絶望と希望
目を開けているのに、真っ暗だった。宇宙みたいな無重力空間。だけど、何かに縛られたみたいに全く身体が動かせない。呼吸ができるのがせめてもの救いだけれど、わたしの心は恐怖で支配されていた。
「ロイ……いるの?」
震える声で呼びかけてみても、返事が返ってくることは無い。ロイがここに居ないことは明白だった。
(どうしよう。どうしてこんなことに)
心臓がバクバクと変な音を立てて鳴り響いている。嫌な汗が身体を流れて、気持ちが悪くて堪らない。
本当だったら今頃、わたしはロイと一緒にお家にいるはずだった。旦那様の職場から家までは、鳳族の翼で飛んで一時間ぐらい。「あと少しで家に着くね」って話していたタイミングで、突然空が真っ暗になった。それからわたしの視界が真っ暗になって、意識が一瞬で無くなって、そこから先は何も覚えていない。気づいたら今の状態だった。
(ロイは無事なのかな?)
わたしはきっと、攫われてしまったのだろう。抵抗する暇もなかったし、誰が、何の目的でそうしたのかは分からないけれど、ロイはわたしを助けようとしたはずだ。
(酷いことされてないと良いんだけど)
そんな風に思いながら、わたしはギュッと目を瞑る。怖くて怖くて堪らなかった。
「――――辛かっただろう、お嬢さん」
その時、まったく聞き覚えのない男の声が聞こえた。低くてよく響く、威厳のある声。身体から一気に血の気が引く感覚がした。
「あなたは、誰?」
なけなしの勇気を振り絞ってわたしは尋ねる。男がフッと笑う声が聞こえて、わたしは唇を尖らせた。どうやら答えてくれる気はないらしい。
「両親を亡くしたんだってね。けれど、もう大丈夫。これからは君を苦しめるものは何もない」
男の言葉に瞬間的に身を捩り、見えない魔の手から逃れようとする。けれどその瞬間、大きな手のひらがわたしの目を覆ったのが分かった。
「――――君が一番見たいものを見せてあげよう。何を望む? 亡くなった両親と生きる未来かな? 何でも良いよ。全ては君の望むとおりだ」
男の手のひらの隙間から、わたしの涙が流れ落ちていく。胸が痛いし、息ができない。少しずつ少しずつ、身体の感覚が無くなっていくのが、怖くて怖くて堪らない。
「大丈夫だよ。君は命の灯が尽きるその日まで、夢の中で生きてくれればそれで良い。リアンは私が決めた通りにミモザ殿と結婚し、我が一族は繁栄する。そんな現実、君は見る必要ないんだ」
その瞬間、心臓が直接握りつぶされたような感覚がした。
「旦那様が、ミモザさんと結婚する……?」
辛うじて保てていた自分という存在が崩れ落ちていく。感情以外の全部の感覚が一気に消えていくのが分かった。
「そうだよ。ミモザ殿はリアンの婚約者。二人は愛し合っているんだ」
多分今、わたしは涙を流している。けれど、瞳も、涙を伝う頬だって、もう存在していないのかもしれない。そう思うくらい、わたしにはもう、何も残っていなかった。
(そうか。ミモザさんと旦那様は婚約していたんだ。……それならそうと、言ってくれたら良かったのに)
絶望感がわたしを襲う。
(わたしには関係ないと思った? 言う必要ないって。所詮わたしは愛玩動物でしかないからって、そう思ったのかな?)
異空間に溶け込んでいく『わたし』という存在。少しずつ少しずつ、意識すらも遠のいていく。
(生まれ変わってもまた、一緒になろうって約束したのに)
前世で旦那様と交わした約束。だけど、もしかしたら約束だと思っていたのはわたしだけなのかもしれない。
そうだよ。だって切り出したのはわたしだもの。旦那様は仕方がないなぁって笑ってただけで、本当はちっとも、そんな気なかったのかもしれない。本当はわたしと一緒にいたいなんて、これっぽっちも思ってなくて。全部全部、わたしの勘違いで――――――。
「逢璃?」
その時、暗闇の中で声が聞こえた。その瞬間、身体の感覚が一気に戻ってきて、わたしはゆっくりと瞳を開ける。
気づいたらわたしは泣いていた。目の前で微笑む優しい笑顔。旦那様によく似てるけど、髪も瞳も色素の薄い黒。忘れられるはずがない。だって彼は。この人は。
「きずな君」
懐かしの学生服。少し幼い顔をしたきずな君は、わたしの手を握り、首を傾げて笑っている。
「きずな君だぁ」
「どうしたの? 俺、何か変なこと言った?」
間違いない。彼はわたしの旦那様――――ううん、まだ結婚していない頃だから恋人かな。前世の旦那様だった。
きずな君はわたしの涙を拭いながら、よしよしって頭を撫でてくれる。そっと抱き寄せられて、きずな君の香りがして、涙がちっとも止まりそうにない。
「きずな君、会いたかった……!」
わたしはきずな君を思い切り抱き締めて、それから泣きじゃくった。きずな君は戸惑いつつも、わたしを力強く抱き締めてくれる。幼子に向けた抱擁なんかじゃない。正真正銘、恋人同士の触れ合いだった。
「……毎日会ってるのに」
きずな君はそう言いながら『仕方がないなぁ』って顔で笑って、それからわたしの頬にそっと口づける。心が一気に熱くなって、愛しさとか幸福感が込み上げてきて、わたしはきずな君に泣き縋る。
「こら、そんな風にされたらキスできない」
きずな君はわたしの顔を上向けると、優しく唇を重ね合わせた。涙で濡れた唇を舐めて、それから甘く啄むように触れて。何度も何度も。まるで「好きだよ」の言葉の代わりとばかりに、口付けを繰り返す。
「……涙、止まらないね」
きずな君は猶も泣き続けているわたしを抱き締めて、困ったように笑っている。
「大丈夫。好きが溢れちゃっただけだから」
わたしはそう言って、ぐちゃぐちゃな顔をして笑う。「好き」って伝えられることが、嬉しくて嬉しくて堪らない。生まれ変わってからずっと、ずっと、伝えたくて堪らなかった。
「きずな君、大好き」
わたしの言葉にきずな君は嬉しそうに笑うと、鼻先を擦り合わせて、キスをした。受け入れて、受け入れられて。すごく、すごく幸せだと思った。