21話
家に帰って、とりあえず洗濯物を取り込んで。
普段それほど熱心にしない掃除もした。カーテンレールの上を拭いたり、あちこちに飾ってある雑貨のほこりを落としたり。仕事で帰るのが遅いって事を言い訳にして手を抜いていた場所も念入りに綺麗にしてみた。
週末は凌太がやってくるから家事にも集中できないし……。
この一年当たり前のように過ごしていた凌太との週末を振り返ると、どうしても猜疑心ありきの凌太への先入観。
『不実な男』というベールの向こうに凌太をおしやっていたように思う。
私に対して高慢な態度しか見せないから、私の反発と抵抗からそのベールは更に厚いものになってるのかな。
平日にこの部屋に来ないのは、他に女の子がいるからかなと思っていたけれど、週末に私に向ける凌太の必死な執着心は、そんな疑いを拭うくらいに強烈だし。
今日、凌太がそのうち背負う事になるだろうあんな大きな建物を見たら、平日にかかわらず、仕事は大変だろうと思う。学生時代と違って女の子と遊びまわる時間はないのかもしれない。
それに、この部屋に来ない平日はいつも電話がかかってくる。
仕事が終わって、『疲れたー』という言葉から始まる電話が教えてくれるのは、凌太にとっての生活の大半を仕事に捧げてるって事。たまに飲みに行っても、ちゃんと電話してくる。
女の子が傍らにいたら、きっと無理だ。
今日も、かかってくるのかな……。
* * *
それからしばらく、夕飯に用意したパスタを食べながらテレビを見ていると、玄関の鍵が開く音が聞こえた。
「え?凌太」
キッチンから慌てて玄関に行くと、予想通り玄関には凌太がいた。
いつものようにさっさと靴を脱いで私の元へ来ると。
「腹減った。なんか食わせて」
私の頭を軽く撫でてリビングへと行った。スーツの上着を脱いで、ソファの上に投げ出したあと、自分もどさりとソファに腰掛けた。
相当疲れてるのかな。顔には隠せない疲労感が浮かんでる。
「平日に来るなんて珍しいね……」
「週末来れないから寄ったんだ。と言っても、これからまた会社に戻るんだけどな」
「え、今日これから?」
「ああ、今忙しいんだ。週末出張だから前倒しで処理しないといけない案件がいくつもあるし」
肩をすくめて苦笑いをする凌太は、力なくそう言った。
昨日からずっと、まるで別人のように見える凌太に違和感を覚える。
「どこか、具合悪いの?風邪でもひいちゃった?」
「いや、大丈夫だ。仕事が忙しいから疲れてるだけ」
「そんなに忙しいんだ。週末に出張なんて今までなかったのにね」
「そうだな。親父が本気で引退考えてるみたいだから、上の役員たちが早く俺を一人前にしようと躍起になってるんだ。いい迷惑だよ」
「あ……そうなんだ」
今日、初めて見た凌太の背負っていく会社の姿を思い出した。
大きな建物には、その会社によって仕事を得、生活している社員が大勢いるはず。
単純に建物の大きさだけではない、背負うべき責任がそこにはあって、凌太にはその責任を負う運命が課せられている。好きで社長の息子に生まれたわけではないし、凌太自身望んでいるのかわからないけれど、もう今更その運命からは逃げられないんだろう。
「だから、週末来れない。……寂しいか?……いや、いい。
あー、とにかく何か食わせて。昼も忙しくて食べてないんだ」
必要以上に大きな声。
凌太は立ち上がると大きく体を伸ばし、いつもの強気な顔を見せた。
「いつものあれが食べたい、沙耶がよく作ってる鶏肉の……」
「もしかして、ピカタ?」
「そう、それ。タマゴふわふわにしてるやつ、食べたいけど、できる?」
嬉しそうに笑う凌太の言葉が、いつもの凌太のように見えて少し安心した。
昨日の沈んだ様子が気になっていたけれど、今目の前にいる凌太は普段通りだ。
「作れるけど、ちょっと待ってね。……仕事に戻るなら、急がないといけないよね」
ちょうど冷蔵庫には鶏肉があるから、作ろうと思えば作れるけど、ちょっと時間が欲しい。
仕事にはすぐに戻らなきゃいけないのかな。
凌太はそんな私の疑問を軽く笑って、
「何時に戻ったって、終わるのは多分明け方だし。それなら沙耶の作ったご飯で充電してからでいい」
明け方って……、いったいどんなに忙しいんだろう。
確かに普段から忙しいとは聞いていたけれど、徹夜しなきゃならないほどの忙しさだとは聞いてなかった。
「じゃ、急いで作るから」
私は急いで冷蔵庫から必要な材料を取り出して、凌太がリクエストしたピカタを作り始めた。
そして、凌太がピカタを気に入ってたっていう事を今初めて知ったと気づいて複雑な気持ちになる。
犯罪と言ってもおかしくない事を私にしながら、私から離れようとしなかった凌太を、あっさり受け入れられるかと言われれば難しいし、今は無理だ。
凌太の裏切りによって途切れた二人の縁を、凌太だけの勝手な都合で無理矢理繋がれて、それによって私が傷つかない訳がない。
無理矢理抱かれた夜、やっぱり私は傷ついた。
付き合っていた頃は、私の気持ちを最優先に考えてくれて、私が喜ぶ事に気持ちを注いでくれた凌太を思い出すと、その豹変ぶりには驚く以外にない。
ただただ私に執着し、私から離れない凌太には、高校生の頃の面影はなかった。
必死で私を求める姿は狂気だ。
リビングでテレビを観ながら時折笑い声を上げる凌太を見ると、その狂気じみた思いは見当たらない。
ただ私の側で落ち着いてる男性にしか見えない。
目を細めて笑っているその凌太が、私の入院中に涙を流していたとは、信じられなかった。
飯島さんの言葉が次々とあふれて、その事をどう凌太に聞こうかと、胸が痛くなる。
包丁を持つ手が震えて仕方なかった。




