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魔女


 魔女(・・)というものをアリスは子供が読むようなお伽噺でしか知らない。そこに描かれるのはいつだって黒いローブを来たしわくちゃの老婆だ。

 お姫様に変身の魔法をかけたり、毒薬で殺そうとしたり、大抵悪いことばかりをするのが魔女の役割だが、悪役といえば自分だって同じようなものである。魔女が見せる不思議な道具や魔法はいつだってアリスの心を魅了する。もし自分にそんな力があったらどれほど素敵だろうか。別に最後に人々に嫌われて死んでしまったっていい。どうせ魔女でなくたって悪役は死ぬのだから。

 つまるところ、アリスは魔女という存在が大好きだった。


 店の前まで近寄ってあら? と店主の様子に気付く。だからわざと足音をたてて近寄った。それから布の前にしゃがんで柔らかい声で話しかけた。


「こんにちは、ここにある品を見てもいいですか?」


 煙管から口を放して、女は口角を持ち上げた。形の良い唇が弧を描く。


「優しいねェ。勿論、見せるために持ってきたものだから好きなのを選ぶといい。あぁ、それから見えて(・・・)いるから気をつかわなくても大丈夫だよ、赤い髪のお嬢さん」


 女の目は透けることのなさそうな黒い布で覆われていた。しかしどうやら本当に見えているらしい。仕組みは分からないが、それがまるで魔法のようでアリスはひそかに興奮する。


「私ったら勝手に勘違いをしてしまって。そうですよね、魔女さんにはいらぬ気遣いですよね」

「ひひっ、私が魔女だと信じるのかい?変なお嬢さんだねェ」

「私、魔女が大好きなんです。魔女さんが本当に魔女さんかは分かりませんがなんだか本物の様な気がしたんです」

「うひひっ、魔女が好きだなんて変なことを言う。そうだよ、私は世にも珍しい本物の魔女だ! ここに置いてあるのは本物の魔道具ってところかな?」


 奇妙な笑い声をあげながら演技めいた身振りで両手を並べられた商品に向けて開く。


「例えばその薬瓶に入っているのは夜、意中の相手と二人きりになった時に火にかけるといい。どんな子ウサギも立派な狼に変わるだろう!」

「変身薬ですか!」

「催淫材だね。だめだよ買っちゃ」


「その石は着用者の魂によって色を変える! ほぉらこんな風に!」

「まさか賢者の石!?」

「液体結晶だね。こんな使い方をするのは初めて見たけど」


「この鏡はきっと君の姿を隠してしまう! でも君からは全て外の世界が丸見えだ!」

「魔法の鏡!」

「ミラーガラス、いや確かに魔法の鏡(マジック・ミラー)か」


 無粋な突っ込みはまるで聞こえていないとばかりに夢見る少女と悪い魔女は盛り上がっていた。しまいには全部を抱え込んで「全部下さい!」と満面の笑みを向ける少女に「毎度あり」と魔女は手を合わせた。


 何でこんなガラクタを、とその場において一人だけが呆れた目をしていたが幸い少女に気付かれることは無かった。


 安くはない買い物だがアリスの顔には満足感があふれていた。いそいそと財布を取り出して支払いを済ませようとする彼女に魔女は苦笑し両手を上げて降参の意を示した。


「まぁちょっと待ちなさい。その魔道具には種も仕掛けもあるからさ。そこのお兄さんが思っているようにガラクタさ」

「おや、あっさりと認めますね。いいんですか? 大事な商売道具でしょ?」


 咄嗟に振られた意地の悪いパスに条件反射でノアは乗ってしまう。


「私は嘘をつかないからね」


 魔女は白々しくもそう答えた。


 少し待ちなさい、と魔女は二人の視線を受けながら、煙管をひっくり返して反対の手で軽くたたき吸い終わった灰を皿に落とす。そして胸元から小さな更紗の包みを取りだす。中に入っていたのは乾燥した煙草の葉だった。それを小さく丸めて雁首へと入れる。


 慣れた手つきで喫煙の用意をする魔女にアリスは見入っていた。一連の動作全てが魔法を使う前の何か神秘的な儀式のようで。瞬きすらせずに、文字通り魔女に魅入られているようだった。

 仕上げとばかりに細く白い指先が弾かれる。ほんの一瞬炎が爆ぜ、次の瞬間には紫煙がゆらりと空に立ち昇っていた。


(まさか……)


 自然と声が失われる。

 そんなはずはない、だが今間違いなく何もないところに煙がたった。だってアリスの目は間違いなく魔女の動きを追っていた。瞬き一つだってしていない。ちかりと爆ぜた赤色の炎は目の奥に未だ焼き付いている。


 それはまさしく魔法と形容するほかないものだった。


「騙されないでアリス」


 ピシャリと冷水の様な声がその酩酊を醒まそうとアリスに浴びせかけられる。どこか焦点の合わない蜂蜜色がぼんやりと虚空を見つめるのをノアは苛立ったように舌打ちする。勿論その相手は煙管をふかす得体のしれない女だ。

 空色の瞳が射貫くように魔女に向けられた。


「今のはただそっちの手に握ってるマッチで火をつけただけですよね? わざわざ見せつけるように視線を誘導して、何がしたいんですか?」

「ん? 私はマッチなんか持っていないぞ?」


 煙管を握っていない方の手を開いて真実自分が何も工作していないことを証明する。

 しかし青年はそれを信用していなかった。今この魔女が何かしら誘導するような手つきでアリスを一種のトランス状態に引き入れたのは間違いのない事実だからだ。妙に演技じみた一連の動きは何かしら裏があるに違いない。


 そっとアリスの腕を引き自分の後ろの隠すように下がらせる。

 やっぱりろくな店じゃなかった。

 魔女はくつくつと口を押さえておかしそうに笑う。逆毛立てた子猫で軽く遊んでやるのもいいがそれでは目的が果たせなくなってしまうかもしれないので今回ばかりは早めに事態の収束を図る。


「まぁそう怒るなよ少年。別に危害を加えるつもりなんかないんだから。そら」


 コン、と雁首が木の箱に軽く打ち付けられた。


「今のは…魔法ですか?」


 囁くような吐息がアリスの口からもれる。少しうわずった声が彼女の感じた感動を物語っていた。


「違う。君は今まやかしにかけられたんだよ。奇術(マジック)と言ったかな…? 最近そういうのが東の方で流行っているらしい。彼女の服装からして間違いなく極東の出だから、きっとそれの応用だよ」

「そんなはずは…私は確かに……いえ、そうですね…」


 アリスは今のを奇術だとは思っていなかった。

 流行り物好きとして有名な伯爵主催のガーデンパーティーで一度奇術を目にしたことがある。あの時抱いたのは「まるで魔法みたいだ」という感動だったが、今のはそれを上回る「これこそが魔法だ」という確信だった。

 間違いない。何か得体のしれない力が、自分の認識の及ばぬ力が作用したのを肌で感じた。

 彼女は本当の本当に。


(魔女なんだ)


 アリスの視線を感じ取ってか魔女はふ、と空気を和らげるように間延びした声を上げた。


「私はね、私を本物だと信じる子には嘘をつかないことにしているんだ」


 存外に優しい声だった。まるで孫を見守る祖母のような、そんな声だ。


「魔女っていうのはさ、魔法が使えるから魔女なわけではないんだよね。それとおんなじで魔女だから魔法が使えるわけでもない。そして私はどちらかというと道具(・・)を作るのが得意な魔女だ。でもその道具は決して売りはしない。価値っていうのは複雑だからねェ。私にとってはゴミくずのようなものでも、お嬢さんにとっては命と並ぶくらい貴重だったりすることがある」


 す、と魔女が緩慢な動作で腕を持ち上げる。立ち上がっても地面すれすれになってしまいそうなくらい長い袖があわせて持ち上がった。そしてその袖で敷布の上の商売道具を遠慮なくなぎ倒して押しのけた。

 それから木箱の一番下の段を開けて何かを取り出す。


 空いたスペースに置かれたのは古びた一冊の本だった。長期の保存にも耐えられるようにか表紙の四隅はしっかりと金具が打ってある。ただしその金具もすっかりさびてしまっていた。中が見られないようにガッチリと革のベルトで固定されており、中心にはこれまたさび付いた錠前がかけられていた。見るからに禁書といった風貌の本である。確かに古びてはいるがそれは先ほど見せられたピカピカの瓶に入った薬や、石や、鏡より、はるかに重たい存在感でそこに鎮座していた。


「これは私の昔の日記帳だよ。ある一人の魔女のことについて書いてある。ただとうの昔に鍵を失くしてしまってね、それ以来開けていないんだ。このベルトは特殊な素材でできているからちょっとやそっとじゃ切れないし、あまり乱暴に扱うと本が崩れてしまうかもしれない。だから君にあげるよ。きっと上手に開けられるだろうから。君としても魔女から見た魔女の話を読んでみたいだろう?」


 促されるまま、アリスは日記帳を手に取った。ずしりとした重みのあるそれは革の状態や日に焼けた紙の様子からして相当な年代物だ。

 魔女のことが知れる本。欲しくないはずがない。

 何度も繰り返している内に大抵のことに慣れてしまって、いつからか暇さえあれば家の書庫に潜り込んでは世界中の本を読みふけっていた。習得した言語の数も両手では足りないくらいだ。おそらく極東の文字も読めるだろう。

 だがなんだか空恐ろしい気もする。

 昨日から色々なことが立て続けに起こっているせいでアリスはそろそろいっぱいいっぱいだった。

 変化への恐怖。魔女の私物を手に取ることが更に物語へどんな影響をもたらすのか、予想もつかない。


「それ自体に特別な力はないよ。ただの記録だ。もしいらなくなったらそこの彼にあげたっていい。別に捨てても構わないからさ。だから気楽に受け取ってくれると嬉しいな」


 躊躇うアリスの背を押したのは魔女のそんな言葉だった。

 こくりと頷いて礼を言うと本を鞄の中へとしまった。

 過剰に警戒するのも不自然だ。それに脇役の一私物が重大な影響を残すこともないだろう、アリスはそう無理矢理自分を納得させた。


「あぁそれともう一つ。ついでにこれももらってくれる?」


 言いながら魔女は襟元に手をやると合わさった服の間から銀のチェーンを引っ張り出した。しゃらりと金属がこすれあう音がして出てきたのは燃えるように真っ赤な石のついたネックレスだ。チェーンを掲げて石が良く見えるようにと前に突き出す。

 シンプルな銀の台座にはめこまれた雫型の石の表面はつるんとしていて、傷一つなく美しく輝いていた。何かの宝石だろうか、だとしたら相当な価値がつくはずだ。


「龍血石と言ってね、遠い遠い私の故郷の石なんだ。とても珍しいものでね、数百年に一度だけ、空を泳ぐ龍が(つがい)を亡くして嘆き悲しむ涙が固まってできるという伝説がある。中でもこの石は特に貴重品でね、番の龍が共に命を落とすときに片方の目から一つずつ落とした涙が固まった双子石だった。龍血石は魔女には良いお守りになるから私が加工して妹と一つずつ分け合った内の一つだ。元は一つだから片割れと繋がる力があるんだけど…、君は魔女ではないから役に立たないかもしれない。だけどこれは君が持つべきものだ」


 こちらは選択肢が最初からなかった。しなやかな手がアリスの手を取ると有無を言わさずその手にネックレスを握らせる。


「ですが…こんな、とても大事な物なのでしょう? 見ず知らずの私に渡してしまって良いのですか…?」

「言ったろ。価値って言うのは人それぞれなんだ。もうそれは私にとっては道端の石ころと変わらないものなんだよ」


 とても道端の石ころを扱うような雰囲気ではなかった。彼女の言う価値が何なのかはアリスには分からなかったが価値と重みは必ずしも均等ではないのだ。

 龍の流した血の涙だという石は、先ほど見た魔法の火のようにアリスの手の中で怪しげに揺らめいていた。


「できるだけずっと着けていて。ダイヤよりも頑丈だから決して傷はつかないはずだから安心して大丈夫。勿論お風呂のときも寝るときもだよ? 意匠が気に入らなければ好きなものに加工するといい。ただ絶対に肌身離さず身に着けること、約束だ」

「…はい」


 魔女の妙なすごみに気圧されてしぶしぶアリスは了承した。早速手の中のそれを首にかけると魔女がそうしていたように襟の内側へとしまい込んだ。そうしておくのが正解のような気がしたのだ。

 魔女は満足そうに頷いた。


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