30.リバーシの盤に集う声
「アイラ、お招きありがとう」
ティアナが優雅にスカートの裾をつまみ、柔らかく微笑んだ。
私が使いを送ると、すぐに訪問を決めてくれたらしい。
玄関ホールに立つ彼女の隣にはエルドリックとエレナの二人の姿が並んでいた。
「叔母様、素敵なお屋敷ですわね」
エレナがきょろきょろと周囲を見渡しながら言う。
磨かれた大理石の床や、壁に沿って飾られた花々、天井のレリーフまでもじっと見つめるその姿が可愛らしい。
「ラルもリズも久しぶり」
エルドリックが穏やかに微笑むと、ラルはにこりと笑い頷いたが、リズは――。
リズはなぜか、私のドレスの裾をぎゅっとつまんで、後ろへ隠れ込んでいる。
ちょっと前、あれほど仲良く遊んでいて、別れも惜しんでいたはず。前に会ったときから、まだそんなに日にちが経っていないのに……。謎の人見知り。
「ほら、リズ、エルお兄様とエレナお姉様だよ。忘れちゃった?」
ラルが小さく腰をかがめ、優しく声をかける。リズは少しだけ首を振り、ちらっと二人を見て、また私の後ろに潜り込んで、二人をじっと見る。
「エルお兄さまとエレナお姉さま。また、遊んでくれる?」
心細げに、しかし期待を含んだ声。
「もちろんだよ、さあ行こう!」
エルドリックが即座に手を伸ばし笑顔で応じると、リズの表情が明るくなった。
「じゃあ、僕の部屋で遊ぼう。お母様、もういってもいい?」
ラルが振り返って確認すると、私は頷いた。
「いいわよ、仲良く遊ぶのよ」
「はい!」
四人は明るい声をあげ、揃って廊下へと駆けていく。床に小さな足音が響き、幼い笑い声が屋敷の奥へ吸い込まれていった。
その後ろには、静かに礼をして歩き出したルーシーとメリッサが控えめに続く。
「さあ、アイラ。私に会いたかった理由を、お茶を飲みながら話してね」
部屋に行き、ソファに腰をかけてから、ことのあらましを説明する。ティアナはテーブルの上に置かれたカップを軽く傾け、紅茶の香りを立ちのぼらせる。
「私もリバーシやれるわよ。アイラ、話の続きはリバーシをやりながらしましょう」
リバーシの盤をテーブルの中央に置き、カチリと駒の鳴る音を楽しみながら話を続けた。
「今度はアーガントン侯爵夫人なのね」
ティアナがひと呼吸置いて、盤面から視線を上げる。私はうなずきながら、駒を裏返した。
「そうなの。何かリバーシ以外で、好きそうな物ないかしら。手土産になりそうなもの」
「そうね。アーガントン侯爵夫人は、学院にいたころから才女として有名だったわ。語学も堪能、今も外交官補佐といいながら、外交戦略はほぼ彼女が考えているって噂よ。結婚を機に辞めなかったのも、必要な人間だったから。引き留められたって聞いたわ」
ティアナは指先で石をつまみ、軽く回しながら言う。
戦略、その言葉が頭に残る。アーガントン侯爵夫人は、やはりただの“名家の夫人”ではない。
「……あら? ふふ、負けちゃったわ」
ティアナが盤を眺め、愛らしく眉をすぼめた。
しまった。
考え事をしていたら、手が自然と最善手を置いてしまったらしい。
「やっぱり、ご婦人たちが好みそうな物より、そうね。古書とか詩集とか。そういった物を好みそうだわ。もしくはこのリバーシのように頭を使うボードゲームなんか良さそうね。伯爵家の商会で高価な陶器で石を作ってみるとか、難しいかしら」
ティアナは、陶器の石を想像しているのか、ゆっくりと視線を宙に漂わせた。
陶器の石、いいわね
「なんだか、アイディアが湧いたわ。ありがとう、ティアナ」
「そう? よかったわ」
頭を使うものがいいのなら、今、思い浮かんでいる“あれ”が最適だわ。
チェス。
ララも以前考えていたようだったけれど、ルールが分からなくて諦めた、と日記に書いていたのを思い出す。
確かに、私も思い浮かべられる駒は数種類だけ。
キング、クイーン……それから、あの馬の形の駒。
それだけでは足りない。もしリバーシのように均等なマス目の盤だとしたら、あと三種類くらいは必要かしら?
たしか、
全方向に一マスだけ動ける駒。
縦横斜めに進める駒。
縦横だけを進む駒。
方向と進める距離が違う。覚えていないなら、ルールは作ればいい。皆の知恵を借りればどうにかなるはず。
誰も“本物と全く同じであるべき”なんて言わないわ。そもそもだれも知らないんだから。
「アイラ、もう一回勝負しましょう?」
「ええ、喜んで」
単純なルールから生まれる奥深い戦略性。判断力と、先を読む思考。性格や本性がそのまま表れる人間味。
絶対に、気に入るはず。
駒は木彫りも趣があるけれど……ティアナが言ったように、陶器ならより高級感が出るわね。光を受けてきらりと輝く駒を思い描き、心に決めた。
そう思っていると扉の向こうから足音が近づいてきた。
軽やかで、弾むような音。大人のそれよりも短く、速いリズムだ。
サロンの扉が軽く叩かれ、ひょこっと顔をのぞかせたのは子供たちだった。何をして遊んでいたのかしら? 頬を紅潮させ、まだ吐く息が少しだけ弾んでいる。
「あれ? 二人とも、リバーシで勝負してるの?」
「いいなあ、僕もやりたい!」
皆、盤の上に並ぶ白と黒の石に視線を奪われていた。瞳がきらきらと輝き、遊びへの期待が伝わってくる。
ティアナと視線を交わす。
思いがけない訪問者に、場の空気が一気に明るくなった。にぎやかさが増す様子に、自然と笑みがこぼれる。
「もちろん。一緒に遊びましょう?」
「本当に? やった!」
ティアナが柔らかく言うと、子供たちは弾けるように笑った。




