ドリズル
あのね、お兄ちゃん。
私ね、お兄ちゃんのこと、ほんとにほんとに大好き。
お父さんとお母さんが死んじゃった時、小さかったからもう二度と会えないなんて思いもしなかったけど、でも漠然と寂しくて。
周りの大人は私とお兄ちゃんをとっても哀れんだ目で見てきて、でもお兄ちゃんは瞳を涙でいっぱいにしながら、私を抱きしめながらぜんぶぜーんぶに耐えていた。
それからは王城で執事のお仕事をしているおじいちゃんの家に引き取られて、寂しかったけどおじいちゃんがいないお昼はお兄ちゃんと二人で、とっても楽しく過ごして。
お兄ちゃんは学校に通える年になっても、私が一人になっちゃうからって学校には一度も行かなかった。
それを見たおじいちゃんが、国王様に頼んでお兄ちゃんと私を王城に招いてくれた。
私はまだ小さかったからお兄ちゃんのように駆け回ることもできなくて、おじいちゃんのお仕事に後ろからついて行くことしかできなかったけど。
小さい頃から私の面倒ばかり見て友達と遊ぶこともできなかったお兄ちゃんは、シーゼリカという友達を見つけて毎日楽しそうだった。
私だけのお兄ちゃんだったのに。
でも、お兄ちゃんの友達は隠されてるとはいえこの国の王女だったから、そのまま怒りをぶつける事なんてとてもできなかった。私が少し大きくなってからはお兄ちゃんについて行って、シーゼリカのことを監視してたけど、どんどん仲良くなっていく二人を見てることしかできなかった。
それからの数年はずーっと楽しくなくて、すごくすごく退屈で寂しくて。
でも、そんなある日。
その日も朝から元気よくシーゼリカのところへ遊びに行ったお兄ちゃんが、歯を食いしばって、悔しそうな顔で帰ってきた。
出かけてまだそんなに時間が経ってなかったから何かあったのって聞いたら、シーゼリカがリゼラ王女に幽閉されたって。
それを聞いた私はとっても嬉しくて、お兄ちゃんに見えないように少しだけ口角を上げた。
また、私だけのお兄ちゃんが帰ってきたんだって。
でも、また奪われて。
なんで、私だけのお兄ちゃんで居てくれないの。
なんで、シーゼリカじゃないといけないの?
私が妹だから、私がお兄ちゃんの家族だから?
私、お兄ちゃんの妹に生まれてとっても幸せだったけど。
でも、妹に生まれたせいでお兄ちゃんに愛してもらえないなんて、そんなのおかしいじゃない。
「えぇ、その通りね。貴方は何も悪くないわ、悪いのは全部シーゼリカよ、昔からずーっと悪い子だったわたくしだけのシーゼリカ。今度こそ、私の手で殺してあげる、この、女王リゼラの手で……」
「……え?リゼラ、様……?お、お久しぶりでございます、昔少しだけミザリー城に出入りさせてもらっていた、ファーニアでございます……!」
「ええ、久しぶり、ファーニア。さっきも言ったけど今日はお忍びなの。実年齢の倍くらいに見えるように変装してたけど、ちゃんと誤魔化せてるようで安心したわ」
全く気が付かなかった。
リゼラ様の言う通り、年を誤魔化しているのもあるだろうけど、シーゼリカが幽閉された時から何年も会わないうちにとても変わられたみたい。
「あ、あの……、リゼラ様。シーゼリカはあそこにある探偵事務所で働いているのです。私はお兄ちゃんと二人で幸せに暮らしたいだけなのに、ずっとずっとシーゼリカに邪魔されて……」
「そうね、そうよね。うちで働いてる執事の孫だったわよね?両親が早くに亡くなったこと、執事から聞いたわ。大変だったわね。そんな寂しいはずのファーニアをひとりぼっちにするなんて、やっぱりシーゼリカは悪い子だわ」
「で、ではシーゼリカを、お兄ちゃんから遠ざけてくれるのですか……?」
「ええ、世界で一番遠い場所にね」
「ギルさん、離してください……!俺、ファーニアを追わないと……!」
「……落ち着いて、ミスミくん。ほんとに残念ながら、その必要はないみたいだよ」
「……?それって、どういう……」
「……あら、私の探し物、ぜーんぶここにあったのね」
「その声……!」
「リゼラ様、お久しぶりですね。誠に不躾ながら今すぐお引き取りください」
「……なあに?元婚約者に向かってその口調。リゼラ様なんて呼ばずに、昔みたいにリゼラって呼びなさいよ」
はは、と口だけで笑って見せた所長に対して、皮肉だろ、とボソッとルーシャが呟いた。
咎めるようにルーシャの頭を軽く叩くがリゼラと思われる女、……いや、リゼラにはばっちり聞こえていたようでこちらを冷ややかな目で見てくる。
「顔が好みだったから私のものにしようとしたのに逃げ出した奴隷くん、やっと会えたわね。貴方のことは私の専属の奴隷にして一生可愛がってあげようと思ってたけど、気が変わったの。シーゼリカ、そしてギルブライトと一緒に首を跳ねてあげるわ。」
「……そんなこと、絶対させない。いつまでその血塗れた玉座に胡座をかいてるつもりなの」
「言うようになったわね、シーゼリカ。……でも、血に塗れているのは貴方も同じでしょう?だって、何もできなかったものね。自分の両親が目の前で肉塊に成り果ててるのに、手を伸ばすことしかできなかったんだもの。貴方も前王の返り血を頭から被ってるくせに、よくそんなことが言えたものだわ」
……何も、言い返せなかった。
周りはみんな静まりかえって、唯一事情を知る所長以外は目を見開いて私を見ている。
……私が何もできなかったのは事実で、何も言えない歯痒さに奥歯を、噛み締めた。
そして、リゼラの後ろで様子を伺っていたファーニアがひょこっと顔を出す。
「お兄ちゃん、聞いたでしょ?シーゼリカはとっても汚いの。お兄ちゃんの傍に居ていいような人間じゃないんだよ。だから、早くこっちに来て。かえってきて」
「……何を、言っているんだ。ファーニア。シーゼリカは……、シャノワールは、とても綺麗で美しい。そんな女に唆されるんじゃない……、早く、こっちにおいで」
「……嫌よ!私、シーゼリカが大っ嫌い!昔からずっとずっとずっと!お兄ちゃんを返してよ!なんであんたなの!邪魔!邪魔邪魔邪魔邪魔!……消えてよ、お願いだから!」
私の思っていた以上にドロドロとした兄妹愛では片付けられない重たい感情に、一周まわって冷静になってきた。
ファーニアは私のことが邪魔だろうな、とは思っていたから驚きはしなかったし。
逆にそんなこと考えもしなかったらしいミスミは唖然と私とファーニアを見つめているが。
大体事情を察したらしいルーシャも小さくため息をついている。
「……ごめん、ファーニア。私は、もうリゼラに縛り付けられた人生は切り捨てたの。これからはシンセリティ探偵事務所の社員シャノワールとして、普通の人間として生きていく、から。ここから消えるのは、できない。」
「……あぁ、そう。じゃあ、私が……!私が殺してあげる!」
「……ダメよ、ファーニア。貴方も悪い子だったのね、残念だわ。さっき言ったばかりでしょう?シーゼリカは私がこの手で殺すって。邪魔は絶対許さないわ」
次の瞬間、リゼラがナイフを取り出して。
ファーニアに向けて突き出すのが、まるでスローモーションのように見えた。
そして、あの日の光景が脳裏に過ぎる。
……あぁ、止めなければ。他の誰でもない、私が。
驚いてその場で立ち尽くすファーニアの体を思いっきり押して、なんとかリゼラのナイフからファーニアを守る。
リゼラの持つナイフは私の右肩を掠って、ピリッとした痛みが走った。




