026 グレアム・イーストンという人
マリエッタは困惑している。
「マリーはトマトパスタが本当に好きだよな」
学食に並んで「今日はトマトパスタ」だと心で決めていると、後ろに並んでいるグレアムがまるでマリエッタの心を読んだかのように声をかけた。
「マリー、魔物から取り出した魔石の活用方法について書くレポート。わからないことあったら俺に聞けよ。マリーは昔から、魔物関係は苦手だったもんな」
翌週に提出するレポートについて図書室で悩んでいると、隣に座るグレアムがそう優しく声をかけてくれた。
「マリー、今度久々イーストン孤児院に顔を出さないか?カジノで儲けた金があるから、ちび達に沢山お土産を持ってさ」
マリエッタがそろそろ孤児院に顔を出そうかなと思っていたタイミングで、グレアムがそうマリエッタに声をかけてきた。
「マリー。俺はその、君の事がす――」
何となく告白されそうになった時、頭上から落ちてきたカラスの糞がグレアムの頭に直撃した。
(一体なんなの!?)
マリエッタは自分に纏わりつくグレアムに振り回されっぱなしの日々だ。
(しかも私の事を物凄く知っているし)
これはもう放置していい問題ではないのかも知れないとマリエッタは意を決してグレアムを放課後中庭に呼び出した。
そして夕日差す中庭のベンチでマリエッタはグレアムと距離を取って並んで座る。
「グレアム様。今日は私の呼び出しに答えて下さってありがとうございます」
「うん。グレアムでいいよ」
「いいえ、そこまで親しい仲ではありませんので」
「そっか……」
グレアムは力なく俯いた。
マリエッタはさり気なくグレアムの顔をうかがう。
なすのへたみたいな髪型に丸い眼鏡。その下の瞳の色をマリエッタは知らない。
(何だろう、少しやつれた感じがするのだけれど)
知り合って間もないはずなのに、どうしてそう思うのかマリエッタにはわからない。
けれど心でそう思う。グレアムが前よりずっとやつれたと。
「あのさ、俺、お前を傷つけた事は物凄く反省してるんだ」
「あー別にその事は覚えてないので大丈夫ですよ?」
「そう言われるのが物凄く辛い。ま、自業自得なんだけど」
「……すみません」
「だけどさ、俺がそういう浮気みたいな事して、お前は記憶を失うほどショックを受けた。それって言いかえれば、それだけ俺の事好きだったって事だと思うんだけど」
「うーん、記憶がないのでその辺のところは正直わかりかねます」
「だよな……」
沈黙が訪れる。
(気まずい)
マリエッタは何となくモゾモゾと体を動かした。
「お前がずっと倹約して金を貯めていた事を知ってたから。だから俺はカジノ経営なんてものに手を出した。それにマリーは俺が親の金を使う事を良く思ってなかったみたいだし。だから自分で稼ごうと思ってたんだ」
「えっ、グレアム様って家族がいるの?」
「うん」
(一体何故孤児院に?)
「それはこの世界がおとぎの世界だから。俺とお前はこの世界に同時に生み出された存在だから」
「あー、そうですよね。私はヒロインでヒーローは……」
(あれ?誰だっけ)
マリエッタはヒーローの顔を思い浮かべようとして、まるで霧がかかったようにその姿が思い浮かばない事に今更気付いた。
「ほんとに俺の事忘れちゃったんだな」
ポツリと呟いたグレアムの言葉が何故かマリエッタの心にぐさりと鋭く突き刺さる。
「俺達はいつも一緒だった。その記憶がマリーの中に一つも残っていないなんて、あまりに残酷だ。けどそれは全部俺のせい。こうなるまで気付かなかった自分が愚かすぎて嫌になる」
グレアムはワサワサと髪の毛を掻きむしると両手を顔で覆ってしまった。
「グレアム様はなんで私の事を好きなんですか?」
グレアムの記憶が全くないマリエッタにはそのきっかけのようなものを思い出せない。
それどころか、何故そんなに好意を寄せられているのかもわからない。
(何だか思い出さなきゃいけない気もしなくはない)
それは目の前のグレアムがあまりに悲壮感漂うせいで同情する気持ちになっているのだとマリエッタは自己分析した。
「俺は今までそういう設定だからって思ってたけど」
「なるほど」
マリエッタは「設定」という言葉を素直に受け入れる。
何故ならこの世界の大抵の事は「設定」で出来ている事をマリエッタは理解しているからだ。
「設定は絶対だ。だから今まで自分の気持の変化とかあんまり考えた事ない」
「確かにそうですね」
きっぱりと言い切るグレアムに納得するマリエッタ。
そもそもどうして好きなのか。それを考える事は時間の無駄だ。
(だってそういう設定だから)
マリエッタはそうやって受け入れてここまで生きてきた。
「ただ、本編が終了して色々な事が変化しだして、それで今回ようやく気付いた事はある」
「えーとそれは一体?」
「俺の行動一つでマリーは俺の前から簡単にいなくなるってこと。今までは強制力みたいな物でお前と俺は絶対だったけど、本編が終わったからもうその「絶対」がなくなる可能性があるかも知れないんだ」
「絶対が無くなる……」
「お前が俺を忘れる。そんなの今まで一度たりとも考えもしなかった。でも実際にこうしてお前は俺を忘れてる。それは俺の行動が導いた結果。でもだからってどうしたら君が元に戻るのかが俺にはわからない」
グレアムが泣きそうな顔をマリエッタに向けた。
「でも思うんだ。ここはマリーに纏わる世界だからマリーが俺をいらないって思ったら、もう俺の存在価値はない。だから俺は近いうちに消える運命なのかもって」
「えっ、消える?」
流石にそこまでは望んでいないとマリエッタは咄嗟に焦る。
一方で、マリエッタにとって突如現れ、つきまとうこの人物がこの世界から消えても自分は特に困らないと、そんな風に冷酷に判断する気持ちも湧いてくる。
「あーあ。過去に戻れたって思うけど遅いよな」
突然吹っ切れたようにふわりとマリエッタに笑顔を向けるグレアム。
その笑顔を見てマリエッタは何故かドキリとした。そして本能で思う。
(この人のこういう笑顔は嫌いじゃない)
咄嗟に感じる気持ちにマリエッタは激しく動揺する。
「か、過去に戻るですか?それはまたどうしてですか?」
マリエッタはわけがわからない気持ちを隠そうと、慌ててグレアムに尋ねる。
「そう、過去」
「それはまた何で?」
「マリーといると楽しかったから」
グレアムが単純明快な言葉を堂々と口にする。
(私の過去に楽しかった記憶なんてあったっけ?)
マリエッタはぐるぐると頭の中で自分の半生を振り返り、楽しい記憶を思い出す。
すると確かに過去の自分は今よりずっと楽しそうで、しかも誰かに笑顔を向けている映像が頭に浮かんだ。
(私は誰に笑顔を向けてるの?)
マリエッタは混乱する。確かにそこに誰かがいるはずなのにマリエッタには見えない。
冷静に考えてみると一人でとっておきの笑みを顔に浮かべる、ある意味怪しい自分の光景しか映し出されていない。
(やだ、私が不気味)
それはゾゾゾゾと背中に何かが這い上がるような感覚。
気持ち悪いとマリエッタは自分の肩を両手で抱える。
「大丈夫か?」
グレアムが心配そうな声をマリエッタにかける。
「大丈夫……ってなんかこういの前にもあったような」
(そう、何だかんだピンチが多い人生だけど、いつも私を助けてくれる人がいた)
そして今グレアムが口にしたように「大丈夫か?」といつも声をかけてもらっていたのだ。
「そりゃ、もうお前にその言葉を何度かけたかわからないくらいだからな。そっか、そういうのはちょっと覚えてるんだ」
嬉しそうに顔を綻ばすグレアム。
その姿を見て、マリエッタは先程より強く自分の心がズキンと痛むのを感じた。
「あのさ、さっきの答えがわかった気がする」
「さっきの答えですか?」
「うん。俺がどうしてお前の事をってやつ」
「あー私を好きな理由」
「あのさ俺達はこっちの都合に関係なく、この世界を理不尽に救わなくちゃならない場合が多かっただろ?何故ならヒロインとヒーローだから。時々何で俺がって思う時もあったけど、でもさ、マリーがいつも前向きに取り組む姿を見てると俺も頑張ろうって思えた。そういうのの積み重ねで俺はお前がす――」
最後まで言い終わる前に突然グレアムの体が透けだした。
「え?」
マリエッタは思わずその身をのけぞらせる。
「あー、やっぱそうか」
「何が?やだ、どうして消えちゃうの?」
「それはお前が俺を拒絶したからだろうけど、ま、マリーに消されるなら仕方ない。気にすんな。わりと幸せだったし」
グレアムは今まさに自分がこの世界から消え去ろうとしているというのに、とても穏やかな笑みをマリエッタに向けた。
「俺はお前を傷つけちゃったけど、でもやっぱりお前を愛してる。それに拒絶され続けるくらいならこの方がずっといい。ありがとな、マリエッタ」
グレアムがマリエッタの頬に手を伸ばす。
そしてマリエッタの頬にグレアムの指先が触れた。
「泣くな、マリー。君はいつだって笑顔のヒロインだろ」
その言葉を最後にマリエッタの前からグレアムが消えた。
「嘘……やだ、何で。ちょっと意味がわからない」
マリエッタは制服の袖口で何故かとめどなく流れる涙を乱暴に拭った。
「どうしよう、私は人を消しちゃった。これって絶対良くない事。まずい、まずい、まずい。えーと、とりあえずセドリック様に報告しなくちゃ!!」
パニックになったマリエッタはベンチから慌てて立ち上がる。
そして一歩足を踏み出して、ムニュとした何かを踏んだ。
(あっ、キウイの皮……)
マリエッタは自分の足がしっかりと踏みしめた存在を既視感たっぷりに認識した。
そしてコメディ界隈のヒロインらしく、見事に弧を描くように後ろにスッテンコロリンしたのであった。




