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甘い結婚なんて  作者: 惣領莉沙
本編
30/35

30話

「この資料、ファイルしておいてくれ」


「わかりました。この後新しく顧問に就任した会社との打ち合わせがありますので第一応接にお願いしますね」


「あー、わかった。先方から二人来られるって聞いてるから、会わせて4人分のコーヒー頼むよ」


「はい。お持ちします」


慌ただしい毎日の中で、気付けば秘書仲間の中でも中堅を超えてしまった。

この弁護士事務所に就職してから、既に6年。

あらゆる雑務に対応できるスキルは身についたと思う。

雑務だとはいえ、人の人生を左右する案件に対する雑務だと思えば、たとえ簡単な数字の入力作業や書類の提出なども気を引き締めながらあたらないといけない。

向いている人と向いていない人は確かにいて、私は結局向いていたように思える。


千絵おばさんからの誘いが一番の理由だったとはいえ、私には今している仕事が天職かもしれないと、最近感じている。


 

  * * *



「沙耶さん、今晩私の大学時代の先輩たちと飲み会するんですけど、良ければ一緒に行きませんか?」


「え?私?」


給湯室で、頼まれたコーヒーの準備をしていると、今年入所したばかりの新人秘書の吉田さんが聞いてきた。

普段から人当たりのいい話し方と可愛らしい表情の吉田さんとは研修中から仲良くしていて、これまでも何度か同じような誘いを受けた事がある。


そのたびに『行かない』


と笑顔ではっきりと断ってるんだけど、懲りない子だなあ。


「私、そういうの行かないって何度も言ってるでしょ」


苦笑しつつ、ほんの少しの呆れた声で答えると、予想通りの拗ねた声が返ってきた。


「沙耶さんが来てくれたら、きっと男性陣のテンションあがると思うんですけどねー」


「私よりももっと若い女の子を誘いなさいよ。喜んで来てくれるよ」


「……沙耶さん、もったいない」


「は?」


「そんなに綺麗なのに、男性からの誘いも全て断ってるなんてもったいないです。

事務所の先生たちの中にも沙耶さんの事を気に入ってる人何人か知ってますよ」


まるで自分の事のように一生懸命に話す吉田さんがかわいく思えて仕方ない。

若いっていいなあと、ほんの何歳かしか違わないのに達観した想いすら感じる。


「……何かおかしいですか?」


ふと浮かんだ私の笑いに気付いたのか、低い声で聞き返すところも予想通りだな。

私が吉田さんの年の頃、こんなに可愛かったっけ?

答えは否。

私が大学を卒業した頃は、凌太の裏切りに傷ついた自分を無駄に引きずっていて、何もかもを諦めていた。

たった一度、恋愛に傷ついたくらいで、必要以上に悲しんでいたような気がする。

この事務所にも、千絵おばさんが望むままに入所して、何も考えずに仕事だけをこなしていたっけ。

吉田さんみたいにコンパや飲み会だの、若さを謳歌するような事は一切してなかったな……。

今思い返すと、もったいなかったかもしれない。


「吉田さんには、恋人はいないの?」


「いますよ。高校からの付き合いで、もう6年くらいになります」


「それなのに、飲み会にいっちゃうんだ」


あっさりと恋人がいる事を認めた吉田さんに、ほんの少し嫌味をこめて言ってみた。

恋人にばれたらまずいんじゃないの?


「今日の飲み会は、彼も来るんですよ。大学も一緒だったので、共通の友達が多いっていいですよね。

……だから、今日は沙耶さんを彼に紹介したいのもあって、ぜひ来てほしいんです」


「あー。今日は本当に無理なんだ。ずっと前から決まってた用事があるから」


吉田さんの熱意に押し切られそうになるけれど、今日だけは無理。

金曜日の夜に予定があるなんて、私には珍しい事で、それを知っている吉田さんは驚いてる。


「家に帰って掃除しなきゃとか、花にお水をあげなきゃとか、そんな用事じゃないですよね?」


「ははは、ありえそうだけど、残念ながら違うよ。……今日はちょっと行くところがあるからごめんね」


まだ色々と突っ込んできそうな吉田さんににっこりと笑うと、出来上がったコーヒーをカップに注いだ。


「さ、失礼のないようにね」


コーヒーをトレーに乗せて、第一応接に向かった。

真面目な表情を作りながらも、心は今晩の事に向いていて、他の事は何も考えられなかった。



   *  *  *



『カチャ』


低く響いた音に、私の鼓動は大きく跳ねた。


マンションの下から見上げた部屋はまだ真っ暗だったから、誰もいないだろうと予想はしていたけれど、目の前に広がる暗闇を確認して、ほっとした。

ゆっくりと、慣れない玄関に足を踏み入れて灯りを探す。

見つけたスイッチを押すと、途端に明るくなった。


靴を脱ぎすてて、前方のリビングまで通じる廊下をゆっくり歩きながら気分を落ち着けた。

この部屋に来るのは二度目だ。

合鍵をもらったあと、連れてきてもらった時以来。

その時も、部屋の場所を確認してさっさと帰っただけだったな……。


リビングの電気をつけて、周囲を見回すと、おぼろげな記憶のままの部屋が目に入った。

あまり物が置かれていないシンプルな部屋には、大きなテレビがどんと置かれていて、ソファがその前にあるくらいだ。

なんて生活感のない部屋。


どきどきする心臓の音を無視しながら、キッチンへと入った。

それほど広くないキッチンは、シンクも綺麗で、料理なんて全くした跡がない。

ふーん、とりあえず女の子が来てる形跡はなし。

テーブルに積まれている新聞や、乱雑に放り込まれているごみ箱にも、女の子が片付けをした様子もなくて。


「第一関門突破」


少しホッとする。

私以外の女の子が出入りしていたら、すぐにでも帰ろうと思っていたけど、そんな気配は微塵もない。


良かった……。

やっぱり、私は戻りたいんだな。

そう、戻りたいんだ。側で一緒に笑い合いたいし抱き合いたいんだ。


「さ、最後の確認しなきゃ」


どきどきしながら冷蔵庫の前に立つ。

一人暮らしには大きい冷蔵庫を目の前にして深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせて、ゆっくりと扉を開けた。


私が求めているものがちゃんと入っているのかどうか……。

入っていますようにと願いを込めて、扉を開けた。


『この先、凌太の気持ちが変わって私を待つ事をやめたなら、これは捨ててくれていいから。

私が合鍵を使ってこの部屋に入った時に、冷蔵庫の中にこれが入ってなかったら、そのまま帰って二度とここには来ないし凌太の前にも現れない。

でも、私が来るのを待ってくれてる間は、冷蔵庫に入れておいて』


そう言って凌太の部屋の冷蔵庫に入れたのは、高校時代に凌太がくれたピンキーリング。

凌太とお揃いで、付き合っている間はずっとつけていた思い出のもの。

凌太と再会した時は、私ははめてなかったけれど、凌太の小指にはちゃんとはめてあって驚いた。

私と別れた後、しばらくしてからずっとはめ続けていると聞いて、どこか嬉しかったのを覚えている。


そのピンキーリングに代わって新しく婚約指輪を買いに行こうと、あのお見合いの時には言ってたっけ。

なかなか凌太に心を開かない私に業を煮やして、両親や千絵おばさんを巻き込んで仕組んだらしいお見合いの真相を聞かされた時は呆れたけれど。

今思えば、そこまで切羽詰まった思いで私の側にいたのかもしれないな。

そう安易に振り返る私は、やっぱり甘いんだろうと、思う。

本当なら、こうして凌太の部屋になんか来ないのが普通だろうし、憎むのが当たり前かもしれないけれど。


凌太の部屋の合鍵を預かってから二年以上が経って、やっぱり凌太が好きだという気持ちは消えないと認めた。

その間、約束通り、凌太は私への接触を一切絶ったまま何の連絡もよこさなかった。

時々千絵おばさんを通じて元気で仕事に励んでいるらしいと聞いていたけれど、それだけ。

きっと、千絵おばさんは凌太に私の様子を伝えていたんだろうけど、それだけの二年以上。


凌太に寄り添って、ちゃんと愛していけるかどうか揺れていたけれど、最近新聞やテレビで見た凌太はかなり疲れていて、これ以上離れていたくないと思った。


思っていたよりも早く社長に就任した凌太の記事を見るたびに、その責務とプレッシャーと闘う表情や、忙しいのか痩せた身体を知って。


『側にいたい』


素直にそう思えた。


そして、ずっとしまいこんでいた合鍵を持って、今日ここにやってきた。


冷蔵庫の中に、あのピンキーリングがありますようにと願いを込めて。

ぐっと唇をかみしめて、扉を開けた途端。


「夢じゃないよな……」


背後から、懐かしい声が聞こえた。

はっと振り返ると、目を大きく見開いている凌太がいた。

スーツ姿の凌太は、以前よりもやっぱり痩せていて、顔にも疲労の色が濃い。

相当忙しい毎日を送っているとすぐにわかった。


「夢でもいいや、抱きしめたい」


そう言って、私に駆け寄るとぎゅっと抱き寄せて。

気付けば私も凌太の背中に手を回していた。


「夢でもいいって……私もそう思うよ」


そう、ずっとこうして抱きしめられる事を望んでいたのに、自分の気持ちがなかなか信じられなくて合鍵を使う勇気が出なかった。

本当は、凌太に会いたくてたまらなかったのに。


「沙耶……沙耶……あったかい。夢じゃないんだよな。戻ってきてくれたんだよな」


「ん、夢じゃないし、ちゃんと合鍵使って戻ってきたよ」


「沙耶……沙耶…」


もう絶対に離さないとでもいうように力いっぱい抱きしめてくれる凌太の吐息を首に感じていると、本当に嬉しくて心が暖かくなる。

自分の居場所に、ようやく……10年ぶりに戻ってきた。


「あ。ピンキーリング……」


ふと思い出して、冷蔵庫に視線を投げると、そんな私に気付いたのか凌太の腕の力が緩んだ。

そっと見上げると、優しく微笑む凌太の視線に捕まる。


「俺も指輪も、沙耶をずっと待ってたんだ」


そう言って、私の肩を抱いたまま、もう一方の手で冷蔵庫を開けてくれた。

すると、目の前には。


リングトレーに二つ並べられたピンキーリングがあった。

高校時代の楽しい思い出が詰まっているリングが、私を待っていてくれた。


「二度と離したくない。結婚しよう」


再び抱きしめられて、凌太のくぐもった声が耳元に響く。


結婚。そんな未来を、覚悟しなきゃ、ここには戻ってくることもなかった。

子供を授かれないかもしれない私との結婚が、凌太と私にとってそんなに甘くない事もわかってる。

二度と凌太が私を裏切らないという保証もない。

そして、逆を言えば、私の気持ちが変わって、他に好きな人ができるかもしれない。


そんな事を考えると、甘い結婚を夢見る頃はとっくに過ぎたのかもしれないけれど。

離れていた数年を経て、それでもやっぱり。


凌太の側にいたいと、そう思えるから。


「結婚は、甘くないよ。……でも、一緒にいたいから。お嫁さんにしてください」


この決心が吉と出るか凶と出るか。誰にもわからない。


それでも、凌太が好きだという気持ちを大切にして、とにかく今は凌太と笑っていたいから。


たとえ甘い結婚じゃなくてもいい。


強く抱きしめられて、凌太から染み入る温かさを体中に感じながら、そっと目を閉じた。






































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