油断大敵
≪明星の乙女≫と騎士たちの練習場は、貴族舎と平民舎の共同地にある。ガーデンパーティが開かれた芝庭と同じ方角にある施設だ。王室が管理を担っている国教会のホールである。
ちなみに国教会はアリスにトラウマを与えた灰色の悪魔、もとい平和の象徴を尊ぶシャルトル教とは違う。バランタイン王国の正当なる国教である。
そんなわけで、またあの凶悪な鳩たちに囲まれる心配がないのでアリスは油断していた。
顔合わせ場所であるホールに向かうエレオノーラの隣を歩きながら、ぼうっと今後について考えていた。
勝手知ったる物語のことだし、分かっていることを一々確認するまでもない、と。たかをくくっていたのである。
とっくにイレギュラーなんか嫌というほど起こっているというのに。
「無理です!」
柄にもなく上ずった声で、アリスは悲鳴を上げた。
全力の上目遣いでエレオノーラに訴える。
が、エレオノーラとしても困ったように微笑むくらいのことしかできなかった。
「やっぱり昨日掲示を確認されてなかったのね。無理と言ってもわたくしにはどうすることもできないわ」
「私には過分なお役目です! 到底務まるとは…!」
「代わってあげるにもわたくしは最終日の王都での役を頂戴しているし…」
「~~~!」
(どうしてこうなった!)
アリスは混乱していた。今までにも過去の物語から外れたことは色々とあった。夏の旅行だってそうだし、そういった異常事態に対する心構えもちゃんとできているつもりだった。
甘かった。角砂糖を山盛り入れたお茶くらい甘かった。
(だってメインイベントが大きく変わるなんて思わないじゃない!)
本来エレオノーラがやるはずの≪明星の乙女≫が、なぜか今回に限ってはアリスの役目になっていた。その代わり、エレオノーラは祭りの最終日に王都で同じ≪明星の乙女≫の舞を披露することになったらしい。
そのことをアリスが知らされたのはたった今のことだ。
練習場に向かうエレオノーラについて礼拝堂に顔を出すと、修道女はアリスに向かって「≪宵の乙女≫のアリス・シュキアス侯爵令嬢ですね」と言ったのだ。
そんなはずはないと否定しエレオノーラにも同意を求めるよう首を傾げると、残念ながらエレオノーラまでも「そうよ?」などと言い出した。
そうしてようやくアリスは自分が昨日の掲示を確認していないことを思い出したのだった。
それからは全力で役を辞退しようとしているのだが修道女は困ったように微笑むだけだし、エレオノーラもアリスを説得しようとしている。
「シュキアス様の舞、見てみたいわ。絶対美しいと思うの。それにわたくしも≪宵≫だから時間のあう時は一緒に振りの練習ができるでしょう?」
貴族舎にいる以上、エレオノーラも練習の場は同じ学院内のホールである。その誘いは心惹かれるものがあってぐっとアリスは言葉を詰まらせた。
しかし、憂慮すべきことの方が遥かに大きい。アリスは大衆の面前で由緒ある舞を披露しなければならないことを恐れていた。
なにしろ。
(私、ダンスは苦手なんだもの……)
ダンスに限らず基本的にアリスは運動に向いていない。
学園でも踊る機会が何度かあるから、社交ダンスだけは死に物狂いでどうにかした。だが宵の舞をやるとなったら話は別だ。
エレオノーラの舞う姿を何度も見たから振りは覚えている。でも、その動きに自分の身体が追いつくとは到底思えなかった。
厳かさが重視されるおかげで暁よりは単純そうに見えるが、指先の角度一つで美しさが損なわれかねない繊細な舞だ。
(あ…でも本番は……)
いつも通りならば、エレオノーラは祭り当日には怪我をしていて、ミュリエッタに全てを持っていかれる。
本番で踊らなくてもいいかもしれない。
わずかな希望の光が胸に灯るが、アリスは己を戒めるように目を閉じた。
今までの物語の常識を信じた結果が現状である。油断大敵ダメ絶対。
となるやはり当日舞う可能性も捨てきれないわけだが…。
ああでもないこうでもないと目を閉じたり首を捻ったりしながら思案するアリスをエレオノーラは温かい目で見守っていた。常にエレオノーラには控えめなアリスが心の底からが嫌がっている姿は新鮮で、もっと困らせてあげたい、なんて意地悪なことまで考えてしまう。
ふっと口元に笑みを作って、エレオノーラはうなだれるアリスの肩に優しく手を乗せた。
「大丈夫よ、アリス。あなたならできるわ」
「エレオノーラ様ぁ…」
「暁ほど大胆な振りはないから、練習すれば誰でも宵は舞える。困ったらわたくしも力になるから。ね、一緒に頑張りましょう?」
昔からエレオノーラにめっぽう弱いアリスがそんな風に励まされてしまえば、これ以上駄々をこねることもできない。
「うぅ…がんばります……」
泣く泣くアリスはそう答えた。
アリスの心が決まったところで、早速エレオノーラとはお別れになった。アリスは他の三名がいるホールへ、エレオノーラは礼拝堂に残って詳しい説明を受ける。
ひらひらと笑顔で手を振るエレオノーラに見送られ、アリスは重たい足を動かして礼拝堂を出た。
バランタイン王室が運営の主体となる国教会の施設は、たとえ一教育施設の中にあろうとも凛とした気品を湛えていた。
大小様々な丸石が整然と埋め込まれた床は、歩きやすいようにきちんと表面が削られ、ならされている。壁にかかる燭台の銀は毎日磨かれているのか、薄闇の中にあってもきちんと存在感を放っていた。ところどころ壁を彩るタイルの壁画は建国にまつわる伝説や、歴代の偉大な王たちを称える英雄譚のワンシーンを切り抜いていた。
その中には勿論これからアリスたちが演じることになる明星の乙女の姿もある。
脇役根性が骨の髄までしみついてしまっているせいで、どれだけ考えてもアリスの憂鬱が晴れることはなかった。
心底辞退したい。
悶々としたまま、気が付くとホールにたどり着いていた。
一際大きな両開きの扉の表面には、細かな彫刻が施されている。先ほど壁画で見たものと同じ、明星の乙女たちが空に祈りを捧げる姿だ。
改めて事の重大さを突きつけられている様でアリスはげっそりとした。
「中で殿下とオルデン子爵令嬢がお待ちです。もう一人、遅れていらっしゃる方がいるのでしばらくお待ちください」
そう言ってさっと頭を下げ、修道女は後ろからアリスに早く入るよう無言の圧をかけている。ここから先は一人で行けということらしい。
心を落ち着かせるように息を吐き、アリスはつるりとした木の取っ手を掴んで押し開けた。
明星の間。祭りの為だけに設えられたこぢんまりとしたホールはそう呼ばれている。
天井には濃藍と緋色がぶつかり、混ざり合うように揺らぐ空が描かれている。中心にいるのは白と黒の衣をまとった二人の乙女と、それを護るように剣をかざす二人の騎士だ。
たかだか練習用のホールを飾るには仰々しくも感じられるが、それくらいこの鎮魂祭に並々ならぬ思いが寄せられている証拠である。
(考えると胃が痛くなりそう…やめましょう)
明星の間には休憩室も用意されている。おそらくミュリエッタたちはそちらだろう。
顔を合わせるのはあの旅行以来だ。
恐々としながら、アリスは休憩室へと続く扉を開けた。
気付いたら前回から二ヶ月経ってしまいました;;
バタバタ期間もようやく終わったので安定して更新できる…と思います。
書きたいものがたくさん溜まっているのでまた頑張ります!




