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甘い結婚なんて  作者: 惣領莉沙
本編
18/35

18話




翌日、まだ浮上しない気持ちを抱えたまま仕事をしていると、何度も出るため息に周りの視線が集まってしまう。


プライベートを仕事に持ち込む事は危険だとわかっているけれど、やっぱり気持ちは晴れないままだ。

私が仕事をする部屋は、担当している弁護士の先生数人が構える部屋の近くで、何人かの秘書達と一緒に使っている。入所した当時は、担当弁護士の誰かの部屋に机を置いていたけれど、事務所に暴漢が入って、若菜さんが怪我を負って以来、秘書は数人で部屋を使い、決して一人にはならないと、そう決められた。


その時大きな怪我をしなかったとはいえ、その後再び襲われて、人生を左右するほどの大怪我をした私にとっては、事務所で一人になる時間が怖くて仕方ない。

そんな私への配慮も込められた今の状態には感謝している。


「そろそろ、お昼に行ってきたら?」


パソコンに向かっている私に、先輩の香織さんが声をかけてくれた。

何人かずつ交代で食事に出る私達。

朝からため息続きの私に呆れながらも気を遣ってくれる先輩の優しさがありがたく自分が恥ずかしくなる。


「すみません、じゃ、お先に行ってきます」


凛花のいる部屋をのぞくと、焦った顔でパソコンに向かっていた。

声をかけられる雰囲気ではないので、一人でランチに出る事にした。

自分の気持ちが不安定な今は、一人でいる方がいいのかもしれない。

結局いつも凛花に怒られるばかりだから、きっと昨日の事を凛花に話したら呆れられるはず。


『とっととあんな疫病神と別れてなかった、沙耶が悪い』


ばっさりと言い切られるのが予想できて笑えるけど……。


疫病神か。そう言われると、そう思えるけれど。

犯罪行為とも思える私への執着を見せていたこの一年の凌太の事を、心底嫌う事ができない。

かといって全てを信じて自分を任せられるかと言えば、それも難しい。


好きだという気持ちだけでは飛び込めない大きな壁が私の周りにあるって思う。

そんな曖昧に揺れてる私だけど、夕べ見せられた凌太の苦しげな表情が気になって仕方ない。

何が何でも自分の気持ちを私に押し付けて、思うがままに笑っていたくせに、突然弱気な顔をして帰って行って。


その真意が全くわからない。

私の事を振り回すだけ振り回して、それでいて本当の気持ちやこの先どうしたいのか戸惑わせるだけ戸惑わせて。


あんな疫病神、このまま切り捨ててしまおう。


……そう思いたい気持ち以上に、凌太の事が気になって気になって仕方ない。



   * * *



「ここ、いい?」


「あ、飯島先生……、どうぞ」


事務所近くの和食屋さんで定食をつついていると、空いている向かいの席に飯島先生が座った。


「このお店で会うなんて珍しいね。……一人?」


「はい、凛花はまだ忙しそうにしてたんで一人です。このお店、時々しか来ないんですけど結構おいしいですね」


私が食べているのは『ほっけ定食』。小鉢が並び、美味しくて箸もすすむ。

そんな定食を飯島先生は見ながら、お店の人に同じものを注文した。


「あ、昨日は、わざわざすみませんでした。助かりました」


「帰り道だし、いいよ。……あの後、彼、大丈夫だった?」


「えっと……」


彼って、凌太の事だよね。その、『大丈夫』っていうのは一体どういう意味なんだろう。

昨日見せた凌太の飯島さんへの態度は誉められたものじゃなかったから、気にしてくれてるのかな。

飯島先生だって、気分を害したに違いないのに、今見せられる表情からは、私を心配する様子しか見えない。


「相変わらず、沙耶さんの事が大切でたまらないって感じだね」


「は?」


……相変わらず?


「沙耶さんが襲われて病院に運び込まれた時も、彼の方が死にそうな顔してたけど、昨日だって沙耶さんを心配してるってすぐにわかったよ」


「……」


襲われて……?


「彼、自分が側にいればこんな事にならなかったのにって、ずっと自分を責めてたよ。

恋人じゃないってつらそうに言ってたけど、彼は沙耶さんを好きだってすぐにわかった」


「あの……凌太は、病院に……あの時……」


飯島先生が話す言葉が理解できない。

私が襲われた時って……病院に運び込まれた時って、凌太が知ってるわけないのに。


「彼、千絵先生から連絡を受けて、すぐに病院に駆けつけてきたんだよ。病室は身内しか入れない状態だったから、俺や事務所の何人かは病室の外にいたんだけど。

彼は千絵先生と一緒に病室に入って、外に聞こえるくらいに泣いてたよ」


呆然としている私を気遣いながらも、思い出すように話す飯島先生は、ふざけてるようでもからかってるようでも、嘘を言ってるようにも見えない。

きっと、今聞かされた過去の出来事は本当の事なんだ……。


私はあの日病院に運ばれてしばらくは意識が戻らなくて、周りみんなが相当心配していたと聞いた。

出血もひどかったせいか、入院も長引いて。

そして、未来に絶望してしまう事も聞かされた私には何の希望も持てなくなった日々。

妊娠しづらいという、結婚も含めての未来が全て消されてしまったような暗く重い将来を宣告された日を思い出すと苦しくなる。


「それに、あの時も……同じように涙流してたよ」


「あの時?」


ふっと浮かんだのは、絶望を乗り越えられなくて逃げてしまったあの時の事だけど。

まさかと思う。凌太があの時の事を知っているわけがない。


無意識に、左手首を右手で隠す。そんな私の仕草に、つらそうな表情をした飯島先生も私の左手を見る。

普段は考えないように、思い出さないように、自分の弱さに蓋をして、隠したままどうにか生活しているのに。

どうしても消えない傷跡が、私の心を痛みと共にこじ開けていくようだ。


「沙耶さんが二度も死にかけて、それを目の当たりにしてそのたびに涙を流してるのに。

それでも自分は『恋人じゃない』ってうなだれてた彼の事、どう受け止めていいのか俺もわからなかった。

千絵先生と彼から、沙耶さんには自分が病院に来たことを黙ってて欲しいって言われたから黙ってた」


「恋人じゃない……。そうです……凌太は恋人じゃないけど」


鼓動は跳ねるどころじゃない。

私の過去の暗い出来事の中に、凌太が存在してる。それも、どうしようもなく辛い思い出の中に、凌太がいる。

未来を手離してもいいと、何もかもを捨ててもいいと独りよがりの決断をして、周りの心配なんて考えずに。


「何も、言ってなかった……」


ふてぶてしく、私を思うがままに抱いて、自分の気持ちを押し付けることしかしない凌太。

私を裏切って他の女の子を選んだくせに、どうして私の事を気にかけていたんだろう。

私と別れた後、私の大切さに気づいてあの女の子とも別れたと言っていた夕べの凌太の言葉がよみがえる。

ずっと、私の事を見ていたって言ってたけど、それって。私のとんでもない日も知ってるってこと?


「沙耶さんも恋人がいないってずっと言ってたし、彼の片想いなのかと思ってたけど。

俺もずるいんだ。沙耶さんが完全に彼を受け入れるまでに自分のものにしたくて色々近づいてたけど、昨日の彼を見たら無理みたいだって気付いたよ」


ははっと軽く笑顔を作る飯島先生は、あまりに驚いて口もきけないままの私を和ませるように軽くそう言ってくれた。見た目が整っていて、弁護士で、優しくて。

聞かされて衝撃しか受けない事実を、どう消化していいのかわからない私を気遣ってくれて、ありがたく思う。


『色々近づいてた』


そう流してくれる飯島先生の気持ちを考えると切ないけれど、私にはそれを受け止める事はできないから、敢えて聞き流した。

恋愛に距離を置いていた私だけど、飯島先生の気持ちはなんとなく気付いていて、気付かないふりをしていた。


私を気に入ってくれてるんだと、そう思う。

将来有望な男前の弁護士さん。

でも、ごめんなさい……。


「凌太の事も、ちゃんとわかってなくて、私」


ぼんやりと呟きながら、右手で隠していた左手首を見ると、白くなっている傷跡。

くっきりと浮かんでいる何本かの傷跡は、私が自分の未来を絶とうとしたあの日の罪が残されている。


「彼は、包帯でぐるぐるに巻かれていたその傷跡に、何度も唇を落としていたらしいよ。

自分の息を吹き込むように何度もね……。千絵先生が、つらそうに言ってた」


そうか……私の弱さを、凌太は知ってたんだ……。


いつの間にか止めていた息をふっと吐いて、目を閉じた。

体中がどきどき言ってる。鼓動だって暴れて仕方がない。流れる血だって脈打つのがわかる。

凌太……。

夕べの苦しげな凌太の顔が浮かんで、体が痛くなった。













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