31.盤の上の三ヶ月
あっという間の三ヶ月だった。
新しく仕上がったチェス盤を前に、レオナールが目を丸くしている。
その表情を見るだけで、少しくすぐったくなった。この駒たちはどれも全部、わたしが関わって作った、大事な子たちなのだ。
「これ……すごいね。まるで芸術品じゃないか」
レオナールは半ば感心するように言いながら、白い駒を慎重につまみ上げる。陶器同士が触れ合い、こつん、と澄んだ音がした。
「そんな、大げさですわ」
笑いながら言ったけれど、内心ではやっぱり嬉しい。
横ではロバート先生が、なぜか自慢げに腕を組んでいた。
「私は最初から期待していましたよ。『遠回りでも歴史書を読みなさい』と言ったのを覚えていますかな?」
「覚えておりますわ。おかげで夜更かし続きでしたもの」
「ほう、夜更かしとは、それは頑張りましたね」
ロバート先生がそう言い、レオナールがくすっと笑う。
レオナール様に自由に読んでいいと言われていた歴史書、端から端まで読みあさった。
おかげで例の日記には手を伸ばす時間がなかった。いいえ、正しく言うと“伸ばさなかった”だけだけれど。
「商会の方たちと、何度も試作をしたんですの。最初は“宰相の駒”なんてどうかしらと思っていたのですが……」
「宰相?」
レオナールが目を瞬かせる。
「ええ。ですが、どうにも盤の上での役割がしっくりこなくて」
あの頃の悩んでいた自分を思い出しながら続ける。
「最終的に、もっとぴったりの駒を見つけましたの。聖職者ですわ」
ロバート先生がぱっと顔を明るくして、ぐっと身を乗り出す。
「聖職者とは実に面白い選択ですな。確かに、王と王妃のそばにあるというのも自然ですね。この駒でしょうか?」
「そうです。その駒です」
私は嬉しくなって、別の駒も持ち上げる。
「砦と兵士は最初から迷いませんでしたわ。守る砦と、まっすぐ進む兵士。とても分かりやすいですもの」
レオナールが砦の駒を手に取りながら頷く。
「確かに見ただけで役割が分かる」
――ただし。ここからが本当に、大変だった。
「形が決まったあと、陶器の職人さんを探していただいたのですけれど……」
ロバート先生が、すでに苦労を察してくれているようにうなずく。
「焼き直しを何度もお願いして、色も重さも調整して……。ようやく“これだわ”と思えるものができましたの」
「ふむ。実に扱いやすい。手にしっくりとなじむ。よくここまで整えましたね」
ロバート先生は駒を持ち上げながら言った。
褒められて、つい頬が緩んでしまった。
頑張った3ヶ月が、今ようやく報われた。そんな気持ちが、胸の中で広がっていった。
「最後に、ルールを文にまとめましたの」
わたしは薄い冊子を両手で支えて差し出した。新しい紙の匂いがふわっと立ちのぼる。ページの端には小さな挿絵、図解、補足。
「新しい遊戯を作るからには、遊ぶ人たちが困らないようにしたかったのですわ。これで、やっと“ひとつの形”になりましたの」
レオナール様は静かに冊子を受け取り、丁寧にページをめくった。カサ、と紙が鳴るたび、胸がそわそわする。
「すごいね、アイラ。ただ遊びを作ったのではない。君は文化を生んだんだ」
1から作り上げたわけではない。残っていた知識を借りただけ。それでも嬉しい。そんな気持ちが胸の中で混ざる。
「じゃあ、ロバート先生。冊子を見ながらやってみましょうか」
「いいですね。やりましょう」
先生はキングの駒を持ち上げ、光の下にかざして言った。
「目的はただ一つ、相手のキングを“詰める”こと。シンプルなルールほど奥が深いものですね」
陶器の白がきらりと光って、また少し誇らしくなる。
「そうですね。局面ごとに選択肢が無限に広がる。どう相手を出し抜くかを考える瞬間が、癖になりそうですね、ロバート先生」
「ええ、まさしく」
先生はナイトをひょいっと跳ねさせた。駒の影が盤に落ち、ふっと空気が変わる。さっきまで談笑していたのに、二人とも真剣な顔になる。
レオナール様はじっと盤を見つめ、静かに言った。
「相手の最善手を読み続け、限られたもので勝ち筋を作る、ということか」
「そう。まさに思考の勝負ですわ」
ロバート先生は満足げに頷く。
「交渉にも計画にも通じる先読みが身につく。これは実に素晴らしい」
三ヶ月の試行錯誤も、商会との相談も、深夜のスケッチも全部、報われた気がした。
レオナールは盤にそっと手を伸ばし、最後の一手をつまんだ。
「チェックメイト、私の勝ちですね。先生」
「いや、今は油断しただけだ。もう一度やりましょう」
「はは、いいですよ」
二人が楽しそうに駒を並べ直すその横顔を見て、安心した。
「アーガントン侯爵夫人も絶対気に入ってくれるよ、アイラ。……あ、そうだ。招待状を預かっているんだった」
さらりと言って、レオナールは封筒を差し出す。
深紅の封蝋。王家の紋章。王太子妃殿下からの招待状。
……はい。そう来ると思っていました。
完成した、このタイミングで招待状。
やっぱり完全に見透かされていますわね。
レオナールが軽い微笑みを浮かべているのが、なぜだか少し腹立たしい。
不安と期待がごちゃ混ぜになって、ぐるぐる渦を巻く。
――さて、頑張るとしますか。




