42黒竜
マリーはフラウが最後に使っていたリボンを取り出すと、それをじっと眺めた。
細かいところでお洒落だったフラウは自分の髪を止めるリボンを何本も持っていたのだが、最後の日に使ったいたこの切れたリボンだけはどうしても処分できなかった。
棺桶に入れるのも、オークナー家に帰すのも憚られた。
きっとこれこそ自分の未練なのだろう。
リボンにはチェリーブロンドの髪の毛が数本絡まっていたが、かまわず一緒に自分の髪を纏める。
「ごめんなさい、死んでまであなたに頼っちゃって」
祈るように目をつぶり、心中のフラウに語りかける。
半分ほどで千切れた青いリボンだったが、マリーの髪を後ろでまとめるには充分な長さはあった。
「お願い、フラウ、私を守って…」
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
山中の行軍はスムーズには行かなかった。
なんといっても道が無いのである。
一行が遭難せずに目的地と思しき台地に出るには、シャンブルの先導に大きく依存する事になる。
途中開けた場所に出るたびにマリーの魔術で位置確認などもしてるのだが、鬱蒼と茂る森の中ではそんなポイントも少ない。
遅々として進まぬ近衛騎士達を引きずるように、谷間を縫いながら山を登っていく。
「ウィルも意外と頑張るじゃない」
「体力作りだけは欠かしていなかったからね…」
だが、姉に対して貴族らしい口調を続ける余裕は無いようだ。
かくいうマリーも、もはやそんな事は気にしていなかった。
尾根沿いを登っていくと、徐々に木がまばらになっていく。
「そろそろ森林限界みたいね」
「森林限界?」
「山の上のほうに行くと木が生えなくなるって事ですよ。
高い山を登っていくと不意に森が途切れます」
「マルクの言うとおりよ、だいたい1/2リーン(約2km)手前で木は育たなくなるわ」
「何故?」
「温度や雪の量、あと風の強さあたりの総合条件かしらね?
山が高くなるほど今言った条件が厳しくなるのは解るでしょう?」
「へぇ…」
ウィルのなぜなにに答えるのも久しぶりだった。
幼いころはヴェンヌを駆け回りながら姉弟でよくこんなやり取りをやっていた。
「なるほど、勉強になります」
今はここにマルクも加わっていた。
マルクはまだ24歳の若い騎士だ。
帝国軍との戦闘で失ってしまった騎士を補給するために何名かの従士が抜擢されたのだが、彼もその1人で。
本来ならば30歳ぐらいまで従士として騎士見習いについている。
若いといっても王都奪回戦を生き延びたマルクは、他所の正騎士よりもよほど場数を踏んでいた。
修行が足りない分は実戦で身につけてきているのだ。
クロードは後ろの近衛騎士からの視線を遮るように立ち、前を行く若い3人を頼もしげに眺めていた。
熟練の騎士であるクロードは今度が現役最後の出陣になると考えていた。
先の内乱で国中が疲弊し、どこの貴族も軍を起こす余裕など無くなっている。
自分が引退するまで戦争は無いだろう。
次代のヴェンヌは自分達ではなくこの3人が背負って立ってくれる筈だ。
そして自分の子供達の世代に受け継がれて行くのだろう。
そのためにこのドラゴン退治を自分の命に代えても…そう考えていた。
クベール侯爵家関係の5人全員が同じような気持ちで居るとは知らずに。
森を完全に抜けた場所で先導役のシャンブルが待ち構えていた。
「見えますか?
あの岩山の向こう辺りが目的地です…まあ、あそこにドラゴンが居るとは限りませんが、例の山師達のキャンプ予定地と思われる場所はあそこです」
「先行している調査隊の方々はあそこに居るかしら?」
「これ以上は目撃情報も手に入らないでしょうから、痕跡やドラゴンそのものを発見していようがいまいが連絡用に人員は残ってるかと」
「ここで捕らえ無ければ手詰まりね」
「こればかりは仕方ありません。
そうなったら次の襲撃に備えて急いで王都に帰るしかないでしょう」
「今からなら日暮れ前にはあの台地に着けるでしょう」
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
ドラゴンは獲物を齧りながら考えていた。
あの忌まわしい光の魔術師の事を。
あれをどう殺すか…今までと同じ方法ではダメだろうか?
あの魔術を、痛みを我慢して襲い掛かれば殺せるだろうか?
魔力が全て使い果たしても、自分が立っていたら絶望するだろうか?
それとももっといい方法は…。
ドラゴンは今自分が齧ってる獲物が、なぜ都合よく自分の寝床付近に現れたかまで考えていなかった。
背に腹は変えられると、不意を付き闇に絡め取って捕まえたのだが、傷を癒すには全然足りない。
だがこれらを平らげれば、また狩りに出かける元気は帰ってくるだろう。
食べる事と思考に没頭していた彼は、近づいてくる狩人たちの気配には気づかなかった。
もし気づいていたら飛んで逃げただろうか?
それとも不意を突いて襲い掛かっただろうか?
まだ彼らには見せていない闇を操る業を使ったかもしれない。
西の空に幽かにオレンジ色がかかるころ、その光を忌まわしげに見つめるドラゴンの心はあの時の王都での事を反芻していた。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「まさか気づいていない?」
「気づいていないフリをしてるだけとか?」
「その可能性は否定できませんが…さてどうしましょう?」
台地の手前の岩山の影から、ドラゴン討伐ご一行は眼下で人らしき死体を齧ってるドラゴンを見つめていた。
マリーとウィル以外はその姿を見るのも初めてで、その異容に気圧されてもいた。
上から見下ろせばその巨大さが良くわかる。
頭から尻尾まで6クォート(約15m)もあるだろうか?
大型バスよりも大きいのだ。
あの巨体なら人間など幾ら食べても足りまい。
「姉さん、アイツに使う予定の魔術って…」
「だいたい10クォート(約25m)以内には近づかないとダメね、もちろん近づいてすぐ発動できる構成じゃないわ」
「侯爵令嬢。
もう夕暮れ時ですし、一晩作戦を練って明日に戦いを挑むのはどうでしょう?」
近衛騎士の1人がそう進言してきた。
見ると彼らはみなその意見に賛成のようだったが、現状それは悪手としか思えなかった。
「あれが食事を終わった後ここに止まってる保障はないでしょうし、何より夜間に私達を発見されたらその時点で勝ち目は無いわ。
多少の無茶でも有利な今のタイミングで仕掛けるべきだと思うの」
「お待ちください…それらはあくまでもあなたの予測の範囲を出てないのではありませんか?」
近衛騎士団長アルバート・スタードはマリーの決断に待ったをかけた。
実勢経験も魔術の知識もろくないない騎士団長が、小娘に指示されるのが嫌だという理由でいちゃもんつけたわけなのだが、ここでまたマリーの悪いところが出てしまった。
尊敬できなく軽蔑できる相手には、どこまでも見下してしまうという…。
ボルタノの件で少しは懲りたと思うのだが、そういったところは簡単には直らない。
「あら、ではもちろん私への反対意見は根拠があるのですわよね?騎士団長…
まさかとりあえず逆らってみたとか、自分に主導権を引き寄せたかっただけとか、失敗した場合の保険をかけておきたいとかじゃないですわよね?」
出陣直前になって近衛騎士団が割り込んできた事、当然マリーは良く思っていない。
それはマリーだけの話ではないのだが…近衛騎士団の士気の低さにも当然イラついていた。
しかもその横入りは騎士団長の完全の独断と言うではないか。
この段になってマリーは他の近衛騎士たちには同情に近い感情も抱いていた。
「先ほどの騎士の方の意見には残念ながら賛同でき無かったですけど、彼の意見には納得できる理由がありましたわ。
騎士団長、あなたと違ってね」
アルバート・スタードの態度は論外だったが、こき下ろす必要までは無かったのだ。
そのやり取りを近衛騎士団の後ろのほうで聞きながら、怒りと拳を震わせていたアルウィン・スタードの存在に気づく者はいなかった。
スタード家の人間は近衛騎士団内でも孤立していた、そのため彼らからも注意は払われていなかった。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
作戦はこうだった。
囮がドラゴンをひきつけている間にマリーが下に降りて構成を組み立て始める。
ころあいを見て囮チームがマリーが潜んでいる近くにドラゴンを誘導し、マリーが魔術を発動させる。
問題は囮チームをどうするかだ。
全滅とは行かなくても何名かは犠牲になる可能性は高い。
それだけではなく、十分ドラゴンの注意をひきつけた後、マリーの方にドラゴンを誘導しなくてはならない。
烏合の衆では勤まらないだろう。
悩んでる時間は無い、無いのだが…。
「とりあえず私とマルク、シャンブルが囮に行きます。
ですが流石に3人では時間を稼ぎきる自信はありません。
スタード騎士団長と他何名かの同行を要請します」
「わ、私がだと?!」
マリーにとってはクロードとマルクは自分の護衛についていて欲しかったが、近衛騎士たちに囮役を押し付けるのも不安があった。
シャンブルでならうまく立ち回ってくれるだろうという信頼感があるのだが…。
このクロードの自ら囮役を買って出てくれる提案は正直助かったと思った。
だが…。
「クベール侯爵令嬢、囮役は是非私に」
「私も志願します」
「我々はこの為に末席に加えていただいたのです」
思いのほか近衛騎士たちが積極的に志願してきたのだ。
結局しり込みしてるのは騎士団長と数名だけだった。
同行すると言いだしっぺの騎士団長の体たらくに怒りを感じたが、彼を囮役に追いやっては彼らの足を引っ張りかねないとそれ以上の追求はよす事にした。
「それでは皆様にお願いします。
こちらに誘導していただくときはウィルに合図を上げてもらうので、その合図でドラゴンがこちらに向かってくるようなら深追いはせぬようにお願いしますね。
私としても味方を魔術に巻き込みたくはありません」
マリーは囮役の1人1人に目を合わせ、語りかけた。
全員が緊張した面持ちの中、クロードだけが落ち着いた顔つきをしていた事に少し嫌な予感は感じた。
だが不必要に命を散らすようなまねはすまいと考え、念のために釘を刺すだけにした。
「決して無闇に命を投げ捨てぬよう、出来れば皆で生きて帰りましょう」
囮役が迂回しながら岩山を降りていくのを見送り、マリーはウィルと残った近衛騎士と従者と共に台地にある岩陰まで降りていった。
岩陰で事前に用意していたノートを取り出し、構成を読み込みながら組み立てていく。
向こうでは囮役とドラゴンの戦闘が始まっていた。
彼らには事前にドラゴンについて解る事は全て伝えてはいた。
その能力や強さ、予測される習性など。
その正体や概要など、歴史に関する事は騎士たちはなかなか理解できないようだったが、この際そちらの方は重要ではない。
だがやはり彼らはドラゴン相手の戦いなど無茶だったのだ。
ラース半島には魔獣と呼ばれる凶暴な獣も生息している。
魔獣とはいうものの、別に魔術を使ってくるわけでもなく、物理的におかしな能力を持っているとかではない。
通常ではありえない巨体だったり、動物にしては知能が高すぎる固体や種類がそう呼ばれるのだ。
極端に言えば巨大狼や、人の裏をかくような熊などもその範疇だ。
辺境の騎士となればそんな魔獣や野獣との戦闘経験もあるだろうが、王都に詰める近衛騎士たちでは対人戦の訓練しかしてないだろう。
距離を測り損ねた数人がなぎ払われる。
マリーは極力彼らを見ないようにして、必死で構成を組み上げていたが…。
黒煙の様に見える瘴気のブレスに騎士の半分が巻き込まれたとき、耐えられず悲鳴を上げたものがいた。
「ヒッ!」
その声に反応したのか、騎士団長の恐怖の感情に気が付いたのか、ドラゴンはゆっくり岩陰のマリー達の方へ頭を向けた。
「くそっ!」
慌てたクロードが槍を振るうも、尻尾の一振りで簡単に武器ごと弾き返されてしまった。
派手に吹き飛んでいく熟練の騎士は、受身を取る事もままならず地面に叩きつけられた。
周りの騎士たちなど彼にとってはじゃれ付く猫以下の存在だった。
そんな連中に付き合ってやっていたのは面白かったからだ。
充分にいたぶってから喰らえばより美味しいご馳走にもなる。
調査班の隊員たちを平らげて落ち着いた彼の口は、今度は食べ甲斐のあるご馳走を求めていたのだ。
ところが彼は見つけてしまった。
一向に恐怖心や絶望に飲まれない周りの騎士たちとは違い、おいしそうな恐怖を迸らせてる餌の気配を。
一度気づいたらもう止まらなかった。
身体が美味しい餌を求めているのだ。
あの岩陰のご馳走を平らげるまで、この獲物たちの相手はお預けだ。
どうせやつらの爪や牙は自分の瘴気の防護を貫けないのだ。
ドラゴンはゆっくりと岩に向かって歩み寄ると、尻尾の一撃でその岩を吹き飛ばした。
その場で彼に立ちはだかったのは、1人の魔術師だった。
「姉さんの、姉上の相手はもうすこし待ってもらおうか」
ウィルが新品の剣を鞘から引き抜くと、それは刀身から火花を散らし、やや薄暗くなってきたその台地を照らし始めた。
「ちょっとは僕の相手もしてくれよ!」
ウィルはその刀身に魔術を走らせると、眩しい雷光の壁をドラゴンの前に作り出した。
限界まで魔力を込めて!
「キシャアアッ!」
ウィルの魔術で初めてドラゴンが悲鳴を上げる。
再び構成を刀身に走らせると、ウィル雷光を剣に乗せて振り下ろした。
ウィルの剣は本当の魔剣ではない。
角人の名工の手により鍛えられ、呪文式を刻み込まれた魔術の剣ではあるが、刀身に魔力を宿した本当の魔剣とはとてもいえない量産品モドキだ。
その刀身に切れ味の強化と硬化、そして伝導率上昇の呪文式を刻んだウィル専用の剣ではある。
しかしそんな剣も、そんな剣だからこそ、ウィルの渾身の呪文発動には耐えられなかった。
ビキィン…と乾いた音を上げ、その刀身は黒竜の前に砕け散った。
この剣を持ってしても名工の手を持ってしても、必死なウィルも魔力に耐えられる剣は打てなかった。
剣撃とともに発動した雷光の壁は、おそらく黒竜の次の一撃で消し去られるだろう。
そうなれば自分はもとより、ウィルを信じて複雑な呪文式を組み上げる事に集中している姉にまでヤツの牙が届きかねない。
一瞬の、ただ一瞬の逡巡を経て銀の短剣を抜き放つ。
おそらくこの剣もこの本気の戦闘では持たないであろう。
姉からもらった大事な剣だが、もちろん姉自身の身に変えられようはずもない。
もう数回、この短剣が砕け散るか自分が力尽きるまでに、姉の呪文が発動することを信じて。
光刃をいやウィルならば雷刃を展開させるための、特殊な魔力の流れを剣の柄に流し込み発動させる。
ジジジジジジジジ・・・
刀身から力場に収まりきれなかった電光が漏れ出して火花を散らす。
ウィルが構成する呪文式を輝く刀身に一瞬浮かび上がらせ、高度な魔術発動体と化した雷刃はウィルの魔力とその一振りによって、彼と竜の間に再び雷光の嵐を出現させる。
だがそれすらかの黒竜に対してはわずか数瞬の時間稼ぎにもならなかった。
「ガァッオオオォォッ!」
魔力を喰らうという竜の咆哮。
魔法を持って戦う人間にとっては、それはかの破壊の息よりも恐ろしい攻撃かもしれない。
たったのひと吼えで、渾身の魔法障壁が打ち消されるのを、ウィルは絶望と共に見た。
「そんな・・・これじゃ姉さんがどんな大魔法を放ってもっ!」
黒竜のタメの隙に再び魔術構成を組み立て発動する。
どんなに絶望的な状況でも、自分にできる時間稼ぎはしなくてはならない。
一度は咆哮で消しさられた雷刃を再び展開させると、それを発動態に矢継ぎ早に構成を発動していく。
せまる竜の鼻先を、伸ばす前足を、羽ばたく翼を、雷撃で撃ちつけて少しでもその前進を食い止める。
もはや黒竜はこちらを脅威だとは思っていまいが、身じろぎするたびにその先に飛んでくる雷撃の主をうっとおしそうに睨みつける。
確かに死は覚悟の上とは言っていたが、きっとどこか楽観視はしていたのだろう。
姉の魔術は強大だし、自分も剣と雷撃の魔術の組み合わせならドラゴンに届くと思っていた。
なにより自分に任せられた事は所詮時間稼ぎだ。
姉の魔術が発動するまでの短い時間に全ての魔力を出し切って、死なない程度の怪我を負って、体力を尽き果てても、生きて勝利を得ることが出来る。
そんなに分の悪い賭けじゃないと・・・。
しかし黒竜に魔力喰らいの咆哮があるなら話は別だ。
王都で体験はしていたが、あの時は一回消されただけだ…その恐ろしさを実感するとまでいってはいない。
どんな強力な魔術でさえも消し去ってしまうのでは?という懸念と焦りが一気に胸中を押しつぶす。
古代から生きている伝説の魔竜となれば多くの討伐隊を返討ちにしてきた事だろう、その討伐隊の中には強力な魔術師が何人も参加しただろう事は想像に難くない。
それでも今までこの黒竜は歴戦の魔術師たちを退けてきた。
退けるだけの強力な武器を持っていた!
黒竜が大きく息を吸い込むのが見えた。
「ブレス!?」
あわてて障壁の呪文式を呼び出し投影する。
「ちがう?これは!」
ウィルはまんまとフェイントに引っかかった自分を呪う。
今の自分には魔力喰らいの咆哮を放ちながら突進してくるドラゴンを止める手札は無かった。
せめて自分の身体をもって最後の盾になろう・・・。
そうウィルが今度こそ本当に死ぬ覚悟を決めた瞬間だった。
キィイン!
空気を振るわせる力場の発動音と共に、見慣れた光の剣が黒竜の喉を刺し貫き、その咆哮と前進を止めた!
「え?!」
何が起きたか理解できなかった。
自分の後ろにいる姉は当然竜の咆哮の範囲内だったはず。
それなのにどうやって魔法を発動させたのか?!
「姉さん?!それどうやって!」
「構成は組みあがったわ…何回か消されて時間かかっちゃったけどね」
彼女の声と共に背後で次々と魔術が展開発動していく気配を感じる。
「ブレスと咆哮と動きを止める…とりあえず一瞬だけでもね、その隙に組み上げた構成を発動させる自身はあったの」
急激な気温の低下を感じると共に、空気中にキラキラと光を反射する何かが浮かび上がるのが見える。
やがてその結晶たちは大きさを増し、何千何万枚もの氷の鏡に姿を変えていった。
危機を察したのか黒竜が大きく身をよじり頭を振り、喉に突き刺さった光の剣を振り払う。
ただその対応は遅かった。
もちろん対応が間に合わないようにタイミングを計って、マリーが魔術を発動したのではあるが…。
咆哮を放とうとした喉を光線が切り裂く。
その光線は周囲を舞う氷の鏡に何百回も反射しながら巨体を次々に切り裂いていく。
瞬く間に本数を増やしていく光の帯は、黒竜が身じろぎをする度に…いや身じろぎすらしなくともその全身を貫き切り裂く。
竜の驚異的な回復力を超える手数。
一条の光線が力を失い消える前に、ニ本の、三本の光線が増えていき、瞬く間にその空間を白く乗り潰していく。
もはや竜は咆哮どころか動くことすら許されない状況に陥っていた。
全身から噴出す瘴気すら光の結界の中ではあっという間に浄化されて、無防備な全身に光線が突き刺さる。
こんな攻撃を受けた事はなかった。
長い長い戦いの経験の中で、光の魔術師と対峙した事は少なくは無かった。
身を守り敵を侵食する瘴気の衣を剥ぎ取る光の魔術は実にうっとおしかったが、咆哮で魔術を打ち消してやれば他の術師どもと一緒で簡単に打ち滅ぼすことができたし、たとえ瘴気を剥がされてもこの身に宿る回復力は奴らの攻撃を上回った。
まさか瘴気の衣を剥いで尚、回復がまったく追いつかない手数で全身を切り刻まれるなどという事が起こりうるなどと考えたことも無かった。
しかもたった一人の魔術師に!
王都での屈辱と恐怖が蘇る。
あの時も魔力喰らいの咆哮が通じず焦ったが、その衝撃も痛みも今に比べればたいした事が無かったと思える。
何であの時無理をしてでもコレを殺しておかなかったのか!
だがまだドラゴンは敗北の可能性を考えてはいなかった。
ありえない、ありえるはずは無い、このままこの身を滅ぼすまで魔術を投射し続ける事は人間には不可能だ。
動けぬならせめて身を守り、アレが力尽きるまで耐えるまでの事…。
あと少し待つだけで惨めにも魔力切れに陥るだろう、そうなった時の絶望を!
そう、どうせ無駄な足掻きなのだ…。
だが、もはや目も見えてない黒竜には気づきようも無いことだが、光線は氷の鏡に複雑に反射され、魔術式を描いては自動的に自らをコピーし続けているのだ。
マリーはただ氷鏡の魔術だけを維持制御し続ければ、自動的に…周囲の魔力を黒竜自身の放出する魔力をも利用して…その黒い身体を焼き貫く光条が勝手に増えていく。
もっとも、氷鏡の魔術だけを維持制御だけでもマリーが最後の一滴まで魔力を搾り出す必要はあったが。
もはや再生困難になるまでその身を焼き尽くされながらも、反撃の機会を待っていた。
断末魔のごとく上げたくぐもった怨嗟の唸りは、魔力喰らいの咆哮を押さえ込まれ敗北の予感を忌避してのことか。
だがその身体を焼き尽くされようとしていた光刃が突如止まったのだ。
ドラゴンには何が起こったかわる筈が無かったが、場に溢れんばかりの光は氷の鏡から逸れ、どんどん霧散していく。
深手を負ってはいたが命を取り留めたドラゴンが見たものは、背後から剣で刺し貫かれている魔術師の姿だった。
大型バスはだいたい12m。
もっともドラゴンはけっこうスリムなので、質量的にはそこまでではないです。




