20刀身
王国暦418年 若葉の月(5月)。
多くの貴族は王都と領地に邸宅を持っている。
もっとも両方に大きな屋敷を用意できるのは伯爵以上の上級貴族ぐらいで、男爵ほどになると領地か王都のどちらかにしか家を持っていない場合も多い。
たとえ貴族といえども収入を確保できなければ贅沢はしていられないのだ。
さて両方に屋敷を持っている貴族はたいてい冬季は王都で、夏季は領地で過ごす事が多い。
すごし易さなら逆の方がいいのだろうが、冬は王宮の新年パーティーがあるため中々王都をあける事は難しいのだ。
代わりに夏から秋は領地で経営をやることになる。
もっともさらに裕福な貴族なら経営は代官にまかせ、一年中王都に居る事になるが…。
裕福な貴族であるクベール侯爵は官僚としての仕事もあり、1年のほとんどを王都で過ごす。
そういう場合は家族も一緒に暮らすのが通例だが、マリーは領地に居たがる為に母娘だけで領地と王都を適度に往復する暮らしをしていた。
その日も領地から王都へ馬車で向かっていた。
ウィルの誕生日を祝うためである。
「んふふ~ん♪」
鼻歌交じりにカチャカチャとしきりに弄っているのは、金の細工の入った短剣とその鞘だ。
短剣にしては握りが長めなため、少々不恰好に見える。
太さも短剣にしては太めで、魔術銀製の刃は握りと一体成型になって使い勝手はよくなさそうだ。
これは握りの中が空洞になっていて、魔術図式が刻んであるリングや筒がパズルのように組み込んであった。
そのためか見た目よりも重い。
これはマリーが設計した魔道具で、無茶な図面をとんでもない精度で削りだしてくれた角人の職人ダンガの力で、なんとか完成にこじつける事ができたのだ。
当然材質も、人件費もとんでもなくかかっている。
5歳の子供にプレゼントするにはいささか…いや、とんでもなく高価な品だ。
これを自分用に調整された銀の細工の短剣とあわせ、おそろいで作ってきたのだ。
ウィルには彼の雷の魔力を変換して、雷光の刀身を。
自分のには光の魔力を変換して、光の力場でできた刀身をそれぞれ発生させる。
完全オーダーメイド製である。
複雑で精密なこの魔道具をウィルの誕生日に間に合わせるため、最終調整は移動中の馬車の中でやる破目になってしまった。
母親は貴族の令嬢らしくなく、魔道具製作に精を出す我が娘を忌々しげに見つめるが、侯爵家嫡男であるウィルの誕生プレゼントと聞いているので文句までは言わなかった…が。
「マリー、せめてその鼻歌はお止めなさい。
はしたないですよ!」
「う、お母様ごめんなさい…気をつけます」
マリーは父親に強い分母親には弱かった。
ジェシカ・リベルナ・ウル侯爵正夫人はクベール侯爵の正夫人である。
伯爵家の令嬢として生まれ育った彼女はいい意味でも悪い意味でも貴族という生き方を体現していた。
そのためある意味脆かった彼女の心は夫であるオーリンが、ウィルとオードリーを屋敷に連れ帰ってきたとき一度は砕け散った。
もちろん彼女とオーリンは政略結婚である。
20代で両親を事故でなくし、家督を継いだオーリンは一刻も早く跡継ぎを作らなければならない立場だった。
それまで暢気にあちこちで浮名を流していたオーリンだが、その関係を清算して身を固める事となる…表向きは。
西部の友好な伯爵家からジェシカを娶っのは、彼が27歳でジェシカは19歳の時だった。
19歳といえばやや行き送れだが、もとより先代との間にクベール侯爵家と正式ではないが婚約の約束を交わしていたらしく、話が来ると同時にすんなりと結婚が決まった。
もちろんジェシカは政略結婚と貴族の義務は理解していた。
しかしだからと言って結婚相手に、愛情を感じてはいけないという事はないだろうとも思っていた。
特にオーリンは穏やかな紳士でかつ色男であったため、多くの令嬢がそうであったように彼に夢中になるも早かった。
今までの関係を清算したというオーリンの言葉を信じて。
オーリン・ハルカラ・クベールと言う男は理知的で誠実と言う評判であったが、それはあくまでも女性関係以外での話だった。
誰にでも欠点があるといえばそうなのだろうが、オーリンの欠点は少し行き過ぎていた。
本人は積極的に口説きにかかるわけではないが、誘われたらほぼ断らないのだ。
もちろん手を出しては拙い相手は避けるし、証拠の隠滅も上手い。
だから露見せずずるずると関係が続く事になる。
当然清算したはずの相手からも、誘われたらほいほい同衾を行う節操のなさもあった。
そんなオーリンが自ら求めた数少ない女性がオードリーだった。
夫が愛人と自分のではない息子を連れ帰った日、ジェシカの心は一度壊れた。
事前に側室を向かえるという意向を聞いていたのならまだしも、一言の相談もなく嫡男を産んだ愛人を連れて帰るという事は、跡継ぎを産めない自分は用済みなんだと思ったからだ。
実際はウィルの存在と、母子が実家であるアルフィス家でどんな扱いを受けているか知ったオーリンが、彼らを衝動的に連れて帰ったのだが、それまで浮気の証拠を残さなかったこともあり。
自分を見限ったオーリンが他所で密かに跡継ぎを作ったと思い込んだ。
その怒りと絶望はオーリンでなくオードリーに向かった。
この怒りが持続してたらあるいはモモの言うとおり、オードリーをいびり殺してしまっていたかもしれない。
そうならなかったのはひとえにマルグリットがジェシカの感情の軌道修正をしてくれたからだ。
マリーの父親の足蹴りは今でもクベール家内で語り草になっている。
父の足を蹴りながらマリーが言った事はジェシカの胸にストンと入っていった。
自分が何に怒るべきか、自分が何を恐れていたか、マリーが整理して伝えてくれたのだと思った。
騒動は結局オーリンが関係者全員に謝罪して終わったのだが、そのためか女性陣には妙な連帯感が生まれていた。
たぶん自分がオードリーとウィルを受け入れられたのは、マリーのおかげなんだろうとジェシカは思う。
口に出すと調子に乗るような気がして決して口に出せないが、自分には過ぎた娘であると思う。
もちろん欠点も多いが、彼女がクベール家の鎹になっているのは確かだろう。
ただもうすこしその目を家族の外に向けてくれるといいんだけど…とも思っていた。
そろそろマリーにも婚約の話があってもいい。
自分も結婚直前まで随分やきもきしていたものだ。
この娘ははやく身を固めて欲しいものだ。
そうすればきっとお転婆も収まるんじゃないかしら?心根は優しい娘だし…。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「ウィル誕生日おめでとう!
これ私からよ…」
「わぁ…!」
ウィルもやはり男の子だけあって、一見短剣に見えるマリーのプレゼントにはいっそう目を輝かせた。
「お姉ちゃんもしかしてコレ作るために向こうのお家へ行ってたの?」
「えへへ、それだけじゃないけどね…あ、これ私とお揃いになっててね、こう握って…」
さらに展開するブレードに大興奮。
「いい、絶対人前でやっちゃダメよ?
これは家族だけの、クベール侯爵家だけの秘密ですからね!
いざという時に身を守るためのなんですからね」
「うん!絶対秘密にするよ!」
ウィルにとって信じられないほどの嬉しいプレゼントだった。
姉の手作り(というわけでもないが)で、他に無いほどの魔道具で、姉とおそろいという嬉しい要素しかない。
5歳の子供なら注意されとしても有頂天になってしまうのは仕方ない事だろう。
さらに間の悪いことに、ウィルはクベール侯爵家の跡取りとして王城のサロンに上がることを要求されてた。
マリーも王都に居るときはよくウィルに付き添って登城するのだが、サロンでは男女別れるのが常で、マリーは当然令嬢たちの輪に入りざるを得ない。
そこで取り巻きをはべらせてるのは公爵令嬢のフランチェスカではなく、侯爵令嬢のエリザベートなのでマリーとは反りは合わないのだが。
子供だけで社交界の真似事だが、侍女や侍従の助言や、あるいは両親に報告など行うことで意外と小規模の社交界のような関係が生まれていた。
ただマリーは一歩クベール領関係者以外には壁を作る傾向があるため、ここでもボッチを楽しんでいた。
そんなマリーがやる事といったら、男の子だけの集まりに参加してるウィルの様子をチラチラ盗み見ているぐらいで、正直気持ち悪いブラコン丸出しだった。
そんな男性陣の雲行きが怪しくなったのは第三王子がサロンに現れてからだった。
このころまだマリーはボルタノの事を「ちょっとうとおしい」程度にしか認識していなかった。
側妃のお茶会の時は家に残してきたウィルの事で頭がいっぱいで、それほど印象に残っていなかった。
当のウィルは貰ったばかりの誕生日プレゼントをニコニコしながら弄りっぱなしで、鞘から抜いたり戻したり。
回りの少年達に問われると得意げに何か説明していた。
ウィルはマリーとの約束はちゃんと守っていて、これが魔道具だとは漏らしていない。
ただ、姉からのプレゼントで、姉とおそろいの高価な意匠の品だと自慢していたのだ。
といってもこの程度の意匠の品なら上級貴族の持ち物として珍しくはない。
幼い子はまだ刃物の携帯を許されないため羨ましがるぐらいで、むしろ地味だと指摘する者さえいた。
ただ、その「姉からのプレゼント」で「姉とおそろい」という事に反応する男が居た。
はっきり言ってボルタノはウィルが気に食わなかった。
ボルタノにとって今一番欲しいのはマリーの関心だった。
ウィルによく絡んでるのも、一緒に居ればマリーにかまってもらえると思っているからだ。
ウィルに関してはどうでもいい、ただマリーだけを追いかけていた。
ボルタノは今の自分の執着を理解できないでいたが、その執着に突き動かされてマリーを追いかけるのは決して嫌なことではなかった。
まだ恋も知らぬ年頃のボルタノにとって、マリーは母親を重ねる存在であっただろう。
またはウィルに自分を重ねるように、姉としてみていたいのかもしれない。
そんなボルタノにはウィルのその誕生日プレゼントが姉弟の絆の象徴に見えた。
何かを言ってから手を出したような気がするが、なんと言ったかよく覚えていない。
「王城に刃物を持ち込むなど無礼であろう?コレは私が預かる」
そんな感じの事を言ったと思う。
ただ当時6歳のボルタノがこんな言い回しはしなかっただろう。
気が付いたら油断していたウィルの手からソレを奪っていた。
しかし逃げるようにサロンを後にするボルタノの心中には喜びの欠片もなかった。
こんな事をしたら嫌われるのは解っている。
この歳で薄々でもそのように感じられるボルタノは決して感受性の低い子供ではないだろう。
だが彼は今まで色々な事を学ぶ機会を与えられていなかったし、愛情に飢えていた。
コレをウィルから取り上げたのも、嫉妬半分、マリーの気を引きたさ半分だろう。
歩き去りながらも何度も戻って返しに行こうかどうか悩むのだが、結局それはできなかった。
惜しかったし妬ましかった。
コレを自分のモノにしたいと言う欲求はボルタノが思った以上のものだった。
だからこそ衝動的に奪うなどしてしまったはずだ。
自分に贈られたものではないが、マリーのプレゼントだ。
そう思うと懐の短剣がやけに重く感じる。
実際普通の短剣よりもかなり重いものなのだが。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「信じられない!あんのバカ王子がっ!」
泣きながら謝るウィルを抱きしめ、マリーは柳眉を逆立て怒り狂っていた。
ボルタノの行動は本人が思っていた以上にマリーの関心を引いたが、本人が思っていた以上に怒りを買うことになった。
「返却を掛け合ってみるけど、まあ無理だろうね」
父親の情けない返答もまた怒りに油を注いだ。
「王族にロクな人間はいないのね!」
「マリー、それは否定しないけど他所で言ってはダメだよ?」
否定をしなくていいのかと思われるが、西部貴族はだいたい同じ意見らしい。
元々ミュリエレ湖を中心に勢力を拡大していたベルン家は、その大きな勢力を持って周辺の諸侯を従え王国を打ち立てたが、当時の王家と直接戦をした事のない西部諸侯は王家の事を軽く見るふしがある。
確かに今の王家を見ればそう思いたくなるのも解るのだが、いまだに王家の勢力はラース半島最大で他の追従を許していない事は変わりない。
愚王の治世が続き、王家の力が衰えたなら話は変わって来ると思われるが、幸い未だ愚王の治世が続いた事はない。
そう、今までは。
「取り返すのが無理となると、新しく作り直すしかないわね…」
心の中で制作費の試算をしてマリーはため息をはく。
「その魔道具に拘るね?」
「今のウィルにはまだ必要ないかもしれませんけど、魔道具は将来絶対必要になると思うの。
短剣サイズの武器が、魔力を循環させるだけで長剣サイズの武器になり、しかもそれはウィル本人にしか仕えない。
次期侯爵の護身具としてこれ以上のモノは無いと思うんですけど?」
「まあ確かに、ウィルにしか使えないって所は重要だね」
しめた!お父様が食いついてきた…とマリーは心の中で舌を出す。
もっとも騙してるわけではなく、この魔道具のメリットは全部本当の事だ。
ウィルかわいいマリーにとって、ウィルの命を守るであろう魔道具の存在は非常に重要なのだ。
「正確にはお父様も使えますわよ?
雷の属性持ちである程度の魔力を持っていて…クベール家の直系の特徴ですわね。
直系のウィル向けに作ったんだから当たり前ですが…」
そう考えれば今後クベール侯爵家の当主に代々受け継がせることもできる。
触媒の魔術銀が尽きるまでではあるが…そのころには自分は生きて居ないだろうし、修復のための資料を残しておく必要がある。
「わかったよ、では侯爵家の資産から制作費を援助しよう。
ところで殿下に取られた魔道具は放っておいても大丈夫なのかい?」
「正直解りかねますわ。
宮廷魔術師に簡単に解析はされないと思いますけど…?
あれの発動には3つの条件があって、それを満たしてるのはお父様とウィル以外に居ません。
強力な雷の属性、高い魔力、そして稼動のための魔力循環の方法」
「たしかにその3つの条件を満たしてる者は王宮にはいないだろうね。
困るのは解析された場合か…」
「特に解析を妨害する機能とかは付けていませんので…」
東側の魔術の中心は二つある。
ひとつは王宮の宮廷魔術師とその弟子たち、もうひとつは北部の自領大都市リベルヌに大規模な研究所を持つアルジャン侯爵家だ。
対抗して西部の魔術の中心はクベール侯領のヴェンヌである。
これはマリーが生まれる前からの話で、元来クベール領、というかヴェンヌは魔術他の技術や工業で栄えた都市だった。
ところが近年この配置が変わりつつあった。
次々と新しい技術や術式、魔術師の育成法などを打ち出すヴェンヌは西方のみならず国内一の技術都市の名を呼び声が高い。
特に魔道具の評価が近年著しく上がっている。
多くの学者や技師、そして魔術師がヴェンヌへの留学を望むほどだ。
当然王都やリベルヌは面白くない。
だからこそその差を埋めようと、少しでもその知識と技術をこそぎ取ってやろうと待ち構えているのだ。
もちろんそんな事もヴェンヌとしても承知で、だからこそ東部や中部よりも西部から優先して学徒や徒弟を受け入れるように制限をかけている。
そうなるとまた、学ぶ機会を奪われたと東部や中部の技師や魔術師の反感を買うという悪循環に陥っている。
東西の対立を煽るようになってしまっているが、だからと言って西部の知識財産を東部や中部に流しだしたくは無い。
頭の痛い問題ではある。
「仮に解析されたとしても、アレはダンガの力なくしては絶対複製不可能です。
角人の力を認めない東部には今後とも追いつかれる事はありえません」
魔道具の製作には金属の細かい加工が必須になる。
その加工技術は魔術師や魔術技師の門外不出になっていた。
ところがマリーはその部品の加工を金属細工師のダンガに丸投げしてしまったのだ。
これが大当たりで、この角人の細工師は、人間の魔術師では加工不可能な細かい部品まで図面一つの指示で作って見せたのだ。
近年ヴェンヌ産の魔道具が優秀な理由は、他の魔術技師たちもマリーに習いヴェンヌに集う鍛冶屋や細工師に細かいところまで部品の製作依頼をするようになった事に他ならない。
特に角人の職人は人間よりもはるかに細かく正確な加工技術を持つため、もはや彼ら抜きではヴェンヌの産業は成り立たないとまで言われるほどになっている。
これは亜人迫害の盛んな東部では実現不可能だろう。
東部に住む僅かな角人や牙人は教育の機会も与えられず、小作人や下働き以外に生きていく術を与えられない。
西部の角人も東部に移住など考えまい。
「亜人迫害を続けている限り、今後も差が開く一方だとおもいますわ」
ヴェンヌ産の馬車の装飾と販売を王都の商会に丸投げしたのもこの発想で、意外なことに今まで明確にこの国には無かったことである。
マリーがヴェンヌにもたらした「作業分担」という概念は、これから王国西部を席巻していくことになるのだった。
そして十数年先には、それは自然に洗練されライン製造にまで発展する。
それはヴェンヌをラース半島一の工業都市にし、交易の流れも大きく変えてしまう事になる。
グリップのサイズはリポビタンDの自販機用の瓶ぐらいです。
そっから10cm(約1/25クォート)ほどの実剣が生えてます。
ライトセイバーの柄よりはコンパクトです。




