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子どもという現実

 初登校を終えた日の夕方、わたしは嬉しいような悲しいような、何とも言えない気分を味わっていた。



(わたしって……わたしって…………)



 自分というアイデンティティがグラグラと音を立てて揺れている。

 それは当然、学校という自分と同年代の子どもたちと過ごしたことが原因だった。



「どうしたんですか、アイリス様? 学校、楽しくなかったんですか?」



 ロイが不安そうな表情で尋ねる。



(わたし、そんなに酷い表情をしているのかな?)



 ペタペタと自分の顔を触りながら、わたしは大きく首を横に振った。



「違うよ、ロイ。学校は楽しかった。すっごく楽しかったんだよ」



 そう。実際、学校はとても楽しかった。

 けれどわたしは、自分が紛れもなく『子ども』なんだっていうことを思い知ってしまった。

 現世の学校も前世と学ぶことは大差ない。言語や算数、社会のことを一から学ぶ。それから皆とご飯を一緒に食べて、外でたっぷり遊んで、それから帰る。そんな当たり前のことがとんでもなく楽しくて、同時に酷く嫌だった。



(前世の記憶が戻ったっだけで、わたしってやっぱり子どもなんだなぁ)



 身体がそうであるように、精神も今世で生きてきた時間相応にしか成熟していない。

 子どもってのはやっぱり自分の欲求に正直で、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、怒りにとても敏感だ。

 ここ数日、旦那様と過ごす中で一生懸命背伸びをしてきたけれど、同年代の子たちと一緒に過ごす気楽さや心地よさを覚えてしまった。それが、嬉しくて、それから悲しかった。



「だったら、どうしてそんなに悲しそうな顔をしているんですか?」



 ロイは耳をシュンと垂れながら、わたしのことを見上げている。

 どうして?って聞かれると一言で表すのは難しい。けれど、今は誰かに話を聞いて欲しい気分だった。



「……あのね、わたし、将来旦那様に相応しい女の子になりたいなぁって思ってるの」



 これまで内に秘めていた想いを言葉にするのは恥ずかしかったけれど、ロイならきっと、笑わずに聞いてくれるから、正直な気持ちを打ち明けた。



「リアン様に? ……つまり、アイリス様はリアン様のことが好きなのですか?」



 純粋無垢なロイは、キョトンと目を丸くして首を傾げる。尻尾がブンブンと揺れ動いていて、とっても可愛い。



(なんて、そんな風に考えてないと平常心でいられないんだもの)



 ド直球に『好きなのか?』なんて聞かれて、心臓がめちゃくちゃ高鳴る。旦那様にもまだ伝えたことのない想いに、身体がカッと熱くなった。

 ロイの無垢な瞳は、なおもわたしを真っすぐに見つめ続ける。どうしようか散々迷った末、わたしは大きくため息を吐いた。



「好き。大好き。旦那様が好きなの」



 こういうことを臆面もなく言えるのがちびっ子の特権なのに、わたしは恥ずかしくて堪らなかった。

 だって、本当のことだもの。本気の恋だもの。

 だから、たとえ本人に想いを伝えるわけじゃなくても、心臓がドキドキして堪らなかった。



「だけど今日ね、学校に行ったらわたしがあんまりにも子どもだって思い知って、自分に呆れちゃった」



 内緒にしてね、と付け加えて、わたしはロイを撫でる。ロイはまたもや首を傾げながら、わたしのことをそっと舐めた。



「リアン様はそんなこと、気になさらないと思いますけど」



 ロイの言葉は真っ直ぐで裏がない。きっと本気でそう思っているんだろう。



(わたしだってそう思う)



 子どもだとか、子どもじゃないとか、旦那様はあんまり気にしていないと思う。だって、旦那様はありのままのわたしを受け入れて、側に置いてくれてるんだもの。

 だからこれは、わたしの問題。自分で解決しないといけないわたしの心の問題だ。



(何とかしなきゃ)



 そんなことを考えながら、わたしは唇を尖らせた。



***



「アイリス、学校はどうだった?」



 けれど、まだ全然整理のついていない状態でも、時間は待ってくれない。夕食の席で、旦那様は穏やかな笑みを浮かべてそんなことを尋ねてきた。



「えっ……えっと…………」



 とてもじゃないけど本当のことは言えない。

 だって、学校に通いたいって駄々を捏ねたのはわたしだもの。旦那様が『行かなくて良い』って言うのを、無理を言って説き伏せて、通えるように仕向けたんだもの。呆れられたくないし、通うのを止めるように言われてしまったら困る。



「楽しかった、です。お友達もたくさんできて」



 旦那様の奥さんに相応しい、大人の女性の会話じゃなかったけれど。お絵描きしようとか、鬼ごっこしようとか、ボール遊びしようとか……そんな友人関係だったけれど、とても、とても楽しかった。



「そうか。……それは良かった」



 旦那様はそう言って笑ってくれた。嬉しそうな、何だか寂しそうなそんな笑顔に、胸がキューって苦しくなる。

 本当は、早く旦那様の隣に立ちたい。もっとお仕事のお話とか、旦那様が好きなモノとか、そういう話を受け止めてあげられるだけの女性になりたいのに。



「だけど、わたしは……自分に呆れもしたんです」



 気づいたら、唇が勝手に動いていた。

 旦那様を相手に嘘を吐きたくない。正直な自分でいたい。そう思ったら、話さないわけにはいかなかった。



「旦那様と一緒にいて、大人にでもなったような気になっていたけど、わたしはまだまだ子どもだったんだって思い知りました。やっぱり、ちゃんと学校に行って勉強しないといけないなぁ――って」



 現実と向き合うことは辛い。けど、そこを避けたら本当の大人に――――旦那様に相応しい女性にはなれないような気がした。

 旦那様は一瞬だけ目を丸くして、それからわたしの頭を撫でてくれた。優しくて温かい手のひらに、目頭が熱くなる。



「アイリスはアイリスだよ」



 旦那様の言葉に、そう言えばつい先日も同じやり取りをしたなぁ、なんて思い出す。わたしはいつだって、大人になることを焦っていて、けれど旦那様は『わたしはわたしだ』って言ってくれる。



「子どもでも、大人でも――――アイリスがアイリスのままでいてくれたら、それで良いよ」



 蜂蜜みたいに甘い旦那様の言葉が、胸を熱くする。

 一分、一秒時間を積み重ねていくこと。そうしたら嫌でも、いつかは大人になる。先の見えない未来じゃなくて、確実に訪れる未来だし、その間わたしは、わたしらしく生きていけるよう頑張る。それが一番大事なんだろう。



「はい、旦那様」



 微笑みながら、わたしはまた少し、大人に近づけたような気がしていた。

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