一話 私、転移しました。
見たことのない綺麗な蒼の空、綿あめみたいなふわふわとした雲、さらさらと私の頬を優しくなでる風、そして暖かい太陽の光。
――ここは、どこだ
起きたてでまだ起動しきっていない頭を、頬を叩いて無理やり起こす。ぼやけていた視界もだんだん綺麗になっていく。
ああ、綺麗な空だなあ、けど眩しいよ。あとなんか背中がチクチクする。
「…うぅん、ちくちくする…」
体を起こして声のした方を見ると、ゴロゴロと転がって芝生から逃れようとしている菫さんがいた。しかし、周囲を見渡す限り背の低い緑は全く途切れる気配はない。一応私から見て左後方に大きな石の壁が見えるのでそこに転がれば痛くはなくなるだろう。まあ、かなり距離はあるが。
真後ろというより真上には大きな木が一本生えていて、大きく広がった葉っぱで私を陽の光から守ってくれている。ありがとう、と心の中で呟いておく。遠く前方には森のようなものが見えるが、ほんわりとだが光を帯びている気がする。
ふむ、この世界には何か『ふしぎぱわー』があるのかもしれない。魔法みたいなものだといいなあ。手のひらに乗る水玉とか、軽い怪我なら瞬時に治せたりとかね。夢が広がりますな。
あ、四○元ポケットもあるといいなあ。
…それにしても、あの青くて丸っこいのは何だろうか、ぷにぷに動いてはいるけれど。
容赦なくチクチクと刺してくる芝生から一生懸命に逃げている菫さんを尻目に周囲の確認を済ませ、立ち上がる。ドアをくぐるときには背負っていたリュックサックは私の隣に落ちていたらしく、拾って背負う。うん、相変わらず教科書は重い。あと背負った時ピロンと電子音のような音が聞こえた気がしたが、多分気のせいだろう。
「おおぉぉ…」
さて、どんどん離れていく菫さんを起こそうか。
「お恥ずかしいところを…すみません」
うぅ、と顔を赤く染め上げ俯く菫さん。こうして見るとただの可愛い女の子なんだけど、神様(本人談)なんだよなあ。
「さて、どうしましょうか。あの石壁に向かって歩こうかなと考えてはいるけれど、そっちは?」
さっき見た石壁に視線を移す。大きいなあ、やっぱり。少し異世界に来たって実感がわいた。普通こんなに広い草原、そうそうほったらかしにしないでしょうし、あんな石壁、中世を舞台にしたドラマやアニメでしか見たことが無い。
「え、あ、はい、あれですか」
私の視線の先を見てほわっ、と驚いたような声を出したが、すぐに気を取り直し細くて白い指であれですか、と石壁を指す。まだ顔の赤みは完全には引いていない。そんなに恥ずかしかったのか。
「…そうですね、もしかしたらあの石壁の向こう側には人がいるかもしれません。この世界の知識を少しでも知る必要がありますし、ここに居ても何も起きないでしょうし行ってみましょう」
とことこかさかさ、と石壁の方へ歩いて五分ほど。綺麗にそこだけ茶色の大地がむき出しになっているところが目の前に現れた。道になっているようで、石壁、その真反対に伸びていた。
「街道って奴かな?」
「そうでしょうね、なかなか歩きやすそうです」
よくよく見てみると細い溝が何本もあり、足跡もいっぱいある。多くの人が利用しているのがよくわかる。推理小説とか読んでいるとこんな知識がつくから、面白いよね。
特に芝生の上じゃないと心が落ち着かないとかいう奇妙な病にはかかっていないので、しっかりと舗装されている道に沿って、石壁に向かって歩くことにした。
「…すごいなあ。」
額についた汗を制服の袖で拭きながら、目の前にそびえ立つ灰色の壁を見上げる。大体六、七階建てのビルぐらいの高さの壁が横に広がっている。
しかし離れたところからはっきりと見えていたので大きいのだろうな、とは考えていたけれど、ここまで大きいとは。隣の菫さんもポカーンと口を開けて石壁を見ている。何でこんなに高くしたんだろう。私たちが歩いてきた道の事を考えても、こんなに高くしなくてもいいだろうに。いや、もしかして――
「おーい、そこのお二人さん。旅人かい?」
こちらに向かって発せられたと思われる男性の声に、はっと思考の海から引き上げる。少し痛くなった首を声のした方へグッと向けると、中世の騎士の重そうな鎧を着、腰に鞘に入った剣――大体七十センチぐらいの長さだった――を下げた、四十代ぐらいの男性が私たちの方にガッシャガッシャと歩いてきていた。
これが異世界人とのファーストコンタクトだった。