4商会
ある冬の日の朝。
アイシャと一緒に運動着に着替えると、侯爵邸の庭に広場出る。
日課である柔軟と素振りを行い、庭の外周をランニングしてると、朝食のパンが焼けるにおいが漂ってくる。
庶民には焼きたてパンなど週に一度ほどの贅沢だが、貴族家ともなると毎日窯に火を入れる余裕がある。
特に上級貴族ともなれば昼と夕方で二回もパン焼き窯を使う。
運動用の軍服から家着の簡素なワンピースに着替え、フラウに髪を整え直してもらい終わるころには朝食の準備ができている。
ベルン=ラース王国には朝食を食べる習慣はないが、身体を使う仕事の者はむしろ朝しっかり食べたほうがいいというマリーの意見で、クベール侯家の家人や領軍は朝食を導入している。
パン焼き窯も朝と夕方に使用される。
主に頭脳労働にいそしむ役職の者は、干した果物を軽くつまんだり砂糖を入れたコーヒーを朝食の変わりにとったりしている。
これがことの外好評で、侯爵家は朝からみな活動的に動き始める。
焼きたてのパンにママレードや新鮮なバター、季節の果物にピクルス。
それをコーヒーやミルクでいただくのがマリーやメイド達の朝食であった。
毎日焼きたての小麦パンが食べられるというのはすごい贅沢でもある。
残念ながらオーリルが起き出して来るのはマリー達が朝食を食べ終わった後で、一人寂しく甘いコーヒーを飲んでから出仕して行く。
父を見送ったマリーは読書や勉強で書庫か自室に篭るため、その時間に使用人たちは食事を取る
甘いものが苦手と言う者も多く、小麦やライ麦パンに前日の残りのスープやオードブル、ピクルスなどが彼らの朝食になる。
マリーがライ麦入りのパンが好きのため、クベールでは小麦パンと小麦とライ麦を混ぜたパンを半々で焼いているのだ。
ライ麦は北部や山沿いの寒い地域で主に栽培され、小麦よりの安価で流通している。
ベルン=ラース王国は広大な穀倉地帯に囲まれた土地のため、贅沢さえ言わなければ食べるものに困る事はほとんど無い。
穀類に限らず農作物自体が大量に生産され、主な輸出製品になっていて周辺国家の食糧事情をも改善させている。
そういった意味では、近隣随一の豊かな国といえる。
「普通はここらへんで、輪作とか土壌改良とかやるところなんだけど」
書庫で資料を読みながらブツブツと呟くのがマリーの日課であったが、いつもマリーに張り付いているアイシャには彼女の言っている事が一片も理解できなかった。
「土壌は元々豊かだし、連作障害に強い作物だけこれでもかって作ってるのよね。
いちおう大麦と小麦、小麦とライ麦で輪作はしてるのかな?
お米があれば連作障害とか怖くないんだけど、残念ながら見当たらないのよね…沼地とかけっこう注意深く見てるのだけど」
今彼女がめくっているのは古い農業書だ。
「ナス科の作物も無い、芋類無い、トウモロコシや大豆も無い。
う~、作りたい料理いっぱいあるのに材料が無いわ」
ラース古文字で書かれている難しい学術書をサラサラとめくっていく。
「とりあえず連作障害から敬遠され気味の作物を輪作対応するところかしらね?
砂糖も輸入に頼りっぱなしは面白くないし、甜菜が見つからないかしら…」
資料片手に報告書と計画書にペンを走らせていく。
この真鍮製のペンもマリーの発案でヴェンヌの細工師が作ったものだが、正式に流通していないものの評判が高く。
このペンを使えるのはクベール家と親しい貴族だけの特権になっている。
多くの者がまだ羽ペンを使ってる中でこの真鍮ペンは、書き味も線の細さにも優れた性能を発揮していた。
「このペンも特産品の品目に入れたいところだけど、お父様が止めるのよね」
戦争から帰ってきて以来、本格的に領政に関らせてもらえるようになって以来。
マリーは精力的に領内の技術開発に関ってきた。
もちろん独断でなど持っての他で、領主である父親に報告書と計画書の提出が義務づけられている。
そこで書類仕事のために真っ先に考案したのがペンとインクだ。
クベール領は鉱山も持っており顔料の産出も盛んだったため、インクに転用するための材料には事欠かなかった。
鉱山とともに製錬、鍛冶技術も有していた多くの職人たちに頼んだらあっけなくペン先を作ってくれたのには拍子抜けした。
角人の細工師がその太い指でやったとは信じられない細かい細工で、要求どおりのペン先を削りだしてくれたのだ。
クベール領には多くの亜人が住んでいる。
特に多いのは種族全員が職人である山羊頭の角人で、遊牧民的な生活をしてる牙人が続く。
どちらも人間がこのラース半島にやってくる前からの先住民らしいが、圧倒的多勢の人間に押され、人間の国の一部になる事をよしとした者だけがこうして都市部などに住んでいる。
半島でもまず真っ先に種族間激突があったらしい東部では未だに亜人差別が根強く。
気候も環境も穏やかな西部では比較的静かに共存できてはいる。
特にクベール領は融和政策を進めていて、近隣からも噂を聞いて亜人が集まりつつある。
手先が器用でモノ作りに優れる角人などは、工業都市であるヴェンヌにとってかけがえの無い人的資源であるし。
高い協調性や強靭で柔軟な肉体、早く遠い足を持つ牙人たちは優秀な斥候や狩人になる。
彼らが出来ないことを人がやって、人が出来ないことを彼らにやってもらえば、理想的な共生環境になるのではないだろうか?
元々そういう気質があった土地ではあるが、形として政策に後押ししたのはまだ幼いマリーであった。
アイシャを拾って帰ったマリーは、アイシャの将来のためか、亜人の現状を嘆いたのか、亜人の地位向上の政策を父に進言したのだ。
いや、この歳のマリーからしたらそれは強請ったのと大差なかったのかもしれない。
大量に亜人を侯爵家の事業や軍人として召抱えることになる。
遠まわしになるが、彼らの身元を侯爵家が保証するような事になった。
そんな事で差別などが無くなる筈はないが、クベール領では他所の領地に比べ圧倒的に亜人たちの扱いは良くなっている。
さらにマリー自身が積極的に亜人に関りに行っているのも大きいかもしれない。
角人の細工師や鍛冶屋、大工に次々と試作品の依頼を出しては、上手くいったものは規格化して製品としてクベール商会に売りつける。
そして収入は気前よく職人に還元される。
牙人の斥候とは領軍でともに鍛錬し、狩りの獲物を分けてもらい、料理を作って返す間柄だ。
軍務の時は存分に料理の腕を振るえるマリーは、領軍内では人種問わず絶大な人気を誇る。
ただそのために、マリーは領民に慕われる侯爵家の姫…ではなく、侯爵家の変わり者としてクベール領では有名になってしまっていが…。
「とりあえずこんな所ね」
報告書と計画書をまとめて書類箱にしまうと、次の案件に取り掛かる。
「陶器はまだいい土が見つからないそうだから、先にパルプの製造ね。
藁と木の皮から試していってもらおうかしら?
ついでに繊維の丈夫そうな植物の選定もやってもらえると…」
「マリー様、もう書類入れがいっぱいです」
「いけない…あまりいっぺんに書類作っちゃうと、お父様の仕事量が大変な事になるわね。
今週はこれぐらいにしておかないと」
思考に没頭しつつ、再び資料を読み直すマリー。
「本当はもっと本格的に内政に参加させてもらいたいんだけど…学生でいる間はむりよねぇ?
せめて卒業したらすぐ色々できるように準備だけはしておかないと…。
準備に時間かかりそうなものもそうだけど、やっぱり紙は量産したいわよね」
まだ羊皮紙が主流なこの国で、パルプ紙が作れるようになれば環境は大きく変わるだろう。
パピルスのような紙は南方から輸入されてはいるが、まだ国内では製法が確立していない。
国内では主に羊皮紙が生産され、公文書や重要書類等に使われている。
今マリーが使っているのは紙ではなく、木を薄く削ったものを紙の変わりに使っている。
クベール家ではインクとペンの量産には成功したが、まだ紙の大量生産が上手く行ってないからである。
ちなみに上級学校でも同じように薄く削った木を張り合わせたものを使っていて、それ以外の学校では木版に炭片に書いては消して使う。
インクも高価なもので、コレだけ贅沢に使えるのは上級貴族や大商人ぐらいなものだろう。
王家のインクはクベール候家が献上してるらしいという噂も聞いた。
まあ本当の事だが。
侯爵家や伯爵家が領地の特産品を王家に献上するのは特に珍しいことではない。
「マリー様、そろそろお昼の時間…」
「あら、もうそんな時間?じゃあ食堂に行きましょうか」
資料に熱中していたマリーはアイシャの言葉でようやく顔を上げた。
言われてみればお腹が空いている。
「ところでアイシャ、あなたも立ちっ放しで待ってなくていいのよ?
読みたい本があったら私が許可してあげるから・・・」
アイシャは激しく首を左右に振る。
「マリー様を見守るのが私の仕事です。
それが私の幸せなんです」
「そ、そぉ?」
クベール侯爵邸の昼は当主が居ない事もあり質素に済まされる。
家族が揃っているような時は別だが、今この屋敷にはマリー以外の主筋は滞在していない。
今日の献立はヒヨコマメのポタージュに、朝焼いたパン。
サラダに魚の燻製かハムが用意される。
料理長は妥協を許さない男で、品数や食材を抑える昼食にもしっかり手の込んだものを出して来る。
今日の魚の燻製はチーズを香り付けに使ったソースをかけて焼いてある。
ヒヨコマメを茹でて絞った豆乳に生クリームを入れ、煮詰めてとろみを出したポタージュは絶品だった。
サラダにはドレッシング代わりに刻んだ蕪のピクルスが散らしてあり彩りもきれいである。
領邸の料理長の弟子だそうだが、今では既にライバル関係と言われるほど腕を上げている。
他所からもスカウトされた事もあるらしいが、何故か全部断ってるそうだ。
「侯爵様のところが一番料理に手を掛け甲斐があるんでさぁ」
とは本人の談。
マリーが提案するレシピにも協力的で、逆に意見を返してくるほどである。
こんな料理人の作る料理を毎日食べてたら、そりゃ学校で出される食事に文句を付けたくもなる。
料理長からしても料理に理解があって、かつ自分の領分を尊重してくれるマリーは付き合いやすい主人であろう。
「もしお父様が職を辞して、王都の屋敷引き払うとか言い出したらどうするの?」
「できればマリー様の嫁入り先に付いていきたいですね」
「あー、そう来るのね…」
「マリー様は結婚の話になると急に口数少なくなりますね」
横からのフラウの意地悪な指摘に頬を膨らませて言葉を返す。
「だってする気が無いんですもの…したとしても婿を取って分家としてでもクベールの領政に係わって行きたいわ。
だから向こうから来る縁談はだいたい条件に合わないのものなのよね」
「その条件でもマリー様なら引く手数多だと思うのですが…」
「まあお父様が人知れず縁談を蹴っている可能性は否定できないわよね。
せめて学校に行ってる間はそういった話シャットアウトしたいとか、言ってそうだわ」
普通貴族は幼いころから婚約者が決まっていることは珍しくない。
遅くとも就学中には婚約者が決まり、卒業と同時に結婚するというのは良くある。
男なら成人を待って、女なら成人前でも、早くから家の結びつきを固める事を望まれる。
家の結びつきを固める…とは当然出産の事だ。
もちろん男の子の方が喜ばれる…場合によりけりではあるのだが。
「でもマリー様なら学校卒業後でも遅くはないと思いますよ。
西方の諸侯家ならクベール家との縁を結ぶチャンスがあれば、親類縁者から候補者をでっち上げてでも名乗り出てくるでしょう」
「そこまでがっついて来る家とかは嫌だなぁ。
何か諍いの元になりそう…。
私は平和に、着実に、領内の生活を向上させて行きたいのよ」
「他にはやはり光…失礼しました。
妻より弱いのは恥、と考える殿方が敬遠されてるのではないでしょうか?
従軍経験の無い方にこそ、そういった考えの方が多いと聞きます」
何かを振り払うようにてのひらでパタパタと頭上を払い、マリーは心底呆れたと言った反応で。
「なにか私はすごい武闘派に思われてるらしいけど、普通に平和が好きよ?
戦争だって好きで従軍したわけじゃないのに、なにかというとアレで呼ばれるし…というかあの名前広めたの領兵の誰かじゃない?
私はずっと領軍に囲まれていたんだから…」
「誰が言い出したかは解りませんが…。
やはり見目麗しい少女が国を守る為に外敵に立ち向かう…というのは、誰しも好むお話になるのではないでしょうか?
それに花を添える感覚で話を盛ったり、響き心地のよい名前を付けたり」
「マリー様、かっこいい」
「ありがとう。
でもアレは無いわよね…」
かの光刃の戦乙女の呼び名を忌避してるのは当の本人だけであった。
「マリー様、午後もまた書庫で調べ物をされますか?」
「ちょっと用事があるの。
出かけるから馬車の用意をしてもらってちょうだい」
配膳係りのメイドが確認を取る。
使用人としては主人の予定や居所を把握している必要がある。
そういった情報は上邸宅の家令に集められ、万が一の場合彼の支持で使用人たちが動くことになろう。
もちろんその中には領軍からの派遣兵も入る。
「どちらに出かけられるのでしょうか?」
「商会に顔を出すだけよ、お父様がご帰宅される前には帰ってくるわ
メイド長にはそう伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
クベール商会王都支店は商業区画にある。
王都の商業区画とは今で言うビジネス街のようなもので、問屋や事務所が集まっている区画である。
小売の商店などは商業区画の端から繁華街に向けて4本の大通りに専門店が並んでいる。
飲食店は繁華街や住宅街、市は大通りに立つなど、商業活動自体は街中で行われてはいるが。
もちろん商会は大通りにも小売店を出店している。
中規模の倉庫に事務所と従業員の居住スペースを合わせたような作りになっている王都支店は、その構造から冬は寒く夏は暑い。
その寒いなか、従業員は汗をかきかき商品を出し入れしてる。
はっきり行ってこの商会は人使いが荒い。
今で言うブラック企業と言って差し支えないだろう。
それでも早々人手不足に陥らないのは、こき使った分の給料はしっかりと払う…という会頭ドローリン・ハルカラ・クベールの方針によるものだろう。
さて、倉庫から裏に回ると事務所がある。
そこでは暖炉も無い事務所で事務員が寒さに震えながら書類仕事をしていた。
「ぼん、この寒さなんとかなりませんか…」
「残念だけど風以外の魔法に適正ないんだよね、俺は」
会頭の長男であるジャンリュックは若干15歳。
一応この国では成人したとされる年齢である。
「誰も魔法なんて期待してません。
暖房器具入れてくださいと…」
「ん~、暖房器具は入れられると思うけど、薪とか炭とかの費用はたぶん捻出できないな。
王都だとクベール領の数倍の価格になるから、親父が絶対許さないと思うよ?」
「向こうから運んでくるとか…」
「ただでさえ船が足らずに、向こうに荷物待たせてる現状だけどね」
「はぁ…」
クベール商会は近年凄まじく業績を伸ばしてきて、常に人手不足、商品不足、流通不足に苦しんでいた。
ジャンリュックが子供のころは商船1隻で行ってきた流通も、現在では中型船6隻に小型船4隻を駆使しても常に港に商品を待たせている有様であった。
「だいたい手を広げすぎなんですよ…ただでさえ商品足りないって状況なのに、次から次へと新商品を持ってくるなんて…」
「親父殿とマルグリットに言ってくれ…ちなみに今頃新型馬車の試作品が上がってるころだな。
具合がよければ量産して王都で組み立てて販売するそうだよ」
「馬車ですって!マズイですよ、もう倉庫に余裕ありません!」
番頭が悲鳴を上げる。
「そうだよなぁ、新しい倉庫借りるか、それともどこかいい物件売りに出てないかな。
組み立て用の工房も欲しいし」
「図面通りなら倉庫の一角で充分なはずですわよ」
勝手知ったる分家の店舗…というわけではないが、顔見知りの店員に案内されつつも声をかけずに寒い事務所に入ってくる侯爵令嬢が居た。
「・・・噂をすれば、ってヤツだね」
「そんな人をお化けみたいな言い方、失礼ね」
ジャンリュックの父ドローリンは現クベール候、マリーの父オーリンの弟である。
つまりは彼はマルグリットの5歳上の従兄弟に当たる。
勝気なマリーに物腰穏やかなジャンは相性がよかったのか、子どものころからかなり良い関係で、年齢も立場もこだわらずに軽口を叩き合う仲であった。
「でもさ、組み立てに設備いらないと言っても、組み立てた本体は場所取るだろ?
それに完成した馬車を運ぶ為に馬に繋ぐスペースも欲しい…貴族に売るなら装飾とかも施さないといけないし。
やっぱり新しい倉庫が欲しいよ…できれば港の近くに」
「それもそうね…」
「でも装飾に関してはアイディアがあるわ」
「ほぉ?」
クベール領ではマリーの"アイディア"という言葉に食いつかない職人や商人は居ない。
たとえ幼馴染で従兄弟のジャンであっても、ついつい身を乗り出して聞いてしまう。
「組み立てた素の馬車を、王都で馬車を取り扱ってる商会に売ればいいのよ。
小売じゃなくて卸売りね。
王都の商会なら貴族の好みとか、馬車に入れる装飾のつてとか持っているでしょう?
たしかに新型馬車は軽量化と強度と乗り心地では今までの以上性能はあると思うけど、外装や内装とかはたぶん…あまり考慮されていないと思うわ」
「設計者としての意見?」
「設計者じゃないわ、設計者は木工会の技師たちよ。
私はちょっとアイディアを出しただけ…もっとも図面は見せてもらってだいたいの構造は知ってるのだけど」
「なるほど…」
ジャンは木版と炭を取り出すと計算を始めた。
インクとペンは商品だ。
商人として高価な商品に手をつける訳には行かないというのが、親子二人の矜持であった。
「販売額を従来の馬車にちょっと乗せるとしても、貴族相手なら買ってくれるかな?
そういや最初の試作品って…」
「完成品第一号は王家に献上するんじゃないかしら?
商品よりも2台ほど先行で侯爵家に届く分があると思うわ。
もちろん2台目はウチ用だと思うわ…お父様の判断になるから断言はできないけど」
「つまり宣伝用は別途確保されてるって事だね」
「それに今試作品作ってるのだから、早くても増水期空けの輸送になるんじゃない?
あ、もしかして春お母様達がそれに乗ってこっちに来るのかも知れないわね」
「ふむ…さすがにちょっと皮算用も過ぎるか。
値段の事は置いといて話だけ通しておこうかな?
もしジェシカ伯母さんが新型馬車に乗って来るのなら、それを見せて乗せてもらってからでも遅くは無いだろうね」
何回かの試算の末、候補の数字をいくつか叩き出して手元の木片にメモしたジャンリュックは、計算の間黙って待っていたマリーに今更ながら問いかけた。
「おっと、そういえば結局今日は何の用事だったんだい?」
「私宛の荷物がそろそろ届いてるんじゃないかって思って。
でもその様子だとまだみたいね」
「船が予定よりちょっと遅れているんだ。
春の増水期前にできるだけ詰め込んで運んでるからね。
マリー宛の荷物が着いたら侯爵邸に届けるよ…久しぶりに貴族様の家で美味しいもの食べたいしね。
もちろん、ご馳走してくれるんだよね?」
憎めない性格のジャンリュックであった。
彼はこの性格を持って、上級学校で意外と広いコネを築き上げている。
リッシュオール公の子息もその一人だし、他にも商家から貴族まで友達以上の親交を得ている相手は多い。
そういった点はマリーより貴族らしい能力を持っていて、密かにマリーの結婚相手候補に名前も上がっていた。
当人たちは知らない事なのだが。
「そうくると思ったわ…アイシャそれを…。
これ、新しいレシピの試作品よ、みんなで食べてね」
こうしてヒヨコマメのおからを練りこんだケーキは、その日中に従業員たちのお腹に収まることになる。
甘さ控えめなのが残念そうではあったが、おおむね好評であった。
中には「コレがあるからココは辞められないんだ」などという声も上がっていた。