31牙人
牙人と角人はラース半島の先住民であった。
彼らは人間がここをラース半島と名付ける前から、自分たちをラース人と名乗りだす前から、この地に住んでいた。
この地は水が豊富で森と平原のバランスもよく、狩猟や木の実を集めての生活でもまだ余裕があった。
だから彼らは人間達を特に追い払うでもなく関心を示さなかった。
中には進んで受け入れて交流を始める部族すらあった。
だが…この地に農耕を持ち込んだ人間たちは、その数を爆発的に増やし始めたのだ。
ラース半島の豊かな土地は、農耕にも適していたのだ。
食料さえあれば人間はどんどん増えた。
そして増えればその人口を養う為にさらに広い土地が必要になる。
平原や森の部族と争いになるまでそう時間はかからなかった。
身体能力で勝る牙人は序盤こそ人間を圧倒したが、次第にその数に押され次々撃破されていった。
当時の人間が使っていたとされる原始的な魔術も一役買っていただろう。
次々となじみの土地から追い払われた牙人は、数を減らしながら西へ西へと追い立てられていった。
やがて水の豊富なミリュエレ湖の圏外から追い立てられた牙人たちは、さらにその数を減らしていったのだ。
それから数百年の月日が経ったころだろうか、ミリュエレ湖周辺ではその人口を支えきれなくなった人間たちは、また牙人や角人の土地にやってきた。
だがその土地にやってきたのは、東部での争いに敗れた弱い人間たちだったのだ。
彼らは牙人や角人と接触することなく、麦を育てるのに余り向いていない場所で細々と農業を始めた。
西部ではその環境が災いしてか、東部ほど爆発的に人間が増える事はなかったからだ。
だが徐々に数を増やしていく人間に対し、亜人たちはやがて選択を迫られることになる。
共存か――― 敵対か―――
その答えはまだ出ていないが、西部に限らず東部や中部の森や山には未だに亜人の集落があり、人間に抵抗している。
西部でも、人間に混じって生活する亜人は未だ少数なのだ。
それでもクベール領やオランジュ領では、彼らは軍籍を与えられるほどの立場を得ている。
未だ騎士には届かないが、シャンブルなどは騎士に準じた立場を与えられてさえいる。
特にヴェンヌでは角人が優秀な職人として侯爵家に保護や援助をされているのだ。
その答えはまだ出ていないが、共存を選んだ1人の牙人として。
シャンブルは駆けた。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
この夜襲、特に変わったことをするわけではない。
今までやっていた敵の斥候潰しを大規模にするだけだ。
まずは出来る限り接近してクロスボウで一斉射撃。
相手が体勢を崩したり敗走を始めたところに切り込むのだ。
普段と違うのは標的の数がこちらより多いことぐらいか、普段であれば魔術で補足されて敵部隊の倍の人数で当たるように指示されていたのだから。
だが今は闇が味方だ。
標的は見やすく、向こうからこちらは見えない。
包囲しつつ充分に削ってから切り込めばいつもと同じ結果になるだろう。
「いいか、第1隊の射撃を確認したら第2隊が撃つ、それを確認したら第3隊が撃つ。
それの繰り返しだ。
敵が目視できるのは明かりをかざしても精々6クォート(約15m)ほどだろう。
絶対その距離に入るなよ!」
オランジュ軍属の牙人斥候の3百人はクロスボウを持っていない。
これは差別されているからではなく、オランジュ軍にクロスボウが普及していないからだ。
しかし彼らはオランジュ軍人らしく弓の扱いに長けていた。
ショートボウを携えて、足を止めての射撃ならクベールの牙人部隊に引けは取らない。
「オランジュ軍じゃあ弓を使いこなせなきゃ正規兵とはみとめられんからな。
その所為で屯田兵扱いな連中は少なくないよ、人も牙人も」
オランジュ家の弓へのこだわりはまだ王国に組み込まれる前の当主が、木の魔術と弓の腕で無双ともいえる活躍をしたと言う伝承が残っているからだ。
しかも彼が使ったという4百年以上前の生きている弓が未だに残っているという噂もある。
本当にそんな昔の弓が残っているなら、それは魔術というものを超える魔法の領域になるが。
同じような話でクベールには雷を放つという雷光の槍という伝説もある。
シャンブルはその槍の真偽をマリーにたずねた事はあるが、笑ってはぐらかされた。
こういった伝説の噂は古い貴族なら多かれ少なかれ持っているし、それがその家の武力の象徴になることも珍しくない。
そして弓をその象徴として拘っているオランジュの弓兵の強さは折り紙つきだ。
「撃てっ!」
シャンブルの短い叫びと共に、弓鳴りが響き。
暗がりから松明に向かって数百本の矢が一斉に襲い掛かった。
「て、敵襲だ!」
「そんなバカな、何処か…」
「明かりを消せ!いい的になる!」
混乱した敵兵に、2射、3射と矢が放たれる。
接近しての射撃の所為か、命中率は3割ほどもあるだろうか?
敵の混乱に対して牙人たちの行動は冷静そのもので、的確に相手を追い詰めていった。
「槍兵の方に追い立てろ!」
隊長の指示で小まめに移動しながら撃ち続ける牙人達の動きは俊敏で、数秒も同じ場所にはとどまっていなかった。
敵軍には逃げるだけでなくその場にとどまって矢を撃ち返そうとする物も、逃げながら振り返って弓を引くものも中にはいたが、彼らの射撃は虚しく闇の中に吸い込まれていった。
移動する本隊に付いていけなくなった者は闇に飲まれ、速やかに止めをさされていった。
夜が白むころ待機していた槍兵の前に追い立てられた残存兵は2百人ほどになっていた。
その2百も、5百本の槍を突きつけられ降参する事になる。
「なんとも恐ろしいな、味方でよかったよ」
槍兵を指揮していたリシャールは、闇夜の狩人たちの手際にそら恐ろしさをも覚えていた。
オランジュ軍もクベール軍と同じく牙人の採用を行っているが、彼らの夜戦を見たのは初めてのようだ。
「牙人なら弓の制限とっぱらってでも採用してもいいかもしれないな」
牙人は人間よりも圧倒的に数は少ないが、投入タイミング次第では人間の数倍の戦果を上げられると証明された貴重な一夜だった。
この戦いの後より、西方諸侯は積極的に彼らを登用していくことになる。
今まで彼らを軍に入れなかったリオンロア侯家やアルバ侯家。
それだけでなく、戦争には参加しなかったブランシュ候家すら噂を聞きつけて牙人の採用を決めたのだ。
その実力主義がまた東部との差を広げていく事になる。
東部は確かに穀倉地帯として他に類を見ない豊かな土地だが、それ以外は全て西部に追い抜かれていく…。
豊かな農地はその地の支配者に大きな発言力を与えてきたが、もはやそれだけが全てではなくなってきたいた。
シャンブルの進言はこの戦いのみならず、牙人の運命も国力の流れも、大きく変えていったのだった。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「ベーシス軍の偵察部隊だったと?」
凱旋してきた部隊を向かえ、西部同盟は朝から軍議を行っていた。
「ええ、放った斥候がほとんど戻らない事に危機感を感じたらしいですね。
対応が遅すぎると思いますが」
既に粗方尋問は終わっている。
リシャールがまとめた報告を聞きながら、各諸侯家の人間と騎士たちは対応を協議していた。
「しかし千名もの部隊が行方不明になったとすると、流石に焦って動き始めるのはないでしょうか?
今はまだおとなしくしていてくれると助かるのですが…」
「今日明日にも異変に気づく事はあるまい。
こちらが援軍と合流するまでの時間は充分にとれるじゃろう」
情報を運ぶのは人だ。
そしてその、人の移動は馬や船よりも早く動けない。
「では、それまではまた斥候潰しに専念するのですか?」
「クベール侯爵令嬢には負担をかけるけど、敵の目を潰す作戦は必須だと思いますよ」
もはやクベール軍の基本戦術となった斥候潰しには、他の諸侯家が目を見張るほどの効果があった。
牙人の夜襲と同じで、向こうはこちらの位置がわからないが、こちらは向こうが丸見えになるのである。
これはすさまじいアドバンテージを与える。
それこそ2倍程度の戦力差をひっくり返すほどの…。
本来はマリーの魔術がなくても行いたいほどだが、確実に潰すほどの精度は彼女の魔術無しには不可能だった。
だからこそ今まではそれほどこの戦術は注目されなかったのだが。
「補給路は大丈夫ですか?」
「スピノワからここまでは確保済みじゃよ。
スピノワより西は掃除してきたから大丈夫だとは思うが、敗残兵が変な動きをする恐れはある。
充分に用心するようには言ってはある」
クロノア候家に補給の全てを押し付けるわけには行かない。
補給物資はクベール家、オランジュ家、リオンロア家から支出され、リーヌに集められると、順にスピノワに輸送される。
もちろんこの出資もバカにならず、どの家も長期間の戦争行動は遠慮したいところだ。
だからこそ早期決着を求められる。
敵の補給を潰すというのも手だが、長期戦だと王都の方が持ちそうも無い。
「敵陣地まで2リーン(約8km)ほど空けてのにらみ合いか、向こうとしてはこちらを無視してさっさと王都を落としたいだろうが…」
こちらを無視すればどうなるかは、初日に思い知らせたはずだ。
少なくともこちら側の部隊は城攻めに集中はできまい。
「王都に連絡を取らなくて大丈夫ですか?」
「ごめん被るな、宰相の事だから指揮権を渡せとか言ってきかねん。
ヤツの指揮では勝てる戦いも勝てなくなるわい」
どうやらギャストンの中では宰相の評価はかなり低いようだ。
「向こうから使者が来たらどうされます?」
「長期逗留してもらおう。
なぁに、有意義な視察になること請け合いじゃ」
そこまで冗談めかして喋っていたギャストンは急に真剣な顔になると。
「ワシはな、リシャール殿にもマルグリット殿にも指揮権を譲渡するのにやぶさかではない。
だがな、宰相や王族に指揮権の一部でも渡すのはとんでもないと思ってる。
大事な将兵を無駄に散らすだけじゃ」
言いながらも怒りが沸いてきたとばかりに、テーブルに身を乗り出して拳を握り締めた侯爵の熱弁は続く。
「そりゃ宰相の経済に対する影響力は認める。
だがヤツのそれ以外の能力は一切信用できん」
そこまで語りふと力を抜くと、テーブルの上の地図を指差すとこう一言締めくくった。
「ヤツがもう少し有能だったら、いま王都は包囲などされておらんじゃろう」
マリーやリシャールにとっては、宰相よりも獅子哮侯爵のほうがよほど信頼できたし、ランベルクは侯爵の言い分に納得できるところがあった。
王の代弁者という顔で、王のわがままをほぼ全て許している宰相の弱腰がこの状況をまねいたのは間違いない。
いくらアルメソルダの陰にベーシスがチラついているとはいえ、あのダンネルに出し抜かれるなんて宰相としてあってはならない事だろう。
ダンネルもフレドリッツも回りを見下している。
お互い見下していては世話が無い。
「ですがああいう人だから王も宰相に任命したのでしょう」
「そうじゃな、エチュドリール公が宰相のままの方が国としてはよかったのじゃが、それでは王はやりにくかろう」
「そういえば…エチュドリール公は、レ・クリュネはどうなったのでしょうか?」
「反乱軍がほぼ全部中央部から西部にいるという事は、おそらく放置されているのだろう。
打って出る余裕は無い…とな。
事実レ・クリュネの兵力では難しかろう」
「無事でいられるといいのですが…」
西部から遠征してきた諸侯家も、南部で活動してきたグランシャリオも、レ・クリュネが早期降伏した事実はしらない。
エチュドリール公爵がとうに王家に見切りをつけて、消極的にだが反乱軍に協力しているなどとは夢にも思っていないだろう。
幸いにして、包囲を突破して諸侯軍に繋ぎを付けようなどいう勇敢な兵士はいなかったらしく。
王都からの使者などは来る事は無かった。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「だからやつら等無視してさっさと王都を攻め落とすべきであろう!」
簡単に言ってくれる…がなり立てるダンネルを見ながら、ベーシス侯爵は思った。
そう簡単に攻め落とせれば、この2週間でとっくに攻め落としている。
もとより長期戦の構えで王都を包囲しているのだから、時間がかかるのは予定道理なのだが…。
少数とはいえ援軍がやってくるのは計算外だった。
それも警戒して伏兵を派遣していた西部からとは。
水上戦力は期待できないため、制海権を握られるのは予定通りだ。
王都さえ落としてしまえばどうとでもなる。
正当な血筋である第一王子を国王として据えれば奴らも抵抗は続けられまい。
そのためには確実に王都を落とし国王を弑る必要がある。
「ですが元帥、このままではまた城攻めを妨害されるでしょう」
ダンネルは今更元帥と呼ばれることを好んだ。
「ですから先に潰しておくべきだと…見れば2万ほどの軍勢。
3倍の我が軍で押しつぶしてしまえばいいのです」
言うほど簡単ではないだろうが、半数を背後に回りこませれば包み込むのも無理ではない。
無いとは思うが、これ以上援軍に来られては厄介だ。
トレノアは知らなかったが、今まさに5千の騎馬隊が半日のところに、1万2千の西方貴族軍が1日のところに迫っていた。
総勢4万になれば兵の質も、指揮官の能力も、従軍魔術師の魔術もあいまって、その立場は逆転する。
知らぬとは言えトレノアは今まさに今後の趨勢を握っていた。
マリーの魔術があるので簡単には後ろを取ることは出来ないだろうが、6万の軍勢で一気に攻め立てれば西方連合の2万では凌ぐことは難しいだろう。
「そんな事をしていたら王都を落とすが送れてしまう!
何より包囲を緩めてラーリに逃げられたらどうする?」
既に国王を呼び捨てか、まあその気持ちは痛いほどわかるが…今一番難航しているのがこの御輿の説得だ。
トレノアにしてみれば国王もダンネルも同じこと。
今すぐにでも呼び捨てにして罵倒したいところだ。
だが国軍を統括するダンネルを今殺すのはよくない。
新王にアルタインさえ立ててしまえばコレは用済みにできるのだが…。
「たしかに面倒なことになりますが、最悪逃げられても仕方ないかと…。
それに西部の連中をどうにかしない限りは城攻めもかえって時間がかかりますよ」
「ぐぬぬぬ」
なにがぐぬぬぬだ。
トレノアはイラつきを押さえるのに精一杯だった。
「西部に送り込んだ軍勢がそう簡単に壊滅したとは思えませんが、少数の敗残兵が逃げてきただけで連絡が途絶えたのが気になります。
王都は港さえ押さえておけばそうそう回復は出来ないでしょう。
ここは西方に気をつけるべきかと」
「クベールといい西部の連中はどいつもこいつも!ワシの邪魔ばかりしおって!」
貴様が奴らの進攻を握りつぶさねばもう少し対処のしようがあったのだがな!
バカほど扱いやすいと思っていたが、ここまでバカだと帰って扱いにくい。
まさか兵の報告よりも自分の妄想を信じるほど酷いとは…。
クベールが憎いのは自分もアルジャン侯家もそうだが、さすがに妄想に支配されるほど耄碌してはいない。
だから千名にもなる偵察隊を放ったのだが、彼らが情報を持ち帰るには数日はかかるだろう。
それを待って動くには遅すぎる。
「アルジャン侯爵、敵軍の魔術反応はどうなってますか?」
「これだけ距離があると魔力の流れも感じ取れん。
まあそれは向こうも同じだがな」
「こちらから向こうを探知することは出来ますかな?」
「遠見の魔術は光の専売特許じゃ、あの小娘でなくては難しい…」
こいつも使えないな。
トレノアはそう結論付けた。
クベール侯爵令嬢が恐ろしいのは、その魔術の応用力だろうとトレノアは見ていた。
用途も決めずに魔術のために魔術を研究してるアルジャン侯爵にはわからぬだろうが、必要とされる状況に合わせた魔術を組み立てるの上手いのだろう。
今まで誰も考えもしなかった魔術を次々披露して見せたのは、属性の多さにだけでなく、用途のための魔術構成を組み立てられるその発想力だろうとトレノアは見ている。
クベール侯家は潰したいが、あの娘は取り込みたい。
後ろ盾が無くなればどうにかできるか?
「とにかく、全軍であたるのは賛成できん。
国軍2万は包囲を維持するのに使うので、残りの4万で事に当たるがいい。
なぁに、相手の2倍もあれば充分じゃろう?」
勝つだけなら確かに充分な数だが、余裕を持って勝つにはギリギリの数だ。
余剰の兵力を少しでも残したいなら全軍で当たるべきだが…どうやらこれ以上の譲歩はする気が無いらしい。
ここは唯一の援軍が打ち砕かれて、王都の守備兵が戦意を喪失するのを期待するしかない。
「わかりました。
では4万の軍勢をお預かりします。
アルジャン侯爵、リベルナ侯爵、よろしくお願いします」
こうして4万の混成軍で西部諸侯連合を攻めることが決まったが、それは明らかに機会を逸していた。
彼らが陣立てしてすぐに攻めれば相手の疲労も手伝って、撃破も容易だっただろう。
だが彼らは2日の休息の機会を得た。
そして今にも援軍の第一陣が到達しようとしていたのだ。
"兵は拙速を聞くが、未だ巧久を睹ず"とは地球の兵法家の言葉だったか?
機は熟しすぎて地に落ちてしまった。
”兵は拙速を聞くが、未だ巧久を睹ず”
孫子の言葉で「兵を早く動かして上手くいったという話は聞くが、時間をかけて巧くいったという話は聞かない」とかそんな意味です。




