17再来
入学式はつつがなく執り行われた。
今年はアホの横槍も無く、マリーもスケジュールを気にする必要は無かった。
学校としても問題児はさっさと放り出したいと言うところか、彼も去年無事卒業したと聞く。
今年もまた貴賓席のような場所にバカ王子と並んで座らされているマリーは、不機嫌そうに会場を見回していた。
「あら?」
彼女の目に留まったのは、ホールの入口でこそこそと内部を伺ってるモモ・ピンキー男爵令嬢であった。
彼女のピンクの頭は非常に目立つ。
兄でありストッパーであるはずのサロンズの姿は見えない。
「何をやっているのかしら?」
いやな予感しかしない。
「どうかしたかマリー?」
上機嫌のボルタノの声が癇に障る。
こっちはお前の所為でご機嫌斜めなんだよ、と言いたい。
「第三王子殿下、他家の女性を気軽に相性で呼ぶものではありませんよ?」
「ふぅむ、しかし私とお前の仲ではないか?
私の事もボルと呼んでもいいのだぞ?」
ひぃぃぃ!
凄まじい悪寒を感じ、マリーは心の中で悲鳴を上げた。
なんでこのバカ王子は自分の都合のいいようにしか物事をとらないのか?
だいたい隣に座らされているだけでも嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でしかたないというのに!
だいたいクベール候家は、王妃やその生家であるアルメソルダ公家と政治的に敵対してるって理解しているのか?
お願いだから理解して!
「とんでもない!恐れ多いですわ」
張り付いた笑顔で必死に否定するマリーが救われたのは、ありがたいお言葉を上級貴族どもに邪魔された校長の不機嫌そうな咳払いにだった。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
動き難い学校の制服も2年も着ていれば慣れた物で、人ごみをスムーズにすり抜けられるほどには着こなせている。
入学式の終了後、一年生たちを壁にする事で王子をまいたマリーは、ホールの外で待機していたフラウたちと合流し、クベール侯爵家へとあてがわれたサロンに向かっていた。
サロンとは言っても呼び出す取り巻のいないマリーにとっては、ちょっと広い個人スペースに過ぎない。
今日からそこはウィル達も使うことになるが、ウィルに取り巻きとか招待するような親しい相手ができるかはまだ解らない。
そんな相手が出てきたなら、精々御もてなしをしてあげるだけだけど…いろんな意味で。
と不穏なことを考えていると、サロンに続く廊下の途中でウィル達がピンク色の頭に絡まれているのが目に入ってしまった。
「だから、君の言う事は意味が解らないって!」
「隠さなくてもいいの!姉に虐められてるんでしょ?あの悪役令嬢に!」
あまりの内容に力が抜けてへたり込みそうになる。
そうか、そう来たか…。
「アイシャ、悪いのだけどサロンズ・ピンキーを探してきてくれるかしら?」
「マリー様、サロンズ・ピンキー男爵子息は去年卒業されました」
走り出そうとしたアイシャを制し、付け加えられたフラウの指摘に思わず天を仰ぐ。
そうか、だからさっきから側についていなかったのか。
「じゃあ、あれは私がなんとかしなくてはいけないのね?」
「ウィル様では荷が重いかと・・・」
しかし振り返った視線の先では、さらにヒートアップしているモモ男爵令嬢の姿があった。
「だからお母さんを虐め殺された悲しみで自分の殻に篭ってるんでしょうけど、そこは私が…」
「僕の母親は健在だよ!
誰かと間違っているんじゃない?
人違いだとしてもかなり失礼だよ貴女は」
「マリー様しっかり!」
思わず膝から崩れ落ちてしまったマリーを心配そうに支えるアイシャに掴まり、なんとか立ち上がろうとするマリーであったが。
「そんな!ウィル君は父親の浮気で怒った継母とその娘にお母さんを虐め殺されて、悲しみのあまり殻に閉じこもってひたすら貴族を憎んでるはず!」
再び強烈な立ち眩みを感じ、その場に突っ伏した。
「継母という言葉の使い方間違っているんじゃないかしら…?
あら、合ってる?」
「マリー様、逃避しないでください!
ほらウィル様もこっちに気がついて助けを求めてるじゃないですか」
「お父様の浮気の部分だけはあってるから性質が悪いわね…」
覚悟を決めたマリーは、ウィルに向かってさらにヒートアップしつつあるピンク頭の背後に歩み寄った。
「ウォッホン!」
咳払いをひとつ。
「それを私との愛を確め合うことで貴族も悪いものばかりじゃ…」
「ウォッウォッホン!」
もう一回。
「その時悪役令嬢が邪魔をしに現れるのよ!散々虐めたくせにいざ他の人と…」
「いい加減になさい!
こっちに注意を向けようと咳払いしてる私の身にもなりなさいな!」
一向に気づく気配の無く、ウィルにまくし立て続けるモモに痺れを切らしたマリーはとうとう叫んでいた。
「あーっ!悪役令嬢!」
「人を指差すんじゃありません!
これ前にも言いませんでした?!」
マリーは派手なため息をつくと、ズズッとモモの顔を近づけて続けた。
「まったく…あなたは貴族としての礼儀作法以前に、人としての礼儀作法から学びなおす必要がありそうね。
道徳の時間に一般的な礼儀は学んでこなかったの?」
「なによ、そんなの貴女には関係ないでしょう!」
「前にも言いましたが」
さらに一歩近づきプレッシャーを与える。
「関係は大有りです。
私はこの学校で貴女の上級生に当たる上、生家の爵位が貴女より上です。
上級生として貴女を指導しなければならないという責任が発生するのです」
「先生でもないくせに!」
「あなた先生方の言う事も聞かないでしょう?
貴女みたいな方が偶に入学されるそうなのですが…そのためこの学園ではもっと現実的な方法で、生徒に貴族の縮図を教えてあげないといけなくなっています。
簡単に言えば、あまりにも目に余るような生徒は貴族社会からつまはじきにされるという事ですね。
村八分ですムラハチ。
それは貴女だけの問題ではなく、あなたのご家族にも影響するという事を自覚するべきです」
事前にフラウに調べてもらった情報がある。
驚くべきことに、サロンズを含めピンキー男爵家の評判はすこぶる良好だった。
…娘のモモ以外は。
親子3代で人柄実務能力ともに評価が高く、父は官僚、祖父は代官をそつなくこなしているとのこと。
父のエドモン・トルベク・ピンキー(男爵位は未だ祖父が持っている)は財務省勤務で、なんとクベール侯爵の部下であった。
オーリルから見ても実直ですぐれた人物だそうで、「爵位さえ高ければ副長官を任せてもいいんだが」とまで言っていた。
「あなたお父様が財務局勤務で、お爺様が西部で代官をなさってるそうね。
親子2代で同時に士官の口を得ているなんて、優秀な方たちなのでしょうね…ですが、貴女の言動があまりにも酷いとその優秀なお父上方に迷惑を掛ける事になりますよ。
クベール侯家が何かしなくても、貴女が私やウィルに絡んで来てるって知られるだけでも、罷免される可能性があるのですよ」
もう脅しに聞こえてもいいやと言う開き直った言い回しなのだが、それでも彼女には通用しなかった。
「絡んできたのはそっちじゃない!」
「貴女その前にウィルに絡んでいたでしょ!」
もう何度目かのため息がマリーの口から漏れる。
「とにかく、貴女の行為は子供のしたことだからというレベルを逸脱しています。
そうなると親御さんの責任問題にも発展しますよ。
平たく言えばご家族に大迷惑を掛ける事になるのです。
もしお父上やお爺様が罷免されるような事になったら、今のような豊かな暮らしはできなくなりますよ?
爵位の手当てがあるでしょうから路頭に迷う事はないかと思いますが、今よりもつつましい生活を余儀なくされる事は間違いないかと」
「私はヒロインだから大丈夫なのよ!
そんなに爵位が重要なら私がボルタノ様と結ばれた暁には、あなたに同じこと言ってあげるわよ!
自分がボルタノ様の婚約者だからっていい気にならない事ね!」
「第三王子殿下なら熨斗つけてお譲りしますが…って、え?
私は別に第三王子殿下と婚約なんかしてませんよ?」
「え?だって悪役令嬢マルグリットはボルタノ様の婚約者でしょ?」
「いいえ?」
「…」
「…」
「じゃあ婚約破棄イベントはどうなるのよ?!」
「知りませんよ…」
だめだ、もう限界だ。
言葉は通じるのに話が通じない相手のなんと厄介なことか!
「とにかくヒロインを気取りたいなら、ちゃんとヒロインらしい言動をなさいな」
「余計なお世話よ!ヒロインは最初からヒロインだからヒロインなのよ!」
これだけ言ってもダメか…。
というか、私がにおわせた情報に気づいてもいない?
回りくどくはあるが、これだけ何回もソレっぽい言葉を挟めば気づきそうなものなのに、マリーは途方にくれていた。
こうなればラース語じゃなくて、いっそ日本語で喋れば解ってくれるのだろうか?
いいや、周りに謎の言語で喋っているのは見られたくない。
なにより他に居ないとは限らないのだ。
用心に越した事はない。
そう考えるとこれ以上このピンク頭に係わることすら危険だと思える。
ふと顔を上げると幸いウィルは退避済みであった。
じゃあもういいやと自分も退避を考えた時。
「マリー!こんなところに居たのか探したぞ!」
なぜこのバカは最悪のタイミングで現れるか!
「第三王子殿下、他家の女性を気軽に相性で呼ぶものではありませんよ」
「ふぅむ、しかし私とお前の仲ではないか!
私の事もボルと呼んでもいいのだぞ?」
「ボルタノ様!私の事はモモと呼んでくださってかまいません!」
「…」
「…」
「お前は…誰だ?」
時間が引き延ばされる感覚がする。
止めるべきか放置するべきか、その迷いは振り子のように揺れながらマリーに判断を迫ってきた。
これで彼女が王子にバカ正直に本名を言えば、彼女はマークされることになるだろう。
王族に無礼を働いたと王子や周りが判断したら、罷免どころか男爵家の取り潰しすらありうる。
そうなったら本当に彼女たち一家は路頭に迷うだろう。
父や祖父、兄の高い実務能力も人柄も意味を成さない。
爵位剥奪されたような家の人間を雇う様な貴族も商人も居ないからだ。
そうなったら楽になるんだろうな、もうコレに煩わされる事はなくなるんだろうな…という考えがふと脳裏によぎる。
だがそれと同時に、まじめそうなサロンズの顔も思い浮かんだ。
彼女1人なら自業自得だが、家族が巻き添えになるのは止めたかった。
「私はモっ、モガッ?!」
「モガ?」
マリーは名前を言いかけた男爵令嬢の口を素早く塞ぐと、アイシャに目配せし二人で担ぎ上げた。
「何でもありませんわ!
それではごきげんよう!」
じたばた暴れる男爵令嬢を引きずりながら、なんとかその場を退散することに成功した。
後ろで命がけのブロックしてくれたフラウには感謝に耐えない。
「プファッ!いきなり何するのよ!」
「何するかはこちらの台詞よ、王族に対してあんな自己紹介の仕方がありますか!
気まぐれで不敬罪に取られかねないのですよ!」
特にあのボルタノにはね!と胸中だけで付け足す。
「はは~ん、さては私が王子様とお近づきになるのを止めたかったのね!
でもお生憎様、私がボルタノ様と結ばれるのは運命なのよ、どんな障害も乗り越えていけるわ」
イラッ
ちょっと、いやかなり殺意が沸きあがった。
「アイシャ、悪いんだけどジスレーヌ先生を探して呼んできて欲しいの。
たぶん教師の控え室か、教室にいると思うから…」
ジスレーヌ女史は礼儀作法の担当である。
「はい」
「さて、モモ・ピンキー伯爵令嬢。
私は別に貴女がだれと親しくしようともかまいません…あ、私たちの家の者以外で、です。
ですが貴女は根本から礼儀作法がなっていません。
王族に話しかけるならそれなりの作法が必要なのです」
「そんなの…」
「貴女の意見や認識なんか関係ありません!…ですから、あなたの考えとか気持ちとか関係なく、礼儀作法を叩き込むことにします。
先生方や校長には貴女がさっきやらかす所だった内容を報告させていただきますから、存分に隔離教室で礼儀作法を叩き込まれて来て下さいね」
アイシャに先導されて駆けつけてきたのは、ジスレーヌ女史他数名の担当教師達だった。
「ほら、ちょうどジスレーヌ先生がいらしたようですわ」
マリーは逃げようとするモモの腕を素早く押さえ、顔を青くしているジスレーヌ女史に引き渡した。
「ちょっと、やだ、離してよ…人権無視反対イィィ!」
モモ・ピンキーは派手に暴れようとしたが、教師数人に取り囲まれあえなく連行されていった。
学校の教師には下級貴族出の者も少なくなく、男爵家令嬢のモモ相手なら安心して実力行使ができる。
とは言うものの、貴族社会の体面はあるので体罰などは認められてない。
安心の隔離教室行きとなっている。
去り行くピンク頭を見送ったマリーは、大きくため息をつくとアイシャに寄りかかった。
「マリー様大丈夫?」
「あまり大丈夫じゃないわ…。
今日はサロンでウィルに挨拶して少し休んだら、もう寮に帰りましょう」
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「それで結局は先生に引き渡したの?」
「そうよ…今回に関してはそう対処するのが一番だと思ったのよ…フラウ、コーヒーをお願い、濃い目にね」
サロン備え付けのソファーに力なく持たれかかると、マリーは先に逃げ込んでいたウィルに事の顛末を説明していた。
彼女が自分でコーヒーを淹れようとしないのはよっぽどだと、一行は顔を見合わせる。
「甘いものも欲しいわ…アイシャ、パンを薄く気ってたっぷりのジャムをお願い。
みんなの分もね…あ、マーマレードも出してきて!」
たっぷりのジャムとマーマレードをパンに包んで頬張ると、淹れ立てのコーヒーで流し込む。
パンの甘味とコーヒーの苦味そ堪能し、それでやっと人心地がついた。
「ジャムやマーマレードにはお茶の方が合うよね?」
ウィルの主張にはマリー以外全員が賛同の意を示したが、マリーは知ったことではなかった。
「マリー様は甘いですよ。
本来あそこまで助けてあげる事はないと思いますが?」
「そう言わないで…彼女に対して甘いわけじゃないのよ。
彼女の所為で誰かが理不尽に不幸になるのが、なんとなく面白くないの…それがたとえ彼女の家族だったとしてもね」
他にも理由があるのだが、流石にそれは誰にも話せない。
話しても信じてもらえないならいいが、それが余計なトラブルを呼び込みかねないからだ。
彼女もそれを理解してくれればいいのだが、たぶん無理だろうなと思い目を伏せる。
そうなった場合今度こそ彼女と、彼女の家族を助ける事はできないだろう。
願わくば余計な事を回りに吹聴しないことを祈る。
自分の事も含めて。
「それにしてもやっぱりウィル様狙いだったのかしら?
それにしては王子にもアピールしていましたね?」
「王族や上級貴族だったら誰でもいいとか?」
「だとするとなんで去年は大人しくしていたのでしょうか?」
「彼女の兄がしっかり手綱を締めていたと思われます」
「だとすると今後…」
しかしマリーはなんとなく察していた。
たぶん今年から、彼女の中でゲームがスタートするのではないだろうか?
男性向け女性向け問わずそのてのゲームはやった事は無いが、噂で色々聞いた事はある。
彼女の攻略対象は誰か?
アプローチ掛けてきた侯爵家嫡男と第三王子は確定だろう。
あとは公爵家次男と…そういえばもう一人侯爵家嫡男がいたか。
サロンの部屋数確保が大変だったとか小耳に挟んでいた。
思い当たるのはこのぐらいだ。
ぶっちゃけウィル以外の誰とくっつこうが一向に構わないが、まさか逆ハーレムとか狙ってないか?
そんな事は礼儀作法以前の問題でNGだけど…。
もやもやと考えをめぐらせてたマリーは、次のフラウの一言で重大なことに気がついた。
「そういえば変なことを言っていましたね?
オードリー様がお亡くなりになられてるとか、なんとか根も葉もない事を」
「まったくだよ、姉さんに虐め殺されるとかどんな冗談かと…。
あれで完全に人違いだと思ったんだけどな」
間違った知識を元に行動している?
彼女の中のゲームの知識が何を元にできているか知らないが、少なくともウィルの母オードリーは健在だし。
マリーもボルタノと婚約していない。
自分が悪役令嬢かは置いておいて、現実との妄想のすりあわせができてないのだ。
この分だとオリオルズやザクセンに対しても間違った知識を持っているんじゃないかと、また顔色を失う感覚が帰ってきた。
今の調子で彼らに対しても無い事無い事まくし立てて迫ったら、洒落にならない怒りを買いかねない。
冗談じゃない、また他所に無礼働いて処罰されるような事になったら、ここまでの苦労が無意味になってしまう。
マリーは今年一年。
最悪は卒業するまでの間。
モモ・ピンキーに振り回される嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な予感を感じたのだった。
王立上級学校の学生はどのような位であっても、使用人は同性の二人までしか連れて来れない。
それでは警護に支障が出るのは当然なので、上級貴族の子弟が出入りするような場所には警備の者が入っている。
女子寮だけは女性だが、それ以外はだいたい男性の。
その警備の者は当然上級貴族用のサロンの前にも居て、許可無き者無断進入を止める仕事をしている。
のだが…。
「お止めください!中にお伺いを立てますのでどうか少々お待ちください!」
入口で慌てて訪問者らしきモノを止める声が聞こえてきた。
サロンの中の一同は顔を見合わせる、なんとなく訪問者が誰がなのか予想がついてそうな顔ばかりである。
「あの、クベール侯爵家の方々、第三王子殿下とそのお連れの方々が見えられているのでが、お通ししてもよろしいでしょうか?」
もちろんダメだが、ダメといえない貴族社会の悲しさがあった。
「(嫌だけど)お通ししてください」
守衛に迷惑を掛けても仕方ない、憎むべき相手はこの先にいるのだ。
「ほう、ここがクベール家が使ってるサロンか!地味だな!」
予想通り我が物顔でサロンに押し入ってきたのは、第三王子とその一党であった。




