真新しい洋服と旦那様の帰宅
温かいお湯で身を清めながら、わたしはため息を吐いた。
旦那様の食事を作り終えてから気づいたこと、それはわたしが未だに魔族に襲われてズタボロになった洋服を身に纏っていたことだった。
足にこびり付いた血は旦那様が綺麗に拭ってくれたけれど、泥や汗は身体に纏わりついたままで気持ち悪い。生きているだけでありがたいのだけど、こんな身なりで旦那様のベッドに横になって、挙句の果てに縋りついていたのか、と思うと、何だか申し訳なくなった。
(――――お父さんとお母さん、今頃どうなっているんだろう?)
旦那様の屋敷には、意識を失っている間に連れてこられたため、父や母の遺体が今どうなっているのか、わたしには分からない。
きちんと弔ってあげたいと思うけど、それだってやっぱり十歳児の力だけじゃどうすることもできない。一人で森に入るわけにもいかないし、二人を見つけたところで、運ぶことも埋葬することも難しい。
もしもわたしが旦那様と再会できていなかったら、今頃わたしは死んでいたし、生きていたとしても悲しみで押し潰されていたと思う。前世の記憶がない唯の子どものままじゃ、この厳しい異世界を生き抜くことはきっとできなかった。
そう考えると、やっぱり旦那様の存在って偉大。お父さんやお母さんはわたしがあまり悲しまなかったことを薄情と思ってるかもしれないけど。
(早く大人にならなくちゃ)
これからわたしは、二人なしで生きて行かなきゃいけないんだもん。旦那様の奥さんにならなきゃいけないし、どんなに薄情だとしても、ちゃんと前を向いてなきゃ。
「アイリス様、少し宜しいですか?」
「ロイ? どうしたの?」
バスルームの外から遠慮がちに掛けられた声に、わたしは答える。
「外に新しい洋服を準備しています。上がられた際にはそちらをお召しになってください」
「本当⁉ ありがとう、ロイ!」
一体いつの間に準備したのだろうと思いつつ、これで旦那様の前でみっともない格好をしないで済む。折角身を清めても、汚い服を着てはあまり意味がないなぁって思っていたから、物凄く嬉しかった。
ロイが脱衣所からいなくなったころを見計らってバスルームを出る。するとそこには、お姫様が着るみたいな上品で可愛いらしい服が置いてあった。鮮やかな色合いの布地や繊細なフリルは、この世界の庶民にはとても手が出せない代物で。
(こういうの着てみたかったんだよねぇ)
真新しい布とミントみたいな爽やかな香りがする洋服を抱き締めながら、わたしは笑った。
「少しはサッパリしたか?」
「……旦那様!」
お風呂から上がったわたしを待っていたのは、外出から帰宅したばかりの旦那様だった。涙が出るほど優しい笑みを浮かべた旦那様に、湯上りってこともあって、わたしの心臓は爆発寸前。パタパタと顔を仰ぎながら、わたしはペコリと頭を下げた。
「すみません、勝手にお風呂をお借りしてしまって」
旦那様は小さく笑ってから、ちょいちょいとわたしのことを手招きする。なんだろう?と思いながら駆け寄ると、旦那様はわたしの頭をよしよしと撫でた。なんだか色んなことを許されている感じがして、照れくさくて、けれど嬉しい。
ふと見れば、旦那様が座っているソファの片隅に、大きな荷物が置かれていた。
「旦那様、これ……!」
中には、わたしが自宅で大事にしていたぬいぐるみや洋服、本や雑貨の類が入っていた。それだけじゃない。それとは別に、赤や青、鮮やかな色で彩られた子ども用の服が詰まった袋が置かれている。どれもまだ、誰も袖を通したことのない新品だ。
「必要だろう?」
『何に』とは言わず、旦那様は穏やかに微笑む。
わたしの家のものをここに運んだ理由――――新しい洋服を買ってきた理由なんて、一つしかない。
「わたし、ここに居ても良いんですか?」
自然と声が震えてしまう。
どうやって旦那様を説得しよう、胃袋を掴むぐらいじゃ無理かもしれないなんて思っていたのに、そんなの杞憂だった。
旦那様はわたしに『ここで暮らすこと』を許してくれた。当たり前のことみたいに、わたしがここで過ごす未来を――――そのための道筋を作ってくれた。
(嬉しい……嬉しいっ!)
涙がポロポロと止め処なく零れて、嗚咽が漏れる。
「俺の側にいるのは嫌か?」
旦那様は困ったように笑いながら、わたしをそっと抱き締めた。わたしはブンブンと大きく首を横に振って、それから旦那様を思い切り抱き返した。
「ここに居たいです! わたし、旦那様の側に居たい!」
ポンポンと幼子を宥めるように背中が撫でられて、真実わたしは今、幼子だったなぁって思い出す。もしかしたら子どもだなぁって呆れられてるかもしれないけど、それでも良い。だって嬉しくて嬉しくて堪らないんだもん。
「だったらもう遠慮するな。ここは俺の家で、アイリスの家だ」
(あっ……)
心臓が音を立てて跳ねる。
それは前世、わたしが旦那様の家に押し掛けた時、掛けてくれた言葉と同じだった。優しくて温かい、でも少しだけ言葉足らずで、見た目ではそうと分からない旦那様。
(好き! 旦那様が大好き!)
「はい!」と力強く頷きながら、わたしは旦那様の胸に飛び込んだ。




