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第一話

 お伽話の魔女はみんな、エリエスと同じ赤い髪を持っている。


「僕は一瞬にしてその美貌に心奪われた。姿形だけではない。彼女の慈悲深き心が語り合う前から僕自身を癒やしてくれた……」


 ロベルは身振り手振りを交えながら先週街で見かけたという麗しの令嬢の素晴らしさを婚約者の私に伝えてくる。


「彼女が言葉を紡いだ瞬間、僕は妖精のささやきを初めて耳にした。鈴を鳴らすとはまさにこのことだ。かの劇作家ディートリヒは妖精の研究家としての才もあったようだよ。歌劇の形容は大仰ではなかった」


 遂には立ち上がって軽やかにステップを踏み出した。五、六歳の幼気な男児ならともかくロベル・パレルモは今年で十五になる貴族令息だ。とても場所を取る。


「ああ、今すぐ身一つで駆けだして麗しき妖精の髪にコルネアの花を捧げる栄誉を授かりたいものだ……」


 コルネアの花はこの国の男性がプロポーズの際、女性に渡す花だ。建国神話にも登場し、初代王が王妃への妻問いに用いた由緒正しき愛の花である。


(……阿呆なのよね)


 エリエスと婚約を解消するにしても、婚前の若かりし日の甘い恋の思い出にするにしてもエリエスに蕩々と語り聞かせる道理はない。

 ただ初恋に舞い上がって二歳上の姉分に報告したかったのだろう。

 この男と結婚するのか私は。慌てるな。妻として夫の性格を矯正する機会もあるし、長い人生この底抜けの明るさに救われることもあるだろう。テーブルに両肘をつき、手を口許で組む。行儀が悪いが、婚約者の前で踊りながら余所の女性への愛を語る男の無作法よりはましだろう。

 恋はなくとも、敬意と愛のある家庭を築きたい。そんな夢ともいえない目標は立ち消えた。今はただひたすらこの男が足を滑らせて頭を強かに打ち付けてくれることを望んだ。




 エリエスは由緒あるフェルナータ伯爵家の長子である。二つ下の弟以外に兄弟はなく、幼なじみのロベルと三人、兄弟のように育った。

 転機が訪れたのは五年前、エリエスが十二歳の頃だ。両親からロベルとの婚約を打診されたのである。

 青天の霹靂。頼む、嘘だと言って。自分から見たロベルは弟どころか幼児だ。

 好みの男性は穏やかで話の面白い人だが、ロベルはそれにかすりもしない。

 新しいもの、特に歌劇が好きで国立劇場で新しい演目が発表されると意気揚々と観劇に赴き、帰ってくればその劇での見せ場を踊り歌って再現し続ける。

 話すことも歌劇の内容か役者の私生活が八割の比重を占めているので、歌劇に興味のないエリエスにはさっぱりだ。一度本腰を入れて勉強してみたこともあったが、神話をなぞる古典演劇ならともかく昨今の男女の愛憎をエッセンスに新たな解釈を加えた新歌劇を理解することは今のところできていない。


「エリエスの感性は僕のおばあさまに似ているからね。退屈な古典劇でやっと追いつけるんじゃないかな?」


 叶うなら屋敷の池に突き落としてやりたかった。

 言ってきた言葉の内容よりも、頭の中で考えたことがそのまま口から飛び出す幼稚さが癪だった。

 とにかく合わない。幼なじみとして世話を焼くならともかく結婚相手となると話は別だ。


「……もう決まってしまったことなのですか?」


「いや、将来の選択肢の一つとしてどうかなと、その、提案をだね……?」


 気弱な笑みを浮かべながらお父様が私にお伺いを立てる。

 それだけで理解してしまった。言葉を選ばなければお金目的だ。

 我が家は代々続く由緒正しき伯爵家として名が知られている。貴族名鑑にも建国以来欠かさずフェルナータの名が記されているほどだ。だが実際はこの数代で財に陰りを見せている。

 きっかけは五代前の水害で領民のために私財をなげうったことだ。家や家畜を流された彼らのために無利子で金を貸し付けたことで我が領は未曾有の危機を乗り越えた。

 気高き行いである。領民はたいそう感謝し借金の返済に尽力した。微々たる額ながら少しずつ、確実に返していった。

 ここまでなら美談なのだが話には続きがある。フェルナータの家の者に金儲けの才能はない。百ある財産を百十にして十だけ使う。それならできる。しかし資金を二倍、三倍にして勝ち馬に乗る商才は全くなかった。

 結果、大きく目減りした財産は今日まで戻ることなく、領民からの返済金で分度器を使わなければ感知できないほどに緩やかすぎる右肩上がりを描くに留まっている。

 矜持だけで体裁を保っているフェルナータ家に比べ、ロベルの家たるパレルモ家は裕福だ。ロベルの曾おじいさまに当たる方が海運で財をなし、その財を代を重ねるごとに増やしているのだ。血筋も悪いものではなく、先祖は他国貴族の流れをくむものであるし、件の曾おじいさまは男爵位を賜っており、代々の当主が社交に明るいことから貴族社会での覚えもめでたい。条件だけで言えばこれ以上に優良な婚約など没落寸前の伯爵家には望めないだろう。


「分かりました」


 大丈夫。私は物わかりのいい女。言うことを聞かないのはうねりのある真っ赤な髪の毛だけ。




 一通り歌い踊ってロベルは満足したのか、簡単な挨拶の後屋敷を去って行った。

 これ幸いとお茶菓子を入っていた籠ごと持ち出してガゼボに引っ込む。王都の外れにある屋敷は領地の本邸と区別をつけるためタウンハウスと呼んでいるが、郊外に建っており大きな庭が特徴だった。

 うねる髪をごまかすためにひっつめていた髪型をほどけば真っ赤な髪が背中に広がってゆく。

 屋敷の東側にぽつねんと建ってあるここは風通しがよく、庭師のご老人くらいしか通らないのでエリエスにとっての憩いの場所だった。

 なんともなしに空を見上げると、遙か向こうに一羽の鳥が飛んでいた。


(鳥になりたい)


 髪をかき混ぜながら益体も無いことを考える。左のこめかみから一房垂れる白髪すら気に障る。どうやら大分参ってしまっているようだった。

 フェルナータ家の長女として、パレルモ家の将来の女主人として恥ずかしくないよう教養や学問を修め自らを律してきた。学校での評判も気を遣い、領地での奉仕活動や王都での社交にも精を出してきた。

 それらの努力が、ロベルとの結婚という未来にしか繋がらないことに目を背けながら。


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