竜人族の業と執着
「――――意外だったな」
淡々と吐き出された目の前の人物の言葉に、俺の心は大きく乱れた。
「やはり、おまえがアイリスを――――」
全身汗だくで、呼吸も困難な中、俺は声を絞り出す。男は眉一つ動かすことなく、俺のことを見つめている。
二十年ぶりに訪れる己の生家。けれど、驚くほどに愛着はなかった。
俺の帰る場所は、アイリスの待つ家だけだ。それなのに、この男は俺からアイリスを奪った。冷静でなんていられない。例えアイリスが無事であったとしても、許せるはずがなかった。
「何をそんなに憤る必要がある?」
目の前の男――――俺の父親はそう言って嘲るように笑った。
「アイリスはどこだ?」
父親は自身の書斎にゆったりと腰掛け、悠然と腕を組んでいる。部屋を見渡してもアイリスは見当たらず、屋敷の中には気配が感じられない。心臓がバクバクと早鐘を打つ。歯を喰いしばっていなければ、膝から崩れ落ちそうな心地だった。
「知る必要はない。どこにいようと、どうなっていようと、おまえがアレと関わることはもうないのだから」
(ゲス野郎)
俺はすかさず父の間合いに入り、剣を振る。けれど、父にとっては想定の範囲内だったらしく、俺の渾身の一撃は至極涼しい表情で受け流された。
「実の父親に向かってその態度は何だ? 少しぐらい話をしようという気は――」
「ない」
心臓が、身体が、燃えるように熱い。次から次へと湧き上がってくる怒りが俺を突き動かす。ありったけの魔力を込めて剣を振るっても、父はニヤリと余裕のある笑みを浮かべた。
「ならば俺は勝手に話をしよう。あの小娘は邪魔だ。竜人族のおまえが人間を拾うだなんて、愚かにもほどがある。おまえは竜人族の――――すべての種族の頂点に立つ男だ。それなのに、あんな下等種族を飼うだと? 挙句の果てに、こんな所にまで乗り込んでくるとは嘆かわしい。たかが人間の少女一人に囚われてどうする?」
父は素手で俺の猛攻をいなしながら、平然とそんなことを言ってのける。
「たかが?」
言いながら、身体が怒りで弾け飛びそうだった。
アイリスは俺にとっての全てだ。人間だとか竜人だとか、そういう枠に嵌めること自体があり得ないし、侮辱することは許せない。まるで業火の中に放り込まれたように心臓が疼き、視界が真っ赤に染まっていた。
「たかがだろう。たった八十年で死ぬ、弱い種族だ。我々と相容れることは無い。……いや、おまえとは相容れてはならない存在だ」
父の手で刃が止められると同時に、俺は腹部を思い切り蹴り飛ばす。「うっ」という小さな呻き声と共に、父の身体が後に吹き飛ぶ。ようやく入った一撃だった。
「寿命がどうとか種族がどうとか関係ない。少なくともあなたには関係のない話だ」
「――――なにを。関係ないわけがないだろう。俺は長として、種族を繁栄へと導く義務がある。おまえとミモザ殿との結婚だって、種族のために必要な決定だ」
口内に溜まった血を吐き出しつつ、父はそう言った。父が体勢を整える前に、俺はすかさず剣を振り下ろす。先程よりも大きな呻き声と共に、父の身体と床が刃で繋がれた。
「結婚? そんなもの、するわけがないだろう。種族の繁栄なんて糞喰らえだ。竜人に生まれてきたのは自分の――――前世の『業』のせいだ。他の誰を責めることもできない。だが、自分がどう生きるかについて、おまえ達に付き合う義理はない。俺はアイリスと生きる。それ以外のものは何も要らない」
剣を使って己の魔力を流し込む。父は激痛に喚きつつ、俺のことを見上げていた。
ここに到着した時、父は明らかに俺のことを侮っていた。俺では父に傷一つ付けることができないと、そう確信していた。
けれど今、俺に組み伏された父の瞳には、戸惑いと恐怖が見え隠れする。この数百年、地位・力共に誰からも脅かされることがなかった男が、呆気なく膝を突き、その全てを奪われようとしている。
「リアン――――何故だ。おまえには何も……この世への執着など何一つなかった。いつ死んでも良いという瞳をして、死んだように生きてきたおまえが、どうして今更……」
「今更、じゃない」
俺にとってはアイリスがこの世に生を受けた時――――いや、アイリスに出会えた時こそが、現世の始まりだった。アイリスに出会うまでに過ぎた百年は、父の言う通り、死んだように生きてきた。ただ生命を維持するだけ。それすらも億劫と思えるほどだった。
けれど、アイリスに出会って、俺は自分が生まれてきた意味を知った。アイリスは俺の命そのものだ。彼女を守るために生まれてきたんだと、出会った瞬間に分かった。
「アイリスを返せ」
だから、アイリスがいないなら、俺がこの世に留まる理由はない。命が惜しいなど一ミリも思わない。寧ろ一思いに殺してほしいとさえ思う。
「……本当に意外だった」
父は虚ろな目をし、そんなことを呟く。竜人族特有の絶望を湛えた瞳が俺を映す。自分の上に立つものが誰もいないこと、最強であることが、この男を生かす糧だった。そうと分かっていてそれを躊躇いなく奪っていく俺を、父は想像もできなかっただろう。
本当にこれまで、俺には野心も執着も、何一つ無かった。アイリスだけが俺を生かす。それが、これまで埋めようとも思っていなかった力の差を、あっという間に凌駕しただけのこと。
「分かった。案内しよう。おまえの心臓の元へ」
父の言葉に俺は大きく息を吐く。未だに生きた心地がしなかった。




