025 私はヒロイン。あなたは誰?
「あら、ごめんなさい」
マリエッタが中庭の脇の通路を歩いているとバンと勢いよく背中を叩かれた。
思わず前につんのめるマリエッタ。
「いたっ」
マリエッタはディアーヌを睨みつける。
「のろのろ歩いて邪魔なのよ」
ディアーヌは悪役令嬢らしくマリエッタにいちゃもんをつけてきた。
「今、私の背中に何か貼りましたよね?」
「気のせいじゃない?」
(ぐぬう、しかし関わりあっている暇はない)
放課後は有限だ。図書館に行って読みたい本があるマリエッタは即座にこの場を切り上げようと決める。
「では失礼します」
マリエッタはそう口にして軽くディアーヌに頭を下げる。そして元気よく足を踏み出した。
「そう言えば、庶民の彼を最近見ないけど。とうとう愛想をつかれたのかしら?」
(え?何のこと?)
マリエッタは進み始めた足を止め。ディアーヌを振り返る。
「庶民の彼ですか?」
「とぼけたって無駄よ。なすのヘタみたいな髪型をした眼鏡の、ダサい……コホン。あまりスマートに見えない彼よ」
(なすのヘタ……眼鏡……ダサい……)
マリエッタは頭の中でそれに該当する人物を思い浮かべようとするが思い当たるフシがない。
「誰ですかそれ?」
「まさか私をからかっているの?」
ディアーヌがムッとした顔をマリエッタに向けた。
「からかってませんけど」
(だって、そんな人知らないもん)
マリエッタも若干ムッとした顔をディアーヌに向ける。
「まさか本気でそう思ってるの?」
「本気も何も、私に彼氏はいません。だから嘘なんてついていません」
「ちょっとあなた大丈夫?」
マリエッタの態度を見て、嘘をついていないとようやく気付いたのかディアーヌが今度はマリエッタに不審な顔を向ける。
「それが全然大丈夫じゃないんだよ、ディア」
マリエッタの脇に並んだセドリック。
ベリッとマリエッタの背中から一枚の紙を剥がした。
その紙には「私は陽気なコメディアン」と書いてあった。
(もう少し捻りが欲しいところ)
そう思いつつマリエッタはセドリックを見上げる。
「セドリック様。ありがとうございます」
マリエッタは親切なセドリックに頭を下げる。
(流石王子様。みんなに優しい。私も彼にするならこういう人がいい)
マリエッタはうっとりした視線をセドリックに送る。
「ディア、悪いけど今マリエッタ君は緊急事態なんだ。だからこういう事は今は控えてくれると嬉しい」
セドリックがマリエッタの前でディアーヌが背中に貼った紙を丸めた。
「流石セドリック様。格好いいです!!」
マリエッタは尊敬の眼差しをセドリックに向ける。
「……まさか、マリエッタ様はセドリック様のことを?」
「違う、誤解だ。私はディアを愛している。だけどその、今は緊急事態であって、父上からヒロインを監視するように言いつけられているんだ。それで面倒をみているうちに、何故か懐かれて……あー、もうッ!!グレアムはどこへ行ったんだよ」
(グレアム?)
そんな人いたっけと思い、あぁそう言えばやたら自分にちょっかいを出して来る男子生徒がいたなとマリエッタは思い出す。
「じ、事情は理解しましたわ。それでセドリック様、一体マリエッタ様に何があったの?」
ディアーヌが怪訝そうな声でセドリックに問いかけた。
「キウイの皮で滑って転んで、まさかの記憶喪失らしいんだ」
「記憶喪失ですって!?」
「えー!!私は記憶喪失なんですか!?」
マリエッタもディアーヌに倣い驚きの声をあげる。
「そうなんだよ。ディア見てて」
セドリック様がそう口にしてマリエッタの前に立ちはだかった。
「私は誰かわかる?」
「セドリック様ですけど」
「じゃ、このご令嬢は?」
(え、もしかして私は馬鹿にされてる?)
「侯爵令嬢で、セドリック様の婚約者で、それで悪役令嬢を名乗るディアーヌ様です」
マリエッタは自分が記憶喪失ではない。
そう証明するために敢えて詳しくディアーヌにまつわる肩書をこれみよがしに口にした。
「完璧ですわ」
ディアーヌが満足そうな表情を向ける。
「マリエッタ君。この花は何かわかる?」
「チューリップです」
「正解。じゃここはどこ?」
「リーナス王国魔法学校です」
「君は誰?」
「マリエッタ・イーストンです」
マリエッタは全然余裕で覚えているしと自慢げに口々と答えて行く。
「マリー。勝手にどこかにいくなよ!!」
慌てたような、怒ったようなそんな男の声がした。
マリエッタは声のしたほうに顔を向ける。
「マリエッタ君、あれは誰?」
「ええと……あれは見知らぬ人です」
マリエッタは至極真面目に答える。
「嘘でしょ?」
「嘘ならどれだけ良かったことか」
ディアーヌは大げさな仕草で驚くと口元に手を当てた。そしてセドリックは肩をガクリと落としている。
(私のせい?)
マリエッタは意味がわからないと首を傾げる。
「マリー。俺がレポート提出するまで教室で待てって言ったはずだけど」
「あー、そうでしたっけ?」
「言った。何で俺の指示が聞けないんだ」
苛々とした様子でなすのヘタのような髪型をした男子がマリエッタに文句を口にした。
そして全く有り難くない事に、この男子が自分にやたら絡むグレアムその人だとマリエッタは気付いた。
「そんなんじゃゴブリン以下だぞ、マリー」
「は?私は人間だし。それに今の言い方はゴブリンにも失礼です。それにそもそも何であなたと私が行動を共にしなければならないんですか?」
(信じられない、何この人!!)
マリエッタはプイと突然現れたグレアムから顔をそらす。
「そんなの、お前が俺の婚約者だからに決まってるだろ」
「は?」
「マリーと俺は生まれた時から共にイーストン孤児院で育った。そして気付けばお互い自然に惹かれ合い、そして魔法学校を卒業後結婚しようと誓った仲だ」
「…………ばかじゃないの?」
マリエッタは胡散臭いことばかり口にするグレアムに冷めた視線を送る。
「マリー……」
グレアムはさっきまでの勢いを潜め、しょぼんと肩を落とした。
(わ、私は悪くないもん)
マリエッタは何となく居た堪れない気持ちになった。
その訳のわからない気持ちに困惑したマリエッタは助けを求めるように、セドリックに体を向ける。
「キウイの皮で滑って記憶喪失。それは理解したけれど、何でピンポイントでグレアム様の事をすっかり忘れているの?」
ディアーヌが大真面目な顔でセドリックにそう問いかけた。
「マリエッタ君がこうなったのは、グレアムと怪盗ダイア。二人が共同経営者となっているカジノで起こった事がきっかけなんだけど」
「共同経営者?」
セドリックの説明にディアーヌが驚いた声を出した。
「そ。マリーに楽させようと副業に手を染めたんだけどさ。俺達はそれを秘密にしてたから。そしたらまぁ色々あって、マリーが俺の浮気を疑って暴走したらこうなった」
「おい、グレアム。違うだろ。あの時確かに君はピンクバニーに鼻の下を伸ばしていたじゃないか」
「それは……従業員の労働意欲を……」
挙動不審気味に目を泳がせ、しどろもどろになるグレアム。
(よくわからないけど、完全に黒でしょ)
マリエッタはへどろを見るような目を容赦なくグレアムに向ける。
「だとしても普通はマリエッタ君という本命がいながら、ピンクバニーの指先にキスなんてしない」
「まぁ、汚らわしい」
「やっぱりグレアム様は最低ですね」
マリエッタは「こいつは世界中の女の敵」だと認定し、グレアムを責めた。
「違う、いや。違わないけど。あの時は酒に酔ってたし……ごめん。反省してる」
項垂れるグレアム。
「グレアム、今更だろ。マリエッタ君はあの時かなり傷ついていた様子だったんだ。だからきっとショックで君だけを自分の記憶から抹消したんだろう」
(そうか、そうなのか……)
マリエッタにはカジノに行った記憶はない。
けれどセドリックが嘘をついているようにも見えない。
「よくわかりませんけど、色々な女性に軽々しく手を出すようなグレアム様と私はお友達にはなれないと思います」
マリエッタはきっぱりと自分の気持を告げた。
(彼氏にするなら、絶対誠実な人がいいもん)
「そんな……俺マリーがいないと」
「やめてください。私はあなたの保護者じゃないですから」
力なく項垂れるグレアムの姿にマリエッタは少しだけ心がチクンと痛んだ。
けれど、今の所グレアムとどうこうなる予定は全くない。
(気をもたせるのも悪いし)
「そもそも、私はグレアム様が好きじゃないので」
マリエッタは切実でありたいと、敢えて厳しい言葉を口にした。
「くそっ、俺は諦めないからな!!」
グレアムは捨て台詞のようにそう口にして、その場から走り去って行ってしまった。
「可哀相な気もするけど。まぁ自業自得だからね……」
セドリックがため息交じりにそう言った。
「セドリック様。一つ質問してもいいかしら?」
「うん、何?」
「もしかしてセドリック様はそのピンクバニーがいるという、いかがわしいカジノを訪れたの?」
「えっ!?」
「しかもマリエッタ様と二人で?」
ディアーヌの体からメラメラと怒りの炎が立ち上がったのをマリエッタは即座に感じ取った。
「セドリック様、ディアーヌ様。私はこれで失礼します」
マリエッタは慌てて修羅場の予感がプンプン漂う現場から緊急回避したのであった。




