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【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう ~目覚めたら、見知らぬ夫と息子――ヒロインだった黒歴史が待っていました~  作者: 楽歩


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48.誓いは静かに END

 結婚式の開始を告げる鐘の音は、思っていたよりも穏やかだった。


 響くような重さはなく、澄んだ空気に溶けるように、ゆっくりと広がっていく。



 控え室では、私の左右には、ラルとリズが並んで立っていた。二人とも正装に身を包んでおり、普段とは違う装いのせいか、どこか居心地が悪そうだ。落ち着かない様子で、何度も扉や窓の方へと視線を走らせている。


「ねえ、もうすぐ?」


 小声で囁いたリズが、そっとラルの袖を引いた。緊張と期待が混じった声に、ラルは小さく息を整えるようにしてから、


「もうすぐだよ」


 と答える。胸の前で手を組み、妙に真剣な顔つきをしている。



「準備ができました」


 控えめな声とともに、教会の神官が告げに来る。その一言で、空気がきりりと引き締まった。


 案内されて歩き、扉の前に立つ。分厚な扉の向こう側から、かすかに人の気配と静かなざわめきが伝わってくる。


 ラルは、リズに向かって「しーっ」と小さく指を立てた。


 二人の役目は、ウェディングドレスの長い裾を持つこと。その小さな手に、この日の大切さが託されている。


 扉が、ゆっくりと開く。


 視界の先、祭壇の前に立つレオナールは、緊張を隠しきれない様子だった。背筋は伸びているのに、どこかぎこちなく、こちらを見つめる瞳には不安と決意が入り混じっている。


 私は一歩、また一歩と、バージンロードを歩く。



 左右に並ぶ参列者たちの姿が、ゆっくりと視界に流れていく。



 お父様、お母様、お兄様家族。


 見慣れたはずの顔が、今日は少しだけ違って見えた。祝福と安堵を湛えた眼差しが、静かに私を見送っている。



 そして、レオナール様のご友人たちが、並んで立っていた。


 王太子。

 辺境伯。

 侯爵。



 その肩書きだけを並べれば、誰もが一目置かずにはいられない顔触れだ。国と領地を背負い、決断を下す立場にある男たち。けれど、今の彼らは、式典に臨む威厳ある要人というよりも、どこか過去を探しているような、少し不器用な男たちに見えた。



 三人の視線が、私に向けられる。



 突き刺さるようでいて、痛みを伴うほどではない。後悔と呼ぶには静かで、完全に過去になったと言い切るには、まだ温度が残っている。そんな、名付けがたい感情の色。


 ――昔、ララを好きだった人たち。



 かつて彼女が語った物語の中で、特別な役割を与えられていた男たち。彼女の人生の一頁に、確かに名を刻んだ存在。


 でも、私は“ララ”ではありません。



 王太子殿下は、静かに息を吐いた。胸の奥に溜まっていたものを手放すような仕草。その横顔には、状況を理解し受け入れようとする理性と、それでも完全には割り切れない感情が、同居していた。


 辺境伯は腕を組み、わずかに目を伏せる。視線を落とすことで、自分の感情に距離を取ろうとしているようにも見える。


 侯爵は、ほんの一瞬だけ唇を噛みしめた。それは無意識の仕草で、すぐに気づいたように、ゆっくりと表情を整える。貴族として、人として、この場にふさわしい顔へと。


 けれど――。



 彼らの隣に立つ妻たちは、誰一人として曇った顔をしていなかった。



 王太子妃殿下は、嬉しげに微笑み、惜しみない拍手を贈ってくれる。その姿には迷いがなく、祝福の気持ちが真っ直ぐに表れている。


 辺境伯夫人は、感極まったように目を潤ませながら、何度も小さく頷いていた。まるで、ここに至るまでの時間すべてを肯定するかのように。


 侯爵夫人は、満面の笑みで、舞い落ちる花びらを見上げている。その表情は、未来だけを見ている人のものだった。





 指輪の交換の際、ラルとリズは結婚指輪を載せたリングピローを持ち、慎重に祭壇まで運ぶ。小さな手で大切な役目を担う二人は、緊張のあまり足取りが少しだけぎこちない。


 リズは、ラルに額を寄せて囁いた。



「指輪、ある? 落としていない?」


「だいじょうぶ」



 ひそひそ声は、静かな聖堂の中に意外とはっきりと響いた。


 けれどそれを咎める者は誰もいない。参列者たちは一斉に微笑み、温かな空気が、さらに場を和ませていった。




 神官に促され、レオナールが一歩前に出る。


「私は、今日からの毎日を、アイラと共に選び続けることを誓います」


 続いて、私が息を吸う。


「私は、迷うことも、躓くことも、そのすべてをあなたと共に引き受けることを誓います」



 誓いの言葉は、短く、静かだった。永遠を誓うための大仰な言葉は並ばない。必要な言葉だけを選んだ。今日から続く生活を、ただ選ぶために。



 誓いを終えたあと、レオナールは静かに私の前に立った。


 指先でそっとベールに触れる。その仕草は慎重で、まるで壊れやすいものを扱うかのようだった。


 ゆっくりとベールが持ち上げられ、視線が絡む。近くて、息がかかるほどの距離なのに、彼はすぐには触れない。



 ほんの一瞬、間があった。嬉しそうな中に不安そうな顔色が浮かぶ。



 駆け巡る何かがあるのだろう。よく考えれば、この人も複雑な思いを抱き、葛藤し、悩み苦しんでここに居るはずだ。私と“ララ”に振り回されて。




 次の瞬間、額に、そして唇に、静かに触れる温もり。離れる直前、彼の息がかすかに震えるのを感じる。



 その距離で、思わず囁く。



「安心してください。責任を取って、一生あなたのそばに居ますわ」


 レオナールは一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから、困ったように、でも嬉しそうに笑った。




「だからそれは、私の台詞じゃないかな」


 いつもの朗らかな笑顔に戻ったレオナール様を見て、ほっとする。レオナール様の手を取り歩き出す。


 物語ではなく、役割でもなく、始まる生活。その最初の一歩を、私たちは確かに、並んで踏み出した。



 やがて、聖堂に拍手が広がる。


 その音に驚いたラルが、ぴくりと肩を揺らした。次の瞬間、リズと顔を見合わせ、二人同時に拍手を始める。少し遅れて、けれど誰よりも一生懸命に、小さな手を打ち鳴らして。


 鐘が鳴り、私たちは並んで歩き出す。



 花びらが舞い、祝福が降り注ぐ中、ラルとリズは顔を上げ、目を輝かせてその光景を見つめていた。



 白い光と花の色が、二人の瞳に映り込む。舞い落ちる花びらが、祝福のように視界を横切り、その一枚一枚が、この瞬間を確かに刻んでいく。



「ねえ、結婚って、ずっと一緒ってこと?」


「うん、そうだよ」



 ラルとリズの声は、無邪気で、まっすぐだ。 答えは簡単で、でもきっと、その意味を本当に知るのは、これからだ。重ねる日々の中で、選び続けることで、少しずつ形になっていく。


 レオナール様は、私に小さく頷いた。


 言葉はないけれど、その仕草だけで十分だった。



「レオナール様。私、日記を書き始めました」


「日記を?」


 少し意外そうに目を瞬かせる彼に、私は微笑む。



「ええ、あなたへの気持ちを、綴っておりますわ」


 そう告げた瞬間、レオナール様は一拍遅れて言葉を理解したらしく、ぴたりと動きを止めた。次の瞬間、耳まで一気に赤く染まり、視線が行き場を失って泳ぐ。



「……そ、それは……その……」


 何か言おうとして、結局言葉にならない。


 指先をわずかに握りしめ、困ったように眉を下げるその様子は、さきほど誓いを口にしていた人物とは思えないほど無防備だった。その反応が可笑しくて、愛おしかった。



『今日、私はレオナール様に愛される人生を、この人を愛し続ける未来を選んだ』



 祝福の拍手を受けながら、私は、今日書く日記の最初の一文を思い浮かべた。





END



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