表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
甘い結婚なんて  作者: 惣領莉沙
本編
20/35

20話



飯島先生から知らされた過去に、私の気持ちは限界いっぱいで、午後からは仕事にならなかった。

午前中から調子が出ていなかった私がさらにおかしな様子を見せている事に気づいていた香織さんが


「大切な資料づくりやらでミスされても困るから、今日は帰りなさい」


大きくはないけれど、有無を言わせないきっぱりとした声で私に言い渡した。


「裁判で使う資料は、人の将来を左右する大切なものなのよ。いい加減に向き合うなんて許さない」


自分の気持ちだけに精いっぱいで、目の前の仕事をないがしろにしていた私は、香織さんの厳しい言葉にはっとした。ふと気付くと、目の前のパソコンの画面には、意味のない文字が羅列されていた。


「今日はさっさと帰って、気分転換しなさい。沙耶がいなくても、事務所はちゃんと回るから気にしないで。

あ、もちろん私がいなくても事務所に影響はないから拗ねないでよ。

とにかく、いい加減に仕事をして欲しくないから、今日は帰りなさい。これは業務命令です」


黒いパンツスーツが似合う香織さんは、その綺麗な顔をじっと私に向けて頷いた。


「……のんびりと、行きたいところに行くのもいいし、美味しい物を食べるのもいいし、気持ちを切り替えて、明日はすっきりして出勤してちょうだい。はい、お疲れ様」


これ以上話す事は何もないとでもいうように背を向けて、香織さんは自分の席に戻った。

残された私は、デスクの前でぼんやりとしながらも、香織さんの言うように帰ろうと、小さく息を吐いた。


デスクの上を片付け始めた途端、私の様子をうかがっていた同僚たちが安心したように仕事を再開した事に気づいた。……みんなが心配してたのかな、情けない。


仕事を置いて早退する事に後ろめたさを感じつつも、飯島先生から聞かされた話は私の体中を支配するくらいの衝撃で、ふとそのことを思い出す時間に妨害されて仕事にならないのは目に見えている。

大きな失敗をしないうちに、帰ろう。


帰ったからといって気持ちが浮上するとは思えないけれど、とりあえず、誰にも迷惑をかけないように。



   * * *



まさか。


自分がここにくるとは思わなかった。

見上げる大きなビルは20階以上の高さで、首も痛くなる。

話には聞いていたけど、こんなに大きな会社の次期社長かあ。

すごいんだな、凌太。


事務所を出た後、家に帰ろうかとも思ったけれど、きっと一人で過去を振り返って思い悩む事はわかっていたから帰らなかった。

映画を観たり買い物をしたり、色々考えたけれども、自然と足が向いたのは凌太が働く会社だ。

誰もが知る有名企業なだけあって、最寄駅の案内図には社名がどんと出ていて、迷う事なく来る事ができた。


自分は建設会社を将来背負う大切な存在だと、嫌がる気持ちを隠さずに凌太が言っていたのを覚えてる。

高校時代、大学時代、将来が決められていることの苦しさを話す凌太の横で何も言わずに聞いていた。


「でも、楽しそうに仕事してるじゃない」


この前、同僚たちと楽しげに歩いていた凌太を思い出して苦笑してしまう。

あんなに嫌がってたのに、結局、後継者としての人生を楽しんでるんだもん。

とりあえず、良かった。そう思う。


それからしばらく、ビルの入口から建物を見上げてぼんやりしていたけれど、警備の人の視線も気になるし、帰ろう。


昨日、苦しげに帰って行った凌太の事が気になったし、飯島先生に聞かされた過去に動揺した自分を落ち着かせるために、何となく来てしまったけれど、凌太に会えるとは思っていない。

ただ、凌太の日常を見たかった。

突然私の生活に介入してきて、私の事全てに関知してきた凌太。

そのことに反発と戸惑いを感じていた私は、まっすぐ凌太を見なかった。

考えれば今の凌太の生活を何も知らない。


携帯で連絡を取れば済むから、普段何をしているのか全くわからない。

『沙耶は俺のもの』

笑ってそう言葉を押し付ける凌太が、普段の凌太の全てではないはずで、私と接する時間以外にも凌太にとって大切な時間は流れている。


私を抱きながら、もしかしたら他にも女の子はいるのかもしれないと、小さな疑いはこの一年消えなくて、その疑いが現実になるのが怖くて凌太の事に深入りしなかった。と思う。


凌太の事を深く知る事が、とにかく怖かった。


だから、今日こうして凌太の働く会社に来るというのは、私にとっては画期的だと思う。

凌太にまっすぐ向き合おうと、そんな気持ちが生まれたんだ。

この間みたいに、女の子と腕を組んでる凌太と遭遇したらどうしようという怖さに気づきながらもここにいる私は、少し強くなったのかもしれない。


見上げると、相変わらず大きく威圧的な建物が日差しを反射させて眩しく見える。

この建物のどこかに凌太はいるに違いない。


昨日の凌太を思い出すと、私もなんだか切なくなってくる。

そして、飯島先生が教えてくれた、私の知らない凌太。私が命を落としかけた時に涙してくれたらしい凌太。

私の気持ちは、あらゆる凌太でいっぱいになってくる。そして。


再会してから初めて、凌太に会いたいと思った。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ