第15話.振り返っても良いことはない。だがしかし。
新人戦地区予選でとりあえずの県大会出場権を獲得すると、すかさず稽古の日々が舞い戻ってきた。
あの日以来、夏野先生の機嫌が悪いのか、それとも何か思うところがあるのか、練習のハードさはどんと増した。
「中嶋! 足を止めるな!」
「星野はもっと声を出せ!」
「三木! 根性見せろ!」
「黒崎、やる気があるのか!」
いまの怒号は一例で、少なくとも中等部はほぼ全員名指しで怒鳴られ、掛かり稽古のやり直しを命じられた。
ときには高等部の先輩方に打ちかかる、と言った稽古もあった。もうそうなったらたまらない。優しい先輩もいるけど、下手をすると夏野先生よりも厳しい人もいる。ぼくはそんな人と当たると、もう必死こいてがむしゃらにやるしかない。「うわぁァア!」と叫んでひたすら面、体当たり、面。と繰り返す。そのうちようやく終わって解放さると、レギュラーメンツがより一層ボコボコにしごかれるのを見る側に回った。
ゾッとした。
ぼくらは少なくとも地区予選で優勝するぐらいには、最低でもそれぐらいの実力者のはずなのだ。
しかしぼくらが、夏野先生が目指す先ははるかに遠い。県大会、ひいては、全国大会への出場をまずは目指している。その勝利に向けて積むべき練習量は、想像を絶していた。
すでにぼくは毎日ひとつひとつの稽古をやるだけでも、疲れ果てていた。
べつにこれはぼくがスタミナがないという意味ではない(もちろんぼくの実力不足はあるけれども)。というか、ありとあらゆる先輩が苦しくて、しんどくて、面倒だと思っていることなのだ。ぼくらをボコボコにする高等部の先輩も、夏野先生を前にした掛かり稽古では時に体当たりで壁まで吹っ飛ばされ、面が腑抜けていると腰を竹刀で叩かれる。
息を切らし、スタミナが底を付き、筋肉痛に苛まれながらも、それでも掛かる。いまどきそんなスパルタ教育、とんとお目に掛かれたためしがない。
ただ、別にこれは夏野先生がイライラしていて、ぼくたちに八つ当たりをしているわけではないのは途中からわかってきた。
ある日技練習をやっていると、夏野先生が太鼓の縁を叩いて(そうすると高い音がして、ふだんと違う合図であることがわかるのだ)、ぼくたちの注意を惹いた。
集まる。「あのな、」と言い出す。夏野先生はいつも話を切り出す時、「あのな、」と言ってぼくたちのやってる稽古の問題点を指摘するのである。先生はまず大木とぼくと中嶋の三人のグループを呼びつけて、技練習をさせた。
一回目。大木の面。大木自身の構えは小柄の割にどっしりとしているが、そこから面にかかる時に右にしゃくれ上がるクセがある。
二回目。ぼく。このたび身長が一七〇になったばかりのぼくの面は、若干無駄な動きが多い面打ち。でも、大木の頭には面金をかするような打ちになる。
三回目。中嶋。こいつも身長が伸びて、一八五になるだろうか。これだけの背丈の差だも、面へと振り落とす竹刀の角度も水平を通り越してやや下に傾いて入る。すると、ぼくの面の真上から後頭部にかけて巻き付くように竹刀が曲がって叩きつけられる。
ただ、足がもそっとしている。それは即座に夏野先生に叱られた。
そうしてこうして、一人ずつ、呼ばれてみんなの前で面を打った。
「あのな、お前たちの面打ちの技術なんてそこまで大きく差はないんだよ」
夏野先生がハッキリとそう言ったことには、結構ショックであり、そして意外でもあった。
「確かに黒崎や久川はうまい。遠藤や中嶋の面は固い。星野は足をきちんと踏み込め。三木は手首をもっと使え。そういうことはできる。ただ、おれはお前たちに上手くなれと言いたいわけじゃないんだ」
勝つんだ、勝つためなんだ、と夏野先生のキーフレーズは、しかしぼくにはどこかよそごとのようにも聞こえた。
「心・技・体。これが剣道で一本を取るために最も重要なことだ。いまおれが言ったのは真ん中の〈技〉の部分と、あと〈体〉の部分だけだ。じゃあ、〈心〉は? 〈心〉はどこにあるんだ?」
しーん、と中等部の全員が黙りこくる。
「面をきれいに打つ。手首を使って正しく打つ。これは〈技〉、技術の〈技〉だ。姿勢を正しくして打つ。これは身体のことだから〈体〉だ。もちろんこれも大事だよ。でも、『アッ、いま俺姿勢が崩れてるな』てわかること、それを直そうとして奮い立たせる気持ちってのは、どこから出るんだ?」
たっぷり三秒、沈黙したかと思うと、三木先輩が「腹から声を出すことです」と応えた。
「そうだ。太一の言った通り、声だ。腹から声を出すこと。ただなんとなく『メーン』て言うんじゃなくて、『面ッ!』と自分がいま、どこを打ったのか、はっきり意識して、声を張り上げなきゃいけない。審判が耳塞いだってちゃあんと聞こえるぐらいに、『面ーッ!』て。土壇場の時ほど、最後の最後で勝負を決めるのはそこなんだよ」
な? と確認するように話を区切る。
「当たり前だけどな、こんなにキツくてしんどい稽古を毎日毎日、土曜も日曜も欠かさずやってて、夏休みもなかったことにしてやってて、それでも結果が出せないなんておかしいじゃないか。県大の常勝校だってウチほど練習しちゃいない。ウチの練習したらそこの連中だってへばるような練習を、お前たちは毎日やってきたんだろう?」
「はいっ!」と全員返事する。
だったらな、と夏野先生、急に意気込んで話のトーンを上げる。
「だったら、自分のやってきた稽古の量に、自信を持って、本番でもいまの練習に負けないぐらい、『イヤァッ!』て気持ちのこもった発声で技を打てなきゃあ。練習でしてきたことが本番に出るんだから、県大会までにもうちょい自分のやり方を見直してみろ」
「はいっ!!」
確かに、剣道部に入ってはや半年。ぼくも中嶋も、少なくとも一年連中は、いや、それだけではなく中等部全員が、なんとなーく「練習ってこんなもんだろう」とたかを括り始めていたかもしれない。
思えばいまの練習メニューだって、すでにだいたいこんな感じだろうという流れが見えるようになっていた。
準備体操を終えて、着装。整列。黙想。
神前への礼。先生への礼。
先生のお言葉、そして面付け。
それからのお品書きはだいたいこんな感じだ。
一.発声練習
二.正面打ち
三.切り返し(左右面)
四.切り返し(左右胴)
五.切り返し三十本
六.切り返し五十本
七.技練習(面)
八.技練習(小手)
九.技練習(胴)
十.技練習(小手面)
十一.出鼻の小手
十二.抜き胴
十三.返し胴
十四.出鼻の小手面
十五〜十七.技練習(自由)
十八.打ち込み
十九.掛かり稽古
二十.相掛かり稽古
ここの十五から先が地稽古や試合練習になるなどの若干の違いはあっても、そんなに大した変わりはない。終わりになればなるほど「そろそろ掛かり稽古だなあ」と思うし、その度に厳しい先輩や先生へ向かうときの恐怖心を思い返して憂鬱になったりする。
補欠ですらないぼくですら気後れするものが、レギュラーにはより一層プレッシャーになるらしい。特に黒崎先輩や久川先輩、佐伯先輩はちょっと疲れが滲み出てるような顔で後半戦を凌いでることがある。そこを見透かしたかのように、夏野先生の激が入ったわけなのである。
しかし、ぼくは夏野先生の口先が、決して言葉通りではないこともなんとなく察していた。
シンプルに気合いややる気を見せるだけなら、窪田先輩や三木先輩、遠藤先輩のほうが強い意欲を示していた。特に遠藤先輩、窪田先輩は地稽古のときは誰よりも早く面を付けて先生のもとに「お願いします」と駆け込んでいた。
あまり素早いので、部員全員で「スライディング土下座」とからかった。しかしそれが真剣なのである。ときに左右からぶつかり合い、一方が他方を弾き飛ばしてまで先生に稽古をつけてくれとせがむ姿勢は、他の誰よりも強くなりたいという、意志がなせる技だ。
にもかかわらず、窪田先輩は補欠から先に出て来れないし、遠藤先輩だって確かに強いけど、先鋒のままである。先鋒が重要なポジションであることはまだ詳しく知らない当時のぼくだった。
しかし、気合いややる気を見せたところで敵わない相手もいるのだった。
ぼくもあの夏休みで生んだ差を取り戻すためにも、先生に稽古をつけてもらうことがある。頑張って面を付けて駆け込んで、それでもせいぜい六位か五位。仕方ないから順番だけ確認して、他の先輩方にあいさつ回りよろしく稽古をお願いする。
たぶん、ぼくが始めた時よりはずっとずっとマシな剣道になってきた。面はちゃんと入るようになったし、相手の出鼻の小手を打つこともできるようになった。しかしまだしょせんは中学一年生、精一杯やっても北島先輩の足元にも及ばず、ふたりで同時に面を打っても明らかに遅い。せっかく頼んだ地稽古も、だんだんと個人に依頼する技練習のような形になり、自分の欠点や改善方法を個別に指導してもらうような形だった。
それは先生に挑む時も変わらない。レギュラーや補欠に対しては鬼のように厳しい夏野先生だったが、それ未満の選手についてはとりあえず頑張ってるかどうかぐらいの識別しかしてくれない。
声を出して、踏み込みをきちんとする。基本といえば基本、でもこれだけのことが、先生相手でもまともにできてないわけで。
せっかく地稽古に張り切って挑んだのに、掛かり稽古っぽくなって七本きりで終わることすらあった。そういう時、ぼくはあえて口に出して言いやしないが、自分がやる気を見せてもその程度しか相手にしてもらえないやつなのかとめげることもあった。
同い年の中嶋や湯浅には、怒鳴りつけ、竹刀で叩きつけるほどには指導する。大木も実は怒鳴られる側だったのだが、彼の場合は基礎がなってないというお叱りなので別枠だ。夏野先生の期待の掛け方は、指導の細かいところにはありありと伺えたのである。
すると、今度は先輩方の中でも黒崎先輩や佐伯先輩、三木先輩や遠藤先輩たちの複雑な練習風景を観察することになる。
こう言っては拗ねた物言いに聞こえるかもしれないが、先生とてひとりの人間である。先生自身、入学前から面倒を見てきた生徒が可愛くて可愛くて仕方がない。
夏野先生は、特に自分にとって距離感の近い生徒のことを下の名前で呼んだ。例えば黒崎先輩は「真吾」だったし、三木先輩は「太一」で、佐伯先輩は「豪」だった。ただ、遠藤先輩や久川先輩は「遠藤」「久川」だったし、窪田先輩に至ってはときどき「こいつ」だった。先生は中等部二年の担任でひとつクラスを持っていたらしいので、その関係もあるかもしれない。
とにかく、こうした複雑な人間関係と、実力と、やる気と意志と、いろんなものが絡み合って、部活動というものは進んでいく。
時に恨み、時に喜び、時に笑い、時に泣く。そうした人間関係の絡みを繰り返し、繰り返し乗り越えていくことで、ぼくたちは「剣道部」というひとつのグループとその文化に染まっていく。いつしかぼくは剣道部という場がそんなに嫌いではなくなっていたし、「苦しい」と思うことはあっても「やめよう」とは思わなくなった。
この先輩たちとどこまで行けるのか、それがすっかり楽しみになったのだ。
しかし、そんなに遠くにはいけなかった。
続く埼玉県大会。ふたたび上尾で行われた新人戦県大会は、まさかの二回戦落ち。レギュラーは帰ってまた練習だったけど、ぼくたち補欠ですらないメンバーは、トボトボはるか遠い上尾から、自宅への帰路を余儀なく進まざるを得なかった。
ぼくたちに足らないものはなんだろう。気合いか根性か、それとも実力なのだろうか。




