膝が笑ってる
「ぶわははは!」
うるさい…。
早朝なのに笑い声が聞こえる。きっと隣の部屋からだ。弟が朝から漫画を見てバカ笑いをしているに違いない。
「う……ん」
僕は寝返りをうった。
「ぶわははは!」
笑い声は止まない。
こんな時間から大声出されたらたまったもんじゃない。
僕はベットから身を起こすと、弟の部屋まで行って扉を叩いた。
「朝っぱらからうるさいんだけど!」
「ぶわははは!」
返事は笑い声だった。
いい加減堪えかねて、僕は扉を開けた。
しかしおかしいことに、弟は眠っていた。
「え?」
近づいてよく見る。
よだれを垂らしながら眠っていた。
どうやら寝たふりはしてないようだ。
じゃあなんだ?
近所の笑い声とか?
でもそのわりにはよく聞こえた。
すると、
「ぶわははは!」
また笑い声がした。
僕は怖くなって自室に戻り、ベッドの中に潜り込んだ。
なんだなんだなんだ!ものすごくはっきり聞こえたぞ!もしかして幻聴か!?そんなのを聞くくらい精神が疲れてるのか!?
そんな考えが頭をぐるぐるまわった。
「ぶわははは!」
僕は頭が混乱して、無我夢中になって叫んだ。
「やめてくれ!もうやめてくれえ!」
「ぶわははは!おもしれえなお前さん。右膝を見てみろよ!ぶわははは!」
「は?右膝?」
僕は訳がわからなくなっていたので、その声が誰かも考えずに右膝を見た。
すると口がにゅっと出て、
「やっと見てくれたか!ぶわははは!」
と笑った。
「う、うわああああああああっ!」
叫びながら布団を跳ね上げると、バランスを崩してベッドから落ちた。
「いてて……」
「おいおい大丈夫かいお前さん。ぶわははは!」
はっとして右膝を見ると、僕は気を失った。
「ん?あれ?」
目が覚めると僕はベッドから落ちていた。
「あー変な夢を見たなぁ」
ぶつけたらしいところを擦りながら壁時計を見る。もう起きる時間だ。
「というか膝が笑うなんてギャグでしょ……くふっ……!」
僕は含み笑いをしながら学校へいく支度をする。
「そうだよなあ!ぶわははは!」
「ほんとほんと、こんな感じに……ってうわああ━━━」
「おっと!さっきみたいに気を失われちゃ困るぜ!ぶわははは!」
「な………」
夢じゃなかった!?
いや、よく考えろ僕。
膝が喋るなんて漫画を読みすぎだ。多分これは幻聴だ。それかあれだ。白昼夢だ。
そうか白昼夢だ!
なら簡単だ。
僕は頬を自分の手でパーンとはった。
ふふふ、これで夢から覚めるはずだ。さあ起きろ僕!
「残念ながら幻聴でも白昼夢でもないんだなあこれが!ぶわははは!」
「な……なふで(なんで)……?」
かなり強く叩いたらしく、ちゃんと声を出すことができない。
「この前お前さん、俺の口がある部分を怪我しただろ。そこからウィルスが入り込んじまったらしくてな。俺はその後遺症だ。まあすぐにでも消えるよ!ぶわははは!」
後遺症?そんな後遺症聞いたことないぞ。
しかし、僕もそのことについて問答を繰り返すだけ混乱が生じると判断して、違う質問をした。
「すぐひっていふは(すぐにっていつさ)」
「さぁ?明日明後日にでも消えるんじゃないのか!?ぶわははは!」
「はぁ……」
僕は溜め息をつくと、さっさと支度を済ませて部屋を出ようとした。
ふと、時計を見る。
もう朝食を食べる時間がない!
急いで部屋を出て階段を降りると、マッハで歯を磨いて顔を洗い、キッチンに置いてある食パンを一つ口に加えて、家をあとにしようとする。
すると、母さんに呼び止められた。
「待ちなさい!あんたよく転ぶんだからハンカチ持って行きなさい!」
「ありがと!」
そう言って家をあとにした。
「パン加えながら登校とか昔のギャルゲーかよ!ぶわははは!」
「…………」
登校中の生徒がこっちを見ている。
僕は建物の影に隠れた。
ズボンを捲ると右膝に話しかけた。
「ねえ。お前は黙ることができないの?」
「そいつは無理な相談だなあ!ぶわははは!」
「そうか……わかったよ」
僕はそう呟くと、ポケットからさっき受け取ったハンカチを出した。
それを右膝の口の間に巻く。
「んー!んー!」
膝に猿ぐつわというのも変だが、実際そういう状況にだ。
その上から捲ったズボンを被せる。
効果は絶大だった。
全く声が聞こえない。
「これでよし」
僕は再び学校へ向かった。
「だからなんなんだこれは!」
先生は僕を怒鳴り付けた。
「いえ……だから……その……」
「なんだ!言いたいことがあるならはっきり言わないか!なんで宿題が一個も終わってないんだ!」
周りからクスクスという笑い声が聞こえる。
僕は今、教室で先生に怒鳴られていた。
理由は簡単だ。宿題をやってないからである。
だけどやってない訳じゃなかった。
破られたのだ。クラスの不良に。
そいつらは今、教室の片隅で腹を抱えて笑っていた。
「ん!?だからなんとか言え!忘れたくせに謝罪の言葉もないのか!?」
「…………すみませ━━━━」
「ぶわははは!やっとハンカチが外れたぜ!これでやっと笑うことができる!ぶわははは!」
一瞬遅れてズボンの下からハンカチが落ちた。
「なんだ?今のは」
先生は少し戸惑っている。
まずい!
だけど先生は思いの外、気にしていないようだった。
「まあいい。廊下にでもなんでも行ってろ!」
そうして僕は教室を追い出された。
「よかったのかい?学校出てきちまって!ぶわははは!」
「いいんだよ。どうせ何を言っても先生はそんなわけないだろの一点張りだし、あのまま学校に残ってても不良に絡まれるだけだし。帰って正解だよ」
僕ははぁ…と溜め息をついた。
今、僕は学校から少し離れた住宅街にある公園のブランコに座っていた。
「でもお前さん、なにも言わなかったじゃないか。ぶわははは!」
「なんかもう面倒になっちゃってね…」
「でも俺には言いたいことがあるって伝わってきたがね!ぶわははは!」
「………なんでそんなことがわかるのさ……」
「俺とお前さんは一心同体だからね!何でもわかるよ!ぶわははは!」
はぁ…とまた溜め息をつく。
「不幸だよ……僕は不幸体質だ……」
僕はそう言って俯いた。
「ぶわははははははははは!!」
「!?」
唐突に膝が大声で笑い出した。
「お前さん。俺はお前さんが何も言えなくなかったことにたいして何も言えないし、元気づけることもできねえ。だけどな、俺は一つだけ言えることがあるぜ!ぶわははは!」
「なんだよ」
「それはな!幸か不幸かは自分で決めてるってことだ!自分が幸せだと思えば幸せだし、不幸だと思えば不幸だ!つまりな、いっつも幸せだと思ってれば幸せになるんだよ!だからよ!不幸体質なんざありゃしねえんだ!不幸と決めてる自分の心こそが不幸体質なんだ!ぶわははは!」
「…………」
「そうだ!いっつも笑ってるやつから一つアドバイスをしてやろうかねえ!ぶわははは!」
「アドバイス?」
「ああ!一回声をあげて笑ってみろ!笑ってりゃあ段々気分もよくなって幸せだって感じやすくなるぜ!俺なんか年中幸せって感じてるからな!ぶわははは!」
「え……?でも、恥ずかしいよ………」
「そんなこと言ってねえで、ほらぶわははは!」
「わ……は…は!」
「ぶわははは!」
「わ、ははは!」
「ぶわははは!」
「わはははは!」
「はぁ……はぁ……」
笑い疲れた……。
「時にお前さん。荷物は学校にあるけどいいのかい?ぶわははは!」
はっとして顔をあげる。ていうかよく笑ってられるな。
「そうだった~……」
「よっしゃ、さっさと荷物取りに行こうぜ!ぶわははは!」
「え~……」
「ほらこういうときは笑う!ぶわははは!」
「わはははは…」
教室につくと、不良たちが3人で僕の荷物を漁っていた。もう下校時間は過ぎている。
「ん~?おいおいなんだよその顔はぁ~?」
「別になんも盗ってねえよぉ~?だって金目のものがないからぁ~」
「まあ俺らに全部盗られてもうねえのかもしれねえけどなぁ!」
「「「アハハハハ!」」」
「あれ~?こっちにないってことはお前が持ってるんじゃね~?」
「そっかぁ~、ならいつものように盗っちまうだけだなぁ!」
そう言って一人の不良が僕を殴った。
「………っ」
僕は倒れる。
それを合図に不良全員が僕を袋叩きにし始めた。
痛い。
こういうときはどうするればいいのかな。
その時、さっきの膝の言葉を思い出した。
一回声をあげて笑ってみろ!
笑ってりゃあ段々気分もよくなって幸せだって感じやすくなるぜ!
そっか。笑うんだっけか。
僕は口を開けた。
「わはははは!」
「あぁ~ん?なに笑ってるんだ?お前」
「わはははは!」
「おい、こいつついに壊れたぜ!」
「わはははは!」
「ちっ、気味悪いな。もう帰ろうぜ!」
「わはははは!」
「え?おいなんでだよ!」
「わはははは!」
「マジで気持ち悪い。さっさと行こうぜ」
「そ、そうだな」
そう言うと不良たちは教室を出ていった。
「ねぇ膝。あいつら気味悪がってたけどこれでも幸せっていうの?」
「そうマイナスに考えんな!もういじめられなくなったと思えばいいじゃねえか!ぶわははは!」
「それもそうだね!わはははは!」
僕たちは日が暮れるまで笑い続けた。