29.こてんぱんの予感
ララの日記
やっぱり狙うべきはセルジュ・アーガントンよね。
宰相閣下のご子息で、クール系の完璧イケメン。たまに見せる優しさが破壊力ありすぎ。
最初からこのルートを進めるべきだったんだわ、私。
……婚約者?
そうよ、あの政略で決まった「契約の令嬢」ミレイユ。
顔は整っているけど、笑顔が計算高さを匂わせるの。完璧な礼節、完璧な育ち、完璧な無表情──まるで機械仕掛けの花。
そういうタイプが一番、セルジュには似合わないわ。彼は暖炉の前で静かに本を読むタイプなのに、あの子は氷の上で笑ってそう。
家の均衡だの国の安定だのって理由で結ばれるなんて、可哀想すぎる。愛がない結婚は誰の得にもならないって、教えてあげたい。
*
私は、偶然を装って図書室に向かった。計画的偶然よ、鉄則。
案の定、セルジュはいた。背筋を伸ばし、文学の棚に背を向けて立っていた。もう、本編のワンシーンそのもの。私は心の中で「チャンス!」とガッツポーズ。
重い装丁の本を高い棚から取りたかったふりをして、ちょっと背伸び。
もちろん偶然を装って手を伸ばすと、彼の手がすっと私の前に差し出された。指が触れた瞬間、温もりが伝わってきた。
「これでいいか?」と、低く落ち着いた声。
私は咄嗟に上目遣いでほほ笑んで、声を震わせないようにお礼を気をつけて言ったの。心の中では好感度バーが一気に跳ね上がるのを感じたわ。
そのあと、ほんの数分だけど一緒に本の話をした。
彼の知識は深くて、物語の一節を取り上げてさらりと解説する姿は本当に知的。話の内容なんてほとんど分からないわ。でもいいの。私は聞き役。所々で「へえ」「なるほど」と相槌を打って、さりげない会話の中で距離を縮めたらいいだけ。
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セルジュ攻略を決意した一週間後、廊下の角を曲がった瞬間。
冷たい氷のような気配がして、気づいたらミレイユが目の前に立っていた。背筋は一直線、視線は矢のように鋭い。
「私は家の存続と彼の将来、ひいては国の安定のためにこの役割を果たしている。あなたの軽率な行動は、全てを危うくするのよ」
だって……。
なんか、とんでもなく長い説教を浴びせられたんだけど。
語彙は難しいし、内容は重いし、声はやけに冷静で感情が読めないし。
なに?
どういう意図?
八割理解できなかった。
というか、理解する気力すら湧かなかったわ。
「軽率」とか「全てを危うくする」とか、怖すぎない?
……絶句。
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「あなたが彼の隣を目指すというのなら、礼儀作法を最低限備えるべきよ。あなたには、それが欠けているわ」
翌週のマナーの授業。
気づいたらミレイユが私の隣に座っていたの。無表情のまま椅子を引き、完璧な所作で。
そして始まるフル指導。
フォークの位置、背筋の角度、歩幅、挨拶の深さ、声のトーン……一挙手一投足にチェックが入るのよ。しかも全部正しいのが腹立つ。
同じ年よ?
先生でもないのに?
なんで逐一、私の手を取って直すのよ。
これ、なに? 嫌がらせ? 攻略への協力? それとも……和解?
いや、絶対に違う。
和解の温度じゃないもの。わけわかんない。
気づいたら授業が終わっていて、私はぐったり。
礼儀作法って、物理的に疲れるのね。マナーを叩き込まれすぎて、もうヘトヘトよ。
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舞踏会の練習。私はこっそりセルジュと踊る練習をしたかったのに、ミレイユに真正面から捕まった。
「あなた、ステップが一拍ズレているわ」
妙に的確で腹立つ。
そのまま“矯正ダンス特訓”。私の手首を取り、くるっと回され、
「腕はこう。顎は上げる。視線はまっすぐ。リードされる側が軸を乱すと、男性が困るの」
もう言われっぱなし。
終わった後、足は震えるし、心は折れてるし。
しかもセルジュは遠くから見てただけ。
*
「あなた、セルジュの未来の職務に関わる資料を見ているのね。内容を理解しているのかしら」
図書室で試しに読んでいただけなのに、めざとい。
当然理解してないわよ! 難しすぎるのよ!
「でも、浅い理解で彼に意見を言うのだけは、避けた方がいいわ。混乱を生むから」
心が折れたわ。
*
「分相応な夢を見るより、身分に見合った安定した相手を選ぶことをおすすめするわ」
ある日の帰り道。
夕陽が差し込む窓辺で、ミレイユはため息をこぼしながら言った。声は淡々としているのに、明らかに“見限られた”感がにじみ出てる。
マナーが身につかないのを見て、呆れたんでしょう?
余計なお世話よ。
それに、頼んでないのに、何を勝手に“引導”渡してくれるのよ?
正論を優しい声で言うと、逆に刺さるって知らないのかしら。
いや、本当に刺さったわ。
そして肝心のセルジュ。
図書室の外のバルコニーで、風に髪を揺らしながら言われたの。
「僕は……君への思いと、家および国への義務の間で揺れている」
……優柔不断。
声は優しいのに、内容は曖昧。たしかに“揺れている”って顔はしてるけど、それってつまり、私を選ぶ気力が足りてないだけじゃない?
「特別な功績があれば、ミレイユも君を認めるかもしれない」
……え、他人任せ? 私の頑張りに委ねるの?
「ミレイユより君を選ぶ」とは言ってくれないわけ?
……面倒くさくなってきた。
恋愛って、こんなに体力使うものだったかしら。
「苦しむあなたを、見たくないわ」
……明日、そう言ってこのルート終わりにしましょう。自分の幸せのために、別ルートに乗り換えるのもアリよね。
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sideアイラ
……もうすでに、こてんぱんにやられているわ。
王太子妃殿下のあの言葉、「こてんぱんにされないよう練習しておくといいわ」は、“こてんぱんにされる未来が確定しているから、せめて備えておきなさい”という意味だったのかしら。
ララの日記を読み返しても……アーガントン侯爵夫人のお人柄が掴めそうで掴めない。
軽率な行動を嫌い、礼儀を重んじる。そこまでは分かる。
ララがセルジュ・アーガントンを狙ったのは紛れもない事実で、そして彼が心を奪われかけたのも事実。さらに厄介なことに、その全てを侯爵夫人が把握しているのも事実。
やはり、“敵意は一切ありません”という私からの誠意が、必須だわ。そこを誤れば、私もまた“こてんぱん”の餌食になる可能性がある。
はぁ……。早くてあと二ヶ月。
それまでに、どんな手土産を用意したらいいかしら。甘味はお好き? それとも、礼節を重んじる方ならば、地方の名産よりも、家の格式に見合う“きちんとした贈り物”を用意すべき?
誤解を解き、敵意を持たず、むしろ敬意をもって接する。これが私にできる唯一の道だわ。
よし……また、ティアナに相談してみよう。




