19執着
さて新しいメンバーを向かえ始まった学園生活であったが、もちろん平穏には行かなかった。
モモ男爵令嬢はまったく懲りていなかったからである。
むしろジスレーヌ女史に礼儀作法を叩き込まれた所為か、護衛に門前払いされにくくなった事でさらに調子に乗ったともいえる。
ただボルタノの近くにターゲットが固まってる所為か、ウィルやマリーの方にあまりやってこないのが救いだ。
「どうやらセドリックとアランもターゲットだったようね…」
「セドリックはともかく、アランは爵位を持っていないけどいいのかな?」
「さぁ…普通に男爵家の令嬢と考えると悪くない組み合わせではあるけどね。
彼の父親は国の要職についているのだし、スタード家と縁を結ぶのは男爵家にとって悪い選択ではないわ。
ピンキー男爵家の跡継ぎはちゃんと他にいるのだから、嫁ぎ先は長男が望ましいのだけど」
モモ以外はまじめでいい人たちらしいが、どうしても想像できない。
サロンズを分裂させて考えるしかないようだ。
何回口に出しても"ピンキー"の家名は慣れないなと思う。
そこだけこの世界の命名の法則から外れてるように感じる。
私の知らない言葉で何か意味があるのかと、思いを飛ばしたりしてみた。
自分が話せるのはラース語、カラ語、オリヴァ語、アルト語…他に何かあったかな?
北方で使われてるセイル語やスィレンドラ語。
ラキニアで使われているフーダー語。
サマルカンドで使われるルーカンド語。
南方のスワキス語はセイル語が話せれば理解できるそうだ。
この中にピンキーにあたりそうな言葉は…。
そこまで夢想したとき、穏やかな午後のお茶の時間は破られることになる。
「お邪魔するよクベール侯爵令嬢」
突如サロンに顔を出したのは、珍しくせわしない雰囲気をまとった公爵子息だった。
背後から申し訳ない表情で守衛が続く。
「邪魔だと判っているのに顔を出すその神経は理解できませんわよ」
「そう怒らないで欲しい。
実は助けて欲しいんだ」
「あら、天下の公爵子息サマが侯爵令嬢ごときに何の助けを必要とされてるのかしら?」
第三王子の次にコーヒーが不味くなるその顔に、露骨に機嫌を悪くしたマリーは珍しく自分から舌戦の口火を切った。
しかし…。
「時間がないから単刀直入に言うよ、ボルタノを止めて欲しい」
しかし普段悪意を受けると楽しそうに悪意を帰してくるはずのオリオルズは、見たこともない真剣な顔で用件を切り出してきた。
「第三王子殿下を?何があったのです?あと何で私に」
「怒ったボルタノを止められそうな人間を僕は他に知らないんだよ。
あと、君には不本意だろうけど、まったく無関係って訳じゃないらしい」
「怒る?殿下が?」
言われてみて初めてマリーは、ボルタノが怒ったのを一度も見たことがないのに気が付いた。
「僕も初めて見たよ。
ボルタノはああ見えて無神経の裏返しかけっこう寛容でね、滅多に怒る様な事はないんだ」
だからこそ扱いやすいと思ったんだけどね、とオリオルズは心中だけで付け加えた。
「実は僕もあんなボルタノは始めて見たんだよ。
だからどう対応していいかちょっとわからなくてね」
オリオルズの真剣な顔もそうだが、たしかに普段見ないところを見ると対処に困ってしまうものかもしれない。
マリーは慌しく席を立ち、オリオルズに続いてサロンを出る事になった。
「無関係でもないとはいったいどういう事なのです?」
「ボルタノの怒った理由がさ、君への悪口を聞きとがめた事なんだから」
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
モモ・ピンキー男爵令嬢は腰を抜かしていた。
目の前では既視感のある光景が広がっていたが、感動する心の余裕は吹き飛んでいた。
彼女の知るシーンでは、ヒロインへの悪口を聞きとがめたボルタノ王子が珍しく激昂して腰の刀(飾り)に手をかけるも。
ヒロインに止められて2人の絆を確認しあうイベントなのだが…。
実際ボルタノが怒ったのはマリーに対する
「女だてらに戦場に出しゃばるとは分を弁まえていない。
あの程度の事機会が与えられれば俺たちでもなしえる事ができる」
というたわいもない中傷だった。
後ろ半分だったらボルタノも聞き流していただろうが、前半分は聞き流せなかった。
家族のために女の身で出陣したマリーの事を当時どれだけ案じたか、力になれない自分の無力さをどれだけ恥じたか。
ウィルのために家族のために身を危険に晒すのに、勇気が要らなかったはずもない。
無分別な子供のたわ言と流せないほどにはボルタノは狭量だった。
そしてもちろんモモの言葉などボルタノの耳には届かない。
だいたいそのイベントはもっと後、好感度がかなり高くなった後での話のはず。
刀にかけたボルタノの手をアランが必死になって押さえているが、何時までも押さえておけるわけではない。
だいたい元凶の学生もさっさと撤回か謝罪すればいいのに、何で黙って震えているのか…。
ボルタノの右肩を押さえているセドリックは頭を抱えたくなった。
即効で消えたオリオルズが恨めしい。
本当に腹の立つヤツだ!
「殿下!」
その声と共にまるで海が割れるように人だかりが割れ、そこにはオリオルズと彼に伴われサロンに入ってきたマリーとウィルが居た。
来る者拒まない王族のサロンには連日多くの貴族の子弟が出入りしている。
公爵家のサロンは閉まりっぱなしだし、侯爵家のサロンは招かれる相手は決まっている。
だから下級の貴族が上級貴族におもねるには一足飛びに王家のサロンにお邪魔するしかない。
もちろん王家のサロンとなれば充分な広さを持ってはいる。
なにせこのために二部屋を繋げているのだ。
「…何をなさっていらっしゃるのですか?」
勤めて冷静さを装ってマリーは語りかけた。
もちろん心中穏やかではない。
こんな騒ぎを起こすボルタノに呆れ腹が立っている。
たとえ自分の悪口が発端だったとしても、マリーからしたら余計なお世話だ。
本人だったら笑って聞き流してるところだ。
「おお…マリーか…」
まっすぐ自分の方に向かってくるマリーを見て、ボルタノは顔色を失った。
ボルタノには分かっていた。
こんな事をしてもマリーは喜ばないことを、それどころか軽蔑されて見捨てられかねない事を。
しかしそれでも許せない事もある。
ボルタノは感情を抑えるのは苦手である。
ふだん穏やかなのは彼の感情を動かすに値するものがほとんどないだけの事でしかない。
「第三王子殿下、他家の女性を気軽に愛称で呼ぶものではありませんよ?」
そんな恐れが肩透かしされるかのように、マリーがいつのも言葉を返してきた時、ボルタノは心から安堵した。
「はは…は…、しかし、私とお前の仲ではないか?
私の事もボルと呼んでくれてもいいのだぞ?」
無言で近づいてきたマリーが、自分の襟元にのばす白い指にその視線は釘付けになっていた。
「ほら、襟が寄れて居ますよ…」
マリーが自分の服装を直すのを、ボルタノは信じられないものを見たような目で見ていたが、その顔がパァアっと輝くような笑顔に変わっていく。
今までマリーがウィルの服装を直してあげるのを見ていて、羨ましいと思わなかったことなどない。
「そ、そうか、世話をかけるな!」
見るからに機嫌が直っていくボルタノを見るに、周りの観衆は安堵の息をもらしていた。
当のマリーはそんなボルタノを「うぜぇ」としか思えないのだが。
「マリー様!」
大きなバスケットを抱えたフラウとアイシャが小走りにサロンに駆け込むと、バスケットの中身を広げていく。
マリーはパンパンと大きく手を打ち鳴らすと、サロンを見回しながら
「さあ、皆様お騒がせいたしました。
差し入れにいくつかお菓子を持参いたしましたので、召し上がって落ち着いていただければ幸いですわ」
当の学生はこの隙にアラン達が連れ出したようで、もうそこには居なかった。
丸く収まったとは言いがたいが、なんとか場を誤魔化すことは出来たらしい。
見る間に無くなって行くお菓子の山はマリーの溜飲を少しだけ下げた。
やはり自分の作った料理が好評だと料理人冥利に尽きる。
明日の昼の分までの用意分が無くなってしまったが、まあまた焼く楽しみが出来たと思おう。
「もう!何なのよいったい!」
唖然と傍観していたモモ・ピンキーは、場が落ち着き自分の立ち位置が見えてくると顔を真っ赤にして叫びだした。
「ソレは私の役目なのに!
なんで悪役令嬢のあんたが横取りするのよ!」
「ピンキー男爵令嬢。"あんた"などという言葉遣いは貴族令嬢の使う言葉としては不適切です。
すぐに訂正なさいな」
「姉上、訂正させるのそこではないのでは?」
「本当に止めてくれないか?
また殿下を荒らげるような事を言い出すのは」
アランやセドリックにとっては死活問題だ。
今回の件でボルタノが万が一怒ったとしたら、自分たちでは止められないと知ってしまった。
オリオルズが素早くマリーを呼びに行かなかったら、ヘタをすると無礼討ちのような自体になっていたかもしれない。
そうなれば当のボルタノも、お目付け役の自分たちもただでは済むまい。
「ちょっと落ち着きなさいよ、何怒ってるの?」
「サロンで騒ぐのはマズイ事ぐらいわかるだろ?」
モモの級友らしい生徒数人が青い顔をしてなだめようとするが、彼女はそれすらも気に食わないようで。
「何よ!あんたたちモブが何を言ってるのよ」
彼女がそう叫んだ瞬間の事だった。
パシッ…と鋭い音がサロンに響いた。
それがモモの頬を叩いた音だと回りが気づくのが遅れるほどに、マリーの突然の行動に当の男爵令嬢はもとより回りも反応できなかった。
「訂正なさい」
「な、何を…」
するの…と続けたかったのだろうが、今まで打って変わって厳しい表情のマリーはそれを許さなかった。
「モブなんて人は居ません。
ここに居る全ての人は貴族、平民に関らずみんな生きている1人1人の人間です。
モブではありません」
「うるさい!モブをモブと言って何が悪いのよ!」
「いいかげんに目を覚ましなさい…コレはゲームではなく現実です。
貴族も、平民も、町の人も、兵士も、みんな一人ひとり心と命を持っているのです。
貴女もね、モモ・ピンキー男爵令嬢。
ゲームオーバーって貴女の死に他ならないのよ?ゲームクリアもないのよ?やり直しなんて利かないのよ?」
「これは…ゲームで、私は…ヒロインで…」
「前にも言ったと思うけど、ヒロインならヒロインらしくなさいな。
場所も礼節も弁えず暴れたり、級友をモブ呼ばわりするのはヒロインのやる事ではないわよ…」
幸いこの会話を理解できるものはここには居なかった。
マリーとモモが2人だけに通じる何かの符丁のようなもの、特殊な価値観を前提として会話しているのに気づけた者は数名いただろうか?
「あなた前世に未練があるのかもしれないけど、それは諦めなさい」
はっとしたように顔をあげるモモ。
「それでは殿下、申し訳ございませんが、私たちはこれで退室させていただこうと思います」
残念そうなボルタノを尻目に、一礼し身を翻すマリーの背中に、モモの悲痛な声が届く。
「ちょっとあなた何を知って…」
「何も知りませんよ、今生きている人生が唯一の現実だって知っているだけ。
さ、ウィル帰りましょう。
明日の分のスコーンとクッキー焼かないと…今度は全流粉クッキーに挑戦してみようかしら?」
「全流粉ってなに?」
「衾まで挽いた小麦粉の事よ」
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
マルグリット・ウル・クベールは泣かない赤子だった。
生まれてすぐは一言も声を上げなかったため、産婆は死産だと思って顔を青くしたという。
身じろぎもせず縮こまった状態で取り上げられたかと思うと、まるで「もういいの?」とでもいいたそうな感じで一拍置いて動き出したそうだ。
夜鳴きに限らず驚くほど声を上げない子で、おむつが汚れた時とお腹が空いた時だけまるで合図を送るように短く声を上げるだけだった。
こんな手のかからない子は初めてだと、乳母も非常に驚いていた。
マルグリットの不思議さは目が開くようになってからも現れた。
まるで観察をするかのように乳母や侍女の動きをじっと見つめるのだ。
無言の赤ん坊に凝視されるほうはたまったものではないが、視線を意識して振り返り目をあわすと、まるで照れくさそうにニッコリと微笑むのだ。
不気味である。
不気味ではあるが、そのかわいらしい反応に思わず頬も緩むのは確かで。
父親や母親だけでなく使用人にまでアイドル扱いされていた。
ただ成長しても余り喋らない子供だったのが、父親にしてみれば不安材料だった。
言葉は確実に理解している。
必要な事は喋るし、ストラガ文字ならある程度理解しているフシさえあったが、必要迫られない限り言葉を口にしない子だった。
貴族は口が武器なところがある。
無口と言うのは戦争で言う寡兵のようなもので、将来宮廷や夜会で苦労はしないだろうかと案じられていた。
それが3歳のころ、王都のクベール邸に滞在中にスラムの近くで半爪人の娘を拾って来て以来変わって行った。
言葉も満足に話せないその娘にラース語を教えるために積極的に話し出したのだ。
オーリンやジェシカがアイシャを受け入れたのはこれが理由だったし、もしかしてマリーはそれも計算に入れて会話を増やしたのかもしれない。
そのころからかマリーは暇さえあれば魔術の本を読み、独学で魔術の才能を開花させていった。
ただその属性はクベール家の雷や火、風ではなく、光と水、風、氷だった。
その事にオーリンは最初戸惑ったが、妻の家系に潜在的に受け継がれてきた属性と納得したようだった。
ジェシカの父方のウル伯家でも、母方のリベルナ侯家でも光の属性の発現は見られていなかったが、これはメリヴィエも光の属性を発現させたことで以前信憑性が高まったといえる。
貴重な光と氷の属性顕現に加え、大人でも舌を巻く魔術構成の才能を見せたため近隣どころか王都までその噂が届いてしまった。
しかし光の属性顕現はいいことばかりでもなかった。
光の属性が発現したのが知られるようになると、教会から再三に聖女認定の誘いを受けたが、その意味を知っているオーリンは断固拒否し続けてくれた。
それでも諦め切れなかったらしく、王家を通してまで召し上げようとしたが、これも反対勢力に資金援助したオーリンが潰えさせるのに成功している。
教会は権威を大きく落として久しいため、回復にシンボルとしての聖女を欲していたのだ。
王家への伝手すら弱まっており、それが幸いしてマリーを守りきる事はできた。
そしてマリーが5歳のとき、ウィルがオーリンに連れられクベール家にやってきた。
オーリンの名誉のために言うと、彼は3年以上も息子を放置していたわけではなく。
3年以上前に息子が産まれていたことを知らなかったのだ。
ウィルの母であるオードリーはオーリンに迷惑を掛けることを恐れ、生家にもウィルの父親の名前を告げていなかった。
たまたまアルフィス男爵に会った時に、庶子が父親も知らない子を産んだと愚痴られて発覚したのだ。
しかし、「手を出す前に家に迎え入れろ!」というマリーの主張は至極もっともなことであった。
マリーはウィルを可愛がった。
少しいき過ぎかと思われるほどに。
母親であるオードリーが困惑するほど、母親が遠慮して控えている分も、ウィルについて回ったのだ。
家に来たときは歳相応とはいえない陰気さに包まれていたウィルであったが、マリーに影響されて徐々に明るくなっていった。
マリーがどうしてこれほどまでにウィルに執着するのか、だれも理由は解らなかったのだが。
そのウィルが5歳の誕生日の後、あの事件は起きた。
それまでマリーは特にボルタノを嫌っていたわけではないが、好意の反対が無関心だとするとまさにソレだったと言えよう。
ボルタノの評判の悪さにも気を止めていなかったが、彼がマリーに対する執着を強めていくとは反対に、マリーからボルタノへの関心は薄れていった。
彼女に弟ができたのがその大きな要因だったと、彼女を観察していた者がいたら気が付いただろう。
もちろん、ボルタノはマリーの観察を怠ってはいなかった。




