表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう ~目覚めたら、見知らぬ夫と息子――ヒロインだった黒歴史が待っていました~  作者: 楽歩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/49

46.去る者と、残る者

「……お客様が」


「誰だ」


「その……ウォルターです」



 ジェフリーは、ウォルターのことも知っている。


 マリセラが、はっと息を呑む。そして、急に態度を変えた。



「やっぱり、今日は帰るわ」


 短く告げ、唇を強く噛みしめる。


 ――そのときだった。





「ただいまー」


 明るい声とともに、廊下から軽い足音が近づく。


 最悪のタイミングだった。


 ラルと、リズが帰ってきてしまったのだ。扉から、ひょこっと顔を出す二人。




「クラリス!」


 マリセラが、弾かれたように駆け寄る。


「クラリス……ああ、クラリスなのね! 私は、あなたのお母様よ!」


 目を潤ませ、声を震わせる。



 何を、勝手なことを!




「……お母様?」


 戸惑いに揺れるクラリス。



「そうよ。私が、お母様よ」


「……違う」


 小さな声。けれど、はっきりとした否定。



「そうだよ。僕たちのお母さんは、あの人じゃない」


 ラルが一歩前に出る。



「あなたは黙ってなさい! クラリスは、私が産んだのよ!」

 

 マリセラが叫ぶ。


「……っ」


 その言葉に、ラルがびくりと肩を震わせ、私に抱きつく。


 子供になんてことを!!


 マリセラはしゃがみ込み、両腕を広げた。




「さあ、クラリス。いらっしゃい」


「……違う!」


 次の瞬間クラリスは迷うことなく私のもとへ駆け寄り、強く抱きついた。


 小さな体が、震えている。


 私はその背を、逃がさぬように、しっかりと抱きしめた。クラリスを抱きしめたままの私たちの前で、空気が張り詰めた、そのときだった。



 扉の向こうから、控えめだが重みのある足音が近づいてくる。


 ほどなくして、扉が静かに開いた。




「……失礼します」


 現れたのは、背の高い男だった。


 日に焼けた肌、節の太い指。貴族の屋敷には似つかわしくないが、身綺麗な服装と、深く下げられた頭に、彼の実直さがにじんでいる。


 この人がウォルター。


 マリセラが、はっと息を呑んだ。



 クラリスの体温を腕に感じながら、私はただ、答えの出ない思考を抱えていた。クラリスの震えが、ようやく治まりつつあるのを感じながら、私は静かに口を開いた。




「……この先の話は、子どもたちに聞かせるものではありません」


 視線だけで、控えていたルーシーに合図を送る。




「ラル様、クラリス様を、お部屋へ」


「でも――」


「大丈夫。ここからは、大人の話よ」



 不安そうな目でこちらを見る二人を、ルーシーが促し、扉の外へ連れ出す。


 扉が閉まる音が、やけに重く響いた。




 ――これでいい。少なくとも、子どもたちの心を、これ以上汚さずに済む。





「……来たのね」


「マリセラ……」



 ウォルターは彼女をまっすぐ見て、静かに言った。





「もう、やめよう」


「やめる?」


 マリセラは、乾いた笑いを漏らす。



「何を? 私は、ちゃんと話をつけに来ただけよ」


「力ずくで乗り込むことが、“話をつける”ことか?」


 その問いに、マリセラは言い返せず、唇を噛んだ。



「……だって」


 やがて、溜め込んでいたものが溢れるように吐き出される。



「不満なのよ!」


 甲高い声が、応接室に響く。


「貴族として育ってきた私が、今は“メイド長”ですって? しかも平民扱い。姓もない。どれだけ働いても、所詮は“雇われ”」


 自嘲するように笑う。彼女は自分の手を突き出した。荒れた指先。爪の根元には、洗剤と土にやられた痕が残っている。



「見て、この手! ひび割れて、がさがさで……。お金だって足りない。欲しいものは我慢、ドレスも宝石も、もう何年も……! 今までの生活が一変して、よく分からず不安な思いをして、ねえ、“奥様”。あなたには分からないわ。伯爵夫人として悠々と生活しているんだから」



 ぎらついた目でこちらを見る。


 急に何の関連もない話をし始める。何なのかしら。



「今までの生活が一変して、よく分からず不安な思いをしていること。そんなの分かるわよ。だって私、この10年の記憶がないのですもの」


「記憶がない?」


「ええ、そうよ。10年前、階段から落ちて、目覚めた。そう思っていたの。でも、実際は10年も経っていた。その間私の知らない人格の女が、わたしとして生きていた。目覚めたら、10年も経っていて、人に嫌われ、愛人で、息子も居た私の気持ち、あなたに分かるかしら?」


 不幸自慢なんか聞きたくないわ。



「ラルを産んだ記憶もない。でも、ラルは私の息子。だから産んだ記憶のないリズだって、もしかしたら産んでいたのかもしれないわ。そうよ、リズは私が産んだ私の娘。そう思って育てるわ」



 何かを言いかけて辞めたマリセラが、大きく息を吸って、絞り出すように言った。



「隣国まで逃げたのに、父にばれたのよ。どこにいようと、結局逃げきれないのよ……あの人からは」


 マリセラの声が震える。


「クラリスを連れて戻れば、お金を渡すって……もし、クラリスを渡さないなら私が実家に戻って、後妻として嫁げ、って」


 息を呑む音が、誰かの喉から零れた。


 彼女は一歩、ウォルターに詰め寄った。


「ねえ、ウォルター私と離ればなれでも、いいの? 私に一人で、あそこに戻れって言うの? クラリスだって、ここに居るより幸せなはずよ」


 しばしの沈黙。


 ウォルターは拳を握りしめ、深く息を吸った。


「人としてそして、母として道に外れたことは、してはいけない。金のために子を差し出すことはそれは、守ることじゃない。それにさっきの様子の何を君は見ていたんだ。クラリス嬢は母としての奥様になついていた」


 ウォルターは首を振る。


 マリセラの顔が、歪んだ。


 その様子を見つめながら、私は胸の奥で、ひとつの思いが浮かぶ。



 ……人として、母として、ね。


 静かな皮肉が、心をよぎる。


 駆け落ちは、よかったのかしら。道に外れていないとでも。



 愛のためなら許され、金と立場のためなら許されない。


 その線引きは、一体、誰が決めるのだろう。ずいぶん勝手な話。



 沈黙を破ったのは、レオナール様だった。




「マリセラ。私は、クラリスを、渡すつもりはない」


 彼は一歩前に出る。



「クラリスは、私の娘だ。そして、ここが彼女の家だ」


 マリセラが口を開きかけたが、レオナール様は遮る。



「君の実家とも、正式に話をつける。金の問題なら、こちらが出す」


 ぴくり、とマリセラの目が動いた。



「示談金――名目は何でもいい。だが条件がある」


 視線が、鋭くなる。



「今後一切、クラリスに関わらないこと。そして、この国にも戻らないことだ」


「……そんな」


「もっと遠くの隣国へ行くといい。君の父から逃げたいのなら。ここは、君の戻る場所でも、簡単に訪れてもいい場所でもない」



 冷静に、突き放すように言う。



 その言葉に、マリセラは膝が崩れそうになった。沈黙の中で、ウォルターが一歩前に出る。そして深々と、床に額がつくほどの礼をした。




「ありがとうございます」


 だが、すぐに顔を上げ、首を振る。



「ですが、金は、いただきません」


「ウォルター……?」


 彼は、マリセラをまっすぐ見た。



「金にこだわるのなら君は、実家に戻るんだ」


「……っ!」


「この暮らしに、幸せを見いだせないのなら、俺と生きる意味は、ない」


 マリセラの顔から、血の気が引く。



「そんな……私は……私は、ただ……!」


 声が震え、やがて崩れ落ちる。嗚咽が漏れ、両手で顔を覆う。




「俺の手を取るか取らないか君が決めるんだ。あのときのように」


 しばらくして、マリセラはふらふらと立ち上がり、手を取る。涙に濡れたまま、何も言わず、扉へ向かった。


 振り返ることもなく――



 その背中は、かつて貴族だった面影を、すっかり失っていた。


「お騒がせいたしました」


 


 ウォルターは、そう言い、扉を閉めた。



 私は、胸の奥に残った重たいものを、静かに吐き出すように息をついた。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ