デイブレイク
「やあ、子猫ちゃん。よかったら僕の傘、入っていくかい?」
絶望の底で、光が差した。
真っ暗闇で佇む私に、手を差し伸べてくれた。
何よりも眩しくて、今まで見てきたどんな光も敵わない、とても眩しい、暖かい光。
私を救ってくれた男に連れられて、会話もなく歩く。
どこへ向かっているのだろう。まあどうでもいいか、立ち止まったってここ以外に、道はない。
などとだらだらと思考を続けていると、男が立ち止まった。
男はシャッターの閉まった店の隣にある上へ続く階段を上っていったので、後に続く。
探偵事務所と書かれた場所に入り、タオルを差し出しながら男が口を開いた。
「ようこそ、僕はこの事務所の所長をしているんだ。」
「事務所……」
「そう、……ここはシンセリティ探偵事務所。まあ、探偵事務所といっても開業したばかりで、依頼も少ないし今はほとんど何でも屋みたいなものなんだけどね」
「シンセリティ……?」
「そう、僕はシンセリティ公爵家が三男、ギルブライトだよ。でも、君は知ってるよね、僕のこと」
……確かに知っている。昔、お家柄会う機会が何度かあったからだ。そうは言っても会うのはかなり久しぶりで、名乗られるまで全然気付かなかった。
しかし、彼は三男とはいえ公爵家の男子。こんな街中で探偵事務所を開業するのを許される身分ではないのではと思ったものの、貴族には貴族のルールがあるし、むやみやたらに詮索するものではないだろう。
「はい、お久しぶり……ですね、ギルブライトさん。それで、どうして私をここに……」
「散歩をしていたんだけどね、さすがに顔見知りがこんな土砂降りの中傘もささずに座り込んでたら、手を差し伸べないわけにはいかないだろう?」
「そうですか……。こんな雨の中散歩……?」
「……まあね」
少し含みのある言い方だったが、それ以上追求したって意味もないし、教えてくれる気もしなかった。
でも、こんな状況で知り合いに会えたのはとても運が良かった。
「あの……、ご迷惑でなければ、住居が見つかるまでここに置いて頂けないでしょうか。もちろん、お仕事はお手伝いします。」
「あぁ、もちろんだとも。最初からそのつもりだったしね。君さえ良ければ、生涯ここを住居にしたって構わないんだよ」
「……いえ、そこまでお世話になるわけには……」
「そうかい?残念だ」
良かった。とりあえず、凍死と餓死は免れた。
でも、どんな事情であれ彼は公爵家の人間。あまり長い期間ここにいると、「アイツ」の足がついてしまうかもしれない。
「君にも複雑な事情がありそうだね。そのまま君の名前で探偵業をしていたらまずいから、まずは君に仕事用の名前をあげよう。そうだな、佇む様子が野良猫のようだったのとその髪の色で……シャノワール、というのはどうだろう?外国の言葉で、黒猫という意味なんだ。」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします……。」
「うん、よろしくね。シャノワール」
「すみません、探偵事務所はここで合っていますか…?」
「おや、依頼ですか?こんにちは、シンセリティ探偵事務所、所長のギルブライトです」
「あ、あの……」
「シャノワール、さっそくだけど初仕事だよ。お客様、こちらにお掛けください。」
依頼者は学生服を着た少女だ。
探偵事務所というと、浮気調査や警察に相談できない薄暗い調査を請け負う場所で子供とは無縁だと思っていたが、意外とそういうわけでもないのだろうか。
「それではお客様、さっそくですが依頼内容をお聞きしても?」
「は、はい、あの……。母親を、殺してほしくて……」
「…………は?」
「ここは殺し屋ではありませんよ、お嬢さん」
「知っています、でも、殺し屋を雇う勇気もお金もなくて……」
何を言っているのだ、この少女は。
どれだけ考えても凡そこの少女とは結びつかない依頼内容に面食らったが、少しの動揺も見せないギルブライトを見るに、こういう依頼もあるものなのだろうか。
「殺しは無理ですが、一応話を聞かせてもらえますか?」
「……はい、私の両親は母が貴族、父が平民で……。母の両親は結婚に大反対だったらしく、結婚してから両親共に母の両親とは折り合いが悪かったそうなんです……」
少女の語った内容は、なんとも胸糞の悪い話だった。
少女の母は結婚後平民になったそうだが、生まれてこの方貴族として甘やかされて育ち、家事などやったこともない母はすぐに限界を迎え、父とも喧嘩ばかりするようになった。
それでもなんとか耐え一年後に少女が誕生したが、家事もまともにできない母に育児など到底できるはずもなく、家事も子育ても父が一人でやっていた。
だがそんな生活は長くは続かず、父は憔悴しきってとうとう倒れてしまった。が、母はそんな父と娘を見捨て、自分の生活のために貴族に逆戻り。
父はボロボロのままなんとか少女を育て上げたが、それと同時に限界を迎え、この世を去った。
ここまで語った少女は、父のことを思い浮かべたのか瞳に涙を浮かべている。
「でも、母は貴族に戻ったのでしょう。もう関わることもないでしょうし、なぜ殺そうと……?」
「……それが、母はどこからか父が亡くなったことを聞きつけ、私の家にやって来たんです。それで、学費を出してあげるかわりに自分の奴隷になれと脅してきて……」
「なるほど……」
「父が身を削って入れてくれた学校なのでどうしてもやめたくなくて、母の言うことを聞いていましたがもう我慢の限界で……。学校で噂にならないように、服の下に隠れる場所を何度も殴って、もう亡くなった父の愚痴を永遠と聞かされるんです。痛みは我慢すれば耐えられます。でも、大好きな父を罵倒する言葉は聞いていられなくて……」
それは、殺したくもなるだろう。
想像の何倍も酷い内容に、もうこの少女を放っておくなどできないと、心の中で決意を固める。
ギルブライトも、目付きを鋭くしてこちらを振り返る。
そして頷き合う。必ず、この少女を救ってみせると。