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クロニクル アンド マギグラフィ  作者: 根菜類
第一部・マルグリット編
10/68

10行軍

 王都を出発したマリーの気分はさえなっかた。

 それは戦争への不安とか、行軍の環境に参っているとかが原因ではなく、一回も顔を見せてくれなかった(ウィル)の事が気がかりだったのだ。


「相談無しで出陣を決めたことに拗ねているのかしら?」


 マリーが王都に滞在できたのは僅か3日である。

 ただそれは領軍の兵卒に比べたら恵まれていて、彼らは王都の近くで野営する破目になっていた。

 8千人を収容できる施設が用意できないというのが口実だが、元帥(アルメソルダ)一党の嫌がらせである事は明白だった。

 ただその3日間の間、一回もウィルが顔を見せてくれなかったのが不安で不満であった。

 出陣式や拝謁などでバタバタと忙しかったのは確かだが、夜はクベール候邸に戻るのだ、会えない訳がない。

 同じ邸宅に居て顔を見せてくれなかった事など今まで無かったというのに…。

 この時点でマリーには、第三王子(ボルタノ)がクベール邸にお忍びで押しかけた事は知らされていない。

 出陣前のマリーに余計な心配をかけまいと箝口令が敷かれていたのだ。

 まあその件は邸宅に残してきたフラウとアイシャから、いずれはマリーに伝わることになるのだが…。


 王都ゲランデナを出発したクベール領軍は、そのまままっすぐ南下しビビシュヌで渡河と物資受け取りをおこなった後、西転し山間や森を縫う様な街道を抜けつつ防衛拠点ロッシュに向かう。

 ロッシュは国境防衛用の拠点であり城砦都市で、ベンウィック辺境伯の領地ではあるのだが、周囲の開拓は進んでおらず、王都からの補給を頼りに兵卒を養っている。 

 今回ついでと言うか、王都からの補給の部隊と同行して進軍している。

 開拓が進まないといっても、国境の要所。

 国庫を開いてでも充分な防衛戦力を維持する必要がある。


 オランジュ候軍は既にビビシュヌを発っているという情報も得ているし、帝国軍にも大きな動きの観測はされていない。

 のんびり行くわけにも行かないが、兵士に余計な疲労を与えるような速度の行軍は控えている。


「ディネンセン騎士団長。

 ビビシュヌを出た後まっすぐロッシュに向かうのですか?」


 ロベール・ディネンセン騎士団長はマリーを気遣ってか、一日に数時間は馬を並べていっしょに進んでくれる。


「今のところその予定ですが、どうかされましたか?」


「いえ、ただ辺境伯軍と合流してしまうと、クベール軍(われら)もあちらの指揮に組み込まれるのではないかと…」


 マリーには不安があった。

 今回クベール領軍の切り札にもなりえる魔術構成(スクリプト)を開発してきたのだが、それを他の軍。

 特に王軍の人間に知られたくは無かった。

 王軍の元帥はアルメソルダ公爵である。

 マリーの中では既に敵と認識されている。


「ご心配に及びません。

 オランジュ軍もそうですが、諸侯家の軍は独立稼動を許されています。

 要請はされても命令される事はありませんわい」


「でもそうすると、効率よく軍を動かすことができないのではありませんか?

 いちいち要請の使者を飛ばしても、手遅れになりそうなことも多そうですし、なにより要請にこたえてもらえない場合も多いでしょう?」


 指揮系統が一本化されていない不都合ぐらいはマリーにも解る。

 帝国軍の内情は分からないが、向こうの全軍がちゃんと統率していた場合、こちらがかなり不利になってしまうのではないか?


「それはその通りなのですが、諸侯としては指揮権を譲るわけにも行かないのがまた事実です」


「兵を使い減らしされても困ると?」


「はい、それもありますが…諸侯間や王軍に対して手の内を晒したくないというのもあります。

 内情を知らない部隊の指揮は出来ませんので…。

 マルグリット様が他所の軍の内情を知らないと同じことが、他の諸侯軍や王軍にいえるのです。

 おそらく帝国軍も同じような状態だと思います」


 このディネンセンの推測は残念ながら外れている。

 今回のシュットルード帝国の侵攻は帝国のいち貴族である、ブランマルシュ上級伯爵家の独断で行われていることだ。

 上級伯爵家の指揮官は配下の子爵や男爵軍を動員し、指揮を一本化して領地の切り取りをもくろんでいた。

 それこそ配下の貴族の兵を使い減らしする事すら考えていた。


「なるほど、ありがとう勉強になりました。

 つまり、私達は独自行動で戦果を求められているという事ですね?」


「そうなりますな」


 今回、王国軍側は3筋の指揮系統を持つことになる。

 それぞれの指揮系統は独立しているため混乱は起きないだろうが、各個撃破される危険性は大きい。

 もっとも未だ帝国軍の規模も把握しきれていないが。


「では騎士団長。

 私達はアネイドの町で王軍と別れ、そこから渡河し敵の動きを見つつ遊撃と言う方針を進言いたします」


 アネイドは国境であるフェイベル川沿いの町で、ビビシュヌからの街道が川にぶつかる地点にある。

 フェイベル川の渡河可能な場所はそう多くなく、アネイドはその数少ない渡河ポイントである。


「進言とは…らしくありませんな」


 マリーの立場は領主である侯爵(オーリン)の代理だ。

 率いてきたクベール領軍の指揮権は彼女が持っていると言っていい。


「あら、クベール領軍の指揮官は騎士団長ではないですか?

 私は従軍(ゲール)魔術師(マギクラフター)として、自分の出来ることを踏まえて進言するだけですわ」


 軍事の専門家である騎士団長に任せるという意思表示を、改めてマリーは示してみた。

 領軍には比較的好かれているマリーではあるが、それはその能力を信頼されているからという訳ではない。

 そういうところが弁えているからこそ、彼女は専門家達に好かれるのだ。


「出来ること…?

 何か遊撃を行う際に有利な魔術でも?」


「はい」


 彼女は今回用意してきた魔術構成の概要を騎士団長に語った。

 これは逆に彼女の方が専門家といえる内容なので、ざっくりと効果と欠点のみの説明であったが。


「なるほど…驚きました。

 いやそれが可能ならこの戦負けようがなくなりますな。

 浸透遊撃作戦は考えてみる価値はある…しかしそれではマリー様を危険に晒すことになってしまいます」


「そこは騎士団長を信頼してお任せするしか…それにくだんの魔術を駆使すれば万が一の場合も逃げ切るのは容易でしょう?」


「…わかりました。

 ただ今後の連携や行動指針などありますので、いったんロッシュには入ったほうがよろしいでしょう。

 そこで戦地の状況推移を確認してから渡河を行っても遅くはありません。

 なにより…同行の王軍輸送部隊にいらん勘繰りをされては困りますからな」


「わかりました。

 そのような判断は騎士団長にお任せします」


 侯爵家ともなれば豪華な鎧も用意出来るだろうし、それこそ術式を編みこんだ鎧すら用意できるだろうが、今回の出兵は急すぎた。

 それにマリーの体力では重い板金の入った鎧を着て動き回る事は難しいだろうし、全身を覆うチェインメイルすら重過ぎて乗馬もままならない。

 だからといて鎧無しで戦場になど行けるものではないのも事実。

 防具と見栄えを両立し、ギリギリ着れる範囲の防具を付け、馬上の女騎士となっていた。

 膝上までのチェインシャツ|(袖は肘上)を着て上には紋章付きのサーコート。

 ズボンは身体のラインが出ないようにやや大きめで、革のブーツと手袋の上に硬革の篭手(ブレイサー)脛当て(レガース)をつける。

 装備の上からはフード付のマントを羽織り、腰には軍刀(セイバー)

 普段はフラウが編んでくれるプラチナブロンドの髪は無造作に後ろで縛っている。

 せめてもの抵抗か、腰は帯で締めてスマートに見せようとはしている。


 一日中重りを着せられて馬上の人になっていると、肩や腰がバキバキになってくる。

 この位置であればまだ鎧も必要ないであろうが、"慣れる為"という理由で行軍中は着たままになっている。

 跑足(トロット)で進むのであれば運動にもなるが、現在は歩兵に合わせて歩かせてるだけである。

 騎士団長と同行できるときは自分の立ち回りを相談し、一人のときは魔術の構成の訓練を行っていた。

 何かしてないと、ついつい不安な事を考えてしまう。

 戦争の事、家族の事、(ウィル)の事。

 懐にしまっていた、ウィルとおそろいの魔道具にそっと触れてみる。

 これは飾りである腰の軍刀と違って、彼女が振るえば充分に殺傷力を持った武器になりうる特殊な魔道具である。

 一見銀の短剣にしか見えないが、そのグリップを握り構成に魔力を撃ち込む要領で螺旋状に魔力を通すと、銀の刀身から光の力場で出来たブレードが伸び魔力の軍刀を形成する。

 このブレードの切れ味は凄まじく、彼女の腕力をもっても鉄の棒を切断して見せることも可能だ。

 ウィルの持つ雷光のブレードと、発動属性以外はまったく同じものである。

 第二王子(ボルタノ)に取り上げられた物と同じものだが、王子ではブレードの発現方法も知らないし、そんな魔力も無いだろう。

 雷の魔力はクベール候家の特徴で、ウィルにはそれが顕著に現れている。

 マリーの魔力が光や氷なのは母親の血筋の影響だろう。


 そんな風に不安と戦うマリーの傍らに、再びディネンセン騎士団長がやってきた。


「先ほどの魔術ですが、ケリサヌを出た後から使い始めていただきたいのですが、よろしいですか?」


「かまいませんが…なぜそんな手前から?」


「私が帝国軍なら、戦力把握や浸透のために斥候や小部隊を送り込みます。

 状況把握や策敵と言うのは、相手より勝ってる分だけ幾らでも有利になるといっても過言ではありません。

 シャンブルを付けますので、彼に情報をお渡しください」


 シャンブルは牙人(ガルー)の兵士で、斥候部隊の統括者である。

 狼のような頭部と体毛を持つ牙人は人間よりも強力な肉体を持っている。

 強靭な肉体と素早い動き、鋭い耳と目を持つ牙人は最高の斥候になりうる。

 西方の諸侯などは積極的に軍に取り立てているが、東方では未だ排斥の対象になっている。

 シュットルード帝国に至っては人権を与えられてすらいない。

 

「お嬢よろしくお願いします」


「これ!そんな態度があるか!

 ここはクベール領では無いんだぞ!」


「いいのよ…と言いたい所だけど、まだ王軍の眼があるし、気をつけてね」


 西方生まれのマリー達は亜人に対して偏見は持っていないが、東方や中央部の出身者はそうでは無い。

 特に今同行している王軍は王都の駐屯軍で、中央部出身者がほとんどだと思われる。

 東方の亜人差別は、半島への人間の入植が東方から始まったからだと考えられている。

 ラース半島の先住民だと目される牙人や角人(ヴル)と戦争があって、その時の諍いが今も引きずっているというのが学者の見解だ。

 もっとも東部の住民は決してそんな事を認めはしないが。


「シャンブル、散発的に斥候部隊も出させろ。

 地上と空から索敵を行い、状況のすりあわせをマルグリット様と2人で頼む」


「了解です。

 俺はお嬢様の護衛も兼ねてると言うことで?」


「当然だ。

 マルグリット様の周囲にいる領軍の兵は全て護衛を優先させる。

 そのつもりで当たれ」


 シャンブルとマルグリットは顔見知りで、領地で共に山に登ることが何回かあった。

 同行と言うよりはマリーに護衛としてシャンブルが付き添ったというのが正しいが。


「人使いが荒いですな…

 斥候部隊からも何人か護衛の騎士様の外側を当たらせます」


「頼んだぞ」


 牙人は味方にすると非常に頼もしい。

 固体として人間よりも強い所為か、繁殖力だけは大きく劣るのと、牙人には魔法の才能を持つ者がまったく生まれない。

 魔術など人間でも才能を持つのは少ないので、大きな差にはならないが、結局人間の数の暴力の前に屈してその住処を奪われていったのだろう。

 戦闘能力では牙人に大きく劣る角人などは、もっと一方的に駆逐されて行ったに違いない。


 シャンブルを付けてくれたのは、たぶん騎士団長の気遣いであろう。

 どうせ誰かと共に居るなら少しでも親しい人だと気が楽なのが現状だ。



    ◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇



 ビビシュヌはグランシャリオ候家のお膝元である。

 グランシャリオ候家は諸侯家の末席であるが、ミリュール川の運行管理を任されて以来その国力を上げてきている。

 その領軍はほとんど水軍とだから言う理由で今回の戦争には借り出されていないのだが、これもまた口実だろうとグランシャリオ候自身も言っている。

 今回の戦争に水軍が活躍しないわけは無いのだ。


「でもある意味正しいかもしれないわね」


 大河が夕暮れに染まっているのを眺めながらマリーは呟いた。


「迂闊に水上で喧嘩を売って、海軍力で勝る帝国に艦隊戦に持ち込まれたくはないものね」


 王国の海軍はシュットルード帝国やオリヴァ王国と比べて弱い。

 これは半島中央部の穀倉地帯に重点を置いて国を発展していった背景がある。

 それに今でこそ海上貿易が盛んになってはいるが、オリヴァにノクト運河が出来るまでは西の海周りで南方から回ってくる船を指をくわえてみているしかなかった。

 オリヴァとの海上貿易が拡大し、ミリュール川の運行量が数倍に跳ね上がったころからグランシャリオ候家の力は増してきた。

 リッシュオール公爵などは歯噛みしたものだが、グランシャリオ先祖伝来の地であるビビシュヌを取り上げるわけにもいかず。

 海と湖を繋ぐ要所を押さえられながらも、王家と候家の関係は悪くはない。

 ただ一つ、グランシャリオに交易を独占させない為に新規の港町(レ・オルレンヌ)を開いて、そこを窓口に定めた強攻策のため。

 リッシュオール公家とグランシャリオ候家は長きにわたる冷戦状態であった。


 立場的にグランシャリオ侯爵に顔を出さないわけには行かないマリーは、騎士服に着替えるとグランシャリオ領邸に向かった。

 シャンブルに付いてきて欲しいところだったが、グランシャリオは中央部の諸侯であることもあって遠慮しておいた。

 実際にはそんな事はないのだが、クベール候家はリッシュオールよりと思われてるので、歓迎はされないだろうと思われた。


 グランシャリオ侯爵には王都で何回か挨拶した事はあったが、ビビシュヌを訪れる事も彼の屋敷に伺う事も初めてだった。

 侯爵は温厚な人物であるが、今回はずっと眉間にしわを寄せていた。

 クベール家の者が気にくわないのかと思ったが、気に食わないのは元帥(ダンネル)のやり口の方であった。

 年端も行かぬ少女が父親の代理として出陣すると言う事に、幼い娘を持つというグランシャリオ侯爵は心を痛めていた。

 よく考えればリッシュオール公家との確執はあるものの、クベール候家とは特に何の因果もない。

 夕食に招かれたのは断りきれなかったが、止まって行けというお誘いは固辞した。

 入浴が出来るのは魅力だったが、身一つでお世話になるのは流石に気が引けた。

 それに領軍のみなはまた野宿しているのだ。

 自分だか暖かい布団にもぐりこむ訳にもいくまい。

 邸宅に泊まる事で行軍スケジュールが狂いかねない事を理由に、当日中に野営地に帰った。


 翌朝早くからケリサヌに向けて出発する予定になっていたが、ビビシュヌで合流した王軍がスムーズに出立できなかったために足止めを喰うことになる。


「これって元帥からの嫌がらせかしら?」


 手際の悪い陣払いを見ながらマリーはシャンブルに話しかけた。


「どうでしょうか?

 単純に訓練不足のようにも見えますが…だいたい我々を足止めしても向こうに得はないでしょう?」


「ああ、そういうことね」


 足止めと得と言うところから、なんで彼らの動きが悪いかの予想が付いた。


「何がです?」


「戦場に行きたくないのは彼ら自身よ」


 クベール領軍はそれなりに士気が高いが、彼らはそうでもないと言う事だろう。

 練度も士気も低ければ動きも鈍くなるし、行軍も遅くなる。


「でも困るわね、早く状況を把握して有利な布陣を敷きたいのに…」


 このまま彼らと同行するような事になれば、一週間と3日ほどで到着予定だったロッシュまでの行程が大きくオーバーすることになる。

 現状向こうの動向ははっきりしないが、そんなに時間を掛けていると開戦に間に合わない可能性すらあった。

 国軍の連中は間に合いたくないのだろうが、「ついたら味方だけで勝っていて終わってた」などと都合のいい奇跡でも起きない限り味方の遅参は状況を悪くするだけだ。


「置いて行こうかしら…」


「それは不味くないですか?」


「グランシャリオ侯爵に王都へ手紙を送ってもらうの、国軍の行軍速度が遅いから置いていく…ってね。

 国にしても少しでも速く多くロッシュに戦力集めて欲しいだろうし、国軍が付いてこれないなら止むなしってなると思うわ。

 シャンブル、悪いけど騎士団長を呼んできて欲しいの。

 やるなら一刻でも早いほうがいいわ」


 別に自分が手柄を立てる必要はないが、クベール領軍が何かしらの戦果をあげた方が後々都合がいいのは確かだ。

 それが早期参列による敵軍への威圧効果であっても充分だ。

 だがこのままではそれも出来ない。


「それに領軍(ウチ)も単独で動けるほうが都合いいでしょ?」


「それはそうですが…」


 結局、国軍の指揮官が愚図った為置いていく事はできなかったが、手紙だけはグランシャリオ侯爵に預ける事となった。

 指揮官には手紙を出した旨を伝え、場合によっては容赦なく置いて行くと通達してはいる。

 これでクベール領軍に置いて行かれる事になったら彼の罷免は免れまい。

 頑張って士気の低い部隊を追い立てて進もうとしているが、あれでは2、3日もたてば置いていく事になりそうだ。


 そろそろ至南の月(6月)も終わり、中夏の月(7月)に入ろうとしていた。

 川沿いのビビシュヌや、山から風が吹き降りるケリサヌ近辺はまだ涼しいが、南に下ったロッシュは川沿いと言え暑いだろう。

 ましてや帝国軍が集結しているアーレオンは夏は灼熱の荒野と聞く。

 そうなったら遠征側が不利だ。

 帝国軍が動くのはそうなる前、そんなに先ではないだろう。

 時間に余裕はないのだ。

 ケリサヌを越え、国軍を引き離し始めたあたりでついにクベール領軍は動き出すことになる。


「ここで一回やってみましょう」


 マリーはそうシャンブルに告げると隊列から逸れ、街道から外れたところで馬を止めた。

 

「やっぱり移動しながらは無理ですか?」


「魔術の発動自体は問題ないのだけど…。

 遠くまで見通そうとすると僅かの揺れでも視線がブレちゃってダメね」


 魔術の知識も才能も無いシャンブルにはマリーが何をやっているか理解は出来ない。

 だが彼女が弓のような形の力場のカタパルト作り出し、やはり魔術で形成した氷の矢をつがえるのを見て、とてつもなく高度な術を行使しているのはなんとなく解った。


 魔術で特殊な加工を施した氷の矢を、力場の反発を使って直上に打ち上げる。

 術式(スクリプト)で何回も補正を掛けて、真上に飛ぶように調整された氷の矢…と言うより太い槍ほどもある氷の柱だが…を打ち上げると、次いで準備していた新たな構成に魔力を打ち込み稼動させる。

 複数の魔術を組み合わせるというのは熟練の魔術師なら可能とは聞いているが、今マリーが幾つの魔術を重ねて発動させたかは理解できなかった。

 ただマリーが得意としているらしい光と氷の魔術を組み合わせて使った事は見て取れた。


「すごい…騎士団長の言った通りかも知れない。

 東北東の方角、だいたい2リーン(約8km)ぐらいの距離ね…に斥候部隊らしき6名の集団が居るわ…ラース人とシュラード人の混成部隊に見えるから、たぶん帝国軍で間違いないかと」


「そんなところまで見えるんで?!」


 シャンブルにはマリーがどうやって"空から辺りを見回す"のかは理解できないが、まさか人種まで見通せるほどの精度だとは思わなかった。


「多分…よ、ラース人よりも角ばった面立ちだったから、そうじゃないかと思ったの」


「…早速斥候部隊を出します。

 捕獲もしくは排除を目的で。

 それにしても恐ろしい魔術ですね、これじゃ俺たちの存在の意味が無い」


 シャンブルおどけて肩をすくめたが、内心非常に驚いていた。

 彼は斥候部隊の隊長らしく、情報の重要性に聡い。

 マリーのこの魔術がどれほど決定的な威力を持っているかはすぐに理解した。


「あくまでも上から眺めるだけだから、木々の間は見にくいし、建物の中や洞窟とか見えないわ。

 天気が悪くても効果は半減以下になってしまうわ」


「それでも充分ですよ…。

 魔術を上空にぶっ放して合図代わりにして、軍の動きを効率化とか聞いた事ありますが、魔術で戦場を上から見回すなんて初耳だ。

 敵の布陣は一発で解るし、奇襲とか伏兵とか喰らいようがない」


「言うほど万能じゃないのだけれど…ね」


 帝国軍の浸透斥候部隊が排除されたという報告が届いたのは、それから3時間後だった。


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