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外面と本性


 広場を中心に置いて四方向に伸びる大通りを北に進んだ東側の地区(広場の北東)をベルヴェデール区という。

 平民舎が近いので、比較的安価な飲食店や若者うけしそうな――といっても学園街は基本ターゲット層が若者なのだが――洒落た店が多い。


 アリスとノアはその内の一つ≪猫の尾≫で向かい合って座っていた。

 テーブルの上には所狭しと注文した料理が並べられている。

 どの料理にも何かしら猫をイメージしたあしらいが施されていて、やけにメルヘンだ。

 テーブルから少し離れて、料理を運んできたワゴンの上には黒い毛玉が三日月のように目を細めて鎮座していた。


「にゃーん」


 次の瞬間にはアリスは堪えきれず破顔していた。


「可愛い…愛らしい、美しい……あなたの素晴らしさを何と形容しましょうか…」

「本当に好きなんだ。良かった」


 ≪魔女の店≫の時と同じく変な興奮を示すアリスに、ノアは今度こそ完璧な笑顔を返した。全くもって引いた様子はない。


「昔家で飼っていたことがあるんです。よく私が本を読むのを邪魔していました」


 猫は子供を嫌うというがシュキアス家にいた雌猫はよくアリスの面倒を見てくれていた。アリスが生まれる前から家にいたからか、まるで自分はアリスの姉か母かのような心持ちでいたのだろうか。

 今でも実家の私室には大事に彼女の絵が飾ってある。


「僕は動物を飼ったことがないから羨ましい。でも不思議と猫には好かれるんだよね」


 そう言いながらノアがワゴンの方へ手を差し出すと、指先のにおいをかいで、するりと猫が頬を寄せる。それからゴロゴロと喉の奥から甘えた声を出し始めた。


 店内は猫たちが自由に動き回れるように壁に板が取り付けられていたり、猫専用のスペースがあちこちに作られている。

 お店へ来る前にノアから猫は好きかと確認されたが、確かにここは猫好きじゃないと中々辛いものがあるだろう。


「僕の友人は皆猫が苦手でね。いつか来てみたいとは思っていたんだけどこういう店だからさ。男一人でくると浮いちゃうだろ? だからアリスが付き合ってくれて嬉しいよ」


 お行儀よくワゴンから動かずノアの手にじゃれている猫にご褒美を上げて、二人はテーブルの上の食事に手をつけた。


 猫の焼印が押されたサンドウィッチに、猫の顔の形にくり抜かれた野菜のスープ、猫型のパンケーキに、猫の顔の描かれたオムレツ。どれも可愛くて中々ナイフを通すことができない。盲点だ。

 ようやく狙いをつけて一つ目の料理にナイフを入れると吹き出したような声が。


 ノアはすっかり立ち直ったようだった。アリスのことを笑えるくらいには調子を取り戻したらしい。

 やけにキラキラとしたオーラを振り撒くせいで、他のテーブルの客の視線が時々刺さるが、同行者の機嫌が良いに越したことはない。

 しかし少しだけ意趣返しだ。アリスは澄ました顔で魔女の話を振ってみることにした。


「さっき、私がお遣いを頼まれた時、魔女さんとなんの話をされていたんですか?」

「あぁ…、ちゃんと話しとくべきかな。そうだな、僕が学校で魔女に関する研究をしていることは言ったっけ?」

「いえ。魔女の研究? それはお話の中の、でしょうか?」


 アリスが魔女と言われて想像するのはやはり童話の中の黒いローブを被った老婆だ。変な声で笑いながら大釜の前で怪しげな薬草たちを煮出しているような。

 今日のような魔女は少なくともアリスが知る物語の中ではどれも出てこない。


 ふるふるとノアは首を横に振る。


「ううん。君は極東にある島国を知っている?」

「はい。といいましても、皆黒い髪に黒い目をしていて、特徴的なお召し物を着ている、というくらいですが……」


 形だけならば先ほど出会った魔女はまさしくそのイメージに近い。

 交易に積極的な国ではないから、この国で極東の人を見かけたことはないが、時々特産品がいくつか貴族のコミュニティで話題になる。

 確か国名を月輪(つきのわ)と言っただろうか。


「かの国は大きい本島の他、何百もの離島があるのが特徴で、そのうちの一つに、国長ですら介入できないとされている場所がある。誰も本当かは分からないけれど、そこの民は不思議な術を使うって有名でね。誰がつけた名前なのか、お伽噺の魔女になぞらえて≪魔女≫ってよんでいるんだ」


 実在する魔女の存在を聞いても、アリスにそれほど大きな驚きはない。

 先ほど自分の目でその力の一端を見てきたわけだし。

 自分、という異常な存在もいる。


「でも残念ながら研究は難航してて…、ほとんどのことが分かっていない。だから僕は彼女をあんなに警戒してた。君にもしもなんて万が一起こったら大変だしね」

「それで……。私があんなに迂闊に近付いたからノア様にも心配をかけてしまったのですね…」

「あぁ、それは勘違いしないで。最初は僕もこんな人の多いところでまさか本物が現われるわけないと思ってたし。それに僕は彼女が使ったあれを魔法だとは思っていない」


 それはむしろ自分に言い聞かせているようだった。

 魔女の研究をしているくらいだから何かしら魔法についても思うところがあるかもしれないが、それは不必要に部外者たるアリスが首を突っ込むところではない。


 何も知らずただ興味本位で近付いたアリスと、その存在が()()()()()()()()()()()を知っていたノア。


 ノアとしてはただ単におちょくられて腹が立ったということもあるのだが、別に自分からこれ以上恥を上塗りする必要もあるまい。それが事の顛末だ、とでもいうような顔をしてスープを口に含んだ。



「それで、ここからが本題なんだけど」


 カチャリと静かに食器が皿の上に置かれる。

 嫌な予感がした。

 だって目の前の超絶美男子がものすごくキラキラした笑顔を浮かべているから。


 食事が終わったのならば撫でるが良い、と膝にすり寄って甘えてくる猫を撫でながら、ノアは本題とやらを口にする。


「な、なんでしょう?」

「君が彼女からもらった日記帳とネックレスだけど、あれを時々でいいから研究させてもらえないかな」


 形の良い眉が目に見えて下がるのをノアは確認していた。


 アリスとしてはノアとの関係はできることなら今日一日限りで終わらせたいのだろう。素性を隠しているだから、そんなことはノアも分かっている。しかしここで彼女とお別れしてこれっきり、なんて気は毛頭ない。


 魔女のせいでみっともないところを見せる羽目になったが、転んでも絶対にタダでは起きてやらない。利用できるものはとことん利用させてもらう。


「ですが…私はお屋敷に仕える身ですので……自由があるかどうか…」

「使用人にも週に一度は必ず休息を与えるように、っていう法律があるから大丈夫。貴重な休みを割いてもらうことになるけど、その分必ずお礼はするし」


 そういえばそんな法律がつい最近制定されたらしかった。

 貴族に、いくらエリートしかいないとはいえ、平民との交流を推奨するような国だ。

 できるだけ貴族による支配体制に不満が出ないように、次々と革新的な法律が打ち出されて、周辺国の中では一番雇用体制が整っていると有名だ。


 アリスは必死に言い訳を探していた。


(どうしよう…そんなに詳しく話すことではないからざっくりとしたところまでしか設定を詰めていないし……。しかもどうしてそんな目で見るの…!?)


「ね、お願い。研究の為に少しでもサンプルが欲しいんだ」


 八の字に垂れ下がった眉と強請るような上目遣い。

 いかにもあざといのに。わざとらしい、のに。

 やたらと既視感のある状況だった。


『ねぇ、シュキアス様。明日は一ヶ月ぶりの休日ですの。だから一緒に湖へお出かけしましょう?』

『ダメですエレオノーラ様。今は冬ですよ? あまり淑女が身体を冷やすものではありません。お屋敷でゆっくり過ごしましょう』

『ちゃんと暖かい格好をしていくから大丈夫よ。明日はものすごく天気がいいって聞いたし。それにわたくしとても丈夫だわ。…ね、お願い?』

『う…お父様に確認して……』

『宰相閣下はダメよ! 頭がかた…いえ、厳格な方だからこんな時期の外出は認めて下さらないわ。ねぇお願いよアリス』

『うぅー! いつも名前なんてお呼びになりませんのにー!』

 

「アリス?」


 ハッっと意識が現実に引き戻される。

 ノアは怪訝そうな顔で「大丈夫?」と確認する。その顔を見てなんとなくはぁとため息をついた。


(私…どうしてかこの人にはあまり逆らえないみたい)


「分かりました、お受けします。ですがそう頻繁にはお会いできないと思います。そうですね、…ひと月に二度くらいが現界でしょうか」


 時間が無いというのは勿論嘘だが、自分がこっそり一人で街に降りようと思っていたのが丁度それくらいのペースだ。忙しいと言いつつ街をうろついているのを見られるのも気まずいので、いっそのこと街に降りるときは会ってしまえばいい。


「十分だよ! 有難う」


 嬉しそうにノアははにかむ。何だか負けたような気がしてどっと身体から力が奪われた。


「お待たせいたしましたー」


 丁度良いタイミングでワゴンを押したウェイトレスがやってくる。食後のデザートだ。

 赤いつやつやとした林檎の上にチョコレートでできた猫の耳と目と髭の飾りがのせられている。ふわりと香るシナモンの匂いに心がときめく。


 そんなことでしゃきりと体に力が戻ってくるのだから本当に我ながら単純というか。


(しょうがない、負けてあげましょう…)



 時刻は十八時ごろ。

 帰宅するなり一言もなくベッドにダイブするルームメイトをとがめるべく、淡い若草色の髪の青年はやれやれと立ち上がった。


「こら、ノア。帰ってきたならちゃんと言え。あと寝転ぶなら服を着替えろ。ジャケットがしわくちゃになる。あ、お前靴も履いたままだな? 脱げ」


 一息で言い切った。まるで毎日同じやり取りをしているかのような口ぶりだ。


「ただいまアルフィー。疲れたから脱がせて」


 ベッドにうつぶせになったまま、ノアが脱がせやすいように肩を浮かす。こちらも慣れた様子だった。

 聞こえるように大きなため息をつきながら、アルフィーは少し乱暴にジャケットをはぎ取る。続けてポイポイと落ちてきた靴を拾い上げてベッドの下にきちんと並べる。


「俺はお前の使用人じゃないんだがな、ノア」


 いつものことだが反応はない。再び重いため息が出た。

 随分と外面が良い男だから、初めてこの自堕落なところを見たときはものすごく幻滅した。素の姿を見せてくれていると感動すべきなのか、あいにく便利な召使い程度にしか思われていなさそうなのでありがたくも何とも無い。


「それで、無事会えたのか。大分早くに出て行っていたが」

「……ふふ、公園で鳩に囲まれて困ってた」


 思い出し笑いをしている。なんだこの気持ち悪い姿は。

 思わず後ずさる。良くない雰囲気を感じ取ったのか顔をこちらに向けてくる。相変わらず顔だけは一級品だ。

 男同士の同室で妬まれるなんて珍しい体験をしたのは自分くらいのものだろうとアルフィーは思っている。


「少しは仲良くなれたか? 異性に慣れてないんだろ?」


 沈黙に耐えかねて再びアルフィーが口を開く。


「まぁ、ぼちぼちってところかな。不快感は抱いていないけど警戒はしてるみたいだ。あぁそう、彼女何故か素性を隠したいようだ」

「侯爵家の令嬢だってことをか? それはまたどうして」

「息抜きくらい別人になりたいってことじゃないのか? ここの生徒だって隠した方が良かっただろうか……」


 いやそれは無理だろ、という言葉は飲み込んだ。たたずまいが何というか、こう、無駄に気品があるのだ、この男は。気遣いもできるし頭も悪くない、それでいてスマートな身のこなしだけど貴族ではないとしたら、学園街に残されている選択肢はパブリック・スクールの生徒くらいだ。


「目が確かな子なんだろ。それなら隠したって気付くだろうし、誤魔化せば余計に怪しまれて壁を作られる」

「そんなことは分かっている」


 じとりとした目でアルフィーはノアを睨みつける。

 それに気付いた上でノアは無視を決め込んでゴロンとベッドの上で寝返りを打った。


「僕が思ったより仲良くなるのは大変そうだ。中々どうして手ごわい」

「あきらめるのか?」


 馬鹿にしたような顔でノアは鼻を鳴らす。当たり前のことを聞くな、といったところか。


「チャンスはこの一年しかないんだぞ? あきらめると思っているのか馬鹿め」

「お前本当に俺にあたりがきついな……。それで、じゃあ今後どうするか決めてるのか」


 ご令嬢の姿を見たことは無いがこの友人と呼ぶべきか暴君(しゅくん)と呼ぶべきか分からない男が、彼女に相当な思いを抱いていることは知っている。詳しいことは聞いていないが、彼女の話をするときはいつも色んな表情を見せている。


「とりあえず明日また街を案内する約束だ。そのあとは…月に二回は会ってくれるみたいだ。研究の手伝いを理由に無理矢理約束を取り付けた。後は…まぁ、偶然を装ってそのうち彼女が貴族舎にいるときにでも接触する、つもりだ」

「研究の手伝いってお前……お前の分の研究はもうとっくの昔に終わってるだろ…。だから普段からそうやって学校があっても、うろちょろ外を出歩いてて文句言われないんだろ…」

「いいんだよ別に。彼女は知らないんだから。理由になるものがあればなんだって利用するさ」


 呆れてしまうがそれくらい本気なのだろう。なりふり構ってはいられないというところか。


「早く俺のことも紹介して欲しいもんだな」

「誰がするか」


 フンとこちらに背を向ける姿がおかしくて笑ってしまう。

 しかし忘れない内に伝えておかなければならないことを思い出した。


「そういえばジャックのやつ、今日もお前がいないのに気付いてさんざんっぱら文句を言ってたぞ。『みなしごの分際でさぼりとは大した天才様だな。尻尾の振り方でも教えて欲しいもんだぜ』だそうだ」

「言わせておけ。小物の戯言なんかどうでもいい」


 心底興味なさそうな声でノアはそう答える。アルフィーは肩をすくめた。


 ノアは研究を終わらせ、いろんな学習に関しても十分に卒業レベルにあると判断されたから、学校に来るも来ないも自由にしていい、と正式に許可が出されている。だがそれを他の生徒に言うつもりはないらしい。一部の生徒にさぼりだのなんだの言われているが全く意に介さず反論もしない。それでそういうやつらにもにこやかな外面スマイルで接するせいで目をつけられているのだ。


 今自分に見せた本性の十分の一でもあのお坊ちゃまたちに見せてやれば鬱陶しいことも減るのに、とアルフィーは思うのだが、それをノアに伝えたところで無駄だ。


「小物に足元すくわれないように気をつけろよ。あぁそうだ、それと明日はあいつらも休みみたいだぞ。十中八九街に行くだろうから気をつけろよ」


 その言葉にようやくノアはこちらを向く。乱れた髪の向こうからのぞく凍てついた目が寒々とした色をたたえていた。

 自分に向けられているものではないのにぞくりと背筋が粟立つ。


「…もしあの子に何か仕掛けるつもりなら、それ相応の報いを受けさせるだけだ」


  あーこわ、絶対関わりたくないから何もするなよ。


 アルフィーは心の中で今日見た馬鹿の顔を思い浮かべた。


 世の中ではこういった余計な一言をこういうのである。


 フラグ、と。


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