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【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう ~目覚めたら、見知らぬ夫と息子――ヒロインだった黒歴史が待っていました~  作者: 楽歩


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15/49

15.妻になります

 レオナール様が、信じられない光景でも見たかのように瞬きを繰り返した。微かに見開かれた瞳が、私の言葉の真意を探るように揺れる。


 肩がわずかにこわばっているのが、分かった。



「き、聞き間違いかな、もう一回言ってくれる? アイラ」



 その声音は、普段の柔らかさを失っていた。驚きと、少しの怯え。


 私は迷わず、彼の目を正面から射抜いた。



 ――決めたのだから。



「はい。結婚しましょう」



 レオナール様は一拍遅れて息を吸い、口元にかすかな緊張を走らせながら、低く短く言った。



「……ちょっと、場所を移そうか」




 その言葉の裏にある動揺は、隠しきれていなかった。私は頷き、彼の後に続く。


 レオナール様の部屋へ入ると、落ち着いた香木の匂いがふわりと鼻をかすめた。背後で扉が静かに閉まる。


 彼はひとつ息を吐き、腕を組んでこちらへ向き直った。



「アイラ、さっきの、どういうつもりで言ったのか、教えてくれないか。私は嬉しいよ。だが、本当にいいのか? 君にしてみれば、会って四日目の男だ」


「問題ありません」



 即答する。その瞬間、彼の喉が小さく鳴ったのが分かった。



「私の年齢。そして、あなたの愛人だった経歴。今後、別の男性を選ぶとしても“後妻”。ならば後妻として最良の条件を持つ相手を選ぶのが合理的です。あなた以上の条件を持つ人は、まずいませんわ」



 私は淡々と言ったが、そこに誤魔化しはひとつもない。事実を積み上げ、最終的に辿り着く結論はただひとつ。


 レオナール様は苦笑し、肩を落とす。



「げ、現実的だね」


「理想論で生きていける歳ではなくなってしまいましたもの。それに――」


 私は指を折りながら続ける。



「すでに息子がいます。ラルの姓とリズの姓、この先も兄妹で違うのは望ましくありません。それを整えられるのは、あなたしかいない」


「確かに、ラルは嫡男だしな」


「そして――」



 私は一歩踏み出した。真正面から、彼の視線を押し返す。



「あなたが私に費やした金も時間も、無駄にはしません。取るべき責任は、私が取ります。あなたの善意に甘えて逃げるような真似はしませんわ」



 その言葉に、レオナール様は目を丸くした。



「責任って……どちらかというと、私の台詞、かな……?」


 私は薄く微笑んだ。




「“ララ”の責任は、私が負います。無かったことにはできませんもの。私はアイラとして恥じない生き方をするだけですわ」


 そこまで言い切ると、空気がぴんと張りつめた。



「以前、あなたは言いました。私がサインをすれば、あなたの妻だと。では、書類はすでにあるということですよね?」


「ここに、あるよ」



 彼は引き出しを開け、書類を取り出して差し出した。私は受け取り、迷いなく机へ向かった。


 署名欄まで指でなぞり、必要事項を確認する。


 躊躇などしない。


 人生は、迷えば負ける。


 ペンを走らせ、滑らかな線を最後まで引き切る。サインを終え、静かに書類を返した。



「では、提出をお願いします」


「……あ、ああ」



 レオナール様は書類を持ったまま、どこか浮かない顔をしていた。戸惑いで、まだ心が追いついていない、そんな不器用な表情で。



「レオナール様、私と、私が記憶のないときの“ララ”は、まったく別人格だと思っています」


 はっきりと告げると、レオナール様はかすかに肩を揺らした。私はまっすぐ彼を見た。



「でも、ララに戻る可能性があるのかどうか、それは私にも分かりません」


 ――戻るつもりなんて、さらさらないけれど。



「あなたこそ、出会って四日目の“いまの私”と結婚して、本当にいいのですか?」



 先ほどの浮かない顔がどうにも胸に引っかかっていた。


 レオナール様の瞳が一瞬だけ揺れ、迷いが表面ににじむ。けれど、彼の答えは思いがけないほど真っ直ぐに落ちてきた。



「アイラ。私たちは結婚式を挙げてはいないが……“病めるときも健やかなるときも君を愛する”と決めていたんだ」


 ……今は“病めるとき”、とでも思っているのかしら?




「だから、人格が変わったくらいで、君への愛は変わらない」



 中身より外見が好き、という意味? 微妙ね。



「もし明日、ララでもアイラでも、私は君を愛している」


 ……よく分からない、ということが、よく分かった。



 さっきの浮かない表情は、展開の早さにただついていけていなかっただけということね。


 深読みして損したわ。そうとなれば、気にするだけ無駄ね。


 私は静かに息を整え、深く一礼した。




「では妻として、今後ともよろしくお願いいたしますわ」


 椅子を引いて立ち上がる。その音に、レオナール様が小さく反応した。



「もう行くのかい?」



 その声には、期待と、少しの困惑が混じっていた。



「ええ。このあと、やるべきことがありますので」



 背を向けた瞬間、熱のような視線が背中に落ちてきた。仕方なく、もう一度だけ振り返る。



「それと、結婚式が終わるまでは、同じ部屋で夜を共にするつもりはありませんよ? それこそ、出会ってまだ四日目ですから」




 レオナール様は、ぽかんと目を瞬いた。本当に、分かりやすい人。


 私は姿勢を正し、扉へ向かう。


 重い扉に手をかける直前、胸の中でひとつだけ決意が固まった。




 さあ、今夜は徹夜で、日記を読まないと。






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