43マルグリット
第一部最終話になります。
もはや再生困難になるまでその身を焼き尽くされながらも、ドラゴン反撃の機会を待っていた。
自分を焼き尽くせるほどの魔力持ちなどいるはずも無い。
そう信じたからこそ彼は雌伏とい戦法を選んだのだ。
そして彼の予想通り、その身体を焼き尽くされようとしていた光刃がついに止まった。
場に溢れんばかりの光は氷の鏡から逸れ、どんどん霧散していく。
深手を負いつつも勝利を確信したドラゴンが見たものは、背後から剣で刺し貫かれている魔術師の姿だった。
決して油断していた訳ではない。
目の前のドラゴンの動きを見逃さないように、何かあったらすぐに構成を修正できるように。
マリーは細心の注意を払って前に意識を向けていた。
後ろには近衛騎士団長と何人かの騎士がいたのだ、後方に何かあっても彼らが対処してくれるだろう。
だから突如背中から何かがぶつかってきた時も、集中を続けようと努力していた。
だが次の瞬間追いかけるようにやってきた激痛に、魔術の維持はおろか立っている事も出来なくなっていた。
「な…に…?」
倒れこみながら後ろを振り返ったマリーの目には、震えながら笑い、同時に涙を流すアルウィン・スタードの姿があった。
彼の持つその血塗れた剣を見ても、マリーは何がおこったか全く理解できないでいた。
ドラゴンは笑った。
自分の予想どうりになったと思った。
自分の思ったとおりになったと考えた。
実際は違うのだろうが彼にとってたいした事ではなかった。
彼は一気に上機嫌になり、嬉しげに咆哮を発した。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
その場にいる全員が、何が起きたか理解できなかった。
少なくない被害を出しながらも、クベール侯爵令嬢の魔術がドラゴンを捕らえた。
これで終わりかと安堵した者、油断せずに成り行きに注視していた者。
1人の近衛騎士が剣を手に前に出て来たときも、魔術が終わってドラゴンに息があったら手柄を取っていくつもりか?
ぐらいにしか考えていなかった。
だからそんなアルウィン・スタードがマルグリットに剣を突刺し、そのまま魔術が霧散して消えた後も、誰も動けないでいた。
何よりアルウィンがマリーを刺すというのがどうしてもありえない事だったからだ。
ただ1人アルバート・スタード騎士団長だけは、愛する息子の凶行を顔を真っ青にして見つめていた。
「ガアアアァァァァッ!」
ドラゴンの咆哮で真っ先に正気に返ったのはウィルとマルクの2人だった。
「姉さん!」
ウィルは呆然と立ち尽くすアルウィンを殴り飛ばすと、傍らのマリーを抱き起こした。
「ウィ…ル?いったい何が?」
「喋らないで!…くそ!姉さんは後ろから刺されたんだっ」
ウィルは治療に使えそうな魔術に覚えが無かった。
急いで服を幕りあげ、せめて止血だけでもしようと傷口を確認しようとした。
ドラゴンにはどうせ効果が無いからと、鎧を着てこなかった姉の判断を呪った。
鎖帷子だけでも着ていれば、アルウィンのなまくらなど通さなかっただろうに!
焦るウィルの手にマリーの手が重ねられたのはその時だった。
「傷は…どこ?」
姉の目に力が戻ってきている事に気づいたウィルは、少しほっとしながらも姉の手をその傷に誘った。
もしウィルが魔術師としての勉強をもっとよくしていたら、今のマリーを見て落ち着いてはいられなかっただろう。
魔術師は死に瀕したとき突如生命力と魔力が跳ね上がる事がある。
死から逃れる為に限界まで力を引き出すためだといわれているのだが…そうなった魔術師はまず間違いなく助からない。
魔力を搾り出すついでに命も搾り出してしまうのだろうと考えられる。
今のマリーはまさにその状態で、生き残るため、いや死んでもドラゴンを殺す為に。
魔力と同時に命を搾り出していた。
自分で自分に治癒魔術を行い、再び戦おうと試みるマルグリットだったが、当然ドラゴンはそれを待ってはくれない。
ここでドラゴンに魔術の知識でもあったら、魔力喰らいの咆哮をまじえて治癒魔術の邪魔をしただろう。
だが彼は幸いにしてそんな魔術の事は知らなかった。
だから頭を下げ真っ直ぐ突っ込んで、忌々しい魔術師2人に齧り付こうとしたのだ。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
マルクにとって他に方法が無かった。
剣でも槍でもこのドラゴンの前進を止められる気はしなかったし、止められたとしても主人2人を守る時間は稼げないだろう。
彼は横合いから走りこむと、一回り…いや二回り小さくなったドラゴンの、その頭部に組み付いたのだ。
もちろん頭に組み付いたとて、ドラゴンを絞め殺せる訳も無く。
彼はただ時間を稼ぐためだけに頭にしがみ付き、その目を覆った。
マルクにしてみても、ドラゴンが目を頼りに回りを感知しているかどうかの確かな自信は無かったが、辛うじて彼はその賭けには勝つことが出来た。
標的を見失ったドラゴンは、慌てて頭を振り障害物を振り落とそうともがいたが、マルクは死に物狂いでその頭にしがみ付き続けた。
これしかマリーを、ウィルを守る方法を無骨な騎士は思いつかなかったのだ。
父譲りの4/5クォート(約2m)を超える長身を活かし、四肢全てを限界まで酷使してドラゴンにしがみ付き続けた。
マルクの父は騎士だった。
ただマルクが物心付く前に魔獣と戦って死んだそうだ。
幸い公務での戦死だったため、侯爵家から充分とはいえないまでも生活に苦労しない程度は年金が出ていた。
それだけではなく、父に助けられたという領民たちが代わる代わる訪れては、家族に食べ物や生活用品を差し入れてくれた。
そのおかげかマルクは立派に育ち、父が遺した剣と槍の修行に没頭する事ができた。
生まれつき恵まれた体格を持ったマルクは、いずれは父のように魔獣から領民を守ろうと考えていた。
だが騎士に就任後早くも動員された戦いは人間の軍勢相手の事で、不本意そうにしているマルクをよくオルソンが冷やかしたものだ。
「領民を、侯爵家を守るのが俺達の仕事だ。
相手が獣だろうと人だろうと関係ない」
そう諭すクロードの言う事はもっともだと理解している。
だがこうして命を削りながら魔物と格闘し、クベールの姫を、そしてその後ろに居るヴェンヌを故郷を守るために力を振り絞っている今。
このために生きてきたのだとはっきりと確信できた。
自分は、父の背中を追いかけるために生きてきたのだと。
戦いの中で同じように生きた父と対話していたのだと。
そして…父のように死にたかったのだと。
平騎士であったマルクの父親の肖像画など残っては居ない。
だからマルクは父の顔を知らなかった。
だがドラゴンの前足が彼の腕を引き千切り、その身体を傍らに投げ捨てた時。
目前に転がる盾に写った男の顔を父の顔だと確信したのは、死に行く騎士の妄想だっただろうか?
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
しつこくへばりついていた目隠しをようやく引き剥がしたドラゴンは、再びマリーの位置を見定めた。
彼女の前に生き残った数人の騎士達が立ちふさがり、命を捨てる覚悟で壁を作っていた。
スタード親子以外は。
少なくとも彼等は騎士である。
名誉に糧とし、忠義に準じる事を美徳として生きてきた。
たとえ練度も低く実戦経験に乏しい内勤の騎士であろうとも、ここでマリーの盾にならないという選択はありえなかった。
ドラゴンは面白くなかった。
どいつもこいつも恐怖や憎悪、絶望の感情を発露させる事なく死んでいく。
なぎ払おうが、脅かそうが、あの魔術師の後ろの2人以外はまるで恐れを感じないかのように向かってくる。
面白くなかった。
面白くなくなっていた。
せめてあの魔術師を殺して溜飲を下げ、のこった美味そうな餌に喰らい突くまで!
わずらわしそうに残った騎士を吹き飛ばすと、その巨体をマリーに向けて疾駆させた。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「ありがとうウィル。
もういいわ…」
魔術で刺し傷を塞いだマルグリットは、何とかその場で立ち上がった。
相変わらず傷は痛むが、耐えられないほどではない。
そしてなぜか尽きかけた魔力が湧き上がってくる。
これが魔術師が燃え尽きる前の現象だと魔術の造詣に深いマリーは検討をつけていた。
これならばあと1回あの魔術を放てる。
それどころか大気中の魔力までどこまでもクリアに感じ取れる。
これなら今まで出来なかった構成や属性すら使いこなせそう、そんな錯覚すら彼女に与えたいた。
彼女は初めて見も知らぬ神に感謝した。
アドレナリンでも過剰分泌されているのか、迫り来るドラゴンの動きまでゆっくりに感じる。
まずは動きを止めようと数本の光剣を瞬時に構成発動して突き刺すが、今度こそドラゴンの突進は泊まらなかった。
「予想外の攻撃を受けるから怯んだり混乱したりするのよね。
自分の身に起こってよ~く理解したわ」
マリーはドラゴンの突進を避けるように、風の魔術で自分の身体を巻き上げた。
そしてウィルや騎士たちから標的を引き離すように空中を駆けた。
だがドラゴンはその動きに素早く反応を示した。
彼にとってゆるゆる空を飛ぶ標的など、的も同然であった。
古代では空飛ぶ魔獣の相手もしたし、苦し紛れに自分の前から飛び立つ魔術師も1人や2人ではなかったからである。
まずは頭突き、そして身を翻しての尻尾の一撃。
辛うじて障壁を張って凌いだマリーだったが、彼女の身体を派手に吹っ飛ばすには充分な威力であった。
張った障壁の反発力もあって、マリーはホームランボールのように吹き飛ばされた。
慌てて風の魔術で体勢を整えるが、そのときには既に目の前に黒い巨体が迫っていた。
怒りに燃えるドラゴンの渾身の体当たりを魔術の障壁で受けるも、魔術ごと押しつぶされんほどの衝撃を受け全身が軋んだ。
空中戦では勝ち目は無い。
しかし落下すら許してくれないドラゴンの猛攻は彼女の身体をさらに奥地へと、高地へと弾き飛ばし続けた。
もはやドラゴンには小細工を弄するつもりも、駆け引きをするつもりも無かった。
圧倒的な力でコイツを叩き潰してこそ気が晴れるのだ。
最初からそうしていればここまでイラつかされる事もなかったのだ。
黒竜の怒りは憎悪と相成り、その黒い身体を瘴気とともにいっそう闇に染め上げたいた。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
空中で激突しながら見る間に遠くなっていくマリーとドラゴンを唖然と見送りながら、ウィルは力なくその場に膝をついた。
マリーのことだタダでは死ぬ事はないだろうが、あそこまで運ばれたら生還は絶望的である。
考えが纏まらなかった。
この先を想像するのが怖かった。
シャンブルが隣で肩を貸してくれたが、足には力が入らなかった。
もちろんそれはウィルだけではない。
シャンブルもクロードも、生き残ってしまった彼らは今その命を喜びは出来なかった。
主を守って死んだマルクが羨ましいとすら感じた。
自分達は肝心なところで役に立たなかった。
マリーが聞いたら自分の事は棚に上げて怒っただろうが、すでにその声も届かない。
もう全てを彼女に託し、彼女とドラゴンが飛んでいった空の彼方を呆然と見つめていた。
だがクベール一党とは対照的に、近衛騎士たちはそれどころではなかった。
認めてないメンバーといえども、同じ騎士団の一員が味方である侯爵令嬢を後ろから刺し、ドラゴン討伐を邪魔したのだから。
命どころか名誉に関る。
騎士団長の制止を無視して、残る騎士たちはアルウィンを地面に組み伏せていた。
公爵令嬢に彼が行おうとしたのは未遂だったが、彼はとうとう本当の騎士たちの手によって土の味を知る事になった。
「クベール侯爵子息。
討伐隊の隊長であるクベール侯爵令嬢がこの場にお戻りになるまで、あなたから隊長代理として指示を頂きたいのですが…」
この騎士とてマリーが生還するとは思ってないだろう。
だが彼女への敬意と、ウィルへの気遣いがそう言わせた。
「あ、ああ…とりあえず火をおこして野営の準備を…そしたら怪我人の手当てをしようか…」
従軍した騎士のほとんどが戦闘不能になってしまっているが、彼らは全て死んでしまったわけではない。
助けられる命は助けるべきだ。
何と言っても彼らは彼らなりに職務に準じて負傷をしたのだから。
「焚き火は出来るだけ派手に焚こう…目印になるように。
手当てが終わって時間に余裕があれば、戦死者の埋葬の準備を…」
ウィルは淡々と指示を出していった。
だが彼は、彼らは冷静にマリーの勝算についてはあえて考えないようにしていた。
もしマリーが負けて死んだら、あのドラゴンは戻ってくるだろう。
そうしたら全滅だ。
だが指示を出したウィルも、指示に従って動き出した騎士たちもそんな心配はしてなかった。
そうなったらせめて一太刀浴びせて死のう。
そう考えていた。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
視界いっぱいに氷の欠片が舞う。
ここは洞窟だろうか?
岩壁に叩きつけられる様に吹き飛ばされたはずだけど?
それを覚悟して障壁を張ったのだけど、少し拍子抜けだなっと力なく笑った。
勢いで氷柱を何本か叩き折ってやっとその身体が止まると、マリーはぶらんと手足を投げ出し仰向けになった格好のまま衝撃で舞い散る氷の欠片を見ていた。
痛みは無い、いやあるが動きを阻害するほどではない。
たぶん脳内麻薬とかで麻痺してるんだろうが、今はありがたかった。
後の事なんか知ったことか。
身体の損傷を確認しながら立ち上がろうとして、ぺたんと尻餅を突く。
見ると右脚が変な方向に曲がっていた。
これはもう動けないな、足を止めての殴り合いしかない…でも、アイツが追いかけてこなかったらどうしようもない。
そうなったら…そこで初めてマリーの背筋に悪寒が走る。
そうなったら?
「そうなったら…私の負けね…」
ここで朽ち果てることになるだろうし、大事な家族も友人もなすすべも無く蹂躙されるだろう。
焦って残りわずかな魔力で治癒魔術の構成を編み上げようとしたタイミングで、ドラゴンは洞窟の中に踊りこんできた。
闇属性のエネルギーの塊がケモノの姿を取った不自然な、理屈に合わない、理不尽な存在。
過去の資料を見るに、コレをそのまま放置したらこの国の半分は灰燼に帰すだろうと予想される。
なんでこんなモノが存在するのか、どうやって生まれたのかは一切解らない。
ただ、魔術列伝に数度の出現記録があるだけである。
だが。
「でも、あんまり頭は良くないわね…」
必死で構成を練り直しながら軽口を叩く。
「あのまま逃げてたら彼方の勝ちだったのに!」
編み上げた構成に魔力を叩き込み点火する。
マリーは得意な光の術式…ではなく、氷の術式を発動する、と同時に次の複雑な術式を編み上げていく。
どうせ足が折れて動けない身、防御を考えずに先に残魔力全部つぎ込んだ魔術を撃ち込むしかない。
たとえ私が死んでも、オマエを倒せれば私の勝ちなのだから。
先に発動した魔術が氷結した地面を伝わり、さっき自分たちが飛び込んできた入口の氷を肥大させ塞ぐ。
これで出口は無くなった。
あいつの…そして光撃の!
ドラゴンの突進よりも辛うじて早く二つ目の魔術が発動する。
極小の光の粒子が洞窟内を蔽う氷に乱反射しながら、その空間に満ちた。
苦しげに咆哮をあげるドラゴン。
しかしその魔力喰らいの咆哮は既に力なく、僅かな光の粒子を散らして消えた。
来るとわかっていれば怯む事もなかっただろう。
だがそれは彼が予測していたよりはるかに強い熱量を、魔力を持って彼の全身を焼き焦がした。
僅かな身じろぎが痛みを分散させ、ドラゴンを口を開く事さえままならぬ様子で、苦しげにうめき声をもらすのみだった。
「咆哮をやるならさっきの最氷結の魔術を止めるべきだったわね…」
そろそろ魔力枯渇で目がかすんできた。
彼女は最後の力を振り絞って魔術構成を完成させる。
舞い散る光が幾つもの魔法図式を描き、光の刃をどんどん複製していくのだ。
マリーの魔力を点火材に、空間内の魔力を燃料に、今洞窟内の全てを焦き尽くさんと光の本流が爆発した。
「同じ手に引っかかるとは…やっぱりあなたはバカね…」
彼女の意識もまた光に包まれ、消えた…。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「今あの山が光りましたな」
槍を杖代わりに辛うじて立っていたクロードが、マリーとドラゴンが飛んでいった先を指差しそういった。
その光はウィルもシャンブルも、他の何名かの騎士たちも確かに見た。
「まだ戦ってるのか…」
既に太陽は西の山岳に腰を下ろしかけている。
その薄暗い世界だからこそ、ここまで届いた淡い光だった。
いまだマリーはドラゴンと戦ってる。
その事実は彼らの中に重くのしかかった。
「あの山だと、もうカラク側から登った方が近い位置になりますね」
シャンブルの声にも力がない。
ここにいる全員がマリーの救出は不可能だと悟っているのだ。
アルウィンが何故マリーを刺したかと言う尋問は近衛騎士が率先してやってくれた。
彼らからしても身内の不始末は早急に処理しなければ沽券に関るのだろう。
たとえそれが不本意な身内であろうとも。
「最後のチャンスだと思ったんだ…屈辱を返せる。
だいたいあの女は父上にまであんな態度を…」
ウィルたちはそれを効いて心底呆れた。
屈辱を返すには、名誉を回復するには、ドラゴン討伐を持って手柄を立てるべきではなかったか?
そのために父親が無理やり同行させたのだろうに…。
それを聞いた近衛騎士たちは、泣きながらアルウィンを殴った。
彼のせいで死んだ同僚は1人2人では無かったのだ。
ウィルたちはもう待つしか取るべき手段は残されていなかった。
日が落ちるのを、そして日が昇るのを。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「あー、生きてる…?」
薄れいく魔術の光の中、彼女は目を覚ました。
わずかにでも光が残っているという事は、意識を失ったのは長くて数十秒といったところだろう。
ただ、わずかでも気を失った所為で、身体に痛みが戻って来ていた。
「いちち…これはもうダメね」
折れた右脚に視線が向く。
薄れいく光の中でも、変な角度に曲がったままの右足がはっきりと見えた。
「15年間か、短い生涯だったけど仕方ないわよね。
思い残すことは多いけど、なんとかみんなを守る事はできたし、よしとしなくちゃね」
自分に言い聞かせるように独り言を呟くと、マリーはほどけかかったリボンを髪の毛から抜き取ると震える右手に巻きつけた。
指が何本か折れているだろう。
上半身を折れた氷柱に預け何とか足をまっすぐに伸ばし治癒を試みるが、もう魔術を発動させるだけの魔力は残っていない。
ここはどこだろう?
どこまで跳ばされたかな?
もし誰か諦めないで助けに来てくれたとしても、彼女が生きてるうちにはたどり着けまい。
「やっぱり、まだ死にたくないなぁ…」
目に涙がにじむ。
落ち着いてくると同時に、今まで抑制されてきた恐怖や悲しみが怒濤の如くその胸に押寄せて来る。
完全には塞がっていない脇腹の傷も痛んだ。
その時、涙でにじんだ視界の隅に、歪みながら入ってくるモノがいた。
「嘘…まだ死んで…」
大型犬ほどのサイズにまでその質量を削り取られたドラゴンが、彼女に最後の牙を突きたてようと這い寄ってきたのだった。
「気絶中に来なかったのは、いったん切り刻まれて再構成してたってトコロかしら?
どちらにせよ、私はもう動くこともできないし、魔力もほぼ空っぽよ…さっさとやったら?」
ドラゴンは最後の力を振り絞ってか、魔力喰らいの咆哮を放つ。
威嚇か用心か?どちらにせよこれでもし、彼女が構成を展開していても即座に打ち消されていたであろう。
犬にしては緩慢な、蜥蜴にしては敏捷なその漆黒の体が吸い込まれるように彼女の喉元に突き刺さる…かに見えた。
その牙が彼女に突き刺さるより一瞬早く、光の刃が開いた口から頭の後ろまで貫いていた。
彼女の右手に握られた、リボンで縛り付けられていた、銀細工の紋章入りの短剣から伸びたその刃が。
辛うじて動く右手に最後の力と魔力を集中させ、自作の魔道具をただ一瞬だけ発動させる。
それが唯一できる事であり、唯一コレを倒すことができるであろう最後の手段だった。
銀色の刀身から伸びる白熱の光刃は確かにドラゴンの頭に突き刺さり、その最後の魔力の波動とともに闇の質量と対消滅して消えていった。
掛け値なし最後の、魔術では絞りきることも難しい最後の一滴の魔力を、魔道具の力を借りて撃ち放ったのだ。
それでもその刃が発動したのは1秒にも満たなかったであろう。
ドラゴンの頭部を貫いたのを見た時点で、彼女は再び魔力枯渇で昏倒したのだから。
「最後の最後まで、本当にありがとう…」
ボロボロになった右手の青いリボンは彼女の意識が飛ぶと同時に、衝撃で千切れてバラバラになっていった。
まるで化学反応をおこしたマグネシウムが、閃光とともに燃え尽きるようにドラゴンは消滅した。
その光は岩盤をも貫き、周囲からも、山脈の麓からも視認できるほどの閃光だった。
そしてその閃光が収まるのを待っていたかのように、太陽はカラク山脈の西側に沈んでいった。
マルグリットの名前と遺した知識は王都とヴェンヌの魔術列伝と年代記に書き足される事だろう。
それがこの国の魔術技術を大きく前進させる事は間違いない。
クベール侯家の紋章である"岩を割る雷"に、割れた岩から現れる光の剣が描き足されたのはウィルレイン・アルフィス・クベールが当主になってすぐだった。
第一部マルグリット偏 完
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
削りそがれバラバラになった魔力は狭い洞窟で飽和状態になりながらも、再結晶化するための寄り代を探して空気中を彷徨っていた。
だがそこにあったのは大量の氷と岩肌、そして今にも命尽きようとしてる1人の人間だけだった。
魔力枯渇をおこしている彼女の肉体にはそのマナは親和性が低く。
結局はその洞窟の大気を満たし続ける事になる。
それがどのような結果を起していくのか、誰も知らない。




