで数秒を要した。


「わたしの名前は…」


「お嬢様、貴族が自分から自己紹介をしたらダメ」


「あら、アイシャはお姉さまについてたときはそんなに口うるさくは無かったと思うのだけど?」


「マリー様は私に注意されるような事は…」


 礼儀作法や勉強面ではそうだったが、自分から危険に突入していく事へは何度言ったか思い出せない。


「それに、それよ。

 なんでお姉さまは愛称で呼ぶのに、私はお嬢様なの?

 おかしいわよね?」


 アイシャにとってマリーは特別だ。

 だが姉と同じになりたがるメリーにとってはそれは面白くない。

 やはり自分も姉と同じように呼んで欲しいのだ。


「む~~~」


「はいそれまでですよメリヴィエ様、そろそろ辺境伯の屋敷に挨拶に行かないと…マルグリット様はそういった所はちゃんとしていましたよ?」


 どこからか現れた一人の男性が、いつのまにか猫耳娘(ハーフシャズ)の後ろに立って助け舟を出した。


「オルソンそれ本当?また都合のいい事言っているのではなくて?」


「心外ですな。

 私はマルグリット様と2回も戦地へご同行させていただいた身ですよ?

 確かに無茶ばかりされていましたが、やりたくないからと言って港に逃げ出すとかはされた事はありませんでした」


「む~~~」


 今度はメリーが唸る番だった。


「しかたない、じゃあまたね」


 自分に向かって手を振る少女に、レオンはおずおずと答えた。

 未だその視線は彼女の金色の瞳に釘付けだった。


「またといっても、僕は、僕達は近いうちにここを出るんだ。

 だから…」


「大丈夫よ、絶対また会えるわ…それも近いうちにね」


 根拠があるのか解らないが、自信に溢れた彼女の言葉はなんとなく響く説得力があった。


「ねね、最後に名前だけ教えて」


「レオン…レオン・ケッセル」


「そう!よろしくね、レオン。

 私は…今はまだ周りがうるさいからただのメリーでいいかしら?」


「うん」


「じゃあまた会いましょうレオン」


 レオンは感じていた。

 彼女を取り巻く濃密な魔力の流れを。

 それはあまりにも危険な、魔術師を魅了する小さなつむじ風だった。


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