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クロニクル アンド マギグラフィ  作者: 根菜類
第二部・メリヴィエ編
45/68

1帝国(地図掲載)

エタらない事だけを目標に頑張ります。

「偉大なるアルジヌア三世陛下におきましては、ご健壮の事なにより。

 今回はご拝謁の栄光を賜り、恐悦至極にございます」


 帝都ブラムシュテルンの中央に鎮座する帝宮『冬の離宮』にて、極秘に会談が行われていた。

 極秘…というにはあまりにも広い謁見の間で、宝石を彫って作られた文字通りの玉座に座るのは、壮年を少し過ぎてなお強烈なオーラを見に宿すシュットルード皇帝アルジヌア・カルナリアス三世その人だった。


「挨拶はよい、アスペルマイヤー男爵(・・)

 余が聞きたいのはベルン=ラースでの工作の首尾だけだ」


 ユルゲン・アスペルマイヤー准男爵は皇帝のその言葉を受け、喜びが隠し切れない様子だった。

 大変な任務であったが、皇帝陛下はちゃんとその苦労に報いてくれたのだ。

 これからは男爵をしめすラーグをミドルネームとして名乗る事が出来る。

 准男爵など帝国では偽者の貴族と陰口を叩かれる程度の木っ端爵位だったが、これで初めて胸をはって貴族を名乗れる…ラース人であるこの私がだ!


「は、失礼いたしました…簡潔に言いますとクーデターは失敗いたしました」


「なんだと?!」


 皇帝の眉間にシワがよる。

 彼は成功の報を先んじて受けていて、それを持ってアスペルマイヤーを男爵に昇爵させると貴族院に指示したのだ。


「お待ちください。

 クーデターは失敗いたしましたが、そのおかげで帝国にとってはるかに良い結果に終わりました」


「詳しく聞こうか…」


 落ち着き払っている男爵の様子に、皇帝は少しばかり満足感を覚えていた。

 この豪胆さを、厚顔さを見込んでこの任務を彼に任せたのだ。

 その自分の見る目に結果がついて来たことが、わずかな達成感を彼に感じさせていた。


「陛下のご下知の通り資金を持ってかの王国に潜伏し、反乱の意思を持つ貴族に接触し融資を持ちかけました。

 いやこの男が意外と有能で、公爵やその親族である王妃まで巻き込んで挙兵をし、10万の軍勢で王都を包囲したのですが…」


「10万でゲランデナを包囲か…その局面で負ける絵が見えぬが?

 仲間割れでも起したのか?」


「それが…東進してきた西部貴族の連合軍3万、後に援軍が合流して最終的に5万程度は動員されたでしょうか?

 それに次々と各個撃破されていき、反乱軍はその数が3万を切った辺りで瓦解しました」


 皇帝は開いた口が塞がらなかった。

 平野での会戦で半分ほどの軍勢に負けるとか考えられなかったのだ。

 しかも男爵は控えめな数字を示していた。

 実際はもっと酷かった事の調べはついているのだが、流石にそれを言ったら嘘くさすぎるからだ。


「バカな!…西部貴族連合だと?…まさか?」


「はい、総大将こそリオンロア侯爵だったようですが、かの光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)が従軍していたのは間違いありません。

 真っ先に王都入りを果たして民衆を慰撫していたのは彼女でした」


 アスペルマイヤーは当時王国に潜伏していて、王都に物資を運び込む為に入場してきたマリーを目撃していた。


「正直、おいそれと信じられんな…だがそれで何故はるかに良い結果になったのだ?」


「この内乱はかなりの激戦で、王都周辺が受けた被害は甚大なものでした。

 土地も人員も、今後国境線の維持に困難を与えるほど疲弊しています。

 しかも大勢の貴族が参加した反乱軍側が負けてしまったので、とんでもない数の粛清をこなさねばならなく、国の運営にすら人欠く有様です」


 ここまで一気に喋った男爵は、まるで自分を落ち着けるように一息をつけ。


「あの国の要となる諸侯を半数近くも失ったわけで、今後東部と中部の復興もままならぬでしょう」


 戦況の報告()つつがなく終わらせた。

 ここまではむしろ報告すら、自分の手柄を読み上げるようで楽しかったのだが…。


「しかも、まだ続きがあります…あるのですが…」


「どうした?余を前にして何を言いよどむ事があるのか?

 余に言いにくい事でもあるというのか?」


「そうではありません…これは、その、あまりにも荒唐無稽な内容…報告でして。

 私も半信半疑なのですが、王都にドラゴンとかいう魔物…怪物が出現しまして」


「怪物?ドラゴン?何なのだそれは?」


「当時私は王都に潜伏していましたが、あいにくその怪物を目撃する事は出来ませんでした。

 ただ街の建物の破壊具合を見て、それがただ事ではないとは感じました」


 かれは隣で跪く従卒から一枚の羊皮紙を受け取ると、それを読み上げるように皇帝に報告した。


帝都(ブラムシュテルン)図書館の司書たちにも協力を仰いで、知る限りの情報を集めてもらったのですが…。

 どうも要領を得ませんで…。

 太古の精霊にして猛る属性、空を飛び地を駆け、爪の一撃は鎧をも切り裂き尻尾の一撃は城をも崩す。

 口からは破壊の息(ブレス)を吐き、その咆哮は魔術を破壊する…。

 一晩で町を、三晩で都市群を、そして十晩で国を滅ぼしえる」


「なんだそれは?!

 そんな荒唐無稽な、あるいはお伽話の怪物が現れたというのか?」


「そう聞きました…そして、その怪物を光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)が退治したという話も」


「ふん、そのような太古の怪物が人の手で弑られるものか、やはりそれは流言飛語の類であろう」


「その通りでございましょう。

 ですが陛下、問題は真実ではなく、かの国でそれがどのような話として伝わっているかではないでしょうか?」


「ふむ、たしかにそれはアスペルマイヤー男爵の言う通りであろうよ。

 で、その(ドラゴン)退治があの王国にどんな結末を呼んだのだ?」



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 あいにく空はどんより曇り、潮風も心なし重く湿り気が強く感じた。


「船には強いつもりだったのだがな」


 エッカルトは甲板から空を仰ぎ嘆息した。

 彼に課せられた仕事の重要性は理解していたが、800リーン(約3200km)以上も離れた最果ての土地に船で一月近くも揺られての出張である。

 彼は己の勤めるブラムシュテルンの大聖堂に誇りを持っていたから、そこから離れるのは気が進まなかったのだ。

 しかもいつ帰れるか解らないというおまけ付きだ。


 エッカルト・インメルはまだ若いが、その類稀なる魔術の才能と実力から神跡司祭の地位を得ていた。

 神跡司祭とは教会内の魔術を司る役職で、才能の発掘から教育研究にいたるまでを行う…国で言えば宮廷(パレ)魔術師(マギクラフター)にあたる役職といえよう。

 ただ今回彼はその肩書きを『聖捌司祭』と偽り、ベルン=ラース王国の一神教の分派に要請と言う名の圧力をかけに出向くのだ。

 だが彼の本当の任務はドラゴン事件の調査と、王国の魔術師の調査であった。


 教会の教えの中には魔獣や魔物の抹消がある。

 これはそれらの存在を認めないとか記録を消すとかではなく、それらは悪魔に憑かれた、人と信仰の敵であり、見つけ次第滅ぼすべきという教えだ。

 特に強大な魔獣や魔物を討伐した者は聖人や聖女の称号が贈られ、その力を信仰に支える事を要求される。

 彼の表向きの仕事は、ドラゴン討伐の話が本当ならかの光刃の(スプラデュール)戦乙女(ヴァルキュリエ)に聖女の称号を贈らざるを得ない。

 それと同時に、率先してそれを行わないウルク教を名乗る田舎分派に真意を問うというのだ。


「よお、司祭様元気ねぇな?船酔いか?」


「船長…幸い私は船には強くてね、今も神の加護に感謝を捧げていたところだ」


「カハハッ、とてもそんな風にはみえねぇわな!」


 この高速船は軍船を除けば帝国で最速を誇る。

 聖職者として本来はザンヴォーリンまで定期便を利用するべきなのだが、一日でも早く到着するべきという教会上層部の判断で急遽この船が用意された。

 当初の予定通りザンヴォーリンを経由するものの、この船を利用する事で僅か10日でザンヴォーリンまで到達できるのだ。

 そこからは航路が確率されていないため、ズォルヌまで半月ほどもかかると言われている。


「ラースに行くのは不安かね?」


「正直に言うとそうだね。

 ほら、私の顔つきはいかにもシュラード人だろう?彼らに嫌われないか心配なのさ」


 嫌われる…とは控えめな表現かな?

 嫌われるどころか石もって追い出されかねない…帝国人は外敵としてあの国では二番目に嫌われてる。

 いや、憎まれてる。

 エッカルトは聖職者ぶった自分の言い回しを内心で自嘲した。

 なぜならラース人が自分達を嫌いなように、自分もラース人が嫌いだからだ。


 彼は神跡司祭にありがちな、根っからの魔術師体質だった。

 決して口には出さないが、自分でも信仰に厚いとは言いがたい事は自覚している。

 もっとも教会の上層部もそんな彼らの性質は理解しており、信仰心が邪魔になりかねない職務を任されることが多い。

 はっきり言えばまさに今回がその案件に当たる。

 信仰心から暴走して、ウルク教や貴族達を敵に回すような事になると非常に面倒な事になる。

 魔術の能力と知識、そして建前だけの信仰心。

 この職務にエッカルトが選ばれたのはその程度の理由だろうか?

 彼の同僚には自分みたいな司祭は少なくない…あとは若さぐらいしか思うところは無いが、ただ運が悪かっただけかもしれない。 


 重要な職務だというのは解っている。

 だが自分がやる事になるとなると話は別だ。

 いつ帰れるとも解らない出向は、彼の出世や将来性を上空の分厚い雲のように覆い隠していた。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 ザンヴォーリンは帝国の西側でもっとも大きな港町で、一般的な帝国の勢力圏内の西端に当たる。

 ここより西側へもはるか帝国の領土は広がっているが、そこは僻地とか辺境と呼ばれ。

 いくつかの軍事拠点と、帝国の庇護にあるとは言いづらい村が点在下いるだけだ。

 もっともザンヴォーリンから北に向かっても同じようなもので、帝国は領土的にうまみの無い荒野を隔てて隣国と接していた。

 多くの者はザンヴォーリンを帝国の西の端と言って憚らず、そこより西や北の地は帝国とはみなしていないでいた。

 つまりザンヴォーリンを守るドルスドバッグ辺境伯が自らを"帝国の盾"と称するのも無理からぬ事で、その盾の頭越しにブランマルシュ上級伯爵の手勢がベルン=ラース王国に侵攻した事件は帝国でも大きな問題になっていた。


 ブランマルシュ上級伯爵の長男と三男が結託して、皇帝に無断で兵を起こしたのは8年前の事。

 確かにこの戦争、勝っていたら問題になりはしても、彼らを非難する勢力は少なかっただろう。

 人口増加による耕作地不足にあえぐ帝国は、ラース半島の豊かな穀倉地帯が喉から手が出るほど欲しかった。

 ランドルフ・ブランマルシュが王国中央までの侵攻ルートを確保していたならば、皇帝自らの号令で帝国軍がゲランデナまで攻め上っていたかもしれない。


 だがそうはならなかった。


 ブランマルシュ兄弟は失敗し、実行犯のランドルフは異郷の地で果てた。

 皇帝アルジヌア三世は烈火のごとく怒ったが、それは勝手な進行と言うよりは、勝手に侵攻した挙句5万の将兵を無駄にしかつ拠点であるアーレオンを使い物にならなくなるまで破壊された事であった。

 確かに現皇帝は内政を重視する穏健派と言えるかも知れないが、それは彼の子の代孫の代に行うであろう大侵攻を見越しての事。

 そのための準備に国力を整え、周辺国家を油断させる政策をとっていたに過ぎない。

 その彼の苦労をぶち壊したのだから、これは許されるべきではない愚かな行いだった。

 早速ブランマルシュ上級伯爵家には王国帝国双方への賠償金の支払いを命じ、もうひとりの責任者である長男のハーラルトからはブランマルシュ上級伯爵家の継承権を取り上げた。

 帝国有数の貴族であったブランマルシュ家の権威は見る間に傾いていった。


 だが"帝国の盾"はそれでも収まらなかった。

 彼は皇帝の考えを理解し、今は我慢のときと軍を鍛え、ラース半島ならびにオリヴァ王国への中間拠点としてザンヴォーリンを発展させてきた。

 ブランマルシュ兄弟の行いはそんな彼の苦労も面目もブチ壊したのだ。

 辺境伯はさっそく往復に乗り出した。

 とはいっても彼に出来る事はザンヴォーリンおよび周辺地域におけるブランマルシュ家、ならびにブランマルシュ領ゆかりの商人等の通行禁止令だけだった。


 ベルン=ラース王国ならびにオリヴァ王国と帝国は表向きから敵対している。

 両国は帝国の領土的野心と、自国の価値を充分に理解しているため、いずれ帝国が武力と言うカタチで自分達に牙を向くであろう事は嫌と言うほど理解しているのだ。

 だが、だからと言って帝国と国交が途絶えているわけではない。

 国家同士での交流は挨拶程度だが、商人や聖職者や学者などの行き来は少なからず存在する。

 それが抑えられるという事はつまりブランマルシュ上級伯爵領の食料も嗜好品も、知識や技術も他の貴族領から大きく後れを取る事になる。

 もちろんそのままでは困るため、ブランマルシュの跡継ぎに任命されている次男のジキスムント・ズィン・ド・ブランマルシュは交渉のためザンヴォーリンを訪れていた。

 それも今回が初めての事ではない。

 しかし…。


「やはりまだ辺境伯は会ってはくれぬのか…」


 一応貴賓館に通されてはいるが、辺境伯のジギスムントに対する対応は冷淡そのものだった。

 形だけは礼を欠かない程度に対応はしているが、再三の面会要求にも応じようとはしなかった。

 もちろん辺境伯はブランマルシェからの謝罪も受ける気はないし、ブランマルシェに対しての通行規制を解除する気もなかったからだ。


「いくらなんでも失礼ではありませんか!

 仮にもブランマルシェ上級伯爵家の跡取りであるジキスムント様に、して良い対応ではありませんぞ!」


 同行した執事はそういって怒ったが、ジキスムントは辺境伯の怒りも尤もだと理解していた。


「確かにハーラルト様方は辺境伯に対して出し抜くような真似をしたかもしれません。

 しかし辺境伯はそれによって損害を受けた訳ではないのでしょう?」


「それは違うのだよ」


 ジキスムントはこの場に居る従卒たち全員に言い聞かせるように言った。

 彼らはみな辺境伯の対応に納得はしていなかったからだ。


「辺境伯は確実に損害を被ってる。

 しかもかなりの額のな」


 ジキスムントは傍らに控える少年従者の顔を見た。

 彼の父もあの戦争で帰らぬ者となってしまっていたのだ。


「以前より辺境伯はザンヴォーリン、そしてアーレオンとリングベルに対する投資を募っていたが、ザンヴォーリンに対する投資はアレ以来激減。

 アーレオンとリングベルに対しては投資の引き上げも起こって、辺境伯に対して返還請求まで舞い込んでいるほどだ。

 それに貴族としての面子を潰されたドルスドバッグ家は、宮廷で大きく権威を傷つけられた。

 権威などは数字に変換は出来ないものだが、いかに貴族が権威を重視するかは今更お前たちに説明するまでもなかろう」


「しかし権威を失ったのは辺境伯ばかりではないのでは?」


ブランマルシュ家(ウチ)の場合は自業自得だ。

 せめて跡取りである兄上が関与してなければ言い訳のしようもあったのだが、名前に(ズィン)を頂く直系の者が行った以上言い訳はきかぬ。

 皇帝陛下の顔に泥を塗って、多くの貴族の反感を買ったのだ。

 しばらくは真摯におとなしくしている他は無い」


 この局面だからこそ自分に後継者のお鉢が回ってきたのだが、自分でよかったとジキスムントは思った。

 三兄弟では自分以外このような辛い状況で我慢できるものは居ないだろう。

 いかにもな貴族のプライドの塊の長兄に、喧嘩っ早い武力の弟。

 2人とも充分有能とは言えるが、下手に出て我慢の外交をこなせるとは思えない。


 「私に出来る事はまた滞在可能期間ギリギリまで粘って、なんとか謝罪の機会を貰う事だけだ。

 通行規制解除は最悪またの機会にお願いするしかあるまい」


 まず謝罪を受け入れてもらえなければ何もはじまらない。

 ドルスドバッグ辺境伯にはこちらを焦らす理由があるが、こうやって日参するように尋ねてくればそのじらし(・・・)期間も短くなるだろう。

 次期ブランマルシュ上級伯爵はそう考えていた。


 今回ジキスムントに付いてきた随員は先代、先々代からの家臣とジキスムントが取り立ては家臣の半々ぐらいだろうか?

 だが彼らはみな辺境伯に対する不快感を隠しきれないでいた。

 ブランマルシュの家名を軽んじられた事に対する怒り。

 ジキスムントに失礼を行うようなこの扱いに対する怒り。

 随員達の怒りの気配を感じ取り、ジキスムントはため息をついた。

 今は我慢の時だとなぜ理解してくれんのだと。


 彼は随員の中でもお気に入りの少年従卒を見たが、彼も例に漏れず辺境伯に怒りをあらわにしていた。

 彼にとってジキスムントは大恩のある尊敬すべき主人である。

 その主人がこうまで邪険に扱われて面白いはずが無い。

 その事を注意しようとしたジキスムントだったが、他の大人がこの有様ではなにを言っても説得力を持ち得ないと諦めた。


「ジキスムント様!」


 面会申し込みの旨の所管を預け、ザンヴォーリンの行政府に詰めさせていた随員の1人が駆け込んできたのはその時だった。


「本国から司祭がザンヴォーリンに到着し、辺境伯は自分から彼に面会を申し出たそうです」


 ざわめき立つ彼らを眺め、ジキスムントは再び嘆息した。


 ドルスドバッグ辺境伯は自他共に認める敬虔なアインツィヒ教の信者だ。

 本国からどのような理由で司祭がここを訪れたかは知らないが、辺境伯がそれを放って置けるはずがない。

 政治と宗教は別カウントなのだから、そんな事でいきり立ってはいられまい。

 だいたい司祭に対してこんなぞんざいな呼び方をしてる時点で、辺境伯の逆鱗に触れるだろう。

 もし面会が適ったとしても、彼は連れて行けんな…ジキスムントはそう判断した。


 そう考えに気を取られていたジキスムントは、少年従士見習いがそっと部屋を出て行くのに気が付く事はできなかった。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 レオン・ケッセルは従士見習いとしてジキスムントに同行させてもらっているが、本来は無官無位の孤児である。

 死んだ父はブランマルシュ家の兵士であり、一応は一級市民の位は持っていたのだが…未成年で親を亡くしたレオンにはその市民権を受け継ぐ権利は認められなかった。

 父の訃報を聞いた母はショックでそのまま倒れて、病で生死の境をしばらくさまよった挙句あっさりと亡くなってしまった。

 父の市民権を預かってくれる存在もなく、このまま労働階級に落ちようとしていたところを、なんとか死地より帰還したと言う父の部下に拾われたのだ。

 その人は職務に復帰後、新たにブランマルシェ家の後継者に据えられたジキスムントの護衛に回された。

 レオンを引き取ってくれた養父は生憎独り身だったので、職務中彼を屋敷の下働きに預けていた。

 父から簡単な読み書き程度は教わっていたレオンは、そこで文盲である下働きの変わりにメモや看板の字を書きながらその仕事を手伝った。

 下働きの書官として毎日を過ごしていたレオンは、習うより慣れろという感じで読み書きは無難にこなせるだけの力をつけていた。

 そこでジキスムントに見出されたのだ。


 当時5歳だったレオンの歳にそぐわないその利発さは、人手不足であえいでいたジキスムントの目に止まったのだ。

 流石に執事見習い…は早すぎるため、従士見習いとして傍らに置き、教育を受けさせた。

 その甲斐あってか、今年12歳のレオンは歳に似合わぬ教養を見につけていた。

 アルト語の読み書きにストラガ文字、ラース古文字、ラース語とオリヴァ語まで習得していた。


 レオンがジキスムントを敬愛しているように、ジキスムントも利発なレオンがかわいくて仕方なかった。

 いずれ自分の子供が跡を継ぐようになったときは、レオンに補佐を任せれば安心だ…などと遠い先の事を考えもしていた。

 しかしその未来予想図は叶えられる事は無かった。


 貴賓館をそっと抜け出したレオンは、一路辺境伯の館に向かった。

 貴賓館をブランマルシュ一行が使っている今、客をもてなすには自分の館しか残っていないのではないかという判断だったが、それは正解であった。

 レオンにしても別に直談判しよとか、そんな大それた考えを持っていたわけではない。

 ただ順番を飛ばしをして、主人を差し置いて辺境伯に面会する本国の司祭の顔を見てやろうと思っただけだ。

 ただ部屋で待っている事が耐えられなくなった事もある。


 当然ながら貴賓館から辺境伯の館まではたいした距離ではない。

 もう何日もこの街に逗留しているレオンにしてみれば、ひとっ走りすれば簡単に行って来れる距離だった。

 整理されたザンヴォーリンの大通りをサッと抜けると、そこには町の中心ドルスドバッグ辺境伯の邸宅があった。



          ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 エッカルトはむしろ戸惑っていた。

 ザンヴォーリンに立ち寄ったのは補給のためで、辺境伯に会いに出かけたのは通過させていただく為の挨拶だった。

 もちろん大聖堂の発行した通行許可証があるため、辺境伯が渋っても補給と通過は止められる事はありえないのだが…まさか嫌がられるどころかこんな歓待を受けるとは思わなかった。

 だが使用人達から辺境伯の敬虔さを聞いて初めて合点がいった。


「だんな様は毎日屋敷の聖堂でお祈りを捧げていますよ」


 しかし困ったな…これではここの司祭の領分を侵してしまいかねない。

 エッカルトも司祭の端くれだ。

 聖典や式典の作法も教えも一通りこなす事ができるし、大聖堂での最新の神学も修めてる。

 それに今は仮の身分とは言え聖捌司祭としての肩書きを持っている以上、洗礼も祈祷も行う事ができるし、当然手順も心得ている。

 だが聖職者には区分というもものが存在する。

 きたない言い方でいえば縄張りのようなものだ。

 いかに大聖堂所属とはいえ、ザンヴォーリンの司祭を差し置いて勝手に宗教活動をするわけにもいかない。

 だから先手を打って歓待を辞退しようと思った。


「お待たせいたしました司祭様」


 だから辺境伯が司祭服の男を伴って現れた時、逃げそびれたと思った。

 アインツィヒ教は分派であるウルク教と同じで厳格な階級を持っていて、それは法服を見れば一目で解るようになっている。

 だから今、聖捌司祭の格好をしているエッカルトは、わかる人が見れば一目で聖捌司祭だと判断するだろう。

 同時に辺境伯がつれてきた男の服は一般司祭のそれであった。

 ザンヴォーリンほどの大きな町なら司祭長どころか、司教が常駐しててもおかしくはない。

 そう考えるとこの司祭はザンヴォーリンの責任者とは考えにくい。


「どうもお目通りを許していただき感謝します。

 ドルスドバッグ辺境伯様…私は大聖堂より聖捌司祭を申せ使っておりますエッカルト・インメルと申します」


「とんでもない!私に敬称付けなど止めてください!

 こちらこそお急ぎのところお引止めして心苦しいですが…今日1日は船の補給で出発は難しいのではないでしょうか?」


「仰る通りです。

 今夜はザンヴォーリンの港で一晩停泊させていただく予定です」


「そうですか!それではぜひ今夜はインメル司祭様には当屋敷にご宿泊いただきたく!」


「そんな…ご迷惑ではないですか?」


「いえ、ぜひ後逗留ください…つきましては大聖堂でのお話など…」


 任務について聞かれるのは困るが、大聖堂の話なら問題ない。

 ところで…。


「ところで、こちらの司祭様は?」


「ご紹介が遅れ失礼いたしました。

 こちらは我が邸宅内に設置させていただいております聖堂内に、常駐していただいているブレヒト司祭様です」


「コルレウス・ブレヒトと申します。

 どうぞよろしく」


 目が笑っていない…どうやら私は彼にとっては招かれざる客のようだな。

 エッカルトは予想通りの展開に内心うんざりしていた。

 一言釘を刺しておくか…。


「先を急ぐ職務がありますので、今晩一晩の邂逅ですが神のめぐり合わせに感謝いたします」


 明日になればもう居ないよ…との宣言である。

 予想どうりブレヒト司祭は少しだけ表情を軽くした。


「そうですね、ではまず最近の帝都のお話からさせていただきましょうか」


 普段大聖堂内の研究室に篭りがちなエッカルトでは、まずお目にかかったことのない高いお茶を前に穏やかに会話を始めた。

 貴族の相手をしてる説法役は、もしかして毎日こんないいお茶を飲んでいるのか?と訝しげながら。


 気をつけて、個人の見解は決して口にしないように、帝都の事、大聖堂の事、そして最新の神学の教えを語るうちに、日は大きく傾いてきた。

 最初は引き気味だったブレヒト司祭も、神学の話になると途端に食いついてきて。

 彼がなんで辺境伯のお気に入りなのか、なんとなく解る気がしてきた。

 この人も宗教が大好きなんだろう。

 神の教えを鵜呑みにするよりも、考えて解釈して、教えの意図をたどるのが生きがいなのであろう。

 辺境伯も神学の話題に一番食いついてきた。

 もっともエッカルトも神学は嫌いではない。

 結局のところ、実践派の学者肌だからこそ魔術にのめりこんだりするのだ。


「おお、もうこんな時間か…すみませんインメル司祭様、お疲れのところ長くお話を聞かせていただいてしまって…」


「いえいえ、私にとっても神のお言葉に関して皆様と話し合うのは至福の時間です。

 …とはいえ、少し休憩をいただけると助かりますな」


「では夕食の準備の間ご休憩ください。

 司祭様は明日早いでしょうから、夕食後ワイン片手で少しだけお付き合いいただければ幸いです」


 まだ話し足りないのかと、エッカルトは浮かびそうになる苦笑いを何とか押し戻した。

 辺境伯達はよほどこういった話題に飢えていたようだが…明日は辺境に向かう身となれば、未来の我が身かとしれんと思い気も重くなった。

 しかしこうして見ると司祭らしくないと思っていた自分も、やはり神の使途なんだと再認識した。

 普段魔術にばかりかじりつき、神に祈りを捧げる事など…。


 そこまで考えて何か違和感を感じた。

 会話では無い、自分の考えでもない、もっと慣れ親しんだ…魔力(マナ)の流れだ!

 魔力の流れが大きくかき乱されてるのだ。

 しかしこれは魔術とは違う、もっと稚拙で原始的な…魔術を学んでいない魔術師の才能がある者が見せる。


「司祭様どうされましたか?」


 いきなり真顔になり真剣に何かを探るような様子を見せたエッカルトに、怪訝そうに辺境伯が声をかけるが、彼はそれに対して唇に人差し指をあてるジェスチャーだけで答えた。

 エッカルトの本来の地位は、教会内で魔術を司る神跡司祭である。

 その職務の中には、才能のある若者の発掘も含まれる。

 だからこういった魔力の流れが乱れる現象には人一倍神経質になるのだ。


 庭だ…3人で話し込んでいたのは庭に面した日当たりのいい気持ちのいい部屋だった。

 これだけでも辺境伯が充分に自分を歓迎してくれているのはわかる…だが、今はそれではない。

 庭に居る…まるで川の中に打ち立てられた…水面に顔を覗かせる杭のように、魔力の流れを乱す存在が。

 おそらくこれは無意識に魔力に働きかけているのだろう。

 聞き耳を立てているのか、目を凝らしているのか、とにかく魔術師の才能がある者は極端に集中する事で魔力に干渉をおこす。

 おそらく自分もかってそうだっただろうし、実際徒弟が何人かそんな現象を起すのを感じた事はある。

 だがこれは…大きい。

 非常に大きな干渉力だ。

 魔力が強いのか、高い属性との相性か、はたまた魔力の操作に才能があるのか?

 これ程までに強い力は見たことがない。

 おそらく同僚にもこれほどの潜在力を持った者は居まい。

 当然自分をも楽々超えている。


 そして…見つけた。

 魔力の乱れをたどっていけばあっさりと、木陰の茂みの中の少年に行き当たった。


「こいつ!どこの者だ!」


 辺境伯の怒りは大きかった。

 当然だ。

 大事な客人を歓待していたところに侵入者が現れたのだ。

 それも、その客人が発見するというおまけ付きで…。



 レオンは顔色を真っ青にして衛兵に取り押さえられた。

 ここで掴まったらジキスムントにとんでもない迷惑をかけることぐらいは理解している。

 ただでさえブランマルシュ家はドルスドバッグ辺境伯に負い目があるのだ。

 ここで従者が屋敷に侵入して捕まったなどいう事になったら、主人の目的がまた遠くに逃げてしまう。

 もちろん絶対に見つからない自信があって隠れていたわけで、実際に衛兵は彼を発見する事は出来なかった。

 だからまさかこのインドア派のように見える司祭に見つかる事になろうとは!

 黙秘を貫くべきか?

 自分の命でこの一件がばれないのであれば惜しくないとさえ思った。

 だがそれは無理な話だろう。

 ザンヴォーリンに入って来てこれまで、特に容姿を隠していた事などない。

 辺境伯が部下に自分を知ってるか尋ねたらすぐ身元が割れるだろう。


 もう自分には主人に報いるどころか、己の失態を挽回する機会も無いのだ。

 レオンの心は絶望に沈もうとした。


「お待ちくださいドルスドバッグ辺境伯様」


 そのレオンの絶望に待ったをかけたのは自分を発見した司祭だった。

 彼はなぜか自分をつぶさに観察していた。


「その子の身柄…私に預けてはいただけませんか?」


 その笑顔は決して慈愛に満ちたものでは無かったのだが。




 シュットルード帝国西部

挿絵(By みてみん)


帝国において上級伯爵は辺境伯より1ランク上の爵位です。

伯爵→正規伯爵→辺境伯→上級伯爵。

ちなみに准男爵から大公まで18階級まで爵位が存在します。

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