14凱歌
それから1週間後、ようやく各侯爵領軍に対し帰投命令が届いた。
残念ながら、まだ行軍に耐えない負傷兵は船で輸送という進言は却下されたが、故郷に帰れると兵たちは嬉しそうであった。
8千の領軍から2千ほども死傷者が出るとなると相当な損害である。
これが領軍だけなら惨敗と言っていい結果と言える。
敵の司令官が勝利を確信して迎撃部隊と行動を共にしていなかったら、王国側の損害は何倍にもなっていただろう。
様々な偶然に味方され、やっと得た薄氷の勝利であった。
負傷者は辺境伯に託していくとして、死亡者は連れて帰りたいところだ。
ただ2千近い死体を持ち帰る事は難しいため、形見や遺髪を取り、死体は現地で埋葬してもらうこととなった。
死亡した領兵の中には見知った顔も多く居たし、自分の至らぬ治療技術の所為で救えなかった者も居た。
なにより2ヶ月以上も寝食を共にした戦友達である。
簡易式とはいえ、司祭に戦死者の名前が呼び上げられるたびに目頭が熱くなり、頬を涙がつたうのを感じた。
我ながら女々しい、かっこわるいと感じながらもマリーは涙を止めることはできなかった。
出発前の遺品の整理と、軍式の簡易葬儀を済ませると、マリーは2週間ぶりに馬上の人になった。
もう陽炎の月(8月)も過ぎ、転西の月(9月)に入っていた。
殊勲第一のクベール軍は先頭を行かせてもらえることとなり、はやる気持ちを抑えきれずにロッシュの地を後にした。
帰りは来た時と同じルートを逆に進み、アネイド、ケリサヌを経由してビビシュヌに入り、待機してもらってるはずのクベール商会の船に負傷兵を預けると、そのまま陸路でゲランデナまで北上する。
貴族であるマリルグリットは水路で戻ってもいいとされているが、自分だけ先に帰るのに意味は無いと固辞した。
ビビシュヌと王都を結ぶ街道は、西大街道のような軍専用の街道ではない。
だが国の防衛に当たった軍の凱旋となっては、自然人だかりは左右に分かれ見送るようになる。
しかも先頭を行くのは侯爵家の美少女だ。
中にはポカンと口をあけて見送るものさえいた。
彼女は髪も顔も服も薄汚れてはいたが、それでも色あせない凛とした気配を纏っていた。
むしろその汚れすら、貴族の令嬢があんなに汚れにまみれてまで国を守ってくれたのだと、国民は感激した。
流石に残暑の日差しは辛く、休み休みの行軍で20日を越えてやっと王都に到着した。
相変わらずあてがわれたのは郊外の野営地であったが、今度は侯爵が手を回し天幕を大幅に増設した上に、西部の食料を取り寄せ兵たちの苦労をねぎらってくれた。
ここで三日置いて、オランジュ領軍とともに凱旋パレードを行う手はずになっていた。
ここでやっとマリーは家族のもとに帰ってきたのである。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「自分だけこんな贅沢して後ろめたいんだけど…」
侍女たち総出で湯浴みをさせられ、2ヶ月以上の汚れを全身くまなくこそぎ落され、最後にフラウに髪をとかしてもらってやっと普段のマリーに戻った。
行軍中は女1人と言う事で水浴びすら控えていたため、かなり酷い有様になっていたようだ。
それでもロッシュやビビシュヌでは水浴びは出来たのだが。
「おいたわしや…あの美しかったマリー様の髪がこんなにボサボサに…」
「フラウ泣かないでよ…こうして五体満足で帰れた私は幸運な方よ」
声にならない泣き声をあげているのはフラウだけではない。
いつもより賑やかなマリー自室に集まった侍女たちの中には、嗚咽をこらえているのも何人かいた。
防衛戦とは言うものの、実際の開戦は無いものと思っていた彼女たちは、ロッシュが包囲されているの知らせを受けて肝を潰した。
その後クベール領軍が遊撃戦を展開するという知らせを受けるにいたっては、話が違うと侯爵や家令に詰め寄るものすらいた。
そんな侍女は普通なら生家に帰されてるところだ。
オーリンにしてみても、"話が違う"と怒鳴りたいのは自分の方だと逆に怒る始末で、家令1人がなだめるのに大忙しだった。
終戦の知らせを受けた彼女たちは、マリーの武勲よりもまず無事を喜んでくれた。
マリーの顔を見て泣き崩れる娘もいた。
クベール候邸はちょとしたお祭り騒ぎで、料理長はマリーの好物ばかり用意してくれていた。
ただマリー本人としてはヴェンヌの領邸に戻って、母や弟に生還を報告するまで終わりではないとも思っている。
ともあれ3日などすぐに経ち、凱旋式が執り行われる。
まずは王都内を練り歩き…全軍でなく騎士団と歩兵のごく一部選抜で…その後城前の広場に整列し、国王からお言葉を賜った後、指揮官と内陣騎士が代表で謁見用の広間に入り論功行賞が行われる。
騎士礼装に着替えたマルグリットがクベール領軍の先頭で王都内を練り歩いてると、何故か黄色い声援が飛んできて彼女を困惑させた。
後で知ったのだが、早くも帰還兵の口から戦争の内容が尾ひれ背びれを付けて泳ぎ回り、光刃の戦乙女の戦唄などが吟遊詩人の間で歌われまくっていたという。
その歌ではマルグリットが光の翼を生やし空を舞い、卑劣な帝国兵をその光の剣でばったばったとなぎ倒して、王国を勝利に導いたとか…。
後でその話を聞いたマリーが頭を抱えて七転八倒したのは言うまでも無い。
女の男役と言うのは何時の時代も一部の乙女心を鷲掴みにするようで、貴族令嬢の間にもこっそりと吟遊詩人の歌を聞きに出かけたれ、わざわざ招いて歌を聞いたりしている者も少なくないようだ。
ともかく、黄色い声援に首をかしげながらも半日にも渡るパレードを終え、2時間かけて広場に整列したのに国王の言葉は二言三言で、兵員の大多数を残して論功行賞に移った。
敵司令官を討ち取ったマリーの武勲はに異を唱えるものなど居ないであろうため、論功行賞はつつがなく進行すると思われた。
ところが宰相の、功績第一位はマルグリットに与えるという発言に真っ先に意義を唱えたのはマルグリットであった。
「今回の事、緊急に援軍をよこしてくださったグランシャリオ侯爵こそが、功績第一位と愚考いたします」
これは無断で援軍をよこしたグランシャリオ候爵に対する援護射撃であると共に、マリーの偽りざる本心であった。
グランシャリオ領軍6千が無ければロッシュを落とされていた公算が高いし、クベール領軍も全滅していたかも知れない。
敵軍船の鹵獲も撃沈もかなわず、継続的に国境が危機に晒されることになっただろう。
マリーにとっては大事な領軍の兵たちを救ってくれた大恩人にもなる。
隣に控える騎士団長他も涼しい顔で同意している。
しかしそうなると収まらないのが元帥殿である。
侯爵代理の出陣こそ自分の采配の妙と吹聴していたのだ、当の本人に「そんなこと無い」と否定されたに等しい。
もちろんマリーは宮廷内でそんなやり取りがあった事すら知らないのだが。
さらに元帥の与り知らぬ援軍が勝敗を分けたとなると、派兵計画事態に疑問を持たれてしまう。
元帥はグランシャリオ候爵の無断出陣を糾弾する気で居たのだが…気勢をそがれる形になってしまった。
「バカな!」
困ったらとにかく動くのが彼のやり方だった。
状況を見極めるとか、考察して対応するとかは考えたことも無い。
静観が耐えられないのが本当だろうが。
「おまえは功績一位を受けぬと言うのか?
敵将を討ち取ったのはおまえであろう!」
「私に相応しくないという見解です元帥閣下。
確かに私が敵将を討ち取ったというカタチになっておりますが、グランシャリオ領軍からの援軍無しではそれは叶わなかったと断言できます」
そこで初めてマリーは意地悪そうな笑みを浮かべて。
「敵帝国軍5万に対し我が方は3万。
これにグランシャリオ領軍の援軍6千がどれほど心強かったか、戦場に出てご覧になればわかります」
痛烈な皮肉である。
戦場に出てこないお前に戦争の何がわかるか?…と言外で言ったも同然だ。
クベール候家にとってアルメソルダ公家は敵である。
まさか自分の方から喧嘩を売っておいて、私を利用できるとおもうなよ?と返したわけだ。
それも自分の発言力が最も高くなるタイミングを利用して。
「な、ななな…!」
元帥の顔色は青から紫、そして赤になった後に爆発した。
言外に嫌味を沿えての応酬は貴族の嗜みだが、それに対して感情を動かすのは軽く見られる原因となる。
実際に挑発されれば感情は動くだろうが、それを表に出したら舐められるだけだ。
いま元帥が行ったのがまさにそれで、20以上も歳の離れた小娘に手玉に取られたことになる。
「失礼いたしました…しかし、グランシャリオ領軍の援軍が勝敗を分けたのは純然たる事実です」
「いや、クベール候軍無しでは敵の側面を突くことも、敵軍を引きつけておいて敵船を強襲する事も難しかったと思われます。
やはり功績一位はクベール候家にあるかと」
グランシャリオ候家のランベルクが割り込む形で発言し、功績一位を譲り合う流れとなる。
元帥の振り上げた拳からマリーを守るためだと、見てる何人かは察した。
「どっちでもよかろう」
国王の投げやりな言葉にその場が凍った。
命がけで国境を守って帰って来た諸侯を前に、"どっちでもよい"は流石に、まさかそこまで暗君なのかと並み居る貴族は背筋を凍らせた。
「クベール侯爵の令嬢の方が下々には人気なのだろう?ではそちらが第一位だ。
グランシャリオ候爵子息、お前が功績二位で依存は無いな?」
「はっ、依存ございません」
「ではそういう事だ」
それっきり国王はまた黙ってしまった。
重臣たちは国王の行動を計りかねていた。
見ようによっては宮廷での諍いを丸く治めたとも見える。
王の権威あっての事だが、始めから決められていた功績順位に強引だが戻したのだ。
国王にこれだけキッパリ言われては、マリーも反論はできない。
今回は防衛線のため、領地の増減に係わることなど無い。
そのためか褒章は比較的スムーズに決まった。
つまりは現金による支給である。
グランシャリオ候家が鹵獲した軍船を望んだが、残念ながらそれは却下された。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
「もちろん侯爵家の内部での論功行賞もあるけど、それは領地に帰ってからよね」
「侯爵様の指示で行われるのですよね?」
「一応半分ぐらいの査定は私の仕事よ?
もう半分は騎士団長ね…お父様はサインするだけになると思うわ」
王都から撤収するクベール領軍を視察していたマリーは、やはり撤収準備中のシャンブルに捕まって話し込んでいた。
この牙人ともまたしばらくお別れだ。
「何人か王都の侯爵邸に残って会議した後、その結果を持ち帰って行う事になると思うわ。
お父様はやっぱりまだ王都に残るみたい」
アイシャを伴って現れたマリーは、彼女に大きな包みを預けている。
シャンブルに会えた事をコレ幸いと、彼に押し付けることにした。
「シャンブル、これをダンガに届けて欲しいんだけどお願いできるかしら?」
そう言ってマリーが取り出したのは帝国軍が使っていた大型の弩と円筒形の包みだった。
「お安い御用ですが、これは…クロスボウですね?あとこっちの包みは…?」
「そっちは図面よ。
ダンガに届けるのは筋違いかもしれないけど、コレってけっこう金物の部品使っているでしょう?
ダンガに見てもらった上で木工の親方に見てもらいたいの」
ダンガはクベール侯爵家お抱えの角人の細工師である。
マリーの作る魔道具の部品などはほとんど彼が削りだしている。
「まさかクーベール侯家で量産するつもりじゃないですよね?」
「このままじゃ使い物にならないから、改良してね。
走りながらでも撃てる様なモノにしたいの」
シャンブルの脳裏に走りながらの弓を撃てなくて焦った記憶が蘇った。
本当に走りながら撃てるようなモノがあれば、斥候部隊に都合のよすぎる武器になる。
変わりに連射精は殺されるだろうが、どうせ走りながら連射なんてできないし、追撃しながら威嚇射撃ができるようならかなり便利だ。
「それにしてもよくコイツの持ち出し許可下りましたね」
「え、無断よ?」
さらっと横領を告げるマリーにシャンブルは肝を冷した。
「お嬢!」
「大丈夫、領軍の物資弾薬に紛れて持ち帰ってきたし、軍装を改められている間は侯爵邸に置いておいたから気づかれて無いわよ。
こんなに警備がザルなんてむしろこっちが心配になるぐらい…ここだけの話だけどランベルク様もチョロまかしているのを見たわ」
「これが国軍に配備されてもどうせ使いこなすなんてできないわよ。
こんなのこのままじゃ野戦に投入なんてできないし…グランシャリオ領軍なら船上に固定して使用するでしょうけどね」
「じゃあウチも少ない軍船に…」
「軍船に乗せるんなら大型化した方がいいんじゃないかしら?
どちらにせよ親方に構造を把握してもらってからよ」
「わかりました。
とりあえずコレはダンガに届けるでいいんですね」
「ええ、よろしくね」
ぐるりと撤収しかけの野営地を見回し、兵たちの作業の様子を眺める。
そのままマリーが目を向けたのは、戦死者の遺品が乗せられた荷馬車だった。
もちろん父に進言して…いや、進言しなくても父ならば手厚い保証金を払い出してくれるだろう。
だが、失った家族は金では代えられない。
もし自分の家族が亡くなったら…そんな思いがグルグルと脳裏を回る。
「いろいろ考えちゃうのよ…私がこのまま領地に帰って、無くなった兵の遺族に謝るべきなんじゃないかって。
お父様や騎士団長は、それは自分の責任だって言うけど、彼らを死地に連れて行ったのは侯爵代理である私なんだから…。
そんな事をしても彼らは帰ってこないのにね」
「お嬢…」
シャンブルにしても何を言うべきか、言葉が出なかった。
マリーが居たからこそ領軍の戦死者が2千ほどで済んだ訳だが、彼女にはその事実も慰めにならないだろう。
死者の名前を知っていようと知らずとも、彼らの元には家族が居ただろうし、その家族はこれから知らせを聞いて悲しむことになる。
命はみんな大切とか甘い事は言わないが、マリーにとって家族は領民は大切な命なのだ。
「マリー様は悪くないです!」
「アイシャ?」
「マリー様が私たちを助ける為にがんばってるのは皆が知っています!
だからそんなに全部じぶんで背負わないでください!」
何を言いたいのか本人もよく分かっていないのだろうが、とにかく何か言ってマリーを慰めたいのだけは理解できた。
喋るのが苦手なアイシャが必死に訴えかけるのは、マリーを思う気持ちだろう。
だからこそ、そんな領民だからこそマリーはそれを失うのが辛く感じるのだ。
泣きながら意味の通じない慰めの言葉を綴るアイシャを抱きしめ、自分の道を降り返るマルグリットだった。
結局マリーは領軍が出発する日まで毎日野営地を視察に来ていた。
その目はじっといつもの荷馬車に注がれている。
出発の日まで、領地に戻る領軍をずっと見送っていた。
◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇
王国暦423年 落葉の月(11月)。
来年から王立上級学校に通うウィルは、久しぶりに王都の屋敷を訪れた。
春は結局母が心配で領地を離れなかったのだが、今回も母は領地に残るという。
もしかして王都に出てきたくない理由があるのかも?ウィルは母の生家、自分も3歳まで育った男爵家が思いあたった。
ウィルの母オードリーは男爵家の庶子である。
実家の男爵家では給金の要らない召使扱いされていて、息子のウィルも同様下男の子の扱いだった。
時たま意味も無く打たれて、怖くて夜眠れない時もあった。
少なくともクベール候家のように、家族として見てもらったことはそこでは無い。
そんな母が父とどうやって知り合ったのかなどは、ウィルは知らない。
ただそんな生まれの所為で、母に染付いてしまった卑屈さが心配で、そして不快だった。
何より自分にまでへりくだって、主人の子という対応してくる母親は幼いころは恐怖すら感じたものだ。
母親から貰ったものも、いわゆる家族の愛情ではなかったのだ。
そんなウィルに初めて家族の愛情をくれたのが姉のマルグリットだった。
初めてマリーに会ったときは怖かった。
母親に何度も失礼があってはいけないと言い聞かされていたし、自分を見た目の冷たさに祖父や叔父を感じた。
だがその目は自分ではなく、傍らに立っていた父を見ていたのだった。
マリーは父の足元に歩み寄ると、その足にまず一発蹴りを入れた。
「お父様!ご自分が何をしたか解っていますの?!」
げしっ!
「正妻であるお母様に無断で、他所で他のご夫人といちゃいちゃする事で!それは浮気と言うんですよ!」
げしっ!
「この方を愛しているなら、ちゃんと事前にお母様に相談して、第二夫人として迎えるべきではないですか?!」
げしげしっ!
「悪いのは全部お父様だって自覚していますか?」
げしげしっ!
「何ですかその態度は!悪い事をしたらちゃんと謝らないといけないって、普段言っているのが誰ですか!」
どげしっ!
最後に脛に思いっきりトゥキックを放つと、ジェシカとウィルの手を引っ張りジェシカの部屋に連れて行くと侍女に命じてドアにバリケードまで築かせた。
後にオーリンは語った。
「全部の蹴りで心が痛かったが、最後の蹴りは足も痛かった」
と
「ごめんなさい!」
「止めてくださいマルグリット・ウル・クベール様!私が悪いんです」
庶子でも貴族家の出であるオードリーは、一応貴族の慣習に明るかった。
「いいえ!これはお母様が錯乱して貴方を打った事にたいしてで、娘の私が謝罪いたします。
お父様の無礼はお父様に謝らせてください!
それから、私を呼ぶときはマリーと呼んでくださいね」
子供らしいはにかむ様な仕草でそう告げるマリーは年齢相応に見えたが、今のマリーを知るとあれも計算でやっていたのではないかと思えてしまう。
「あなたもね」
マリーはウィルの両手を取り、先ほどの冷たい目が嘘のように微笑んだ。
「あなたの事ウィルって呼んでいいかしら?
私の事はお姉ちゃんって呼んでね、まぁ姉上でもいいわ!」
マリーはウィルを抱きしめて、撫で回し、手を引いて領邸内を駆け回った。
夜一緒に寝てくれた。
本を読んでくれた。
自分のお菓子を分けてくれた。
勉強を教えてくれた。
遊んでくれた。
そして、悪いことをしたら叱ってくれた。
マリーにしては突如家に来た弟が物珍しかった事もあったかもしれない。
だが彼女なりに精一杯愛情を注いでくれたというのは間違い無いだろう。
オーリンやジェシカはウィルにどうやって接していいのか戸惑っていた節があるが。
マリーは子供ならではの距離感で、すぐウィルの傍らにやってきた。
マリーはウィルのために泣き、笑い、怒り、そして愛してくれた。
幼少期、自分には手に入らないと諦めていたモノを全て与えてくれた。
だからこそ、ウィルはマリーを失うのを恐れた。
姉が自分から少しでも離れる事に恐怖を感じたのだ。
マリーに対して従順なのもそういった傾向なのだろうが、どうやったら姉を独り占めできるのか考えたりもした。
アイシャとマリーの取り合いもしたし、マリーが工房や領軍詰め所などに出かけるときもついてまわった。
だが一番恐怖を感じたのはマリーが戦争に行った時だ。
夜が怖く感じたのは何年ぶりだろう…と考えて、自分がもう夜が怖くなくなっているのに気付いた。
自分が情けなくもなった。
バカ王子に言われた事は正解だ。
自分が情けなかった。
自分が情けないから姉が戦場に行くのだ。
自分が弱いから姉が戦場に行かねばならぬのだ。
そして強い姉は戦場で華々しい活躍をして帰ってきた。
姉が帰ってきた嬉しさと、これで姉との差は益々広がったという虚しさが同時に押寄せ、ウィルは泣いてしまった。
そしてさらに鍛錬に没頭して行くのである。
そんな中で、自分の方がマリーより強いという騎士団長の言葉は衝撃だった。
ありえないとも思ったが、続いての自分が姉に勝りそうなところしか見ていないと言う指摘はもっと衝撃的だった。
その日から剣が振れなくなった。
姉に相談したいが、それも怖くてできなかった。
姉からの手紙に返事が書けなくなった。
姉が怖くなった。
そうだ、春に王都に来なかったのは、姉から逃げていたのだ…。
姉の誕生日までにも手紙を書く踏ん切りがつかなかった。
姉から嫌われるのが、見限られるのが怖かった。
何かするたびに弱さが浮き彫りになる自分の愚かさが嫌だった。
姉はあれほど賢く、強いのに…自分は足元にも及ばないと思った。
姉はウィルの強さをちゃと評価していたが、ウィルの弱さに目が行っていなかった。
父も仕事と傍らで暮らす娘で手一杯だった。
母は息子を子供としてみていなかった。
そしてウィルはとうとう姉と同じ学校に入学する。




