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ヘタレ剣道一本勝負  作者: 八雲 辰毘古
入段試験:歴史が継げない僕らについて
10/23

第10話.走っても、走っても、たどり着かない。

 県大会が終わった。それは、ぼくにとっては単にそれだけの意味でしかないが、北島先輩や飛田先輩にとっては違う意味を持つ。


 中学での試合が終わった、ということだ。


 タマキタは中高一貫校だ。そして三年の先輩方はふたりともそのまま高等部に進学することを決めている。だから、そこまで致命的な意味がないかもしれない。ただ、この(個人戦を含む)県大会の終わりとともに、彼らはもう二度と中等部として試合には出ない。

 代わりに高等部ゼロ年生として練習に参加し、「突き」を始め、よりハードな練習に身を投じていくことになる。


 そして、それまでどこか〝お客様〟だったぼくたち一年生が、本格的に稽古に参加することになった。


 第二回考査を終えて、テスト結果に苦笑いしながら始まった夏休みも、決して〝休み〟なんてものではなかった。

 言ってみれば毎日が日曜日の稽古状態で、なまじ遠征や錬成会(※他校を交えた練習試合のこと。トーナメント方式や総当たり方式など、開催場所によってやり方が異なる)があるぶん、余裕も余力もない。遊ぶどころではなく、夏休みの宿題すらやる暇もない。にもかかわらずやることばかりが山積みになって、でもなぜか毎日稽古に出て、へとへとになって帰ると言った生活だった。


 もちろん来なくなるやつもいた。ぼくはあえて言及しなかったが、同級生でも何人か体験入部的に入ってきた人がいた。でも一ヶ月もしないうちにフェードアウトした。そいつはまだ体育着で素振りをするだけの練習を二、三回やるだけで尻込みして、練習にも朝の洗濯にも参加せず、「朝はだるいし放課後はサボりてえ」と言いながら辞めていった。

 そんなこと、ぼくや中嶋だって気持ちは同じだった。できることなら徹夜でテレビゲームをし、朝日を見ながらベッドに入って昼過ぎまで寝てるような、くだらない夏休みというものを過ごしてみたいものだった。


 ただ、それを結局しなかったというのは、どこか意地のようなものがあったのだろう。


 ぼくや中嶋も、かつて剣道部だった同級生と機会があれば会話をし、適度に同じ話題を交わし合うぐらいにはべつに偏見もなく人付き合いができるほうだった。

 けれども、同じ苦労を、同じやる気で乗り越えていくという体験は不思議と強い仲間意識を生む。ぼくは決して大木や湯浅と仲が良かったわけじゃないし、自分から積極的に遊びに誘うような感じではなかった。ただ、授業の合間合間で廊下をすれ違うような時があると、「おお」とびっくりするような心の揺れと一緒に、まるでこんなところで会うとは思わなかったと言わんばかりに軽い会釈をしていく。先輩たちも同様──むしろ、先輩方を部活動以外で見かけてあいさつを忘れると、あとでネチネチ言われる。


 礼儀と上下関係を意識するせいか、それとも同じ稽古をしているうちに嫌でもコミュニケーションを取る都合からか、体育会系は普通じゃない絆を互いに持つ。それは決して友情と言い換えていいような簡単なものではない。むしろ同じレースを二人三脚で走っているようなもので、他方がコケればその分フォローもしなければならない。かと言って自分が転んだ時に助けてもらえるわけでもない。力が弱ければ引きずられるだけだし、力があったらあったで並走者に併せて調整しなければならない時もある。

 もうちょっといい例えを探してみるなら、それは手押し相撲のような緊張感でもある。互いの近い距離で、手を出したり引いたりする。体幹が持つ限り、勝負は続く。ぼくらは決して友達ではない。あくまで競い合い、しのぎを削って己を高め合う仲間なのである。


 そんなぼくたちが、いま一度試される時期がやってきた。


 合宿──。


 夏季合宿と呼ばれるこのお泊まり会は、約一週間にわたってぼくらを校舎に寝泊まりさせ、午前と午後、ひっきりなしに稽古をさせるという地獄のような試みである。

 午前は九時開始、十二時に終了。午後は昼休憩を挟み、十五時開始で十八時まで。


 まさに剣道漬けと言わんばかりの猛烈な特訓の日々。しかも、その練習の舞台は、剣道場ではない。

 体育館なのだ。


 一般的な剣道場の広さは、よく知らない。ただ、調べてみると普通の試合を行うあの白い正方形の一辺が九メートルから十一メートルなのだそうだ。ぼくらがふだん稽古している剣道場が、試合場二つ分の広さだからそう考えると縦が一三メートル、横が二五メートル程度の長方形の面積だと見積もれる。

 これに対して体育館の広さはその比ではない。一度、体育館を借りてタマキタ主催の錬成会をしたとき、その準備でビニールテープを貼って試合場を六つ作ったことがある。ステージに向かって二つ、それが奥行に沿って三つだ。これに試合場のあいだの余裕を足していくと、おおよそ三五メートル、掛ける二三メートルといった広さになる。


 何も知らない人からすれば、広々としている方が竹刀を振り回しても誰かにぶつからないからより良いじゃないか、なんて意見になる。まあそれはそうだ。

 確かにあの剣道場で切り返しなんて打ってると、ときどき隣りのグループと竹刀がかちあってストレスになる。だから、そういう意味では体育館での稽古はそのトラブルの心配はほとんどない。


 ところが、夏合宿でやる稽古は、体育館()()()()()可能な恐ろしい練習があるのだ。


 追い込み稽古、とそれは呼ばれている。


 文字通り追い込み、という通称でまかり通っているその練習は、最初ぼくも何のこっちゃと首を傾げていたものだ。それを語る先輩方の苦渋に満ちた表情、思い出すだけで疲れが蘇ると言わんばかりに違う話題に逸らしてしまいたくなるもいった、そんなそぶりにぼくは不思議で仕方なかった。


「いずれわかるよ、うん」


 窪田先輩は、そう言って遠い目をしていた。


 夏の稽古は水分不足が激しい。ぼくたち中等部一年生は稽古を始める前に濡れ雑巾を体育館の隅に等間隔に、二十枚近く配置すると同時に、大きなジャーを取り出してスポーツドリンクの用意もしなければならない。

 道場の大きな冷凍庫から、さながら幼稚園児の無計画な砂遊びのように、アイスシャベルで大量の氷を突っ込む。それから粉で備蓄されたスポーツドリンクを二袋切って入れて、水道水で溶かしながら混ぜていく。途中から氷でキンキンに冷えた水が指先を凍えさせる。しかしそれも、取り出してしばらくすれば太陽の燦々たるまなざしに怯えたようにまた暑くなってしまう。


 テレビのニュースは体罰やいじめの問題を盛んに話題にしていたけれども、まだ猛暑なんて言葉があったのかなかったのか、それぐらいの時のことだった。だからなのかは知らないが、当時のタマキタには冷房なんてものはなく、強いて言えば扇風機が六台あるっきり。その設置も後輩の仕事だった。ただ、せっかく組み立てた扇風機も、スポーツドリンクも、先輩方からその恩恵を受けるのがこの界隈の〝礼儀〟というやつだった。

 初めて受けた練習の、最初の休憩。ぼくはなかなか気が利かなくて、先輩方にどやされながら、プラスチックのカップにキンキンに冷えたスポーツドリンクをなみなみ注いで、あっちへこっちへ運んでいた。ぼく自身すっかり息が上がっていて、人に気を遣っている余裕なんて全然なかったのに、先輩方の中には「おかわり」なんて言うもんだから、自分の水分補給だってうまくいかない。サッカーや野球とちがって、剣道には日射病という概念はないけれど、熱射病は依然健在だった。ぜえぜえ、はあはあという息がしだいに胸の奥の心拍数とかけっこをするようになると、もう視界の端からぐるぐると目が回り出してしまう。


 それを見透かしたのか、窪田先輩がさっと手を出して止めた。


「いいよ。あとの先輩のはおれがやるから」

「えっ、でも」

「まず自分の分とってきな。もう喉カラカラでしょ?」

「……ありがとうございます」


 心の底から、そう言った。ぼくには窪田先輩の優しさが、どんなに冷えたスポーツドリンクよりも心の渇きを満たしてくれた。

 すっかり目がまわる寸前までくたびれて、ようやくプラスチックのカップに注いだそれを飲み干す。味なんてわかりっこないにもかかわらず、枯れた喉に冷たいという感触だけが疾走して、自分がいかに疲れていたのかをいまさらになって思い知った。まだ最初の練習で、しかもまだ序盤も序盤なのだ。


 ふと、隣を見たら中嶋や湯浅がぐったりしていた。よくみると彼らはすでに飲んでいる。ぼくだけ先輩方に行ったり来たりしてたせいで、飲み損ねたのだろう。

 ちょっとずるいなと思ったが、でもこのずるさはこの手の部活動では世渡りに必須なのだろうとも思った。


 ちなみに、大木はなぜか三木先輩に気に入られてしまい、先輩御用達のおつかいになってしまった。ぼくたちと一緒に過ごす時間はもはやなくなったに等しい。


「やっべえよ。こんなのが午後もあんのかよ」


 中嶋のぼやきも、まだいま言うには早すぎた。


 後悔するのはそのあとだ。


 例の追い込み稽古が、ついに始まる。


 それは、体育館を()に使う。つまり、奥行き三五メートルをフル尺で使う位置へのフォーメーション・チェンジである。


 ふだんの稽古では、もとの剣道場の広さが十メートル程度とあって、その奥行きを往復するような形で前四歩、後ろ五歩の基本フォーマットが存在する。

 正面打ちも、切り返しも、掛かり稽古も、せいぜいが十メートル弱の往復をすり足で動くことによって成り立つ。


 ところが追い込み稽古にはそのリミッターがない。体育館の端から端──一番長いその距離を、ひたすら退がる元立ち相手に面を連続、小手を連続、小手面を連続、または切り返しの面や胴といった、ありとあらゆる基礎練習をやり込むことになる。

 文字通りの追い込み──それは、元立ちを追い込むからそう言われているのだろうけれども、実際は自分の足を追い込む。限界を突き詰めて追い付き、追い越す──そのための極限の稽古だった。


 言葉では、簡単にそう説明できるけど、やってる側はそんな楽にできるわけねーだろまっきゃろー! と言った感じで、なにせ打つ側も打つ側でしんどいのに、受ける側も受ける側で全力で退がらないといけない。そしてぼくが元立ちをするのは、中嶋なのだ。

 つまり、どう言うことかといえば、追い込む時は足が足りずにバタバタ踏み込むことすらままならず、追われる側になると全力でやっても中嶋の竹刀が「遅いッ!」という罵声と一緒に追いかけてくる地獄を指す。間に合わず、追いつかず、どんなに足を動かそうとしても、届かない。


 よく疲れ切った足のことを「棒になる」なんてことわざがあるけれども、そんな生やさしいことを言わないでほしい。ぼくの場合、棒どころではなかった。こんにゃくだった。立つこともままならず、いつしかばたんと倒れて、起き上がるのも必死である。高等部含めて約三十人。自分が一番遅い。

 遅いと目立つ。おまけに息が切れて声も出ていない。先生に目を付けられるのも時間の問題で、「遅いぞ星野ォーッ!」と夏野先生にどなられて、さあもう一回特別にやれと言われる始末。ついでに中嶋まで付き合わされるわけだから、彼からの恨みはさらに増す。


 なんでこんなこと、先輩方は平気にできるんだ。そんな心のぼやきもするまもなく、ぼくはいつしか声をだしているつもりが、腹の底から別のものを出していた。

 まあ、言葉を飾らず言うと、ゲロったのだ。それでぼくの夏合宿初日は終わった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 限界超えて身体を動かすとオエッてなっちゃいますよね。 想像しただけで肺が痛いよ…! さてさて、ついに本格的に主人公たちメインの年が訪れますね。 地獄の夏は始まったばかり!がんばれ!
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