13.早々に謝罪を
扉が静かに開いた。
立っているのはお兄様。時間が一瞬止まったかのように微動だにしない。その視線は下を向いたまま、私の顔を見ようとはしない。
息を呑むような静けさの中で、つい額のあたりに視線がいく。
髪の生え際。
ああ、よかった。薄くなってはいない。
「ア、アイラ? 一体どこを見て――」
視線の気配に気付いたお兄様の慌てた様子が声ににじむ。
「申し訳ありません!! お兄様!!」
勢いよく頭を下げる。心臓の鼓動が耳の奥で跳ねる。何を言えばいいのか、何から謝ればいいのか。
思考がぐるぐる回ると、言葉は口から出ることなく固まってしまう。
お兄様が戸惑っているのが、顔を見なくてもわかった。少し息を呑む音まで聞こえる。
どうしても頭を上げられない。
「知っていることと知らないこと、全部まとめて謝ります。何か背負わなければいけない責任があるなら、おっしゃってください。謝罪でも贖罪でも何でも」
言葉が転がるように次々と口からこぼれ、喉がかすかに震えた。
しばし、空気が張りつめたような沈黙が落ちた。
お兄様の喉がわずかに動き、信じられないものといった声音でつぶやく。
「アイラ……本当に、お前なのか?」
「はい。お兄様にそっくりの妹、アイラです」
まだ顔は上げられない。
目を合わせる勇気が、どうしても出ないのだ。深くて重いのに、どこかほっとした気配を含んだため息が、頭上からそっと落ちてくる。
「アイラ、顔を上げなさい」
ゆっくりとした優しい呼びかけ。そっと、顔を上げる。
大人になった、お兄様。
お兄様の顔立ちは、相変わらず凛としている。懐かしい香りがふわりと流れてくる。
「お兄様、洗練された紳士のお兄様も素敵ですね」
「アイラに褒められるなんて何年ぶりか。はは、調子が狂うな」
肩の力が抜けたように笑うお兄様。その声に、少しだけ私のこわばりも解ける。
「あなたもアイラも座りましょう」
横からティアナがくすくす笑いながら促す。サロンの柔らかな椅子が、緊張で強ばった体をそっと受け止めてくれた。
「お兄様、先ほど、ティアナに日記の話をしていたのです。実は、私の記憶がなくなっている間の10年分の日記があるのです。全て読み切ってはいませんが……、ご迷惑をおかけしたのですよね」
お兄様がこちらを見る気配がする。私は手をぎゅっと握った。
「隠していてもいずれ分かる、ということか。ああ、その通りだ。何度も忠告しても聞かず、周りからも白い目で見られ……」
苦々しい声がこぼれる。その影に、どれほどの孤立を味わったのかが見える気がした。
お父様も似たようなことを言っていたわ。
お兄様は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「一番堪えたのは……お前からの無視だ。な、ティアナ」
「ええ、そうね」
思わず息を呑んだ。
「何を言っても存在しないように扱われ、そのうちアイラに関わることを諦めてしまったんだ。その、日記とやらにも、私たちはそのうち出てこなくなるだろう」
お兄様の声は淡々としているのに、どこか悲しさが滲んでいた。
「私たちは、どうしてよいか分からなくって、見ているだけしかなかったわ」
ティアナの言葉はかすかに震えていた。
「お気になさらずーー」
反射的にそう返すと、お兄様は首を横に振る。
「いや、そうはいかない。お前が愛人になり、肩身の狭い思いをしたのも全部、途中で諦めた私の力不足だ」
「そんな! お兄様は悪くありません。私がーー」
慌てて言うと、ティアナがふっと笑った。
「まあ、そっくりな兄妹ね。どっちも悪くないわ」
少し恥ずかしくなって、お兄様と目を合わせる。
「私たちは家族だ。アイラ、お前がアイラとして戻ってきてくれたのなら、ああ、それでいいんだ。記憶のないお前に謝ってもらうわけにはいかない。だが――」
だが?
私は息を呑む。
お兄様は言葉を探すように、ティアナへ視線を向けた。
「……ええ、そうね」
ええ、そうね?
ティアナまで含みのある返事をするものだから、余計に胸がざわつく。
やがて、お兄様が覚悟を決めたように口を開いた。
「アイラ、一刻も早く、王太子と王太子妃が書かれている日記を見るのだ」
「が、概要は?」
「概要が、その……大変言いにくい」
お兄様が珍しく言い淀む。その横でティアナが補う。
「そうね。人に聞くより、日記があるなら……何があったのか見た方が早いわ。そして、わかったら、王太子妃殿下の機嫌は、早々に取った方がいいもの」
機嫌を、早々に?
背中に冷たいものが走る。だが、逃げているわけにもいかない。
「わ、分かりました。今日、徹夜してでも必ず読みます」
その言葉に、お兄様とティアナが同時に、深く、無言で頷いた。
重たく、どこか不穏な気配を含んだ頷きだった。
……何をしたの、“ララ”は。疑問だけが残る。
その時だった。
コン、と控えめな音を立てて、そっと扉が開く。
「お母様? もうお話終わった?」
顔だけひょこっと覗かせたのはラル。
続くように、その隣からリズが現れた。彼女は大きな目に涙をため、今にもこぼれ落ちそうなほど潤ませていた。




