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【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう ~目覚めたら、見知らぬ夫と息子――ヒロインだった黒歴史が待っていました~  作者: 楽歩


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39.このままの私で

 リズの部屋に寄り、寝息が規則正しくなったのを確かめてから、私はそっと扉を閉めた。柔らかな灯りを背に廊下を進み、次に向かったのはラルの部屋だ。


 ノックをして扉を開けると、部屋の明かりはまだ落とされていなかった。ベッドに腰掛けたラルは、私を見るなりほっとしたように微笑む。


「ラル、まだ起きていたの?」


「はい、お母様が来るのを待っていたの」


「何か話があるのかしら?」


 私はそう言いながら、ベッドの脇に腰を下ろした。マットレスがわずかに沈み、二人の距離が自然と縮まる。


「もうすぐ、僕のお誕生日」


 そう言ったラルの声は、少し弾んでいる。


 誕生日が楽しみなのね。



「そうね、楽しみね」


「はい! ご挨拶の練習も頑張っているんだ」


 胸を張って言うその姿に、思わず笑みがこぼれる。



「ふふ、ええ、とても上手よ」


「僕、お母様に褒めてほしかったんだ。だから頑張ったの」


「私に?」


 聞き返すと、ラルは一瞬視線を落とした。指先をぎゅっと握りしめ、何かを言い出しかねている様子だ。




「ラル、言いたいことは何でも言っていいのよ」


 そう促すと、しばらくの沈黙のあと、ぽつりと口を開いた。


 ――誕生日に欲しいものでもあるのかしら?




「僕はね、ずっとお母様が大好き。でも、僕がロバート先生とお勉強を始めてから、うーん、一年くらい前からお母様は時間があると部屋にこもって鏡ばかり見ていてね、ちょっと寂しかったんだ」


 胸を衝かれたような気持ちになる。


 ――鏡?


 思わず考え込む私をよそに、ラルは言葉を続ける。



「なんとなく邪魔しちゃいけないのかなって。でも、僕のことも見てほしかったから。お誕生日の挨拶、しっかりできたら褒めてくれるかなって」


「そうだったのね」


 私はラルの手をそっと取った。小さな手は少し冷たくて、少し力が込められている。



「記憶がなくなってからのお母様は、いっぱい話を聞いてくれて、ぎゅっとしてくれて……」


 一瞬、言葉を選ぶように間があった。


「……ずっと、このままのお母様、記憶がないままでもいいなって。僕は、悪い子かな?」


 その言葉を聞いた瞬間、考えるより先に体が動いた。私はラルを強く抱きしめる。




「ラルは悪い子じゃないわ。お母様が悪い子よ」


「お母様が?」


 驚いたように顔を上げるラルに、私はまっすぐ視線を合わせる。



「そうよ。こんなに可愛い子に、そんなことを思わせたのですもの」


 抱きしめる腕に、もう一度力を込める。



「ずっとラルを愛しているお母様でいるわ。約束する」


 ラルの表情が、少しずつ和らいでいくのがわかった。



「明日も楽しいこと、たくさんしましょうね。さあ、愛するラルがいい夢を見て、ぐっすり眠ってくれると嬉しいわ」


「はい。おやすみなさい、お母様」


 私はその頭をやさしく撫でた。柔らかな髪の感触が指先に残る。やがてラルの瞼は静かに閉じ、寝息が小さく聞こえ始める。


 私はそっと部屋の灯りを落とした。





 レオナール様の執務室を訪れる。夜も更け、廊下には人の気配もなく、足音がやけに大きく響いた。


 扉を開けると、机に向かっていたレオナール様が顔を上げる。




「二人は寝たのかい?」


「ええ。やはり疲れていたようです。ぐっすりですわ」



 そう答えながら、私は向かいのソファに腰をかけた。背もたれに身を預け、大きく息を吸う。胸の奥に溜め込んでいたものを、吐き出す準備をするように。



「実はラルに、ずっと、このまま、記憶がないままの私がいい、というようなことを言われました」


「ラルが?」




 その一言で、レオナール様の表情が変わる。彼は手を止め、書類を机の端に寄せると、私の向かいに移動して腰を下ろした。仕事の顔ではなく、父親であり夫の顔だ。



「“ララ”の書いていた日記、半分ほど見ましたわ。詳しいことは話せませんが……」


 言葉を選びながら、慎重に続ける。




「私でないものが、私として生きていた。そんな感じを受けました」


 一瞬、部屋の空気が張りつめる。



「アイラじゃないものが、アイラとして……」



 レオナール様は、確認するようにゆっくりと言葉をなぞった。


 ――別人。


 そう言ってしまえば簡単だけれど、それをどう伝えれば信じてもらえるのか。自分でも、まだ整理しきれていない。




「実はね、アイラ」


 レオナール様は少し声を落とした。



「アイラを診た医者に、調べてもらっていたんだ。普通の記憶喪失と言っていいのか、あまりにも別人のようになることはあるのか、ってね」


 いつの間に。 



「……連絡は、ありましたか?」


「ああ。古い文献に、似たようなことがあったそうだ」


 彼は言葉を選びながら、ゆっくりと話す。




「転生、と言うらしい。前世の記憶を持っており、人が変わったように見える。前世で一度死亡し、別の世界で新しい肉体として生まれ変わること。産まれたときから前世の記憶がある場合もあるし何かのきっかけで思い出すこともあるそうだ」


 そんなことが……。



「私のように、人が変わったようになることが、何度も繰り返されることもあるのでしょうか?」


「実はもう一つ、可能性がある」


 レオナール様は一瞬、言い淀んだ。



「憑依。魂が、すでに存在している人物の肉体に入り込む。そういったことも、あったようだ」


「憑依ですか?」


 思わず身を起こす。



「憑依ですと、この世界にある魂が乗り移る、呪いのようなイメージですが。でも……日記を見る限り、この世界の人物ではないような気がします」



 彼は静かに頷いた。



「可能性は一つじゃないらしい」




 頭の中で、嫌な想像が広がっていく。転生であれば、まだ私の中で“ララ”が眠っているとか?



 憑依であれば、階段から落ちて、意識がなくなっているときに、乗っ取られた? そうなると今“ララ”の魂は、階段から落ちた拍子に、体から離れて、まだどこかを漂っているのかしら……。




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