第11話.青春のゲームプレイヤーは誰なのか
ぼくがゲロったのは、さいわいにして体育館の隅っこにたどり着いたギリギリのところだったので、稽古にさほど影響はなかった。素早く雑巾で清掃され、ぼくは隅の方で寝転がされた。稽古が再開するにあたっても、特にこれといった処置はなく、ぼくの気力が戻らなかったので、中嶋ほか複数名は新たにグループを作り直して続けた。
絶叫や悲鳴が(いや発声なんだけど)、雄叫びが、竹刀の叩き合う音が、そして踏み込みの地鳴りが、仰向けで安静にしているぼくの身体に響いてくる。追い込みが再開し、ドタドタという擬音なんかではとても済まないような足踏みが連打する。汗が、ひたいからこめかみにむかってゆっくりと垂れる。それを扇風機の風が追いかけて、首の後ろに逃げ出していった。
情けない、と思った。側から見ればなんだこの程度、と思うような単純な動きの積み重ねである。ところが実際に身体をそのように動かそうとすると、まるで定規なしで直線を引こうとするときみたいに、手ブレのような余計な動きが混じってくる。
左手で握った竹刀。手首を返して面に叩き込む。たったそれだけ。それだけの動きがありとあらゆる状況を想定して訓練される。足の疲労、間合いのせめぎ合いが起こる極度の緊張、もしくは、偶然発生する隙に向かってとっさに動けるように。
実戦では何が起こるかわからない。いけるかと思ったときに足を滑らせる猛者もいるし、真正面から叩き込んでも一本にならないこともある。絶対に誰がどう見ても負けてないと思っていても審判の誤審ということだってありうる。それに対して、受け入れる気持ち。焦らないということ。勝負に臨むということは、まさにその平常心をいかに気高く作り上げるのかというその一点に力が注がれている。
「練習は試合のように。試合は練習のようにやるんだ。でないと、勝負ごとは身につかない」
試合に負けるたびに、夏野先生が口酸っぱく繰り返す言葉がそれだった。しかしぼくにとって、試合とはあの北島先輩のスマートな戦い、窪田先輩のギリギリのところまで粘った戦いだった。
もちろん、剣道を初めて間もないぼくには、そんな境地はまだまだ遠い。窪田先輩は小三から、北島先輩は小学校に入ってすぐから積み重ねていた実力と実績がある。中学生はまだまだ五十歩百歩だから、頑張り次第では結果が出ると言われはするが、そんなことはみんながそうであってほしいという夢物語に過ぎない。
結局のところ、運である。
同級生に誰が、どれだけの才覚で、どれだけの実績を引っ提げてやってくるかのほうが、中学生の部活動ではそのスタートダッシュに大きな差が出る。ぼくなんかはとろとろ始めてしまった人間だった。大木も決して素早いスタートを切ったとも言えない。湯浅はまだ目立ってないし、一番目立ってる中嶋は決して実績を持っていない。
それに比べてみると、北島先輩の実力はどうだろう。窪田先輩の代の個性の豊かさはどうだろう。ぼくはまだ窪田先輩を一際高いレベルにあるように見ているが、三木先輩の素早く小回りのきく剣道や、黒崎先輩の綺麗な正面打ち、久川先輩の的確な小手面のかっこよさなんか見ていると、ほんとにあそこにたどり着けるのかなんて気の遠くなる心地がしたものだった。
午前の練習が済み、昼ごはんを食べて休憩時間になる。一年生は洗濯をして、午後の稽古までにせめて剣道着が乾いてますようにと祈るようにカンカン照りの空に先輩達の道着を干した。ようやくひと仕事終えて、休憩時間に入ったと思えば、あと一時間で午後の稽古だ。
憂うつだった。あんな厳しい稽古が午前も午後もある。そしてそれが一週間。逃げ出したい気持ちと、でも疲れてるから萎えてしまっているのと、複雑だった。
さすがに泣きはしないけれども、なんでこんなことをやってるんだろうと自問自答はする。それはぼくだけではなく、先輩方も「辛え」とか「やりたくねえ」と口々にぼやいてる。それでも時計が午後三時を示す頃にはのそのそ動き出し、ほらやるぞとスイッチを切り替える。
すごい。もうぼくは初日からめげていた。
そんなぼくの気持ちを見透かしたのか、夏野先生は防具の着装をする前にぼくの名前を呼んだ。
「星野は素振りだ」
えっ、と思った。夏野先生、ぼくは稽古に参加する資格無しですか?
そんな問いを飲み込んで(とても聞き返すなんてできなかった)、「はい」と言う。うなだれる気持ちと後ろめたい気持ちがある。みんながキツい稽古にあるのに、自分だけひたすら体育館の隅で素振りをし続ける。そんなことをやっていたら、自分はますます追いつけないし、恨まれてしまいそうだった。
結局、午後も追い込みをやって、技練をして、それを横目で見ながら、ぼくは素振りをし続けた。何本したかは数えてないが、とりあえず休みなくやった。おかげで手の豆が潰れていた。
「星野」
休憩時間。見ると、久川先輩が立っていた。
「久川先輩」
「ちょっと見てたんだけどさ、おまえ右手で振ってるぞ」
「え……」
「疲れてると、だんだん左の力抜けるからさ、わかるんだけど。ほら窪田なんか追い込みの時ガンガン右手で振るからセンセに怒られっぱなしじゃん? 素振りやるんだったら左手でちゃんと握って、手首で、ホラ」
スッとあげる。左手の動きだけを見る。縦にまっすぐ落ちていく。
右手が弧を描いてるから、そう言うふうに打つのだと思っていたけれども、結局のところ剣道は左で握り、左手首で振るのである。
ところがぼくは真似してみても、左手のひらの豆が切れてて痛い。チグハグな動きになってしまう。
まあまあ、そうだよねえと久川先輩はへにゃっと笑う。
「ま、頑張りなよ。数やるよりも、正しくやる方が大事だから」
「ありがとうございます!」
いけめんだ、いけめんがここにおる。
その日から、久川先輩のことを心の奥底で「兄貴」と呼ぶことにした。
さて、午後の稽古も潰した豆をテーピングでぐるぐる巻きにして誤魔化しながら終わった。その日の夕食は、中嶋や大木、湯浅に対して若干後ろめたい気持ちがなくもなかったが、別に蔑むでもなく、至って普通の(というか黙々とした)食事で済んだ。
むしろ、稽古で疲れ切っているから、誰かを貶めるなんて暇がなかったのだと思う。同学年のみんなはここではないどこかを見つめるような眼差しで、疲弊した胃袋にとりあえずご飯を入れているような感じだった。ちなみに今日のメニューはカレーだった。
運動部あるあるとして、食事はたくさん食べれば食べるほど良いというものがある。
「カレーは飲み物だ!」なんてことを今言ってる人はそこそこ目くじら立てて怒られそうな気もするが、当時はそれが当たり前だったように思う。ぼくらもその当事者で、大木が背の小さいことを夏野先生がいじって「たくさん食べれば大きくなるぞ」と煽られたり、実は少食の湯浅に対して「おかわりは要らないの?」と高等部のお母様方に訊かれたりなどと、そこそこなフードハラスメントが展開する。もっとも、湯浅の場合それでも「要らないです」とハッキリ言うのだが。
なかでも中嶋は体格があるために大食いと期待されており、最低でも三杯食うことを要求されていた。実際彼自身なんでも大盛り特盛にするぐらいには食べるほうだったが、昼ごはんの時は「稽古に響くから」ということでおかわりは一回だけに抑えていた。
それが夕食で、あとは寝るだけとなれば、多少はリミッターを外す。彼はノルマをこなすとさらにもう一皿欲張る。
「よくやった中嶋!」
夏野先生は恰幅の良いからだを揺らして中嶋を褒める。そんな先生の顔若干赤みがかっていて、よく見るとビールを片手に飲んでいる。先生自身も午後の終盤で地稽古、掛かり稽古と組んでいたのだが、どこ吹く風と言った様子で生徒に食事を勧めていた。
ちなみにご飯は、ぼくらの母親が朝五時起きでやってきて(主に各所から車でやってくるから、時間が掛かるのだ。なにせ学校の近所にはスーパーひとつない!)家庭科実習室のコンロを使う。だから有り難く食べなさい。残してはならんと言うのが、夏野先生の言い草だった。
食べ終わったお皿は、自分が付いているテーブルの備え付きのシンクで洗う。この手のやつは人によって上手い下手があり、例えばお皿に米粒が残ってるのを取れてない場合とうまくやる人に分かれている。
ぼくは湯浅がその手のことに雑なことに気づいた。彼のスポンジには泡が全然立ってないし、それでカレーの痕跡がありありと残ってるお皿の表面を撫でるようにしか洗っているない。洗うと言うより拭いてるという感じだ。おかげで米粒の残骸が固くへばりついているし、スポンジにもカレーが付いてる。
代わりに大木はその点繊細だった。皿の窪みに水を漬けて、米粒をふやかすと、きちんと皿のふちから裏側まで泡立てたスポンジでごしごし洗う。それを中嶋が鼻歌混じりにふきんで拭い去り、着々と重ねる。いつの間にかこの大中コンビ(サイズは小・大!)は仲良しになっていた。
ちなみにぼくは湯浅の出来の悪い皿を洗い直し、またふきんで拭く二度手間を担当していた。文句は言ったが、「まあまあ」と適当にはぐらかす湯浅に、決して素振りだけしていたぼくに対する差別心がないという安心感と、それでいいのかこのズボラめ、というツッコミが内心でせめぎ合う。
十九時になって、ぼくらはやっと宿舎に戻る。校内合宿は、おもしろいことにきちんと寝泊まりするための施設が校内にちゃんとあり、ぼくらはそこに高等部・中等部で二つの部屋を割り当てられる。
つまり、ぼくらは中等部として、三年・二年の先輩方と並んで寝るわけだ。
こうした合宿で、寝る場所はかなり重要な意味を持つ。なぜなら、すでに中高生に普及していたケータイ(ガラケー、である)の充電器を差し込むべく、コンセントの近くの争奪戦が始まるからだ。
そしてその争奪戦の仕方が、じゃんけんだったり、しりとりだったり、いかにも中学生というか小学生の延長線上というか、そうした勝負事で決まる。その結果に本気で一喜一憂する先輩方も、初日ならではの楽しみだ。
初日。みなで布団を出し、各部屋に敷き終えるといよいよ明日までの気楽な時間がやってくる。厳しい稽古さえなければ、これは生徒同士にとってサイコーの時間だ。
密かに持ち込んでいた携帯ゲーム機を取り出し、通信プレイで遊ぶ先輩がまばらにあぐらを組む中、上下関係問わずおのおのがくつろぐ。ぼくはゲームをやってる先輩方に仲間入りして、カートレースのソフトで圧勝に次ぐ圧勝でひんしゅくを買った。
「おいなんでおまえこんなに上手いんだよ」
「いや、やりこんでまして」
「あっ! てめ、そこでジャマー放るんじゃねえ!」
「誰だ爆弾投げたの!? ふざけんなよ!」
「湯浅ァ!」
「なんすか! なんすか!」
人気のキャラクターがカートに乗って競い合うこのゲームは、こうした校内合宿では非常に人気な遊びのひとつだった。ゲーム世代でもあるぼくたちは、対戦ゲームを通じて相手の性格を知り、思わぬ側面を知る。ただ、それでもなお通じる点は、みなやるとなったら負けず嫌いだということだ。
もっとも、ゲームが苦手な遠藤先輩は、途中から逆走して邪魔する方向に舵を切ってはいたのだが。
「来るなー! 遠藤来るんじゃねえ!」
三木先輩が絶叫しながら十字キーをガチャガチャ動かす。というか、このゲーム機四台分はそれぞれ誰が持ってるものだったのか、もはや誰もわからなくなっていた。
レースで勝ち負けが決まるたびにゲーム機が別の人の手に渡り、負けねえよ、と大口を叩いて互いを煽りあったり、勝ち越したりとする。そうこうしているうちに入浴時間となり、シャワー室を交代で使って、就寝時間へとなっていく。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。明日もまた、稽古通しの一日だろう。ただ、ぼくは改めて剣道部が面白いな、楽しいな、と思うようになったのだった。