極彩色の翼を見送る
「どうしてですか?」
泣き出しそうになるのを必死で堪えながら、わたしはアクセスに尋ねた。
「わたしが、人間だからですか?」
アクセスはピクリと眉間に皺を寄せ、黙ってわたしを見つめている。
旦那様に再会するまで、わたしは魔族と人間の違いについて考えたことは無かった。同じ人型をしているのだし、そんなに差はないんだって、そう思っていた。けれど、本当はそうじゃないのかもしれない。心臓がバクバク鳴り響いていた。
「……俺たちにとって、おまえ達人間は、『猿』や『ゴリラ』のような存在だ。姿かたちが似てはいるが、根本的に異なるものとして認識している」
アクセスはそう言ってゆっくりと目を伏せた。
「できること、できないこと、進化の過程や身体の造りに至るまで全てが違う。人間が生まれてから死ぬまでは約八十年間。けれど、魔族はその5倍、約四百年の時を生きる。おまえが死ぬ頃、リアンはようやく人生の折り返し地点を過ぎたぐらいの年齢だ。人間でいう40代手前……お前が死んだあと、あいつは二百年以上もの時を生きることになる」
知りたくて知りたくなかった現実に、わたしはそっと胸を押さえる。旦那様とわたしは、そんなにも異なる種族なんだって思うと、何だか胸が痛かった。
「生物は皆老いる。けれど、老いるスピードは種族によって異なる。人間のそれは、俺たちにとって早すぎるんだ」
「……そう、ですね。言いたいことは分かります」
例えば、犬や猫がたった十数年で老いて死んじゃうみたいに――――おばあちゃんになったわたしの隣に、今とほとんど変わらない容姿の旦那様がいる。寿命が違うってつまり、そういうことだ。
「幸せになりたいなら、あいつを想うのは止めておけ。同じ人間の――――おまえを幸せにしてくれるような男を選べ。リアンだってそれを望むだろう」
アクセスの言葉は、わたしに容赦なく現実を突き付けてくる。けれど、彼は意地悪でこんなことを言っているわけじゃない。わたしや旦那様の幸せを願って、敢えて嫌な役どころを引き受けてくれているのだろう。
(でも)
「ご忠告、ありがとうございます」
わたしはそう言って、アクセスに頭を下げる。アクセスが小さく息を呑む音が聞こえて、わたしはゆっくりと顔を上げた。
「けれどわたしは、旦那様に恋することを止めません」
キッパリと、わたしはそう言い放った。
アクセスは黙ってわたしのことを見つめている。分からず屋だと、頑固な子供だとそう思っているのだろう。眉毛が困ったように下がっていた。
「何が幸せかは人によって違います。わたしは……わたしにとっては、旦那様と一緒にいることが幸せです。例え旦那様の恋愛対象になれなくたって……もちろん、想いが届いて、旦那様からも同じだけの想いを返してもらえたらもっと幸せでしょうけど……良いんです。今は旦那様が、側に居てほしいって言ってくれるだけで嬉しいから。側に居れる間は、図々しく居座りたいって思ってます」
先のことなんて誰にも分からない。旦那様がいつまでわたしを側に置いてくれるのか、それすら分からないけど、側に置いておきたい自分になる努力は惜しまないし。ペットのことを溺愛して死ぬまで可愛がる人って一杯いるもん。もしも旦那様がそんな感覚でいたって、全然、構わない。旦那様が許してくれる間は、死ぬ気で居座る。
「――――図々しいという自覚はあるのか?」
アクセスはそう呟いて、クスリと笑った。鋭い眼孔が少しだけ丸く、柔らかくなって、なんだかとても嬉しくて。わたしも一緒になって笑う。
「はい! 全部分かっててやってます! わたし、図々しさについては自信がありますよ!」
ドンと胸を叩いたわたしの頭を、アクセスはぐしゃぐしゃって撫でた。まだまだ言いたいことがあるって顔をしているけど、今日の所は追及しないことにしたらしい。お皿に残っていた生クリームを口に運びつつ、もう一度小さく笑った。
お店を出た後、アクセスはわたしを家まで送ってくれた。本物の鳳の翼ってのは、市販のものよりずっとスピードが出るし、安定感が違った。風を切る感覚も、浮遊感も、旦那様に抱かれて飛んだ時とは少し違う。『こうやって飛ぶんだよ』っていうのを言葉じゃなくて実践で教えてくれてるんだなぁって感じがして、また少し、アクセスのことが分かった気がした。
「ありがと、アクセス」
「ん」
アクセスはわたしを降ろしながら、小さく息を吐いた。
「アイリス様! 良かった、心配してたんですよ?」
わたしの帰宅に気づいたらしく、ロイが尻尾を振りつつ出迎えてくれた。いつもより帰りが遅くなってしまったけど、旦那様はまだ帰宅していないらしい。
「ごめんね! アクセスと一緒にお茶してたんだけど」
よく考えたら、今日みたいに帰りが遅くなる日があっても、現世ではロイや旦那様に連絡を取る手段がない。心配掛けていたことに気づきもしなかった自分が恥ずかしかった。
それにしても、携帯電話が無い生活っていうのは、転生者からすればすごく不便だ。
(まぁ、わたしが子どもの頃には携帯電話ってまだそんなに普及してなかったし)
もしかしたら今後現世でも、誰かが似たようなものを開発してくれるかもしれない。今度旦那様に話してみようかなぁなんて思いつつ、わたしはロイをモフモフする。
「じゃあな」
その時、アクセスがそう言って穏やかに微笑んだ。初対面の時の仏頂面が嘘みたいだ。
「またね、アクセス」
踵を返したアクセスに向かって、ロイと一緒に小さく手を振る。アクセスは小さく頷くと、翼を広げ、地面を力強く蹴ろうとして、それからピタリと動きを止めた。
(どうしたんだろう?)
そんなことを思いつつ、わたしはそっと首を傾げる。するとアクセスは、チラリとこちらを振り返り、それから目を細めた。
「頑張れよ――――アイリス」
思わぬことに、わたしはロイと顔を見合わせる。
(名前っ! わたしの名前、呼んだ!)
チビ、とかおまえ、じゃなくてアイリスって呼んでくれたことが嬉しくて、わたしは満面の笑みを浮かべる。
それからわたしは、アクセスの姿が見えなくなるまで、大きく手を振り続けたのだった。