20.王太子に近づいた女
楽しい夜を終え、眠りについた。
その余韻のまま迎えた朝は、陽光がレースのカーテンを透かして部屋に柔らかな白を満たし、驚くほど快適だった。
爽やかな朝の中、美味しく朝食もいただいた。
そんな清々しさを吹き飛ばすように、レオナール様は信じられない言葉を落として仕事へ向かわれた。
「王太子妃殿下が、落ち着いたら君をお茶会に誘いたいと言っていたよ。
――お茶会に? 何故? 二人? それとも複数人?
疑問が頭の中で弾け、整理する間もなく、彼は軽やかに玄関へ向かい、そのまま馬車へ乗り込んでいってしまった。
置いて行かれた静寂の中で、私はようやく息をつく。
レオナール様……なぜ、昨日のうちにそんな大事なことを言わないのです。
いえ、昨日聞いていたら、今日の爽やかな目覚めは確実になかったわね。眠れなかったかも。むしろ、今になったことに感謝すべきかしら。
王太子妃殿下が私をお茶に誘う理由。
結婚の祝い、ではないわね。記憶がないことの真意を確かめたい?
どうあれ、何としてでも私が害意も敵意も持っていないことを示さなければ。そうなると、手ぶらではいけないわね。王太子妃殿下の好みか……、情報がなさすぎる。どうしましょう。
そこへ、侍女のメリッサが声をかけてきた。
「奥様、ラングフォード子爵夫人から、本日訪問しても良いか、先ぶれが来ておりますが、どういたしましょう」
まさに神の助け。
「会うと返事を出してちょうだい」
「かしこまりました」
――昼下がり。
馬車が着き、ドアが開く。淡い色のドレスを揺らしながらティアナが降り、続いて幼い二人の子供たちが元気にステップを踏んで地面へ飛び降りる。
あの子達がお兄様とティアナの子たちなのね。
「ようこそ、ティアナ」
「ふふ、結婚おめでとう。急なことで驚いたわ」
「ありがとう」
両親からは、結婚せず領地で暮らすもよし、レオナール様と結婚するもよし。後悔しないように、自分で決めなさい、と。
事後報告になってしまったが、手紙は出している。
「アイラ、こちらが私の子たちよ。さあ、ご挨拶をして」
「はじめまして。エルドリック・ラングフォードと申します」
しっかりしているわ。
「初めまして。エレナ・ラングフォードと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
もっと、しっかりしているわ。姉ではなく、妹だったわよね。
それにしても、可愛い。お兄様にもティアナにもよく似ていて、愛らしさがにじみ出ている。
ラルが一歩前に出る。
「ラファエル・ウェストレイとなりました。僕の従兄弟だね。仲良くしてくれると嬉しい」
おお、アレンジが加わった。
「クラリスです。三歳です」
こちらは相変わらず。でも、なんとなくのカーテシーが可愛い。ほのぼのとした空気が広がった。
「お茶の用意をしているわ。さあ、こちらへ」
私たちは屋敷の客間へと移動する。
私とティアナは向かい合わせに座り、子供たちは別に設けられた小さなテーブルへ、それぞれ楽しげに移っていく。
「実は、ティアナ。正式にではないけど王太子妃殿下からお茶に誘われているの」
「え? 伯爵夫人になったばかりのあなたに? あなた、日記は読んだ?」
「読んだわ。私、王太子殿下と仲がよかった……いえ、私が意図的に近づいたのね」
ティアナは少し眉を寄せ、紅茶のカップを置いた。
「ええ、王太子妃殿下は、傍観なさっていたように思うけど、あなたの周りには不審な動きが見られたわ」
「物を壊されたり、危険な目に遭ったりということかしら」
「そうね。でも、王太子妃殿下の機嫌を取りたい周りが勝手にやったと思うわ。公爵令嬢であった王太子妃殿下がそんな姑息な真似をするとは思えないし、そもそも本気を出したら、子爵家なんか跡形もないもの」
「そうよね、私もそう思うわ」
言葉を噛み締めながら、私はそっと紅茶を口に運ぶ。
「王太子殿下に近づいた女。王太子妃殿下は、私のことを嫌いでしょうね」
ぽつりとこぼれた言葉。考えれば考えるほど気持ちが重く沈んでいく。
「王太子殿下があなたのことを何とも思っていなかったなら、話は違ったのでしょうけどね」
ティアナは率直に言ったが、責めるような響きはなかった。でも周りから見ても、そう、見えていたのね。やっぱり……厄介だわ。
「とにかく、王太子妃殿下に反意がないことを伝えたいと思っているわ」
「それがいいわね」
ティアナは静かに頷いた。
けれど、気が重い。
「それで、私、王太子妃殿下のことを何も知らないから、手土産も話題も思いつかなくって。ティアナ何か知っている?」
私の問いに、ティアナは少し考えるように視線を泳がせた。
カップの縁を指先でなぞりながら、学院時代の記憶を探っているようだった。
「そうね、私も学院の頃、お近づきになったわけではないから。あっ! そうだわ。王太子妃殿下は、ハーブティーがお好きで、王宮にハーブ園を作ったと聞いたことがあるわ」
「お土産に、ハーブティー。いいわね。でも、お好きであればもらう機会もたくさんあるわよね。珍しすぎる物は、口に合わない可能性もあるわね。難しいわ」
悩ましげに頭を押さえると、ティアナが少し肩をすくめた。
「あまり、お役に立てなかったわね」
「そんなことないわ。ありがとう、ティアナ」
気遣うような微笑みを返し合う。
テーブルの上には、甘い焼き菓子とハーブの香りをまとった紅茶。けれど今の私の思考は、ひたすら「ハーブ」へ収束していた。
ハーブティー、ハーブか。
紅茶の残り香がふわりと漂い、少しだけ光明が見えた気がした。




