街歩きとアイリスの望み
屋敷の外に出て初めて知ったこと。
それは、旦那様の屋敷から街までは結構な距離があるってことだった。
「落ちないようにちゃんとしがみ付くんだぞ」
「はい」
答えながらわたしは息を呑む。
旦那様の背中に生える神秘的な色合いをした翼。見下ろせば地面が何メートルも先に見える。ビュービュー吹き付ける風に、『あぁ、わたしは今空を飛んでるんだなぁ』って思い知るし、異世界生活満喫してるなぁって思った。
「アイリス、怖くはないか?」
わたしを大事に抱きかかえて、旦那様がそんなことを尋ねる。
「いいえ、ちっとも」
答えながら、わたしはふふ、と笑った。
美しい緑や川に囲まれた風景も土や草花、風の臭いも素敵だし、何より旦那様が抱きかかえてくれてるんだもの。不安なんて一ミリもなかった。
十五分ぐらい飛んだところで、ようやく街が見えてきた。
旦那様は恭しくわたしを降ろすと、そのままギュッて手を握ってくれる。はぐれそうだって思われたのかもしれないけど、手を握れたことの方が嬉しい。わたしはしっかりと、旦那様の手を握り返した。
「すごーーい! お店が一杯ですね!」
旦那様とゆっくり歩きながら、わたしは感動に目を輝かせる。街はたくさんの人々で賑わっていた。
「アイリス様の元居た町と違ってますか?」
わたしたちの後をトテトテ追いかけながら、ロイが尋ねる。
「うんっ。わたしが住んでいたところはここよりも小さかったし、人も少なかったから」
一番の違いは、ここには沢山の魔族が住んでいるってことだった。
猫耳を生やした可愛い女の子に、鳥みたいな翼を生やしたお兄さん、ロイみたいな魔獣も普通に歩いているし、何だかわたしの方が異質な存在みたいに見える。
前世で旦那様と暮らした街の記憶とも違っているから、すっごくワクワクした。
「それで、アイリスは何が見たいんだ?」
「旦那様のお食事に使う食材を! あとは旦那様と街が歩けたらそれで」
正直言って、これを買う、なんて明確な理由は今回のお出掛けにはなくって。屋敷の外に出て、前世に似た食材なんかを探しつつ、わたしが旦那様のために出来ることは何かなぁって考えながら、歩いて回りたいだけなのだ。
「了解」
旦那様は微笑みながら、わたしの頭を撫でてくれた。
男性は目的のない行為とかおしゃべりが苦手なんて聞くけど、旦那様は全然そんなことなくて。わたしがこうしてウインドウショッピングをしたいって強請っても、「良いね」って笑って付き合ってくれる。
(本当に、大好き)
綺麗な横顔も、陽の光に当たってキラキラ輝いている瞳も、全部全部愛しくてたまらない。全然違う筈の歩幅なのに、ゆっくりとわたしに合わせて歩いてくれる旦那様。時折わたしを気遣って見せてくれる優しい笑顔。こんな素敵な男性、世界中のどこを探しても他にはいやしない。毎日毎時間、毎分毎秒、そんなことを思い知らされるんだもの。わたしは幸せな気持ちでニコリと笑った。
食材を買うのは最後に回して、わたしたちはカフェに行ったり、洋服を見に行ったり、インテリアを見に行ったりしながら、とっても楽しい一日を過ごした。
十歳の女の子の休日なんて、ファストフードにおもちゃ屋さん、ゲームセンターみたいな場所で遊ぶのが定番だと思っていたけど、旦那様はわたしのことをレディーとして扱ってくれて、本当に嬉しかった。
(旦那様の目には、わたしはどんな風に映っているんだろう)
ふと、そんなことを考える。
普通に考えたらわたしは、結婚適齢期どころか恋愛適齢期にすら達していない幼い子供で、そういう対象に見られていないだろうってことはわかるんだけど、それでも『未来のお嫁さん候補』ぐらいには思ってくれているんだろうか。
だから、こんな風に扱ってくれるんだろうか。
(単に幼女の扱い方が分からないだけかもしれないけど)
こういう時は自分の都合の良いように妄想する方が幸せだ。わたしは旦那様から『女性として見られている』って結論付けて、上機嫌に笑った。
「見て見て、あの兄妹可愛いっ」
けれど、タイミングが悪いことって間々あるもので。わたしたちのすぐ後で、そんな会話が聞こえてきた。
「本当……でも、女の子の方は人間よ。もしかして、養女になさったのかなぁ」
周りには他に人間の女の子はいない。わたしたちのことを話しているのは明らかだった。
「ちょっ、男性の方は竜人族のリアン様じゃない! いいなぁ、私もリアン様に養われたい~~!」
声とか話し方とか若々しいし、どうやらわたしたちのことを噂しているのは若い娘さん達らしい。そうか、旦那様は有名人なのか。そりゃぁ、これだけの美貌だもんね。
(っていうか養われたいって……!)
女性のセリフを反芻しながら、わたしは大きく首を横に振る。
ダメダメ!旦那様はわたしのなんだから!わたしの旦那様なんだから!他の人がそういうことを妄想するの禁止!禁止ですっ!
「アイリス?」
そんなことを考えていたら、旦那様がわたしのことを怪訝な表情で見つめていた。旦那様は後の二人の会話は聴いていないらしくって、旦那様が悪いわけではないのに、何だか胸がモヤモヤする。
(わたしがもう少し大人だったらなぁ)
この人はわたしのものですって旦那様の腕をギュッて抱き締めて、そっと後を振り向いて、勝ち誇った笑顔でも見せつけられただろうに。今のわたしがそれをしたところで、『ちびっ子が独占欲を発揮している』だけにしか見えない。
「旦那様、わたし早く大人になりたいです」
大人になって、旦那様の奥さんになりたい。いっぱいいっぱい大好きって言って、いっぱいいっぱい大好きって言われたい。キスもそれ以上のこともいっぱいして、旦那様はわたしのだって実感したいのに。
「……アイリスはアイリスだろう」
少しだけ考えてから、旦那様はそんなことを言った。
子どもだろうと、大人だろうと――――言葉にはしなかったけど、そんな風にわたしには聞こえた。
(わたしは、わたし)
旦那様が何を言いたいのかきちんと分からないけど、何となく目頭が熱くなった。
だけどね、旦那様。やっぱりわたしは、早く大人になりたい。
旦那様に釣り合う女性になって、また一緒に街を歩いて。可愛いカップルだねって言われるようになりたいと思う。
(そのためには、今のままじゃダメだよね)
大人になるのがどういうことなのか。ただ年を重ねるだけじゃダメだってことは、前世で嫌って程学んでいる。もちろん、年数が解決することもあるけれど。
(変わらなきゃ)
密かにそう決意しながら、わたしは旦那様の手を握りなおした。