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甘い結婚なんて  作者: 惣領莉沙
本編
28/35

28話


「仕事に戻るんでしょ?」


「あ?ああ、戻るけど……」


「身体には気を付けてね。週末も仕事なら尚更無理しないでよ」


「ああ。……沙耶?」


「何?」


「何って……何も言う事ないのか?俺がこの一年してきた事、怒ってるよな」


ソファに座っている凌太の前に座り込むと、そっとその不安げな顔を見上げた。

相変わらず整っているその顔は、高校の時よりも精悍になって、日に焼けているせいか逞しく見える。

右耳の下側にある微かな傷跡は、高校三年の文化祭の準備で屋台を組み立てていた時にできたもの。

ぐっさりと刺さった木材は血まみれになって、クラス中が騒然となったっけ。

担任の先生に付き添われて病院に連れて行かれる時、


『沙耶が怪我したんじゃなくて良かったよ』


あっけらかんとそう言った凌太は不敵に笑っていて、流れる血の量と反比例した落ち着きが更に私の不安を煽った。出血多量で死んだらどうしようって、私が大泣きしてあわてふためいて。


『凌太がいなくなったらどうしよう』


そんな事ばかり考えてしまった。


その時の傷跡は、多少薄くなっているけれど、白いラインとなってまだ残っている。

こうして凌太の顔をじっくりと見つめて気付いたのは傷跡だけじゃなくて、傷跡ができた時の苦しい気持ち。


「一生残りそうだね」


そっと指先でたどると、ほんの少し盛り上がった皮膚に気づく。


「傷跡くらい、どうって事ない。普段はすっかり忘れていて思い出す事もないし」


「凌太の整った顔に影響もないしね」


そう言って笑う私に、戸惑うように凌太は視線を向けた。

さっきまで、凌太が吐き出してくれた事実に対しての私の態度の軽さに驚いているんだと思う。


この一年の行動の裏側を吐露してくれた凌太にしてみれば、私がこうして普通にしている事すら信じられない事なんだろうし、あっさりと帰った凛花に戸惑っている事もわかる。


私だって、今こうして落ち着いて凌太と接していられる事に驚いているし、不思議な気分。


「この傷を作って血まみれになってた凌太を見た時、凌太がいなくなってしまいそうで怖くて不安でどうしようもなかった」


「……沙耶?」


「その時の私の不安な気持ちは、千絵おばさんが血まみれの私を発見した時の気が狂いそうだったっていう気持ちに通じるのかな……。全然レベルは違うんだけど」


「血まみれ……。だったんだよな。それを聞いただけで、俺も気が狂いそうだよ」


震える凌太の声が、私の心に重く響く……。


「うん、ごめん。もう、あんなことは絶対しない。たとえ、自分が描いてた未来を手に入れられなくても、もう大丈夫。

あの時は、私の感情のほとんどが閉ざされていて、後ろ向きな、沈んでいく感情しか残されてなかったし、

命を取り留めた後も、私の感情にあまり変化はなかった。

でもね、凌太が私の前に現れて、私は生きるために必要な感情を取り戻したんだと思うんだ」


淡々と話す私に、訳が分からないとでもいうように首を傾げる凌太だけど、ただ黙って聞いてくれている。


「生きていると、自分の中に喜怒哀楽という感情が沸きあがってきて、その感情とうまく折り合いをつけながら毎日を過ごしてると思う。

あの時、私が自分を傷つけた時には、喜怒哀楽のバランスが崩れて苦しみばかりが私の中で膨れてしまっていて。私はおかしくなってた」


そう。自分にふりかかった苦しい未来。

結婚や子供を持つ事が困難だろう未来を受け止めきれずに逃げようとしていた馬鹿な私。

自分が思い描いていた理想の未来が築けないと告げられたあの時は、確かに落ち込んで苦しんでおかしくなっても仕方なかったのかもしれないけど、だからといって命を落とすような行動をしていいわけじゃない。


私がいなくなれば、悲しむ人がいるのに、そんな事していいわけなんてない。


千絵おばさんが発見してくれて取り留めた命。

血まみれになった私を見た時の千絵おばさんの気持ちを想像するだけで、私の気持ちも痛くなる。

高校生の時、凌太が私の前からいなくなる不安に襲われて泣き叫んだ私なのに。


千絵おばさんが味わった苦しみはどれほどのものだったろうと思う。

そう思うと、私と凌太の付き合いについて口を挟んだり、かなり慎重になっていた気持ちもわかる。


「凌太が、私の事を無理矢理抱いたり、私の気持ちを無視した行動をした事、やっぱり怖かったから全部を許せるわけじゃないけど、落ち込んだり悲しむ以外の感情を取り戻して、ちゃんと生きられるようになったのは凌太のおかげだと思うから。

今までの事はもういい。凛花が言うように、この先は凌太に傷つけられないって思えるから」


はっとしたように目を見開いた凌太は、じっと視線を私に合わせたまま


「じゃ、俺と……結婚しても、いいってことか?」


まるでそれが唯一の望みのように呟いた。

その低い声に、私の気持ちは流されそうになる。

私の気持ちの中には確かに、凌太への愛情はあるから、凌太の胸に飛び込んで、過去は振り返らずに凌太と一緒に生きていけばいいかと、流されそうな気持ちにもなる。

やっぱり、凌太の事、好きだから。揺れる揺れる。


でも。


「結婚は、今は考えられないし、この先どう結論を出すのかもわからない」


途端に悲しげに曇る凌太の瞳に、私の気持ちも落ち込むけれど、それでも。


「ようやく、止まっていた私の人生を前に進める事ができそうだから、しばらくはどこにたどりつくのか、様子をみたい」


襲われて大けがを負った時から止まっていた私の人生が、今やっと動き出したと感じる。

たとえそれが、凌太の存在によるもので、私の中に凌太への愛情があるとしても。


今はやっぱり、凌太と結婚なんて考えられない。


「自分の人生を、ゆっくり考えてみたいんだ……」



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